第145話 送り出す手にも、約束は残る
ハグリッドに、チャーリーへ手紙を送ったと伝えてから、ハリーは朝食のたびに大広間の天井を見上げるようになった。
ふくろうが入ってくると、ロンも食べる手を止めた。白い羽を見つけて腰を浮かせ、別の席へ降りていく姿を見て座り直す。ハーマイオニーは二人が手紙を待っている間にも教科書を読んでいたが、羽音が近づくと頁から目を上げた。
授業へ向かう途中、マルフォイに会った。
クラッブとゴイルを連れた彼は、ハリーたちが近づくと歩く速さを落とした。
「最近、ハグリッドの所へよく行くんだな、ポッター」
ロンの足が止まりかける。
「よほど面白いものがあるらしい。僕にも見せてくれないか?」
マルフォイの口元が上がった。ハリーは握りかけた手を上着の脇へ押しつけ、ロンの腕に触れた。
「教室へ行こう」
「おや。急いでるのか。放課後も忙しいのかな?」
背中へ声が追ってきた。ロンは肩越しに振り返りかけたが、ハリーが歩き続けると、その隣へ戻った。
角を曲がってから、低い声が漏れる。
「あいつ、全部知ってるくせに」
「だからだよ」
ハリーは廊下の先を見た。先生が歩いている姿を探してしまい、それがまた腹立たしかった。自分たちが言い返した途端、マルフォイが誰かを呼び止めるかもしれない。
ロンも唇を噛み、教室の扉を押した。
翌日は、大広間を出るところで声を掛けられた。
「今朝も手紙は来なかったのか、ウィーズリー?」
ロンがハリーの隣で息を吸った。マルフォイはその顔を見て、満足そうに顎を上げる。
「待つのは退屈だろう。僕なら、誰かに話を聞いてもらうけどね」
ハリーは返事をせず、階段へ向かった。後ろでゴイルが笑う。ロンの靴音が強くなったが、追い返す言葉は聞こえなかった。
すれ違うたびに、次は何を言われるのかと身構えた。黙って通り過ぎられた日でさえ、背後で先生と話してはいないか、振り返りたくなった。
◆
課題の羊皮紙を広げても、ハリーは同じ行を読み直すことが増えた。
談話室の窓に何かが当たると、羽根ペンを置いて顔を上げる。風に揺れた枝だったと分かって、ようやく教科書へ目を戻した。
「まだ、ここだぞ」
ロンが自分の書きかけの答えを指した。
「僕も」
ハリーは半分も埋まっていない紙を見せた。
小屋へ行けば、ハグリッドも返事について尋ねた。餌の器を用意しながら、なるべく何でもないことのように聞こうとしていたが、ロンが首を振ると、その手が少し遅くなった。
ノーバートは待ってくれなかった。
前には床へ擦っていた翼の端が、今はテーブルの縁へ掛かる。ハグリッドが餌を離れた場所へ置くと、黒い身体がそちらへ進み、椅子の脚を尾で押した。彼は椅子を起こすより先に、ノーバートの食べる姿を確かめた。
「向こうでも、ちゃんと食わせてもらえるだろうな」
ハリーは扉の外から頷いた。
「それも聞いたよ」
ハグリッドは覚えていると答え、器の中へ餌を足した。ハリーは小屋から帰るたび、翌朝にはヘドウィグが戻っていてほしいと思った。
白いふくろうが現れたのは、それから数日たった朝だった。
ハリーは天井近くの羽を見つけ、椅子から立った。ヘドウィグがテーブルへ降りると、ロンはパンの皿を退ける。彼女の脚には、折られた手紙がついていた。
「チャーリーだ」
宛名を見たロンの声が弾んだ。
ハリーは紐をほどく間、ヘドウィグの背へ軽く触れた。彼女は羽を整え、用意された水へ嘴を寄せる。
ロンが手紙を開いた。ハーマイオニーが肩越しに覗き、向かい側のキーノも食器を置いた。
「どうですか」
鬼太郎が尋ねる。
ロンは文字を追い、途中で顔を上げた。
「引き受けられるって」
ハリーは息を吐いた。朝食の皿を持った生徒が後ろを通ったので、ロンも声を落とし、紙をテーブルの中央へ寄せる。
チャーリーは、ノルウェー・リッジバックを受け入れるために協力出来ると書いていた。幼いドラゴンはその大きさや状態に合わせて世話をし、着いたばかりのノーバートを成体の間へいきなり放すつもりはないという。
ハグリッドへは、落ち着いたら様子を知らせる。会いに来るなら、先に連絡をもらって仕事の予定や安全に見られる場所を相談したい、ともあった。
「この部分、早く読んでもらおう」
ハリーが言うと、ロンは頷いた。
「でも、どうやって運ぶかが問題なんだ」
手紙の後半には、チャーリーの知人が近くルーマニアへ向かうこと、その人たちにノーバートを運んでもらう案が書かれていた。候補は次の土曜の真夜中、城の最も高い塔での受け渡し。無許可で飼われていたドラゴンを運ぶ姿を人に見られないようにする必要があり、実行出来るか早く返事がほしいという。
ハーマイオニーが、その行へ指を置いた。
「真夜中に、塔まで?」
「そう書いてある」
ロンは今度こそ声を抑えた。ハリーも手紙を読んだが、さっきのようにすぐ頷くことは出来なかった。小屋から塔までの階段を思い浮かべる。ノーバートだけでなく、運ぶ人間も見られないようにしなければならない。
鬼太郎が紙から目を上げた。
「まず、ハグリッドに読んでいただきましょう。受け入れ先の話と、運び方の話は、分けて考える必要がありますね」
ロンは手紙を畳み、上着へしまった。
ハリーは残った朝食へ手を伸ばした。ようやく返事が来た。だが、授業が終わるまでは、その紙を持って小屋へ駆けていくことも出来なかった。
◆
放課後、小屋の扉を叩くと、ハグリッドは少し開けた隙間から顔を出した。
「返事、来たよ」
ロンが手紙を見せる。ハグリッドは彼の顔を見てから、差し出された紙を受け取った。
後ろではノーバートが床を歩いていた。ハグリッドは黒い頭の位置を確かめ、入口の脇へ寄った。五人も扉の外で、読んでもらうのを待った。
大きな指が紙の端を挟む。最初の数行を読んだところで、ハグリッドの眉間に寄っていた皺が緩んだ。
「小さい奴も、世話してるんだな」
「うん。着いたばかりのノーバートを、すぐ大きなドラゴンと一緒にはしないって」
ハリーが答えた。
ハグリッドは続きを読む。途中で一度目を止め、同じ場所へ戻した。
「先に、連絡を……」
「会いに行くときの話だよ」
ロンが言った。
「兄さんの仕事もあるから、いつでもってわけじゃないけど。相談してくれって」
ハグリッドは頷いた。そのまま読み終えるかと思ったが、紙を持った手を下げ、ノーバートへ顔を向けた。
黒い鼻先が器の縁を押していた。もう餌は残っていない。ノーバートは器を足で踏み、翼を持ち上げる。その端が、ハグリッドの寝床へ触れた。
「もっと広い所で、飛ぶんだろうな」
低い声だった。
ハリーは頷いた。ハグリッドは小屋の奥を見たまま、しばらく動かなかった。
「卵のときは、テーブルに載ってたんだぞ」
「覚えてるよ」
ハリーも、殻を押し破った小さな頭を思い出した。孵ったときにいた五人が、今は一緒に小屋へ入れずにいる。
ハグリッドは手紙をもう一度持ち上げた。
「様子も、知らせてくれるのか」
「そう書いてある」
ロンが答える。
「兄さん、忘れてたら僕からも聞くよ」
ハグリッドの口元に、わずかな笑みが戻った。
「頼む。大きくなっても、ノーバートだって分かるようにな」
彼は紙の折り目を指でなぞり、ロンへ返しかけて止まった。
「少し、借りててもいいか?」
「もちろん。でも、運ぶ話もあるから、僕たちにもあとで見せて」
「ああ」
ハグリッドは紙を折り直した。ノーバートが扉へ鼻先を向けると、身体を寄せて外への道を塞ぎ、餌の置き場へ誘う。
ハリーたちは半歩退いて待った。ノーバートが向きを変えたあと、ハグリッドが戻ってきた。
「チャーリーに、お願いしよう」
ロンが顔を上げた。
「ノーバートを?」
「ああ。向こうへ送ろう」
ハグリッドははっきり言った。声の最後が少し掠れたが、言い直しはしなかった。
「今度会うときには、どれだけ育ってるかな」
ハリーは、黒い翼を見た。
「きっと、驚くと思うよ」
「今だって毎日驚かされてるんだ」
ハグリッドが鼻を擦る。ハーマイオニーは急かさずに待ち、キーノも扉の脇でノーバートが餌へ向かうのを見守っていた。
鬼太郎は、ハグリッドへ顔を向けた。
「返事には、そうお伝えしましょう」
ハグリッドは頷いてから、上着へ入れかけた手紙を取り出した。
「運ぶってのは、どこへ持ってくんだ?」
ロンが受け取り、後半を示した。
「土曜の真夜中。城で一番高い塔へ、兄さんの知り合いが来るって」
「塔か」
ハグリッドは城を見上げた。ハリーも振り返った。放課後の光の中で、窓が高く並んでいる。
キーノがノーバートと塔を見比べた。
「そこまで、どうやって運ぶ?」
ロンは紙を持ったまま黙った。
鬼太郎が入口から中を覗く。ノーバートの頭は餌へ下がっていたが、翼は身体からはみ出し、尾はテーブルの脚を越えていた。
「運ぶ入れ物も、必要ですね。持ち上げられても、途中で火を吐かれたり、噛みつかれたりしては進めません」
ハグリッドは小屋の中を見た。
「丈夫な木箱なら、用意出来る。中へ入れるのも俺がやる」
「箱に入れて、そこから塔まで……」
ハリーは途中で言葉を止めた。透明マントを思い出していた。自分とロンなら隠れられる。だが、ノーバートの箱まで覆えるかは、実際の大きさを見なければ分からなかった。
マルフォイの笑った顔も浮かぶ。手紙が届いたことも、土曜の話も、まだ知られていない。受け入れてもらえると喜ぶだけで、廊下へ持ち出せる話ではなかった。
ハーマイオニーがロンの紙へ目を向けた。
「早く返事がほしいって書いてあるけれど、まだ出来るとは答えられないわね」
「まず、箱を見よう」
ハリーは言った。
ロンが頷き、手紙を畳む。ハグリッドは面会について書かれた場所を指で示した。
「それを、もう一度読ませてくれ。運ぶ話をするとき、持ってきてくれりゃいい」
ロンは紙を開き直し、ハグリッドへ渡した。
大きな手が、今度は折り目を丁寧に押さえた。ハグリッドはそのまま小屋へ戻り、餌を食べ終えたノーバートの隣に立った。
「お前、飛ぶところを見せてくれよ」
黒い頭が上がる。
ハグリッドは噛まれない距離で掌を止め、その翼へ目を細めた。