神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

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隠した一手

第150話 隠した一手

 

「不満か」

 

 ヴォルデモートの赤い目が、鬼太郎を見ていた。

 

「お前の力に見合う立場を与えると言っておる。望むものを得るために、余へ従う。それほど悪い条件ではあるまい」

 

 鬼太郎は右手の杖を下ろさなかった。

 

「知識も、強い相手と戦える機会も、欲しいですよ」

 

 白い顔に、僅かに笑みが戻る。

 

「ならば――」

 

「それを手にするたび、あなたのお許しが必要になるんですか」

 

 クィレルの腕に抱えられた本を見た。

 

 あれを調べ、使うために、校長にも協力を頼んでいる。駄目だと言われれば、どうするか考えなければならない。だが、教えを受けるために自分の行き先まで預けたつもりはなかった。

 

「僕が何を望み、誰と戦うかまで、あなたが決める。その条件なら、要りません」

 

「余に逆らえば、手に入らぬものもあるぞ」

 

「では、別の方法を探します」

 

 鬼太郎は黒檀の先を、クィレルの杖へ合わせた。

 

「まずは、その一冊からですね」

 

 相手の指が締まった。

 

 広間の外周には石柱が並び、その間をアーチが繋いでいる。鏡の周りには低い石段があった。後ろ向きに踏めば、足を取られる。左の柱までなら、平らな床が続いていた。

 

「クィレル。捕らえろ」

 

 後頭部の声が言った。

 

「命は残せ。深手を負わせても構わぬ。治すのは、捕らえてからでよい」

 

 クィレルが一度、鬼太郎の左手を見た。

 

「加減すれば、お前の方が倒されるぞ」

 

「承知しました」

 

 身体が正面へ戻る。

 

 鬼太郎は腕が動き始めたところで、左へ走った。

 

 背後で床が砕けた。石の欠片が踵へ当たり、次の光は腰の高さを追ってくる。柱へ身体を入れた直後、その縁が削られた。

 

 首元へ粉が降る。

 

 鬼太郎は柱の反対側へ回った。鏡の前でハリーが崩れ、肩から床へ倒れるのが見えた。身体を起こしていた力が解けても、縄は残っている。

 

 クィレルはその方へ手を戻さず、左腕の本をローブの内側へ押し込んでいた。

 

「ペトリフィカス・トタルス」

 

 鬼太郎は胸を狙った。

 

 杖が振られ、呪文は防護へ当たった。クィレルは盾を挟んで隣の柱へ退く。片脚を庇う一歩は短い。それでも、こちらへ向けた杖先は外れなかった。

 

 鬼太郎は陰へ戻った。

 

 石へ硬い音が続けて響く。

 

 まだ、出ない。

 

 次の音が止んだところで左手を外へ出した。柱から覗くローブの端へ、内側の力を火に変えて送る。

 

「アギ」

 

 炎が石の縁を舐めた。

 

 クィレルは奥へ身体を引き、火は柱へ当たって散った。鬼太郎は右手の杖を構えたまま、相手が次に顔を出す側を見た。

 

 その陰から、短い呪文が返る。

 

 頭を引いた。

 

 頬の傍を何かが抜け、後ろの壁へ深い傷が走った。石を裂いた線は、首の高さにある。

 

 口元が少し上がった。

 

 授業で向けられた杖とは、違った。

 

「エクスペリアームス」

 

 柱の縁から出た腕を狙う。手が引かれ、呪文は石へ当たった。だが、相手の反撃も一瞬遅れる。

 

 鬼太郎は低く屈み、足元へ散った大きな破片に杖を向けた。

 

「ウィンガーディアム・レビオーサ」

 

 割れた石が浮く。

 

 柱の陰へ真っすぐ送っても、手前の石に阻まれる。自分の柱の外へ出して高さを変え、相手の杖先が覗くのを待った。

 

 見えた。

 

 浮かせた破片を、腕へ走らせる。

 

 クィレルの手が上がった。石は防護へぶつかり、欠けた角が床へ落ちた。続いて飛んできた光を、鬼太郎は柱へ戻って避ける。

 

 相手はこちらへ攻撃するつもりで出てきた。それを、途中で防ぐ動きに変えた。

 

 それでも間に合う。

 

 校内で戦った上級生より、顔を出す時間も、杖を動かす幅も小さかった。

 

 ただ、反撃の後に聞こえる息は荒い。

 

     ◆

 

 ハリーは肩を床へ押しつけた。

 

 腿に、硬いものが当たる。

 

 石はまだある。持っていると疑われたが、奪われてはいない。

 

 柱の向こうで石が砕け、細かな欠片が足へ飛んだ。鬼太郎の姿は隠れ、クィレルも別の柱の陰にいる。

 

 二人とも、自分を見ていなかった。

 

 ハリーは首を捻った。杖は壁際にある。鏡の前からでは、指先すら届かない。

 

 腕を引いても縄は緩まなかった。肘ごと胴へ縛りつけられ、両脚もまとめられている。それでも、肩と腰を順に捻れば身体の向きは変えられた。

 

 踵を床へ押す。

 

 ローブが石に擦れ、ほんの少し壁へ近づいた。

 

 もう一度。

 

 ポケットの重みを下にしないよう、片側の腰を浮かせる。自分の手へ届くところまで杖を寄せなければ、何も出来ない。

 

 光が柱へ当たった。

 

 ハリーは顔を伏せ、破片が落ちるのを待ってから、また踵を押した。

 

     ◆

 

 鬼太郎は柱の陰で左手を下げた。

 

 身体へ直接届かなくても、冷やせるものはある。

 

 クィレルの靴が最後に見えた場所と、次に踏み出せる床を見た。

 

「ブフ」

 

 冷気が低く走った。

 

 柱の根元へ白い霜が伸び、靴の傍まで広がる。相手の隠れる一角と、そのすぐ外側へ絞って送り続けた。

 

 クィレルの杖が出る。

 

 鬼太郎は左手を引き、石へ寄った。頭のあった場所を光が抜ける。冷気は途切れたが、向こうの床には霜が残った。

 

 靴が横へずれ、滑る。

 

 足首にも霜が付き、クィレルは片足ずつ短く持ち上げた。膝を曲げて踏ん張ると、姿勢を戻すまでに一瞬掛かる。

 

 鬼太郎は反対側へ回った。

 

 中央寄りの凍っていない床を踏み、柱へ近づく。相手の隠れる場所の両側を、一度に冷やせたわけではない。だが、霜を避けて出るなら、次に身体が現れる側は絞れた。

 

 裾が動く。

 

 クィレルが柱の奥側へ足を出した。

 

「ジオ」

 

 鬼太郎は踏み込み、左掌から雷を走らせた。

 

 胸へ届く前に盾が広がる。雷は弾かれたが、相手の脚は止まった。

 

「ペトリフィカス・トタルス」

 

 右の杖から呪文を重ねる。

 

 クィレルが横へ引いた。柱の縁が呪文を受け、戻りきる前に相手の杖がこちらを向いた。

 

 鬼太郎は右へ足を置く。光がローブの脇を抜け、外周の石段へ当たった。

 

 黒檀を左手へ渡し、右手をローブの内側へ入れる。

 

 ケストレルを抜いた。

 

 クィレルの杖が胸の前へ戻る。

 

 一発。

 

 銃声と重なって盾が広がった。弾は身体へ届かず、防護へ当たる硬い音がした。

 

「それを、忘れたと思ったか」

 

 クィレルの声は掠れていた。

 

 こちらがローブへ手を入れた時点で、動いていた。銃口だけでなく、抜く前の腕から警戒されている。

 

 だが、柱の向こうにいた顔が、今は石に遮られず見えた。

 

 鬼太郎は銃を向けたまま、左手の黒檀を上げた。

 

「ルーモス」

 

 発光の直前に瞼を閉じ、顔を外へ向ける。

 

 光を瞬時に終え、目を開いた。クィレルが空いた左手で顔を覆っていた。

 

「くっ……!」

 

 盾は消えていなかった。

 

 杖を持つ腕が揺れ、さっきまで鬼太郎のいた場所を探っている。肩が短く上下した。

 

 ケストレルを右のホルスターへ戻す。

 

 斜めに離れながら、黒檀を右手で受け取り、空いた左手を相手へ向けた。

 

 見えないものを探し、聞こえる音へ縋ろうとする意識へ触れる。散った認識に、さらに別のものを混ぜた。

 

「プリンパ」

 

 頭の奥へ、鈍い痛みが走った。

 

 クィレルが顔を上げる。

 

「そこに……いや、違う。近づくな!」

 

 杖が鬼太郎から外れた。

 

 光が誰もいない柱へ向かい、石を砕く。クィレルはその音へ怯えて退き、踵を凍った床の端へ滑らせた。

 

 鬼太郎は、盾の外れた側へ左掌を向けた。

 

 今なら、火が届く。

 

「愚か者」

 

 声が落ちた。

 

     ◆

 

 クィレルは、音のした場所と敵のいる場所を区別出来なくなっていた。

 

 いないものを見つけたつもりで杖を振り、自分で砕いた石へ驚いている。命令を聞かせるだけでは、次の一撃に間に合わない。

 

 ヴォルデモートは、鬼太郎の左手に集まる火を見た。

 

 このまま任せれば、宿主が焼かれる。

 

 ハリーは鏡の前で嘘をついた。石を得た可能性がある。調べれば、ようやく手が届くかもしれないところまで来ていた。

 

 その前に、この身体を失うわけにはいかなかった。

 

 痛みも、衰弱もある。今以上に力を使わせれば、使える時間は減るだろう。だが、惜しんだまま倒されては何も残らない。

 

 クィレルの意思を、身体の奥へ押し込めた。

 

 錯乱を治す手間は掛けない。

 

 肩を上げ、動きたがらない脚へ力を入れる。腕を鬼太郎へ向け直した。

 

 肉体の痛みが返ってきた。

 

 構わなかった。

 

     ◆

 

「アギ」

 

 鬼太郎が火を放った。

 

 クィレルの杖が戻る。

 

 盾が斜めに炎を受け、進もうとした先へ火を散らした。足を止めた瞬間、相手の杖が攻撃へ切り替わる。

 

 肩を引いた。

 

 ローブの胸元が裂け、肌へ熱い痛みが走った。深くはない。だが、もう半歩前なら、胸へまともに受けていた。

 

 クィレルの目は、まだ光を避けるように細められていた。

 

 それでも、杖は迷わなかった。

 

「……変わりましたね」

 

 鬼太郎は柱へ退きながら、相手の手首を見た。

 

「余を相手に、先ほどのように動けると思うな」

 

 後頭部の声が答える。

 

 口元に、笑みが戻った。

 

「エクスペリアームス」

 

 杖を狙った呪文が、防護へ弾かれた。

 

 左手を上げようとしたときには反撃が来ていた。柱へ入るために置こうとした足の前で、床が割れる。

 

 踏み出す先を変えた。

 

 次は顔へ来る。屈んで避け、転がるように石柱の陰へ滑り込んだ。

 

 構え直す前に縁が砕かれ、破片が頬へ当たる。

 

 鬼太郎は低い姿勢で柱を回った。反対側から杖を出す前に、足元へ光が来た。

 

 姿が見えるまで、待っていない。

 

 足音と、陰へ入った向きから狙われていた。隠れたところで立ち止まれば、次の一撃を避けられない。

 

 左手を出せなかった。

 

 胸へ来る光を外すと、今度はその回避先を狙われる。杖を向けて唱える間にも、相手の手は止まらなかった。

 

 外周から中央へ、押し戻されていく。

 

 クィレルの脚が滑らかに動いているわけではない。膝は震え、短く踏み出すたびローブが引かれる。呼吸もさっきより荒い。

 

 その身体を動かす意思が、止めさせなかった。

 

 歩く距離は短い。その間に杖の向きが二度変わり、一つ目を避けたこちらへ二つ目が届く。

 

 鬼太郎は鏡へ背を向けないよう回った。

 

 足が石段の縁を踏む。

 

 重心を下げたすぐ横で床が砕かれた。飛んだ破片を袖で避け、杖を戻す。狙う腕には、もう盾があった。

 

 さっきまで、相手を動かしていた。

 

 今は、自分が動かされている。

 

 唇の端へ付いた血を舌で拭った。

 

 自分の呪文を弾いてから、次の狙いへ移る手首。あれを今度こそ追い、先へ入れるか。

 

 荒い呼吸の間にも、口角は上がった。

 

「余を相手に、まだ笑うか。面白い奴だ、鬼太郎」

 

 声には興味が滲んでいた。

 

 杖の攻めは、緩まなかった。

 

     ◆

 

 杖の柄へ、ハリーの指が触れた。

 

 肘はまだ胴へ縛られていた。身体を壁へ寄せ、指先で柄を引きずる。

 

 爪の下へ石の粉が入った。

 

 柄が滑る。

 

 ハリーは親指と二本の指で挟み直し、握れる位置まで少しずつ送った。

 

 持てた。

 

 顔を上げると、鬼太郎が柱から離れていた。クィレルの杖から光が続き、構えるより先に身体を動かしている。

 

 銃を撃ったときの近さは、もうなかった。

 

 ハリーは縄を見た。手首の上から肘と胴を巻き、脚の縄へ繋がっている。杖先を向けられても、肌から離せない。

 

 ここで火をつければ、自分も焼ける。

 

 ローブのポケットに石がある。今、手放せば奪われる。持ったまま縛られていても、鬼太郎が倒れれば同じだった。

 

 クィレルの杖が動く。

 

 鬼太郎の右手が跳ね、黒い杖が宙へ飛んだ。

 

 ハリーは、自分の杖を握り締めた。

 

「インセンディオ」

 

 縄に火がついた。

 

 袖の隙間から熱が入り、歯を食いしばって腕を引く。繊維が焦げて切れると、緩んだ輪へ肘を通し、燃える縄を振り落とした。

 

 袖を床へ押しつける。残る火を擦って消した。

 

 腕が赤くなっていた。ひりつく場所に触れる余裕はない。

 

 空いた手を脚の縄へ入れた。結び目は解けなかったが、肌から少し浮かせられる。

 

「インセンディオ」

 

 もう一度、火をつけた。

 

 焦げたところで足を引き、切れた輪から抜く。熱い縄を投げ、火の上へ靴を押しつけると、煙が顔へ上がった。

 

 壁へ手をついて、立ち上がった。

 

     ◆

 

 右手から黒檀が抜けた。

 

 鬼太郎は飛んだ杖を見たが、追わなかった。相手の杖はまだこちらへ向いている。

 

 左手を胸元へ上げる。

 

 腕が、途中で止まった。

 

 右腕も動かない。

 

 肩から先が硬くなり、曲げかけた左肘は半端な高さで固まっていた。指へ力を入れても、向けたい方へ動かせなかった。

 

 後ろへ足を置く。

 

 脚は動く。頭も向けられる。だが、杖を落とされ、両手も相手へ向けられない。右腰の銃にも届かなかった。

 

 クィレルの杖先が下がる。

 

 退こうとした足の前へ光が落ち、歩幅を縮めた。背後には石段がある。このまま追い込まれれば、次に踏む場所もなくなる。

 

「まずは、その手だ」

 

 ヴォルデモートの声がした。

 

 鬼太郎は、身体の内側へ意識を寄せた。

 

 足を動かして狙いを外しながら、以前、硬直を解いた冷たい感覚を探す。後ろで石が砕けた。その音へ、短い声を重ねる。

 

「……パトラ」

 

 内側から冷たい感覚が広がった。

 

 両腕の硬直が解ける。

 

 鬼太郎は動かさなかった。

 

 曲げかけた左肘も、下がった右腕もそのままに、指先で戻った感覚だけを確かめる。

 

 解除に気づかれれば、また手を狙われる。まだ使えないと思っている間なら、一度は隠せる。

 

 口元に笑みを残し、相手の杖先を追った。

 

 その先が、脚へ下がる。

 

 横へ足を置こうとしたとき、別の声が響いた。

 

「インセンディオ!」

 

 炎がクィレルの脇へ向かう。

 

 相手の杖が回り、短く動いた。身体へ届く前に火が縮み、消える。盾を張る必要さえなかった。

 

 鬼太郎は、その間に石段の縁から離れた。腕は固まったときの形を保ち、足だけで位置を変える。

 

 壁際にハリーが立っていた。

 

 袖には黒い焦げ跡があり、覗いた腕が赤くなっている。足元には焼けた縄が落ち、細い煙を上げていた。

 

     ◆

 

 放った火は、杖のひと振りで消されていた。

 

 それでも鬼太郎は、さっき狙われていた場所から離れた。

 

 ハリーは杖を胸の前へ戻した。袖が腕へ触れるだけで、ひりつく。焼けた縄の臭いが鼻に残っている。

 

「やめろ!」

 

 クィレルが顔を向けた。

 

 額の傷が、強く痛んだ。

 

 ハリーは退かなかった。腕を使えない鬼太郎と、石を隠した自分。このまま壁際で待っていても、助からない。

 

「ポッター」

 

 頭の後ろから声がした。

 

 クィレルの目が、ハリーのローブへ落ちる。

 

 ハリーはポケットを押さえなかった。杖を握り締め、相手の震える脚を見た。

 

 その横で、鬼太郎が足を動かした。

 

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