神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

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触れた場所から

第151話 触れた場所から

 

 クィレルの杖が、ハリーへ向いた。

 

 膝は震えていた。ローブから覗く靴が半歩ずれ、身体が僅かに沈む。それなのに、腕は迷わずこちらを狙っていた。

 

 ハリーは杖を上げた。

 

「インセンディオ!」

 

 炎が飛ぶ。

 

 クィレルの手首が動いた。身体へ届く前に火は縮み、そのまま消えた。

 

 次を唱えようとしたときには、杖先が戻ってきていた。

 

 ハリーは横へ跳んだ。

 

 肩のあった場所を光が抜け、背後の壁で石が弾ける。首を縮め、踏み出した足を戻さずに走った。

 

 立ち止まれば、当たる。

 

 そう思ったときには、相手の杖は鬼太郎へ向いていた。鬼太郎は両腕を同じ位置に保ち、石段から離れて歩いている。

 

 ハリーが構えれば、クィレルはまた杖を戻す。

 

 鬼太郎が進めば、その足の置き場へ光が落ちる。

 

 相手の身体は一つしかない。それでも、杖を持った自分と、手の使えない鬼太郎を交互に狙い、どちらも近づかせなかった。

 

「ハリーさん。柱から離れないでください」

 

 声に従って、すぐ傍の石柱へ入った。

 

 縁へ呪文が当たり、頭の上から粉が降る。火傷した腕へ袖が擦れた。払おうとして、杖を下げかけた手を戻す。

 

 柱の陰から、相手の脚を見た。

 

 片膝が揺れている。鬼太郎へ杖を向けたまま一歩出ると、身体が前へ傾き、反対の足で支え直した。

 

 腕は、その間も止まらない。

 

 鬼太郎が胸元への光を身体を捻って避けた。両腕は動かなかった。左肘は曲がりかけた高さにあり、右腕は下がっている。

 

 このままでは、足も止められてしまう。

 

 ハリーは杖を握り直した。何度火を飛ばしても、あの手首の動き一つで消される。次こそ届くと思って顔を出す間に、自分が倒されるかもしれない。

 

 クィレルの足へ、目を戻した。

 

 身体なら、ぶつかれる。

 

 倒せなくても、杖を向ける姿勢は崩せるかもしれなかった。

 

 その子を殺すな。

 

 あの声は、そう命じていた。石を得るために自分を生かしておこうとした。

 

 今は、持っていると疑われている。それでも、隠し場所までは見られていない。何を鏡から得たのか、まだ聞き出すつもりでいるなら、いきなり殺しはしないはずだ。

 

 そうであってほしかった。

 

 ハリーは腕の赤いところを見た。

 

 殺されなくても、傷つけられる。さっき自分を倒した力で床へ叩きつけられれば、もう立てないかもしれない。

 

 息を吸った。

 

 怖さは、消えなかった。

 

 それでも、鬼太郎へ向いた杖を止めるために走ると決めた。

 

 鬼太郎が、鏡から離れる方へ一歩出る。

 

 相手の手首がそれを追った。

 

 ハリーは自分の杖をローブへ差し込み、両手を空けた。石の入ったポケットには触れず、柱の縁から走り出す。

 

 クィレルの顔が向いた。

 

「ポッター――」

 

 頭を低くした。

 

 火傷が袖へ擦れて痛む。足を緩めず、最後の一歩で肩を相手の胴へぶつけた。

 

 身体が、後ろへ動いた。

 

 クィレルは足を引いて受けようとしたが、短く置いた踵では踏ん張りきれなかった。ローブが揺れ、ハリーも勢いのまま膝をつく。

 

 頭の上へ杖が来る。

 

 ハリーは右手を伸ばした。

 

 手首を掴む。

 

 相手の袖がずれ、指が肌へ触れた。

 

 クィレルが叫んだ。

 

 同時に、額を痛みが貫いた。

 

 目の奥まで裂かれるようだった。手を離して頭を押さえたくなり、身体が縮む。掴んだ指だけは、すぐには開かなかった。

 

 鼻へ、焦げた臭いが入った。

 

 自分の袖ではない。

 

 ハリーは目を開けた。

 

 指の間で、クィレルの肌が赤くなっていた。

 

     ◆

 

 クィレルの杖が、鬼太郎から外れた。

 

 ハリーが右手首へしがみついている。相手の身体がよろめき、腕から細い煙が上がった。

 

 鬼太郎はその間に、落とされた黒檀へ目を走らせた。

 

 石段の向こう、柱の根元にあった。転がった杖の長い先が、砕けた石の間から見える。

 

 腕の硬直は、もう解いてある。

 

 だが、相手にそれを見せるつもりはなかった。

 

 退くように動き、石段の低いところを越えて柱の陰へ入る。ハリーとクィレルが重なる間は、火も銃も放てない。

 

 鬼太郎は膝を曲げた。

 

 柱に隠れた右腕だけを動かし、床から黒檀を拾う。

 

 馴染んだ柄が掌へ収まった。

 

 身体の脇へ下げ、杖ごとローブの陰に隠す。左肘は固められたときと同じ高さへ保ち、柱の縁へ戻った。

 

 クィレルの叫びが聞こえる。

 

 その左手がハリーの肩へ伸びた。布を掴み、引き剝がそうとする。右腕は掴まれたまま、それでも鬼太郎へ杖を戻してきた。

 

 身体を低くする。

 

 光が頭の上を抜け、後ろの石へ当たった。

 

 腕を戻そうとしたクィレルが、また叫ぶ。

 

 手首が、焼けていた。

 

 ハリーの掌には火がない。杖も持っていなかった。掴んだ指のあるところから、肌が傷んでいる。

 

 鬼太郎は顔を出す位置を変えた。

 

 今の攻撃も、錯乱していたときの当てずっぽうではなかった。焼ける腕を使いながら、こちらを追っている。

 

     ◆

 

 ヴォルデモートは、腕を引かせた。

 

 ハリーの指が肌を擦る。

 

 その下が、さらに焼けた。

 

 掴まれたところへ赤い腫れが広がり、皮膚が裂け始める。杖を握る指へ力を入れても、手首の痛みが動作を乱した。

 

 火の呪文ではなかった。

 

 何も唱えず、触れただけで宿主が傷ついている。

 

「離せ!」

 

 クィレルの口から声を出させた。

 

 左手は肌へ触れぬよう肩の布を掴み、押し退ける。ハリーの膝が床を擦り、一度、身体が離れかけた。

 

 手首には、指が残った。

 

 右腕を引けば、焼けた肌へ爪が食い込む。

 

 肉体の力が足りない。

 

 ヴォルデモートは杖へ意識を戻し、掴まれた腕を鬼太郎へ向けた。両腕を封じた子供を、ここで逃がすつもりはない。

 

 だが、狙いは上へずれた。

 

 ハリーが腕へ体重を掛けている。踏み直した脚も、身体を支えきれず揺れた。

 

 クィレルへ任せていれば、先ほどの炎に焼かれていた。自分が動かしたからこそ、鬼太郎を追い詰められた。

 

 その酷使した身体が、今は小さな手さえ振り払えない。

 

 掴まれた場所で、皮膚が剝けた。

 

 先に引き離す。

 

 石も、もう一人の子供も、その後だった。

 

     ◆

 

 肩を引かれ、ハリーは膝を踏み直そうとした。

 

 足が滑る。

 

 クィレルの腕から身体が離れ、指まで引き剝がされそうになった。

 

 離したら、杖を向けられる。

 

 ハリーは左手を上げ、右手の横へ重ねた。

 

 火傷した腕が痛んだ。それより額の傷の方がひどく、瞼を閉じても痛みは変わらない。鼻から吸った息が、途中で詰まった。

 

 すぐ上で、叫びが上がる。

 

 ハリーは瞼を押し開いた。

 

 握ったところが、焼けていた。

 

 縄を焼いた火は消えている。さっき放った炎も、相手へ届かなかった。自分の掌から火が出ているわけでもない。

 

 手を離そうとされるたび、クィレルの顔が苦痛に歪む。

 

 触っているからだ。

 

 ハリーは指を握り直した。

 

 自分の手の形に沿って、赤い爛れが広がる。杖はその手首の先にあった。指が柄を握り込んでいるため、まだ奪えない。

 

 けれど、放さなければ、好きには向けられない。

 

「離すんだ、ポッター!」

 

 首を振った。

 

 左手が襟を掴み、肩を押してくる。布が首元へ食い込み、息が苦しくなった。

 

 ハリーは腕へしがみついたまま、床を蹴った。

 

 押す力が、少し弱まる。

 

 相手の膝が揺れていた。ハリーが腕を抱えるように寄ると、クィレルの胸元へ額が近づく。

 

 傷の痛みが、一段強まった。

 

「ハリーさん!」

 

 鬼太郎の声がした。

 

 そちらを見ようとしても、顔を上げられなかった。目の端に柱が見える。鬼太郎はまだ、手を動かせないのだろうか。

 

 確かめる前に手首を捻られた。

 

 焼けた肌へ指が擦れ、クィレルがまた叫ぶ。

 

 ハリーは歯を食いしばり、身体を引く力へついていった。

 

 放さない。

 

 今、自分に出来るのは、それだった。

 

     ◆

 

 鬼太郎は、柱から二人を見た。

 

 右腕にハリーの両手が掛かっている。正面から狙えば、その頭や肩が重なる。左へ回ろうとすると、相手の杖先も追ってきた。

 

 足は震え、腕は焼けている。それでも、こちらを忘れてはいない。

 

 鬼太郎は鏡を背後へ置かない位置へ移った。

 

 石の欠片なら足元にある。浮かせてぶつける方法も考えたが、抱え込まれた腕のすぐ横にはハリーの顔があった。

 

 角度を変えるために大きく動かせば、その間を相手に見せる。

 

 ローブの陰で、黒檀を握り直した。

 

 ハリーが顔を上げようとして、また俯く。開いた口から短い呻きが漏れた。火傷した腕で握り続け、膝で身体を支えている。

 

 長くは保たない。

 

 クィレルが肩を押した。ハリーの上体が傾くが、右手首へ重ねた指は外れなかった。その下から煙が上がる。

 

 何が起きているのか、鬼太郎には分からない。

 

 ただ、触れたところから傷んでいる。それをハリーも知って、掴み続けているらしかった。

 

 鬼太郎は杖先を見た。

 

 ハリーを剝がそうとするたび、狙いがずれる。直す動きも、自分を追い込んだときより遅くなっていた。

 

 右手の柄へ、指を掛け直す。

 

「放せ、ポッター!」

 

 後頭部から声が響いた。

 

 クィレルの脚が、大きく震える。

 

 左手が襟を掴み直した。焼けた右腕を胸へ引き寄せ、身体ごと捻る。片足が床を擦り、ハリーが横へ振られた。

 

 手首から指が外れた。

 

 ハリーが肩から床へ落ちる。

 

 その身体が離れた瞬間、鬼太郎は右腕を上げた。

 

 ローブの陰から黒檀を出し、杖先をクィレルの胸へ定める。

 

「エクスペリアームス」

 

 赤い光が走った。

 

 相手の杖が戻ろうとする。

 

 だが、焼けた手首は下がったままだった。こちらへ向け直すより先に、光が胸を捉えた。

 

 杖が指から抜ける。

 

 身体が後ろへ吹き飛んだ。

 

 ローブの裾が翻り、クィレルは低い石段の向こうへ落ちた。背中が床を打ち、持ち上がりかけた頭も沈む。

 

 飛ばされた杖は、別の柱の根元へ転がっていった。

 

 鬼太郎は近づかなかった。

 

 黒檀を向けたまま、倒れた身体を見た。

 

 右腕が動く。

 

 肘を曲げ、身体を起こそうとしていた。ハリーの指が触れた手首は赤く爛れ、その表面が暗く変わり始めている。

 

 細いひびが走った。

 

 指を曲げると、ひびが開く。

 

 手首の表面が、欠け落ちた。

 

 鬼太郎の笑みが薄くなった。

 

 火はついていない。

 

 それでも、傷みは止まらなかった。肘へ亀裂が伸び、身体を支えようとした腕が床へ落ちる。

 

 乾いた音がした。

 

 クィレルが左手を伸ばす。右腕へ触れようとしたが、その前に、肩へ亀裂が達していた。

 

 ハリーは横たわったまま顔を上げている。火傷した腕を胸へ寄せ、荒い息の間から、相手を見ていた。

 

 鬼太郎はその前へ回った。

 

 クィレルの襟元にも、ひびが現れた。

 

 首を伝い、顎へ走る。開きかけた口から声が漏れたが、掠れた音だけで言葉にならない。

 

 頬が割れ、細かな欠片がローブへこぼれた。

 

 鬼太郎は杖を下ろさなかった。

 

 今の呪文で杖を奪い、身体を飛ばした。それだけで人がこんなふうに崩れたことはない。

 

 掴まれていた手首から始まり、離れた後も広がっている。

 

 手を伸ばして確かめる気にはなれなかった。

 

 胸元が沈んだ。

 

 ローブの内側から、閉じた本が滑り落ちる。表紙が石へ当たる音の後に、また崩れる音が続いた。

 

 持ち上がろうとした左手が、途中で砕けた。

 

 落ちた欠片も、床の上で細かく崩れていく。肩を覆っていた布が潰れ、頭の輪郭が傾いた。

 

 ハリーが、息を呑んだ。

 

 もう、人の形を保てなくなっていた。

 

 鬼太郎は黒檀の狙いを下へ追わせた。

 

 最後に残った輪郭が、ほどける。

 

 床へ灰が広がった。

 

 クィレルのいた場所には、空になったローブと、閉じた魔導書だけが残っていた。

 

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