第156話 渡すものを選ぶために
帳面に残った二つの形を、鬼太郎は見比べた。
途中で止めた線を伸ばし、一度は結んでみる。それから本の同じ箇所へ目を戻した。
すぐ隣にも似た形がある。だが、繋がる先は違っていた。順に並んだ文章として追うと、そこで意味が途切れる。
鬼太郎はペンを止めた。
機械の中で、何を順に行わせたかは覚えている。今、見ているものは、そのまま画面に表示されていた記述ではなかった。
字の並びが図へ入り、図から別の頁へ続く。
「分かるところはあるかね」
「以前の仕組みと、似た働きをしていそうな箇所はあります。ただ、同じ順で読めばよいわけではなさそうです」
帳面を校長へ向けた。
「この並びが、そのまま次へ繋がると思ったんです。ですが、本では、こちらの図へ戻っています」
書いた線の先を示し、本の上では指を浮かせて止める。
ダンブルドアが二つを見比べた。
「図を一つずつ、独立したものとして見てしまうと、分からなくなるのかもしれん」
「ええ。字だけを追っても、足りませんね」
鬼太郎は結んだ線へ斜線を入れた。
消さずに残す。同じところへ戻ったとき、何を間違えたかまで分からなくなっては困る。
校長が次の頁を開いた。
鬼太郎は手を出さなかった。記憶が戻る反応を、もう一度起こすために触れる必要はない。今は、目の前に出されたものを確かめる。
繰り返す形を写し、その傍にある図を比べた。別の頁へ続けば戻してもらい、見落とした線を探す。
帳面の疑問符が増えた。
時計の針が進み、窓から差す光がずれたころ、最初の形へ短い言葉を書き添えられた。
「……ここは、呼び出す相手へ繋ぐためのものだと思います」
「呼び出す、その動き自体ではなく?」
「はい。相手へ届くようにする処理です。この後に、別のものが続いています」
鬼太郎は次へ目を送った。
校長の手が帳面の端へ置かれる。
「一度、休もう」
「あと少しで、繋がりそうなのですが」
「その少しを、休んでから確かめるんじゃ。今朝のポンフリーの言葉を、忘れてはおらんだろうな」
ペン先を見た。
指にインクが乾いている。力を通したわけではないが、背中は同じ姿勢のまま重くなっていた。
鬼太郎がペンを置くと、校長は本を閉じた。
食事を取り、椅子から立って身体を伸ばした。
窓の外へ目を向けると、さっき辿っていた図が、違う順番で浮かぶ。鬼太郎は机へ戻りかけ、足を止めた。
まだ、休む時間だった。
忘れないよう、思いついた順番だけ帳面へ短く書く。ペンを戻し、食事の続きを取った。
調査を再開すると、午前中に止まった箇所を越えられた。
ダンブルドアが頁をめくり、鬼太郎が読み取れた働きを言葉にする。校長は図を見ながら、その働きを魔法で担わせるならどうなるかを考えた。
「以前の機械は、儀式を代わりに行っていたんです。図形や言葉、行う順番を、機械が扱える形にして」
鬼太郎は帳面へ小さな枠を描いた。その内側へ、図形、言葉、順番と書き入れる。
「機械の中に、儀式を行うための仮の場を設ける。僕が操作すると、必要な手続きをそこで進める仕組みでした」
「人が儀式の場で行うことを、機械の内へ持たせていたのじゃな」
「ええ。ただ、この紙に同じ場があるかは、まだ分かりません。この部分が以前の処理に当たるなら、図はそれを魔法で働かせるために置かれているのかもしれません」
「では、同じ処理でも、図が変われば結果も変わり得るか」
「そこを確かめないといけません。以前のものと似ていても、この本では違うところがあります」
帳面に、悪魔召喚プログラムと書いた。
その下へ、機械の代わりに本が行おうとしているものを、分かった範囲で並べる。
形を写しただけだった頁に、少しずつ順番が生まれた。
しかし、次へ進んだペンが止まった。
「前を、もう一度見せていただけますか」
校長が戻す。
鬼太郎は帳面の線を辿り、分かれた先を見比べた。
呼ぶ側へ返ってくるはずのものが、見つからない。
「ここが、違います」
「何が違う?」
「呼ぶ側が条件を選ぶためのものが、見つかりません。その代わり、相手へ対価を取らせる処理があります」
字の並びを示し、そこから続く図へ指を移した。自分の記憶だけを前提に話さないよう、一つずつ言葉へ直す。
「取引のための記述ではないのかね」
「取引なら、求められたものを渡すか、断るかを決められるはずです。これは、その返事を待たず、相手が取ることを通しています」
鬼太郎は帳面へ二つの短い行を書いた。
求められる。渡すか決める。
下へもう一つ、相手が取る、と書く。
「僕の覚えている仕組みと比べると、ここが抜けています」
二行目を指した。
ダンブルドアは本へ目を戻した。
「別のところに、選ぶための記述がある可能性は?」
「あります。まだ、読めていないところがありますので」
鬼太郎も、すぐに頷いた。
不快なものを見つけたからといって、それで全てを読んだことには出来ない。
ほかの頁から条件を戻せるのかもしれない。後ろへ続く記述が、まだ残っている可能性もあった。
調べた範囲へ印を付け、繋がる先を追った。
窓からの光が傾き、机へ温かな色が差し始めたころ、鬼太郎はペンを置いた。
半日近くが過ぎていた。
帳面は何頁も埋まった。それでも、魔導書には意味を書き添えられないところが残る。
「全部は、読めていません」
帳面を校長へ向けた。
「ただ、召喚に繋がる部分は、ある程度分かりました。以前のプログラムを、この世界で働く形へ置き換えようとしたものだと思います」
「成功している部分もあれば、抜けている部分もあるのじゃな」
「ええ。荒削りな試作品に見えます。少なくとも、今読めた条件では、悪魔の側が有利すぎます」
対価の箇所へ指を置いた。
「呼べることは、クィレル先生が示しています。ですが、呼んだ後で自分が何を渡すか決められず、一方的に取られる。使うたびに、むしり取られるようなものです」
「何を取られるかも、今は分からぬか」
「全部は、確かめられていません。相手や使い方でどこまで変わるのかも、調べないと」
鬼太郎は唇を閉じた。
自分で選んだ条件なら、対価を払うことは構わない。渡せるものを考え、要求と見合うか決めればよい。
だが、自分のものを、相手の都合で持っていかれるのは違った。
強くなるために、何を取られるかも決められない仕組みへ頼る。そのつもりで本を求めたわけではない。
「このまま使いたいとは、思えませんね」
「うむ。この本は、使用せんことにしよう」
校長の声は静かだった。
「読めた部分だけでも、試すには危険じゃ。分からぬ箇所が残るなら、なおさらじゃな」
「僕も、試すつもりはありません」
ダンブルドアは対価へ続く線を見た。
「では、取らせる記述を消せば、それで済むかね」
鬼太郎は本と帳面を見比べた。
「……まだ、そうとは言えません」
「儀式を動かすための消費と、悪魔が求める対価は、同じとは限らぬ。この箇所が、両方の働きを担っている可能性はないか」
「あります。取らせるところだけ消したつもりで、呼ぶために必要な処理まで切ってしまうかもしれません」
鬼太郎は原本へ手を伸ばさず、帳面の該当箇所を丸で囲んだ。
「前後が何を受け渡しているのか、先に確かめます。必要な働きもここにあるなら、消す前に、何で代わりをさせるか考えないと」
丸の横へ、儀式の消費と対価を分けて確認、と書き添える。
どこまでが同じ処理なのかも、まだ読めていなかった。
ダンブルドアは、すぐには表紙を閉じなかった。
書き留めた行と、そこへ置かれた鬼太郎の指を見比べる。
「じゃが、調べたことが無駄になるわけではない」
鬼太郎は顔を上げた。
「解明すれば、本に何を行わせる必要があるかも、どこが欠けているかも、今より分かる。この不備を引き継がず、新しい本を作れる可能性はあるじゃろう」
「この世界の魔法で、プログラムを働かせる方法ですね」
「うむ。あるいは、以前使っていたCOMPに相当するものを作る、手掛かりになるかもしれん」
鬼太郎は、二行目へ置いた指を動かした。
この本を使えないからといって、道がなくなったわけではない。
機械へ行わせていた処理は思い出している。それを何に担わせればよいのかは、目の前の校長が知る魔法と照らして考えられる。
「どちらが作れるかは、まだ分かりませんが」
「そうじゃ。作れても、安全に使えるかは、別に確かめねばならぬ」
「ええ。まずは、自分が何を渡すか選べるものにしたいですね」
校長が眼鏡を直した。
「わしとしては、悪魔の召喚などせずに済ませてほしいのじゃが……方法が見つかれば、鬼太郎はやるのじゃろうな」
「はい。そのために、調べていただいていますから」
鬼太郎は少し笑った。
「ただ、明日にでも使いたいわけではありません。時間をかけて、納得出来るものにしたいんです」
この本のほかにも、覚えたい術はある。知っている呪文を、もっと使える形へ練ることも出来る。
今、呼べなければ全てが止まるわけではなかった。
「呼ぶ相手も、受け入れる条件も、僕が選べるものを作りたい。そのために待つ時間まで、惜しむつもりはありません」
「うむ。まずはこの書を解明し、どこを改めればよいか確かめていこう」
鬼太郎は頷いた。
校長が召喚を安心して認めたわけではない。その顔からも言葉からも分かる。
それでも、約束した調査を打ち切るとは言わなかった。
ダンブルドアが本を閉じた。
「今日はここまでにしよう。続きは、休んでからじゃ」
鬼太郎は、戻って確かめたいところへ印を付けた。
最後の行へ、新しい本とCOMPの二つを書き留める。その下には、まだ意味を取れていない頁の位置を並べた。
羽根ペンを置く。
校長が原本を自分の傍へ引き寄せた。
鬼太郎は帳面のインクが乾くのを待ち、鞄へ収めた。