第180話 包みの外にも、値はつく
翌日、門を通ってきたボリスを見て、鬼太郎は持っていた紙を卓へ置いた。
肩へ掛けた荷は、これまでと大きく変わらない。
変わったのは、それを担いでいる男の方だった。上着の肩は身体に合い、襟に擦り切れた跡がない。歩くたびに裾から覗く靴も、以前のように片側だけ踵が減ったものではなかった。
「お待ちしていました、ボリスさん」
「言われた日に間に合ったぞ。櫛を確かめるのに、少し手間取ったがな」
ボリスは荷を下ろす前に、食堂の戸口で靴の泥を落とした。
鬼太郎が卓の上を空ける間、キーノが向かいの椅子から包みを移す。ボリスはその場所へ荷を置き、肩を回した。
「以前より、ずいぶん身なりがよくなりましたね」
紐へ手を掛けた男が、顔を上げた。
鬼太郎は襟元へ目を向けたまま、笑った。
「こちらの商売は、順調のようで」
「おかげさまで儲かってる」
ボリスは上着の前を軽く引いた。
「買い手の前へ出る時に、いつまでも同じ格好というわけにもいかん。品はよくても、持ってきた男が信用できんと言われては困るからな」
「今までは、それで売っていたんだろう」
キーノが言うと、ボリスは口の端を上げた。
「今までより、高く買う客が増えたんだ」
「服も仕入れのうちですか」
「そういうことだ。まあ、それだけでは済まなくなったが」
結び目が解け、卓へ布が広がった。
ボリスは中身を取り出す前に、戸口の向こうを一度見た。
「俺が同じ品を続けて出せば、面白くない奴もいる。どうやって集めた、誰から買った、と聞くうちはまだいい。帰り道まで確かめたがるのも出てきた」
「尾けられたのですか」
「気づいた分は、撒いた。気づかなかった分までいないとは言えん」
鬼太郎は椅子を引き、腰を下ろした。
「今日は?」
「町を出る前にも、途中でも見た。ついてきている様子はなかった。それで、森の外では護衛を何人か雇うようにした」
キーノが戸口へ顔を向ける。
「ここまで来てるのか」
「いや。森へは入らせていない。外で待たせてある」
ボリスはすぐに答えた。
「勝手に連れてくるなという話は、覚えてる。俺の都合で知らん奴を歩かせて、次の荷がなくなったら割に合わん」
「ええ。来る方が変わるのでしたら、先に知らせてください」
鬼太郎は卓へ肘をつかず、男の顔を見た。
「森の外で困ることが増えたなら、それも。受け渡しの方法を考える余地はありますから」
「護衛まで出してくれるのか?」
「まだ、何をしてほしいとも伺っていませんよ」
ボリスが短く笑った。
「そうだったな。今は、雇った連中で足りている」
「では、それで続けてください。あなたが毎回、追っ手を連れてくるようでは、こちらも困りますので」
安い素材を渡せば、買い手の利益は増える。
その利益を見て寄ってくる者まで、消えるわけではなかった。鬼太郎はボリスの新しい靴へ、もう一度だけ目を落とした。身なりを整える余裕と、人を雇う必要が、同じ商売から生まれている。
ボリスは荷の中から、紙に包まれた品を取り出した。
「まず、こっちだ」
◆
葉煙草は、さらに内側を包んであった。
ボリスは必要な分だけ口を開き、鬼太郎へ寄せた。乾いた葉の匂いに、少し甘い香りが混じる。
「頼まれた方だ。濡らさず、このまま置いておけばいい。香りを確かめるからと、開けっぱなしにはするなよ」
「使いませんから、そちらは大丈夫ですよ」
鬼太郎が包みを戻すと、次に酒瓶が出てきた。
厚い布を巻き、ほかの品とぶつからないよう荷の端へ収めてあったものだ。瓶の栓を見せてから、ボリスは卓へ静かに置いた。
「甘い酒という話だったからな。こっちは、開けずに持っていける」
キーノは布の隙間を覗いた。
「どれくらい甘いんだ?」
「酒の苦さが嫌いな客にも売れるくらいには」
「キーノさんが確かめるつもりですか?」
鬼太郎が聞くと、キーノは顔を上げた。
「聞いただけだ。渡す相手の好みに合うか、気になるだろう」
「ええ。それは、そうですね」
最後の小箱から、銀の櫛が出てきた。
派手な宝石はついていない。背の部分に細い模様が入り、並んだ歯には曲がりも欠けもなかった。
ボリスは広げた布へ載せる。
「表だけ銀にした安物じゃない。そこは店で確かめさせた。見栄えがいいだけなら、もっと早く揃ったんだが」
鬼太郎は手に取り、傾けた。
窓から入った光が、背の模様を滑る。キーノへ渡すと、彼女は歯の先まで見てから、布へ戻した。
「引っかかるところも、なさそうだ」
「見せびらかす方が長いそうですが、使えなければ困るでしょうからね」
「それを聞いていたら、飾りの多い方を探したかもしれん」
「そちらへ寄せすぎなくて結構ですよ」
ボリスの差し出した紙には、三つの品の値段が分けて記されていた。
前に届いた返事と照らし合わせ、鬼太郎は金を出した。ボリスが数える間に、葉煙草の口を閉じ、櫛を箱へ戻す。
ようやく、訪ねるための品が揃った。
「東と西へ、これを持っていくんだったな」
金をしまったボリスが聞いた。
「はい。まだ、お会いしたことがありませんので」
「挨拶で済むといいがな」
「済まないこともありますか?」
「それは、相手に聞いてくれ。俺は、そっちの取引にまで口を出せん」
軽く上げた両手を、膝へ下ろす。
そのまま荷を畳むかと思ったが、男は卓へ残った値段の紙を見つめた。
「それより、外の話を一つしておく」
◆
声が、先ほどより低くなった。
「闇の連中が、また幅を利かせ始めてる」
鬼太郎は、酒瓶を持ち上げかけた手を止めた。
「この辺りで、ですか」
「ここだけという話でもない。表へ大きく出てくるわけじゃないが、仲間を増やすことに、ずいぶん熱心らしい」
ボリスはキーノにも目を向けた。
「今の暮らしが面白くない奴や、もっと儲けたい奴は、どこにでもいるからな。そういう連中を集めてる」
「そうした集まりは、以前からあるのでしょう?」
「ああ。だが、このところ、耳に入る」
そこで、男の指が卓の縁から離れた。
「裏じゃ、例のあの人が生きてるんじゃないかって話まで出てる」
鬼太郎はボリスを見た。
暗い地下の部屋で聞いた声を、忘れてはいなかった。
崩れていった宿主と、そこから離れたもの。あの終わりを、この男は知らない。
「それは、誰かがご本人を見たという話ですか」
「そこまでは聞いてない。俺が会ったわけでもない」
「では、その名を出して、人を集めている可能性もあるのですね」
「ある。勝手に看板を借りてるだけなら、まだましだがな」
ボリスは唇を湿らせた。
「どこまで本当か、俺には分からん。ただの与太話だと笑って、関わる気にもなれん。そういう名だ」
鬼太郎は頷いた。
本人が生きていることと、町でその名を使う者が本人に繋がっていることは、同じではない。
配下が動いているのか。戻ることを期待する者が、勝手に手を伸ばしているのか。今の話だけでは選べなかった。
「ボリスさんにも、お誘いが?」
「俺は、商売を続けたい」
返事は早かった。
「そいつらの仲間にならなくても、今は儲かってる。わざわざ危ないところへ足を入れる理由がない」
「それでしたら、今後もよい品を運んでください」
「そうするさ。……あんたも気をつけろよ」
鬼太郎の笑みを見ても、ボリスの顔は緩まなかった。
「森で強いからって、向こうまで放っておくとは限らん」
「ご忠告、覚えておきます。何か分かれば、また教えてください。ただ、そのために危ない話へ加わる必要はありませんよ」
「言われなくても、そこまではせん」
今度は、ボリスも少し笑った。
畳まれた荷は、来た時より小さくなっていた。
◆
門の外へ消えていく背中を見送ってから、キーノが口を開いた。
「あいつは、生きてる」
「ええ」
「商人には、言わなかったな」
「どこで知ったのか、聞かれてしまいますからね」
鬼太郎は食堂へ戻り、卓の上の品を見た。
ボリスの商売相手が、すべて分かっているわけではない。彼へ話せば、その先でも同じ形で留まるとは限らなかった。
こちらが学校で何を見て、どこまで知っているのか。わざわざ、取引の荷へ添えてやることはない。
「校長先生には、次にお会いした時にお伝えしましょう。もう、ご存じかもしれませんが」
「そのために、すぐ戻るのか?」
「いいえ。今のところ、誰がどこで動いているという話でもありません。まずは、こちらのお約束を済ませたいですね」
葉煙草と酒瓶を、少し離して置いた。
東西の相手と何を話せるかも、まだ分からない。
移ってきた者を住まわせるにしても、その土地で暮らす者の言い分がある。こちらで決めた境界を、そのまま相手の住処まで伸ばすわけにはいかなかった。
キーノが小箱を持ち上げる。
「どちらから行く?」
「東へ行きましょう」
鬼太郎は葉煙草の包みを、自分の方へ寄せた。
「レーシーさんには、住まわせる相手を選ぶ理由も伺ってみたいですから」
「珍しい力を持つものを、集めたがるんだったな」
キーノの視線が、鬼太郎の左手へ落ちた。
「最初から、昨日の火を見せたりするなよ」
「手土産が燃えてしまいますね」
「そういう話じゃない」
鬼太郎は笑い、包みから手を離した。
ようやく形になった炎も、相手の声で道を外れれば、役に立つ場所まで持っていけない。
まず、会うための道を聞く必要があった。
「案内をお願いできるか、確かめましょう。こちらが行きたいからと、すぐ奥まで通していただけるとは限りませんので」
西へ持っていく酒と櫛は、戸棚へ収めた。
東の分だけを卓へ残し、鬼太郎は森の者へ届ける紙を取った。