第182話 見えない手にも、取り分はある
「南の者だけでは、収まらなくなったか」
木々の奥から、声が返った。
鬼太郎は、左手の包みを持ち直した。キーノは隣に立ち、案内してきたアラクネも、少し後ろにいる。
「住む場所によっては、先に暮らしている方と重なりますので。東では、どのような条件で受け入れていらっしゃるのか、伺えればと思っています」
「お前は、先にいる者を追い出さなかった」
鬼太郎は口を閉じた。
「砦を奪い、人間を狩り、森の者と物をやり取りする。出入りする商人には、拾わせた品を持たせる。今度は、よそから来た者にまで仕事をさせ始めた」
低い声が、そこで途切れた。
「よくお聞きになっていますね」
「お前たちの足音は、南だけで消えるものではない」
どこから聞いたのかは、告げない。
アラクネへ振り返って確かめることもせず、鬼太郎は二股の幹の向こうを見た。
こちらからは、相手が何を持ち、どんな顔で話しているのか分からない。その相手は、砦での暮らしを知っていた。
初めて訪ねてくる人間を、何も知らずに待っていたわけではないらしい。
「それでしたら、お話が早いですね」
「住む場所を欲しがっているのは、ここにいない者だ」
声のする方が、少し変わったように聞こえた。
「お前は、何を欲しがっている」
鬼太郎は、木立へ向けた顔を動かさなかった。
「揉め事のたびに、今ある取引を止められては困ります。後から来た方にも、できる仕事はありますからね。互いに暮らせる場所が決まれば、その分、続けやすくなります」
「だから、こちらへ寄越すか」
「お望みでない方まで、お引き受けいただくつもりはありませんよ」
キーノが、隣で杖を持つ手を下げ直した。
鬼太郎は続けた。
「東に住む条件を伺って、それを望む方がいれば、お繋ぎしたいのです。あなたがお断りになることもあるでしょうし、来る方も、条件次第ではほかを選ぶでしょう」
「こちらへ来てから、南と同じようにしろと喚く者もいる」
「それでは、お話を伺う意味がありませんね。違う条件を、同じだと言って連れてくるつもりはありません」
頭上で、枝が小さく鳴った。
鬼太郎は目だけを上げたが、葉の間に見えるものはなかった。
「お前自身は、どうだ」
「僕ですか」
「杖を使わず火を放つという。人間の子供が、あの谷の獣と戦ったとも聞く」
グロブニクの名は出なかった。
鬼太郎は左手の包みへ視線を落とし、また顔を上げた。
「こちらへ住めと、お誘いでしょうか」
「何をするものか、近くで見る方がよい」
キーノが僅かに顎を引いた。
鬼太郎は笑った。
「それは、どのような条件で?」
「条件を聞いてから、決めるか」
「先ほど、そう申し上げたばかりですからね」
すぐには、返事がなかった。
風が襟へ触れ、汗の乾いた首筋を冷やした。
鬼太郎は左腕を下げすぎないよう、包みを身体の前へ寄せた。
「もっとも、今の住まいを離れるつもりはありません。あちらで待っている方もいますので。行き来や取引のお話でしたら、伺いたいですね」
「では、何を持ってくる」
待っていたような問いだった。
「お前の南で増えた者を、こちらへ送る。それだけでは、お前の荷が軽くなるだけだ」
鬼太郎は、葉煙草を少し持ち上げた。
「森の外から、品を取り寄せることはできます。こちらは、お好きだと伺ったものです」
「葉か」
「ええ。香りのよいものを選んでもらいました」
返事を待ち、包みを置けそうな石へ目を向ける。
「そこへ置け」
苔の石の間に、平たいものがあった。
鬼太郎はキーノへ一度目を向けてから、石の手前まで進んだ。包みを置く時には、杖の先が木立へ向かないよう身体の脇へ下ろす。
手を離し、元の場所へ戻った。
誰も、取りには出てこなかった。
「外で何が売られ、誰が森を狙っているか。そうした話も、商人から入ります」
「人間が来れば、分かる」
「入る前に分かれば、待つ場所を選べるでしょう」
鬼太郎は、石の上の包みを見た。
「それに、こちらへすぐ来られないこともあります。僕たちが管理している南の森でも、東との境に近い場所でも」
「その間、代わりに人間を殺せと?」
「足を止めていただくだけでも、助かりますよ」
声のする場所へ、左の掌を軽く向けた。
「先ほどの呼び声に、ついていっていたら、僕たちは今、別々の所にいたかもしれませんね」
「戻り道を探していたかもしれんな」
「ええ。侵入者にも、そうしていただけるのでしたら」
相手のいる場所へ駆けつけるまで、獲物が待っていることはない。
罠を仕掛け、捕らえ、荷を持って帰ってしまえば、後から足跡を見つけても遅かった。その間だけでも道を迷わせられるなら、追う手間も、失うものも減る。
「僕やサーシェスさん、グロブニクさんが対処するまで、時間を稼いでいただく。その後、侵入者の持ち物に珍しい品があれば、あなたへ優先してお渡しするのはどうでしょう」
「お前以外の者が仕留めてもか」
問いは、間を置かず返った。
鬼太郎は頷いた。
「その場合の取り分は、先にお二方と相談します。人を呼んでおいて、後から自分の分まで渡せと言うわけにはいきませんので」
「決まっていない報酬で、働かせるつもりか」
「今日、この場でお願いしているわけではありませんよ。双方が納得する形にできるか、まず伺っています」
鬼太郎は、空いた左手を下ろした。
「僕の取り分から出すだけでよければ、そのお約束は今でもできます。ですが、それでは少ないとお考えなら、皆さんと条件を決めてからにしましょう」
キーノが、石の方を見た。
葉煙草の包みは、まだそこにある。
「俺が待たせた人間に、何もなければ?」
「その時は、何をお渡しするか、別に決めておく必要がありますね」
「死んだ者の懐が空なら、働き損。それでは、呼ぶ声も出し渋るぞ」
「ごもっともです。品がなかった時の代わりも含めて、持ち帰って相談しましょう」
鬼太郎は笑みを深めた。
何も持っていない者を一人迷わせただけで、値の張る品を際限なく求められても困る。どんな侵入者を、どの辺りで、誰へ知らせて待たせるのか。その話も要った。
しかし、相手は足止めそのものを嫌がってはいなかった。
「お前たちを待たず、俺が仕留めた時は」
「すべて僕のものだとは申しませんよ。ただ、こちらから人が向かっているのでしたら、終わったことは知らせていただきたいですね」
「人間を追って、お前たちまで迷い込むかもしれんな」
「その時は、早めに帰り道を教えていただけると助かります」
低い音がした。
喉の奥で笑ったのか、太い枝が軋んだのか、鬼太郎には決められなかった。
◆
少し後ろで、アラクネが足の位置を変えた。
鬼太郎は顔を僅かに向け、すぐ戻した。長く話している間にも、相手の姿は見えない。キーノも黙って聞いているが、木立を見る目は緩んでいなかった。
「俺の森へ、お前の狩りを持ち込むな」
声が言った。
鬼太郎は頷いた。
「あなたが住まわせている方を、こちらで勝手に追うつもりはありません。侵入者といっても、誰の許しで来たのかを確かめる必要はあるでしょうね」
「お前が南で追った者を、俺が通すこともある」
「それも、分かっておきたいお話です」
同じ敵を持つと、決まったわけではなかった。
南で罠を置いた者が、東では品を運ぶ役を買うかもしれない。その時、境界を越えれば追えなくなるのか。東の許しを得たというだけで、南へ戻ってまた罠を置けるのか。
鬼太郎は、それをまだ尋ねなかった。
一度も相手の条件を聞かずに、こちらの欲しいものを全部並べても仕方がない。
「ですから、互いにどうしたいのか、先にお話をしておきたいんです」
「約束が好きな人間だ」
「後で、聞いていないと揉めるのは面倒ですので」
「守らぬ者もいる」
「ええ。その時にどうするかも、考えておきます」
葉が一枚、石の上へ落ちた。
葉煙草の包みの端に触れ、そのまま止まった。
「移ってくる者の中で、何ができる」
鬼太郎は目を上げた。
「皆さんの力を、僕が全部知っているわけではありません。ご興味があるのでしたら、ご本人へ伺ってお伝えします」
「珍しいものが、よい」
「それは、連れてきた方に直接お会いになって、お決めいただく方がよさそうですね」
キーノが鬼太郎を見た。
鬼太郎は木立へ向け、静かに続けた。
「ただ、会いに来た方が帰る時に、道を失うようでは困ります。お断りになった場合も含めて、そこはお願いしたいですね」
すぐには、声が返らなかった。
鬼太郎は待った。
東に住む場所を得るより先に、ここで話をして帰れるかを確かめなければならない。今、隣にいるキーノにも、後ろで待つアラクネにも関わることだった。
「まずは、その葉を確かめてからだ」
石の奥で、影が僅かに動いた。
鬼太郎は杖を持つ指を動かさず、そちらを見た。
幹の間から伸びたものの形を捉える前に、紙が擦れる音がした。
石の上から、包みがなくなっていた。
「南の人間。お前の商人が、どの程度の品を運ぶのか、見せてもらおう」
鬼太郎は、空になった石を見て笑った。
「ええ。お確かめください」