第184話 帰る道にも、聞きたいことがある
帰る時、レーシーは先に来た方へ顎を向けた。
「あの石まで戻れ。そこからは、分かるだろう」
アラクネが頷いた。
「分かる」
鬼太郎は鞄の留め具を確かめた。紙も、消火に使った容器も収まっている。水際の枯れ木からは、もう煙が出ていなかった。
「では、次はご連絡してから伺います。本も、それまでに用意しましょう」
「葉の話も、商人へしておけ」
「ええ。ですが、足止めのお話は、まだお願いできる形ではありませんからね」
「お前の相談が済むまで、俺が働くと思ったか」
鬼太郎は笑った。
「その方が、こちらもお返事を急げます」
レーシーの視線が、右手の黒檀から左手へ移る。
鬼太郎はもう火を作らず、キーノと並んで来た道へ戻った。
枝の重なる所を抜けると、二股の幹と苔の石が見えた。アラクネが浅い窪みの手前で足を止め、倒木の向きを確かめる。
「こちらだ」
今度は、その声を追ってもよかった。
◆
アラクネは少し歩いてから、後ろを振り返った。
人間の子供は、黒い杖を下げてついてくる。
先ほどまでの火は、その手に残っていない。濡れた石へ足を置く時には、隣の子供と同じように、滑らない所を選んでいた。
「本当に、あれと取引を続けるのか」
鬼太郎が顔を上げた。
「はい。今日のお話を、皆さんとも相談してからになりますが」
「こちらへ寄越せと言われる物が、増えるかもしれない」
「増えたら、それを受けるか、また考えますよ。最初のお約束にないものまで、全部お渡しするつもりはありません」
「あれは、怒るぞ」
枝を避けた鬼太郎が、アラクネのそばへ来た。
「ですから、何をお渡しできるか、先にお話ししています。今日も、その場でお約束できないことは残しました」
アラクネは、目の前の顔を見た。
あの火を作った時も、似たような顔だった。
ほかの者が話しているところを、棍棒で壊そうとしたオーガは死んだ。それを見たばかりだった。最初に砦へ来た時から、人間をどう扱う子供かも知っている。
怖くないわけがなかった。
だが、子供はアラクネが歩みを止めても、脚へ杖を向けなかった。枝の多い道へ入る前には、こちらで通れるかと聞く。案内はここまでだと伝えれば、なぜ奥を知らないのかと責めることもなかった。
「なぜ、私へ頼んだ」
「案内のことですか?」
頷くと、鬼太郎は少し考えた。
「以前、こちらを通っていたと伺ったからです。僕たちだけで道を探すより、知っている方へお願いする方がよいでしょう」
「ヴィーラもいた」
「あの方の方が、よくご存じでしたか?」
「そうではない」
鬼太郎は返事を待った。
アラクネは、自分の脚の下で動いた葉を見た。言い直す前に、子供が口を開く。
「次に通る時、あなたの糸を掛ける場所と重ならない方がよいですね。今日の道でも、仕事の邪魔になる所はありましたか」
質問は、そちらへ移っていた。
「今は、ない」
「では、変わったら教えてください」
鬼太郎はそう言い、キーノが跨ぐ枝を待った。
アラクネは歩き出した。
この子供は、自分の顔を見て話す。こちらが脚を動かしただけで、逃げる場所を探すような目をしない。
ただ怖がって避けていれば、それで済んだはずだった。
次は何を聞けばよいのか、考えている自分に気づき、アラクネは木の根を越えた。
◆
砦へ戻る途中で、川沿いにいたヴィーラとゴブリンに会った。
鬼太郎はキーノと荷を下ろし、東で聞いたことを話した。
レーシーが会う気になったことと、誰でも住めるわけではないこと。力を見せた後に条件を聞き、合わなければ帰れるよう、先に来訪を知らせること。
「行きたいと言う者がいたら、その話をする」
ヴィーラが答えた。
「すぐに連れていけば、住まわせるという意味ではないのだな」
「ええ。そこは、分けてお伝えください」
ゴブリンは、鬼太郎の空いた手を見た。
「葉は受け取ったか」
「気に入っていただけたようです。本もお見せすることになりました」
「本?」
「森の外の町が、どう変わったか知りたいそうで」
ゴブリンが顎を撫でる。
アラクネが横から言った。
「火も見せた」
キーノが鬼太郎を見た。
「だから、今日はもう鍛錬をしない」
「はい。帰ったら、座ってすることを片づけましょう」
「それも、休んでからだ」
鬼太郎は笑って頷いた。
ゴブリンが次に町へ運ぶ荷のことを話したので、ボリスへ渡す紙を添えられるか頼んだ。
砦の本棚にあるのは、今のところ、自分たちの勉強や仕事のために集めた本が中心だった。町の変化を写真で見比べたい相手へ、魔法薬の保存方法を渡しても仕方がない。
ゴブリンが荷を出すまで、まだ間があった。
鬼太郎は礼を言い、砦へ戻った。
◆
食事と休息を挟んでから、卓へ二枚の紙を置いた。
一枚は、東で書いた話の続き。
もう一枚には、ボリスの名を書く。
「本は、二冊?」
キーノが向かいへ座った。
「まずは、それくらいでよいかと。こちらは、町の昔と今が分かるものですね」
古い絵や写真と、今の街並みを並べた歴史の本。建物や橋、通り、市場などが写り、変わったところを見比べられるものが欲しい。
鬼太郎は、特定の街へ絞らず書いた。条件に合う本があるか、値段とともに知らせてもらう。
「もう一冊は、何だ」
「物語です。短いお話を、一つずつ読めるものにしましょう」
「町の話を知りたいと言っていただろう」
「実際の町がどうなっているかと、人がどんな話を楽しむか。両方あっても、よいでしょう?」
キーノは紙を引き寄せた。
「森の者が出てくる話はどうだ。人間が自分たちをどう書くか、気になるかもしれない」
「それも、面白そうですね」
鬼太郎は物語の希望を書き足した。森や不思議な生き物が出てくる民話や昔話を、一冊。難しい専門書ではなく、筋を追って読めるもの。
題名も中身も分からないまま、見つかった物を何でも買わせるつもりはなかった。候補と簡単な内容を、先に知らせてほしいと添える。
葉煙草の継続調達についても、同じ質の品を出せるか聞いておく。
書き終えてから、鬼太郎は紙を脇へ寄せた。
次の訪問を決めるのは、品の見通しがついてからでよかった。
◆
サーシェスが砦へ顔を出した時、鬼太郎は東での提案を持ち出した。
男は卓へ座らず、紙を覗き込んだ。
「俺が撃った奴の荷を、木の爺に先に選ばせるって?」
「その方が足を止めてくださった場合です。僕たちが着く前に逃げられては、荷も手に入りませんからね」
サーシェスは紙の端を指で押さえた。
「一番いい物を何でも持っていかれりゃ、俺の取り分がなくなるぜ」
「ええ。全部の品から好きなだけ、という話にはしないつもりです」
「銃と弾、使える薬は先に分けろ。俺が欲しい物まで渡すなよ」
鬼太郎は頷いて書き添えた。
「残りの中から、珍しいものを先に選んでいただく。それで、お話ししてみましょう」
「俺を呼ぶ仕事なら、その分も別だ」
「そちらは、いつもどおり依頼する時に決めますよ」
サーシェスが笑った。
「足止めは使えるな。だが、俺まで迷わせるなと伝えておけ」
相手の名を聞いただけで、連携できるわけではない。連絡の方法と、近づく時にどう見分けてもらうか。その相談も残った。
珍しい品を持たない相手なら、葉煙草など、欲しい品で代える案を話した。
「値段は決めとけよ。二束三束と持っていかせて、殺した奴は空っぽでした、じゃ笑えねえ」
「そこは、僕も困りますね」
鬼太郎は、代わりの品にも事前に合意が必要だと記した。
持っていった紙より、帰ってからの紙の方が、文字は増えた。
◆
グロブニクへ話したのは、翌日だった。
谷へ向かう前に姿を探すと、砦から離れた道で、黒い身体が木陰に伏せていた。鬼太郎は距離を置いて呼び掛け、東でのことを伝えた。
大きな耳が動いた。
「我の狩りへ、あれが口を出すのか」
「いいえ。あなたへ何を追えと命じる方ではありません。対処が間に合わない時に、逃げる者を留めておいていただく話です」
「あれの所へ行けと言われても、我は行かぬぞ」
「東へ入る前には、あなたへも伺います。今の警戒を勝手に変えるつもりはありませんよ」
グロブニクは、赤い右目を細めた。
「人間の飾りは、いらぬ」
「では、荷を確かめて、必要なものを分けた後の品から選んでいただく。その形でよろしいですか」
「罠は残すな」
鬼太郎は頷いた。
生かして渡す罠でも、使えなくしてから回す必要がある。グロブニクが気にするものは、銀細工の値打ちとは違った。
話を終える頃、黒い鼻が鬼太郎の左手へ寄った。
「また、火を使ったな」
「昨日、お見せしてきました。新しい方も」
伏せていた頭が、少し上がる。
「今日は、そのためには来ていませんよ」
鬼太郎が笑うと、グロブニクは鼻を鳴らした。
「ならば、使えるようにしてから来い」
「ええ。楽しみにしていてください」
新しい炎を、動く相手へどう届かせるか。
考えたいことは、まだあった。鬼太郎は左手を下ろし、砦へ向き直った。
◆
ボリス宛の紙は、町へ向かう荷へ預けた。
返事も本も、まだ届いていない。
鬼太郎はそれを待って東へ通う代わりに、戸棚から酒と銀の櫛を出した。
栓を開けずに瓶を確かめ、櫛の箱を閉じ直す。
キーノが、卓の上の二つの包みを見た。
「次は、西だな」
「はい。持っていくものは揃っていますから、今度は道ですね」
ヴィーラへ訪ね方を尋ねると、湖へ近づける岸の話が出た。
水の中へ入らなくても呼び掛けられる場所はある。ただし、湿った草で地面が隠れている所を、陸地だと思って踏まない方がよいという。
アラクネも話を聞きに来た。
「西も、私が途中まで行ける」
鬼太郎は顔を上げた。
「よろしいのですか。先日も、長くお付き合いいただきましたが」
「道を話すだけでは、違う所へ行くかもしれない」
「では、お願いできますか。ご都合のよい時に」
アラクネは、卓へ寄りすぎない場所で頷いた。
キーノが櫛の箱を鞄へ入れ、瓶を包む布を広げる。
「あっちは、何を言い出すだろうな」
「まずは、聞いてみましょう」
鬼太郎は、まだ白い紙を一枚、荷へ加えた。
東で持ち帰った紙は、卓に置いてある。こちらの条件が揃っても、レーシーへ返事をするまでは、決まった約束にはならなかった。
西からも、何かを書いて帰ることになるのだろう。
鬼太郎は包みの重さを確かめ、銃の握りに掛からない側へ、鞄を置き直した。