第188話 増える暮らしに、次の実りを
砦へ着くと、キーノは先に着替えを取りに行った。
鬼太郎も鞄を卓へ置き、濡れた上着を脱いだ。紙は内側まで濡れていなかった。銃とホルスターを確かめて水気を拭き、黒檀も乾いた布で拭う。
水を浴びたのは、自分たちだけではない。
それを片づけてから服を替えると、キーノが食堂へ戻ってきた。
「座れ。紙は後でいい」
「ええ。そのつもりです」
鬼太郎は椅子を引いた。
食事を取り、背を預ける。左手に冷気を集めようとはしなかった。
水の触手は、切れても戻った。
戻るための流れを凍らせれば、遅くなる。そこへ杖の呪文を重ね、守り直す前にジオを通せた。
ただし、相手が最後に持ち上げかけた水は、触手よりずっと広かった。
あれを受けずに終えられたことまで含めて、今日の結果だった。
鬼太郎は目を閉じた。
「寝るなら、部屋へ行けよ」
「少し、座っているだけですよ」
そう答えてから、しばらくは何も話さなかった。
◆
西の話をしたのは、翌日だった。
川沿いでヴィーラへ声を掛けると、ゴブリンも荷を置いて寄ってきた。木々の間からは、アラクネが姿を現す。
アラクネは二人の腕と足を見た。
「帰りに、雨でも降ったのか」
「いえ。湖の水を、少し浴びました」
鬼太郎が答えると、彼女の脚が止まった。
「水へ入ったのか?」
「岸にいた。あっちが投げてきたんだ」
キーノが言った。
「怪我はない。話もついた」
アラクネは鬼太郎を見た。
頷いて返すと、ようやく少し近づいてくる。
「会うだけでは、済まなかったんだな」
「ええ。ですが、次はもう少し静かにお話しできると思います」
鬼太郎が紙を広げようとすると、ゴブリンが片手を上げた。
「その前に、一つ言っておく。これから、同じゴブリンも増えるだろう。ゴブリンが言った、ゴブリンに頼めでは、誰のことか分からん」
自分の胸を指す。
「俺はラドミルだ。今後、俺に用がある時は、そう呼んでくれ」
「分かりました。では、ラドミルさん。今日のお話も、皆さんへお伝えする際には、そのようにしましょう」
「そうしてくれ。俺の知らん話まで、引き受けたことにされては困る」
ヴィーラが、ラドミルへ頷いた。
「それなら、私も名前で呼んでくれ。ヴェリナだ。これから話を預かることが増えるなら、その方が伝えやすい」
「はい。ヴェリナさんですね」
鬼太郎が答えると、アラクネも少し前へ出た。
「私は、ミラ」
そこで一度口を閉じ、続けた。
「道を頼む時も、そう呼んでくれ。同じ姿の者が来ても、私だとは限らない」
「分かりました、ミラさん。キーノさんにも、そうお呼びいただいてよろしいですか」
ミラが頷いた。ヴェリナも、異存はなさそうだった。
「私も、覚えた」
キーノが三人へ言った。
鬼太郎はそれぞれの顔を見てから、紙を広げた。
誰でも住んでよいという返事ではない。まず人数と、どんな暮らしをする者かを知らせ、面会する。
そのうえで、住む場所、取ってよい食べ物、納める品を相談する。
羽根や伸びた爪、髪、脱いだ皮など。繰り返し取れる物を税として集め、町へ売る。その代金で西の主が欲しい品を買う話も伝えた。
「限度まで取った魚を、後から取り上げたりはしない。場所と量を変えるなら、先に知らせる。その点も、お約束いただきました」
ラドミルが紙へ顔を寄せた。
「納める物の値は、まだ聞いておらんな」
「はい。ボリスさんへ、これから相談します」
「羽根でも、何の羽根かで違う。持ってくる量だけ決めては、後で揉めるぞ」
「現物と値段を確かめてからですね。住みたい方にも、その順でお伝えください」
ラドミルは顎を撫でた。
それから、湖の方へ目を向ける。
「なら、あの湿った土地も、使う話をしてみんか」
◆
「何に、お使いになるのですか」
「耕す」
ラドミルが答えた。
「全部、水に沈んでおるわけではないだろう。場所を選んで、水を逃がせば、畑にできる所があるかもしれん」
ヴェリナが川下を見た。
「森には、食べる物がある」
「今はな」
ラドミルは短い指を一本立てた。
「食う口が増えたら、同じ木へ集まる者も増える。魚を取れる数には限りがある。足りなくなってから土を掘っても、次の日には食えんぞ」
鬼太郎は紙の端を押さえた。
「育つまでの時間が要りますね」
「そうだ。それに、売れる羽根も爪もない者はおる」
指が、もう一本立つ。
「だが、根を抜ける奴はおる。土を運べる奴、荷を担げる奴もな。そういう連中で畑を作れば、食い物を持てる」
「それを、素材と換えるんだな」
キーノが言った。
ラドミルは頷いた。
「自分の分を残して、余りを換える。羽根を渡す奴も、食うだろう。ほかの連中が食い物を貰うだけにならずに済む」
立てた指を折り、また伸ばす。
土地を使う分、働く分、収穫して運ぶ分。何人いれば足りるか、どこで保管するか。ラドミルの口から、次々に言葉が出てきた。
鬼太郎は、話の切れ目を待った。
「ラドミルさんは、その畑をご自分で見てくださるのですか」
「皆で作って、取れたら好きに持っていけでは続かん。誰が何をしたか、どれだけ取れたかは、見ておく必要がある」
「では、場所が決まり、参加したい方が集まったら、そのお話も伺いましょう」
ラドミルが鼻を鳴らした。
「まず、土を見んことには始まらんがな」
「ええ。西の方へは、僕から相談します。触ってはいけない所も、現地で確かめないといけませんから」
魚が卵を産む場所を教わったばかりだった。
水を抜くことで、別の場所まで変わるかもしれない。空いているように見えるだけで、鍬を入れるわけにはいかなかった。
◆
話が畑を耕す人数へ移りかけた時、ヴェリナがラドミルを止めた。
「場所が決まる前に、皆を集めるな。今日の話は、私から順に伝える」
それから、鬼太郎を見た。
「お前が学校へ戻った後も、困ったことは出るだろう。何人も別々に話を持っていくより、私が聞いておこう。誰と誰の話なのか、何に困っているのかを確かめれば、ここで相談できるものもある」
「お願いできますか。僕へお伝えいただく時も、何が起きたか分かる方が、考えやすくなります」
「私だけで決められないものは、皆を呼ぶ。それでも済まないものは、お前へ知らせる」
「急ぐ時は、帰る日まで待たずにご連絡ください。こちらでも、連絡の取り方を確かめておきましょう」
ヴェリナは頷いた。
前にも、彼女たちは相談をまとめて砦へ来ていた。今後は鬼太郎がいない時にも、まず誰へ話せばよいか、住民へ知らせておける。
紙を畳むと、ミラが言った。
「西へ行く時も、道は教えられる」
「また、お願いしてよろしいのですか」
「畑を見る者も行くなら、昨日の道だけでは狭い所がある」
彼女はラドミルの荷を見た。
「歩く道を確かめておく。来ると知らせるだけなら、私が途中の者へ伝えてもいい」
ヴェリナが、西への伝言を渡せる場所を挙げた。ミラは頷き、木の向こうへ目をやる。
自分が通れる道と、荷を持つ者を連れていける道は違う。その確認まで、引き受けるつもりのようだった。
「助かります。ですが、お仕事の方まで後回しになさらないでくださいね」
「いつでも行くとは言っていない」
ミラは答えてから、鬼太郎へ顔を戻した。
「お前たちは、また学校へ帰るのか」
「夏の休みが終われば」
「そこにも、水を投げる者がいるのか?」
キーノが、少し笑った。
「そんな授業は、まだない」
「水を出す呪文などは、あるのでしょうね。僕たちは、まだ習っていませんが」
ミラは、二人の杖を見た。
「皆、その棒で同じことをするのか」
「同じものを習っても、同じようにはできませんよ。僕も、箒には乗れませんし」
「木に乗るのか?」
今度は鬼太郎も笑った。
「空を飛ぶ、掃除道具です。そのお話は、少し長くなりますね」
「では、次に聞く」
ミラは、あっさり言った。
鬼太郎が頷くのを見てから、木の根を越える。
聞きたいことを一つ決めて帰る姿は、東からの帰り道でも見たものだった。
◆
ボリスへの紙には、西での商売と、今後増えるかもしれない素材を書いた。
ラドミルの畑の話も、まだ相談だと断ったうえで添える。
それとは別に、東へ持参する本の返事が届いた。
古い絵や写真と、新しい街並みを並べた一冊。もう一冊は、森の生き物や不思議な出来事を扱う短編集だった。
書名と簡単な内容、値段をキーノと確かめ、その二冊を頼んだ。葉煙草は同じ質の品を続けて用意できるという。
西向けの試しの品も持ってきてほしいと伝えると、ボリスから、見せられる物と来訪日の返事が来た。
鬼太郎はその日まで、普段の勉強と、消耗を残さない範囲の鍛錬へ戻った。
◆
「新しい連中が増えるなら、俺は歓迎だ」
約束の日、ボリスは食堂の卓へ本の包みを置いた。
「同じ爪でも、同じ毛でもないからな。今まで仕入れられんかった物が出てくる」
「皆さんが何を出せるかは、これから確かめます。最初は、少しずつ見ていただくことになりますよ」
「見本があればいい。何でもまとめて一袋に詰めるなよ。誰の何か分からん物は、こっちも売りにくい」
ボリスは指で、本の包みを卓の端へ寄せた。
「乾かすのか、そのままか、湿らせて運ぶのか。品によって違う。集めて腐らせてから持ってこられても困る」
「保管の仕方も、本人たちへ伝えましょう。買い取りと、運ぶ分の代金も先に伺いたいですね」
「それは、物を見てからだ。毎回違う品を見繕うって方は、できるぞ」
男は、次の包みを開いた。
小さな酒瓶と、細い模様の入った銀の髪留め。それから、色と形の違う飾りをいくつか並べる。
「好みは、前に聞いた分で選んできた。実際に会って、何を手に取るか見られりゃ、次はもっと絞れる」
「まだ、あなたが湖へ通う許可まではいただいていません。その点も、次に伺います」
「分かってる。勝手に入って、水へ沈められる趣味はない」
キーノが髪留めへ目を落とした。
「これも、銀なんだな」
「そこは確かめてある。前の櫛と並べても、悪くないだろう」
鬼太郎は手に取り、留める部分を開閉した。
尖った端が飛び出したり、途中で引っ掛かったりはしない。模様の間へ、窓の光が入った。
「仕入れた物を売って、その客へ品を持っていく。両方続くなら、こっちも足を運ぶ甲斐がある」
ボリスが笑った。
「畑まで始めるんだろう? 食える物が増えりゃ、素材を腹へ入れずに売れる奴も増える」
「そちらは、まだ土地の相談からです」
「なら、話がついたら知らせてくれ。何を育てるかで、運ぶ物も変わる」
鬼太郎は頷いた。
ラドミルは、食べる口と働く手を数えていた。
ボリスは、その先を行き来する荷を見ている。
同じ人数が増える話でも、それぞれに欲しいものがあった。
◆
試しに持っていく品は、酒と銀の髪留めに決めた。
鬼太郎が代金を払うと、ボリスは包みを二つに分け直した。
「今回は、あんたが払うのか」
「はい。まずは、こんな品を選べると知っていただきたいので。今回は贈りますが、次からは売れた品の代金で買うと、きちんとお話しします」
「毎回ただで持っていくと思われんようにな」
「そこは、念を押しておきましょう」
ボリスは本の代金も受け取り、受け渡しを確かめた。
鬼太郎は二冊を包みから出した。
街の本を開くと、古い橋の絵と、その後に架け直された橋の写真があった。道幅も、脇に並ぶ建物も違う。
キーノが隣から覗いた。
「これなら、変わった所が分かるな」
「ええ。お望みだったものに、近いと思います」
短編集も、目次と幾つかの頁を確かめる。
どちらの本を先に開くかは、持っていった相手が決めればよかった。
ボリスを見送った後、鬼太郎は二冊を東へ運ぶ包みにまとめた。西向けの品は、戸棚へしまう。
キーノが、卓に残った紙を見る。
「先に、東だな」
「はい。本も揃いましたし、お返事することもありますから」
足止めを頼んだ時の取り分も、話したままにはできない。
鬼太郎は来訪を知らせる紙へ、二人で伺いたいと書いた。
外では、荷を運ぶ者の足音がしていた。
新しい畑の場所は、まだ決まっていない。それでも、そこで働きたい者がいるか、ヴェリナから話を聞いてもらうことはできる。
鬼太郎は、東へ持っていく包みの紐を結び直した。