第189話 木陰に届く、町の景色
来訪を知らせる紙は、ヴェリナに預けた。
ミラも東へ向かう途中まで伝言を運び、返ってきた言葉を砦へ届けてくれた。
二人で来い。本も持ってこい。
鬼太郎は返事を聞いて頷き、卓に置いていた包みを鞄へ収めた。
「お返事する話も、こちらにありますね」
もう一枚の紙を確かめる。
キーノが留め具を閉じ、鞄を寄せた。
「今日は、水を掛けられずに帰りたいな」
「僕も、そう願っています」
鬼太郎は鞄を左の肩へ掛け、右手に黒檀を持った。
◆
ミラは、前に通った道へ二人を案内した。
木の根の間を進みながら、振り返る。
「空を飛ぶ道具の話は?」
「箒ですね」
鬼太郎が答えた。
「木の柄に、細い枝を束ねたものです。元は、床や地面を掃く道具ですよ。それに跨がって飛びます」
「背中に、羽根をつけるのではないのか」
「つけない。手で柄を握って、足を地面から離す」
キーノが言った。
ミラは足元を見た。
「離して、どこへ足を掛ける?」
「私も最初は、落ちないか気になった。でも、乗れれば飛ぶぞ」
「鬼太郎は、乗れないと言っていた」
「ええ。僕の場合は、呼んでも箒が動いてくれません。別の箒でも同じでした」
ミラが、鬼太郎の右手へ目を向けた。
「そちらの木は、動くのに」
「できることと、できないことがあるようです」
鬼太郎は笑った。
キーノが、箒を使って行う試合の話をした。輪へ球を入れる者と、それを邪魔する者。そして、別の小さな球を探す者がいる。
ミラは途中で足を止め、枝の向こうを見た。
「飛んでいても、前を見ない者がいるのか?」
「球を見ていれば、そうなることもあるでしょうね」
「ぶつかるぞ」
「ぶつかる」
キーノが答えた。
ミラはしばらく黙ってから、また歩き出した。
「学校という所は、思っていたより危ないな」
鬼太郎は、否定する言葉を選べなかった。
◆
東の手前でミラが止まると、鬼太郎は木々へ向かって名乗った。
今日は誰かの声が別の方から聞こえることもなく、低い返事が来た。
「入れ」
鬼太郎はキーノと顔を見合わせた。
「ミラさんも、ご一緒してよろしいですか。道をご案内いただいています」
「分かっている。そいつも通れ」
枝が擦れた。
木陰の奥に、樹皮のような肌が見えた。苔と葉の混じる髭の下で、煙管が動く。
レーシーは太い幹のそばに立っていた。
鬼太郎は足を止め、鞄を下ろした。
「お時間をいただき、ありがとうございます。本を、お持ちしました」
布を広げる。
二冊とも、紙にも表紙にも濡れたところはなかった。
レーシーは煙管を口から離した。
「……二冊か」
「まずは、こちらを選びました。町の昔と今を比べるものと、短い物語を集めたものです」
鬼太郎は本を受け渡しやすい位置へ置き、一歩下がった。
長い指が、上の一冊を取る。
表紙を見てから、レーシーは頁を開いた。
◆
橋の絵が出たところで、指が止まった。
向かいの頁には、同じ場所を写した写真がある。
「同じ川か」
「はい。橋を架け直し、岸の建物も変わったそうです。下に、いつのものか書いてあります」
鬼太郎は、自分の立つ場所から文字を示した。
レーシーは、絵の中の岸を見た。次に写真へ目を移す。
「木が減っている」
「道を広げた所もあるようですね」
「これほど、人を通すのか」
「人のほかに、荷物や乗り物も通りますから。僕たちが町で買う品も、こうした道を運ばれているのでしょう」
レーシーは頁を一枚進めた。
それから、橋の頁へ戻る。
鬼太郎は急かさず待った。キーノも隣で、本の端に触れない距離を保っている。
「もう一冊は、人間の作り話か」
「民話や昔話です。森に住む者や、不思議な生き物の出てくる話も入っています」
レーシーが目を上げた。
「人間が、勝手に書いたものだろう」
「そのように伝わっている、ということも分かりますね。実際と違うところは、あるかもしれません」
レーシーは街の本を閉じ、短編集を開いた。
目次を、上から下まで見る。
煙管を持つ手が、本から少し離れた。
「ところで、先日のお話ですが」
鬼太郎が切り出すと、レーシーは顔を上げた。
「取り分を聞いてきたか」
「はい」
短編集が閉じられた。
二冊は、幹の張り出した根の上へ重ねられた。レーシーの手が、すぐ届く場所だった。
◆
鬼太郎は紙を出した。
足止めしてもらった相手を仕留め、荷を確かめた後のことを説明する。
銃や弾、使える薬。対処する者が必要とする品と、サーシェスへの依頼報酬は、先に分ける。
その残りの中から、珍しい品を優先して選んでもらう。
「先に抜いた残りが、俺の取り分か」
レーシーの声が、低くなった。
鬼太郎は頷いた。
「必要な品まで全部お渡しする条件では、こちらもお願いできません。ですから、その形で引き受ける価値があるか、伺いに参りました」
「足を止めるのは、俺だぞ」
「ええ。そのおかげで追いつける時には、お返しが必要です。ですが、残った物を全部という話にもしていません」
「一度に、幾つ選べる」
鬼太郎は、レーシーの顔を見た。
「品の値打ちも違います。まず一つを見て、ほかにも欲しい物があれば、その場で相談する形ではいかがですか」
煙管が、口元へ戻った。
レーシーは一口吸ってから言った。
「一つも、欲しい物がなければ?」
「葉煙草など、別の品でお返しする案を考えています。ただし、そちらも量を先に決める必要があります。何も持っていない相手のたびに、際限なく品をお渡しすることはできませんから」
「商人に聞いたのか」
「同じ葉を続けて用意できるそうです。次に欲しい量を伺えば、その分の値段も確かめられます」
レーシーは、しばらく黙っていた。
「では、その値を持ってこい。俺が何度働けば何が来るか、分からんのでは決められん」
「分かりました。こちらの取り分の考え方も含めて、改めてお返事できるようにします」
鬼太郎は書き添えた。
今から誰でも止めてほしいと、頼む段階ではなかった。
◆
「俺の森で通している者まで、お前の都合で止めはしない」
レーシーが言った。
「はい。誰をお願いしたいかは、お伝えします。逆に、僕たちが相手を追っていても、勝手に東へ入らない。その点も変えません」
鬼太郎は紙の別の箇所へ指を置いた。
「ただ、僕が学校へ戻っている間に、サーシェスさんがこちらへ来ることもあります。その時、ご本人まで迷わせては困ります」
「お前の名前を出せば、誰でも通せと?」
「いいえ。名乗るだけでしたら、別の方にもできますからね。一度、ご本人を見ていただく方がよいでしょう」
レーシーの目が、キーノとミラへ移った。
「連れてくるなら、先に知らせろ」
「ええ。グロブニクさんについても、こちらから勝手に東へ追わせる約束はしていません。ご本人と、あなたへお話ししてからです」
「あれは、人の言葉だけで道を決める奴ではない」
「ですから、僕だけで決めないようにしています」
鬼太郎が答えると、レーシーは煙を吐いた。
南で何かを見つけた時には、まずヴェリナへ知らせを集める。東へ話を通す必要があれば、ミラたちが知っている道と、これまで伝言を渡してきた相手を使う。
ミラは、どこまでなら自分が行けるかを話した。
「奥で声を探し回るのは、できない。前と同じ所までなら来られる」
「そこへ知らせろ。俺が聞く気なら、返す」
レーシーは答えた。
すぐ返事が来るとは限らない。その方法だけを当てに、追ってきた相手を待たせることもできない。
鬼太郎は頷き、確かめた場所を書いた。
急いで追っている時ほど、入ってよいかを取り違えては困る。連絡がつかなければ、許可のないまま東へ踏み込むことはしない。
「罠を使うにしても、南へ置く時は、こちらへ知らせてください」
「お前たちの足へ、掛けられたくないか」
「ええ。住んでいる皆さんも通ります。それに、グロブニクさんは残された罠をお嫌いですから」
レーシーは鼻を鳴らした。
罠を勝手に南へ残さないことは、もう一度確認できた。
◆
話を終え、鬼太郎は紙を畳んだ。
「では、葉の値段と、次の面会については、ご相談してからお知らせします」
「誰を連れてくるか、忘れるな」
「はい」
鬼太郎が鞄を閉じる間、レーシーは根の上の本へ手を置いた。
上の一冊が、少しだけずれる。
彼は表紙を見下ろし、二冊の端を揃えた。
「こちらは、置いていきます。もし、お探しのものと違っていましたら、次に教えてください」
返事の代わりに、長い指が本の背を撫でた。
気に入ったのかは、まだ分からなかった。
鬼太郎は会釈し、キーノと来た道へ戻った。
レーシーは本を開かなかった。
二人が木々の間へ入るまで、幹のそばで煙管を持って立っていた。
◆
ミラは、帰りも二人を案内した。
浅い窪みを越えてから、鬼太郎へ声を掛ける。
「私も、町の本を見られるか」
「街並みを比べるものですか?」
「あれでなくてもいい。森の外に、何があるか分かるものだ」
鬼太郎は少し考えた。
砦にあるのは、自分たちが勉強するために買った本が中心だった。だが、町で必要な物を探す時に読んだものや、外の暮らしについて書かれたものもある。
「帰ったら、見ていただける本を探しましょう」
そう答え、それから続けた。
「砦に、皆さんが本を読める場所を作ってもよいかもしれませんね」
キーノがこちらを見た。
「お前の部屋の本棚を、使うのか?」
「いえ。皆さんに見ていただく本は、別の場所へ置きましょう。僕たちがいない時にも、手に取れるように」
ミラが歩く速さを少し落とした。
「誰が読む」
「読みたい方が。ラドミルさんなら、作物の育て方や保存の本が役に立つでしょう。ヴェリナさんも、ほかの土地でどう暮らしているか知れば、相談の時に使えることがあるかもしれません」
鬼太郎は、道へ張り出した根を避けた。
「僕が知っていることをお話しするだけでは、限りがありますからね。ご自分で調べて、選べるものが増える方がよいでしょう」
作物を腐らせずに残せれば、食べ物が増える。
品の扱いを知れば、集めた素材を無駄にせずに済む。
一人が覚えたことを、別の者へ教えることもできる。森の中でできることを増やすなら、働く手を増やすだけでなく、知る手段もあった方がよかった。
食べ物が増え、商人の持ってくる品が増える。自分たちのほかにも、本を開く者が増えていく。
この森が、少しずつ豊かになる。
悪くないと、鬼太郎は思った。
ただ、最近の侵入者を思い返すと、別の感覚もあった。
以前ほど、戦いの手応えが残らない。
覚えた呪文を磨き、内側の力を扱い続けてきた。その積み重ねが、相手との間に差を作っている。できることが増えた分だけ、物足りなくなることもあるらしかった。
森で暮らす者にとっては、侵入者など来ない方がよい。
鬼太郎にも、それは分かっていた。
それでも、次に来る者は、もう少し楽しませてくれるだろうか。
そんな考えが浮かんだことを、隣を歩くキーノにも話さなかった。
「読めない者もいる」
ミラが言った。
「ええ。読める方に聞くことからでもよいと思います。文字を覚えたい方がいれば、それも」
「なら、絵がある本も置けばいい」
キーノが言った。
「文字ばかりの本より、何をしているか見て分かるものなら、話もしやすいだろう」
「そうですね。まずは、棚と、座って広げられる場所からでしょうか」
「持って帰るなら、誰が持ってるかも分かるようにしろよ。読みたい時に、全部なくなってたら困る」
鬼太郎は頷いた。
棚を置くだけで、済むわけでもない。
それでも、最初から沢山の本を集める必要はなかった。置く場所を決め、読みたいものを聞き、手元の本から選べばよい。
「帰ったら、ヴェリナさんにも相談しましょう」
「道の本も、探してくれ」
ミラが言った。
「森を出た先の道ですか」
「町へ行く道と、その先に何があるか。歩いていない所まで、案内はできない。だが、知らないままでなくてもいいだろう」
「ええ。地図も一緒に見られるとよいですね」
鬼太郎は答えた。
西へ持っていく酒と髪留めは、砦で待っている。
湿地を見に行く前に、ラドミルにも声を掛ける必要があった。
帰ってから相談することを数えながら、鬼太郎はミラの進む道を追った。