第190話 選ぶ品と、まだ見ぬ実り
砦へ戻った鬼太郎は、東で持ち帰った紙を卓へ置いた。
本の入っていた分、鞄は軽くなっている。
キーノが戸棚を開けると、今度は小さな酒瓶と髪留めの箱が出てきた。
「こっちは、まだ渡す相手が待ってるな」
「ええ。ラドミルさんにも、お知らせしましょう」
鬼太郎は椅子へ座った。
その前に、ヴェリナへ話すことがある。
◆
共有の本を置きたいと伝えると、ヴェリナは食堂の隣の部屋を見た。
「皆が来ても、ここなら寝床へ入らずに済むな」
「まずは、手元の本から選ぶつもりです。読みたいものがあるか、皆さんにも聞いていただけますか」
「分かった。どこへ置くかも、使う者と相談しよう」
ミラは、道の本と地図が見たいと言い添えた。
ラドミルは本の話を聞くと、保存や栽培について書いたものはあるかと尋ねた。
「必要なものは、少しずつ探しましょう。そのためにも、まずは畑の場所ですね」
鬼太郎は西向けの包みを示した。
ラドミルは頷き、持っていた荷を下ろした。
「土を見るなら、俺も行く。土地を見ずに、何ができるとは言えんからな」
次の来訪には、鬼太郎とキーノのほかに、耕作について話したいゴブリンが同行する。
人数と用向きを先に知らせ、返事を待った。
ミラが案内できる日も合わせてから、西へ向かった。
◆
湖岸へ出ると、女は前と同じ石の近くに現れた。
今日は肩を水で包まず、腕を石へ載せてこちらを見ている。
「おや。今度は、何人で説教をしに来たんだい?」
「ご連絡したとおり、お話に参りました。こちらがラドミルさんです」
ラドミルが名乗る。
女は一度目を向けたが、すぐに鬼太郎の鞄へ視線を移した。
「手ぶらじゃないようだね」
「商人へ、先日のお話をしてきました。まずは、お見せしたい品がありまして」
鬼太郎は平たい石の上へ布を広げた。
小さな酒瓶と、銀の髪留め。
箱の蓋が開くと、女が水から上がってきた。
「いくらだい」
「今回は、僕から差し上げます。こんな品も選べると知っていただくために、購入してきました」
伸ばしかけた指が止まった。
「……おや、ただなのかい?」
「はい。今回の二品は、ご紹介の贈り物です」
女は髪留めを取り、光へかざした。
「そういう気遣いは、嫌いじゃないよ。品を持ってきて、代わりに何を出せって話ばかりじゃ、息が詰まるからねえ」
鬼太郎は、笑って瓶を寄せた。
「次からは、お話ししたとおり、素材を売った代金でお買いになる形です。毎回、僕が代金を出すわけではありませんので」
「分かってるよ。今、いい話をしてるんだから、水を差すんじゃないよ」
女は髪を持ち上げ、留め具を開いた。
◆
髪留めは、耳の後ろに収まった。
女は前にもらった櫛を取り出し、並べて見る。
「同じ作り手かい?」
「そこまでは伺っていません。商人が、櫛と合わせてもよいものを選んだそうです」
「ふうん。まるきり、分からない男でもなさそうだね」
髪を左右へ流し直す。
鬼太郎は、その手が止まるのを待ってから続けた。
「ボリスさんは、毎回何品か見繕う商売を引き受けてくださいました。酒も飾りも、違う品を持ってこられるそうです。気に入った物だけお選びになれば結構です」
「いらない物まで、買えとは言わないんだね」
「ええ。欲しい物がなければ、次へ代金を残しておけます」
女は髪留めを一度外した。
裏側まで眺め、また髪へ戻す。
「次に何が来るかも、見てから決められるのか」
「はい。こちらから探してほしい物を伝えることもできます。ただ、見つかるまで時間の掛かる品はあるでしょうね」
酒瓶の栓へ指が掛かった。
「あれを持ってこい、これを探せだけじゃ、同じ物で棚が埋まるところだったよ」
女は瓶を開け、匂いを確かめた。
「……少しは、面白いことを考えるじゃないか、坊や。次に顔を出す用事くらいは、作っておいておやりよ」
「では、商人にも伝えておきます」
鬼太郎は小さく笑った。
キーノは何も言わず、髪留めを何度も触る手を見ていた。
◆
ボリスが来る時には、日と同行者を先に知らせる。
荷を広げる場所は、今、鬼太郎たちがいる岸でよい。
森の外で雇っている護衛を、そのまま湖へ連れ込む許可ではないことも確認した。
「値をつける品は、まず少しずつ見せてほしいそうです。何の品か分かるようにして、保存の仕方も相談したいと」
「持ってきた物が腐ってるなんて、あたしだってご免だよ。あの男が来たら、話してみようじゃないか」
女は瓶を石へ置いた。
「それで、そのゴブリンは、何を売るつもりなんだい」
「まだ、売る物はない」
ラドミルが答えた。
「食い物を作る場所が欲しい。湿った土地の一部を、耕せんかと思ってな」
女の眉が上がった。
「勝手に水を抜くんじゃないよ。あたしの魚まで、干からびさせる気かい?」
「それを確かめに来た。水を逃がせば全部畑になるなどとは、言っておらん」
鬼太郎も口を開いた。
「使える場所と、手を入れてはいけない場所を、先に見せていただきたいのです。食べる方が増えてからでは、作物が育つまで間に合いませんから」
ラドミルが頷いた。
「売れる羽根や爪がなくても、土を運べる者はおる。食い物を作れば、ほかの者が持つ品と換えられるだろう」
女は、ラドミルと鬼太郎を見比べた。
髪留めの位置を、指先で直す。
「……見るだけ見せてやるよ。あたしの言うことは、よく聞いておいで」
◆
女は岸に沿って歩いた。
前に指した葦の奥へ近づくと、そちらへ手を振る。
「ここから向こうは、掘らせないよ。水の浅い所へ、魚が入ってくるんだ。草を刈って、足場をよくしようなんてのも駄目だ」
ラドミルは足を止め、草の境を見た。
鬼太郎は紙へ位置を書き、キーノにも目印を確かめてもらった。
さらに進むと、低い土地の間を細い水が抜けている場所があった。
「この流れも塞がない。土を捨てるなら、別の所へ運びな」
「ここを止めると、上へ水が溜まるか」
「下で乾く所も出るよ。上だけ見て、済んだ顔をするんじゃないよ」
ラドミルはしゃがみ、流れへ土を落とさない位置から地面を触った。
「では、畑の水を流す先も、先に見てもらわねばならんな」
「当たり前だろう」
女は答えたが、歩くのはやめなかった。
やがて、地面が少し高くなる場所へ出た。湿った土の向こうに、根の浅く張った草地がある。
「あの白い石と、曲がった木までなら、土を見てもいい。ここは水が増えると濡れる。いつでも同じと思うんじゃないよ」
ラドミルが地形を見回す。
鬼太郎は指された石と木を、別の向きからも確かめた。
「この間の土と、水の溜まり方を調べる。木を倒したり、大きく溝を掘ったりするのは、改めてご相談する。それでよろしいですか」
「そうさ。まず、そこで何をするか見せてもらおうじゃないか」
ラドミルは、草地へ出る前に女を見た。
頷きが返る。
彼は土を少し手に取り、指の間で崩した。低い所、高い所へ目を向け、荷から出した小さな袋へ少量を入れる。
「ここからなら、始められるかもしれん。だが、何を植えるかまで決めるには、もう少し見たい」
「次も勝手に来ず、先にお知らせします」
鬼太郎が言うと、女は腕を組んだ。
「あんたが間に入るから、あたしも話に乗ってやってるんだよ。ほかの奴が来たって、こうはいかないからねえ」
鬼太郎が顔を向けた。
女は、僅かに口を閉じた。
「……勝手をさせない相手がいる方が、こっちも楽だってことさ」
「では、伺った範囲を守れるように、皆さんと相談しましょう」
鬼太郎は、普通に答えた。
女はそれ以上言い足さず、来た方へ顎を向けた。
「戻るよ。いつまでも、土を眺めてるんじゃないよ」
◆
湖岸を離れる時も、女は上機嫌だった。
最後にもう一度、ボリスへ好みを伝えるよう念を押し、石へ置いた酒を取る。
鬼太郎は、次の商人の来訪日と、土地を調べたい者の人数を後で知らせると答えた。
耕す場所が、全部決まったわけではない。
それでも、どこを見てよく、どこへ手を入れてはならないかは分かった。ラドミルの袋には、許可を得て取った土が入っている。
帰り道の目印まで来ると、待ち合わせていたミラが枝の間から出てきた。
「水は、掛けられなかったか」
「今日は、話だけだ」
キーノが答えた。
ラドミルは、二人の会話を聞きながら指を動かしていた。
「根を抜く者と、土を運ぶ者。運んだ土を、流れへ戻らんように置く者も要るな。道具は……」
曲げた指が、一度伸びる。
「鍬や鋤なら、俺たちや手先の器用な連中で作ればいい。柄になる木と、刃にできる物があれば」
そこで、鬼太郎へ向き直った。
「だが、最初だからと、ただで作らせるのはよくない」
「次も、ただで頼める仕事だと思われますか」
「作る方も、そのつもりで話を聞く。後で払うと言っても、何をどれだけか分からんでは、また揉めるぞ」
鬼太郎は歩調を緩めた。
ラドミルも、それに合わせる。
「砦に溜まっている物から、道具を作った分の見返りを出してもよいか。まだ畑はない。最初の道具へ払う収穫は、これから作るものだからな」
◆
この一年、砦へ集まる物は増えていた。
ボリスへ渡す物や、使う予定のある物を分けても、鬼太郎の手元には、まだ多くの資源が残っている。すぐ必要にならないからと保管した物も、少なくなかった。
積んであるだけでは、鍬にはならない。
それを欲しい者へ渡し、作ってもらった道具で土を耕す。
鬼太郎はラドミルを見た。
「畑のために、先に払うわけですね」
「そうだ。食い物が取れるようになれば、その後は畑から出せる。何もないところへ全部ただで持ってこいでは、働きたい者も減る」
「では、必要な道具と、作ってくださる方への報酬を並べてみてください。戻ったら、何を出せるか一緒に確かめましょう」
ラドミルが頷いた。
「数が合わん物は、別の品と組み合わせる。作るのに時間が掛かる物もあるだろう。そこも聞いておかねばな」
「何を持っているかだけではなく、何ができるかも、伺う必要がありますね」
「道具を作る奴も、運ぶ奴も、腹は減るからな」
キーノが、二人の顔を見た。
「作物が取れたら、道具を直してもらう時にも、渡せるんじゃないか」
「修理なら、その分だけでよい。毎回、新しく作るほど払わせることもないな」
ラドミルの指が、また動いた。
道具を作る手と、それを使う手。
鬼太郎は、その間を行き来する物を思い浮かべた。
欲しい物が、自分の手元になくても、ほかの誰かは持っているかもしれない。代わりに渡せる物がなければ、その者のためにできる仕事があるかもしれない。
今はまだ、一本の鍬をどう用意するかという話だった。
ラドミルも、次の指を折りながら、そこから先を考えている。
その勘定が、やがて森のあちこちで暮らしを繋ぐことになるのは、もう少し先の話だった。
第十章「育つ炎と、根づく暮らし」完