推薦状の中の、よく知る名前
第191話 推薦状の中の、よく知る名前
生徒のいない城では、廊下を歩く靴音が長く響いた。
ミネルバ・マクゴナガルは書類を抱え、校長室へ入った。
机の上には、彼女が持ってきたものとは別の封書が積まれている。窓から入る光が、その一番上の封蝋を照らしていた。
「来学期の準備について、ご相談があります」
「座りなさい、ミネルバ。ちょうど、わしも君に見てもらいたいものが届いたところじゃ」
ダンブルドアは椅子を勧めた。
彼女は腰を下ろし、書類を膝へ置いた。
「闇の魔術に対する防衛術の件でしたら、こちらも同じです。担当が決まらなければ、教科書の指定を含め、進められないものがあります」
「うむ。いつまでも、空欄にはしておけんからの」
ダンブルドアが、机の紙へ目を落とす。
教師の名が並ぶ中で、一つだけ、書き込まれていない場所があった。
ミネルバは、その行を見た。
「……今年こそ、長く務めてくださる方が見つかるとよいのですが」
口にしてから、小さく息を吐いた。
「生徒たちの間では、あの職は呪われているとまで噂されています」
ダンブルドアが顔を上げた。
「それは噂じゃよ、ミネルバ。事実ではない」
「でしたら、なおさら今年は、その噂を忘れさせていただきたいものです」
ミネルバは答えた。
ダンブルドアは、それ以上その話を続けず、一番上の封書を手に取った。
◆
「理事たちから、推薦が来ておる」
封書を開き、彼は中の紙を広げた。
「ギルデロイ・ロックハート。本人からも、教師職への応募が届いておるよ」
ミネルバが、少し目を見開いた。
「ロックハートですか」
「よく知られた名じゃな」
「ええ。著書を見ない書店を探す方が、難しいでしょう」
ミネルバは、差し出された推薦状を受け取った。
理事たちが挙げているのは、彼の知名度だけではなかった。各地で危険な存在と対峙してきた経験を、生徒への指導に役立てられるだろうと書かれている。
ダンブルドアは、もう一通を開いた。
本人の署名が入った応募書類だった。
「経歴も、随分と長くなったものじゃ」
彼は眼鏡越しに文字を追い、読み上げ始めた。
「ホグワーツ魔法魔術学校卒業。マーリン勲章第三級。闇の力に対する防衛術連盟の名誉会員……各地の魔法生物や、呪いへの対処を記した著書も、多数ある」
頁を一枚送る。
「バンシーの騒動を鎮め、トロールに対処し、人狼の害から人々を救った。その経験をまとめた書物が、広く読まれておるようじゃな」
「実際の経験を、読める形にして伝えることにも慣れているのでしょうね」
ミネルバが言った。
「授業でどう教えるかは、伺う必要がありますが」
「もちろんじゃ」
ダンブルドアは頷いた。
書類には、受賞歴も続いていた。
笑顔を選ぶ雑誌の賞のところで、彼の指が止まる。
「こちらも、五度受賞したそうじゃよ」
「……生徒の前で笑えることは、悪いことではありません」
ミネルバは、僅かに口元を緩めた。
「ですが、防衛術の授業には、ほかにも必要なものがあります」
「そのようじゃな。では、近頃の活躍も見てみよう」
最後に、別の紙が添えられていた。
◆
前の頁より、文章は短かった。
その分、冒頭の言葉は大きかった。
新たな発見と、古い秘宝について。
ダンブルドアは紙を持ち直した。
「これまで所在を知られていなかった、オーディンゆかりの古い聖所を発見した、とある」
「オーディンの?」
ミネルバの視線が上がった。
「奥には秘宝を守る怪物が潜み、立ち入る者を阻んでいた。彼はこれを討ち、失われた指輪を手にしたそうじゃ」
ダンブルドアは、次の行へ目を移した。
「指輪から現れたのは、戦乙女ヴァルキリー。彼の力量を認め、以後、使い魔として従うことになったという」
読み終えた後、部屋は少し静かになった。
遠くの止まり木で、フォークスが羽を動かした。
「戦乙女を、従えたのですか」
「書かれていることは、そのとおりじゃな」
ダンブルドアは紙を差し出した。
ミネルバが受け取り、最初の行から読む。
オーディンの名と、守護する怪物、指輪に収められた戦乙女。
それらは、ロックハートが整えた発見の物語だった。
彼が怪物と戦った遺跡など、実際にはない。誰も見つけていないという説明は、その場所を知る者がいない理由にもなった。
今、ミネルバの手にある紙には、完成した経歴だけが並んでいた。
◆
「これほど数々の功績をお持ちの方が、ご自身から教師に立候補されるとは……」
ミネルバは、もう一度署名を見た。
「理事たちが推すのも、分かります。指導方針を伺う価値は、十分にあるでしょう」
ダンブルドアは両手を机の上へ置いた。
「採用を決める前に、本人と話す必要はあるの」
「ええ。使い魔についても。学校へ伴うおつもりなら、生徒のそばでどう扱うのかを確かめなければなりません」
「その点も、面談で聞くとしよう。君にも同席してもらえるかね」
「もちろんです」
ミネルバは答え、書類を揃えた。
だが、すぐには返さなかった。
「在学中から、人に認められたいという気持ちの強い生徒でした」
声に、先ほどとは違う柔らかさが混じった。
「そのために、これほど努力を重ねていたのですね」
ミネルバの目が、書かれた功績へ向く。
「立派になられたものです。今度は、その経験を生徒たちへ伝えてくださるのなら、喜ばしいことです」
ダンブルドアは、彼女を見た。
卒業した生徒の名前を見る機会は、珍しくない。
あの頃には思いもしなかった仕事へ進み、思いがけない力を身につけて帰ってくる者もいた。
ミネルバが喜ぶのも、分かる。
「そうじゃな」
彼は答え、書類を受け取った。
◆
ギルデロイ・ロックハート。
ダンブルドアにも、覚えている顔があった。
人の視線が自分へ集まると、いっそう声がよく通る生徒だった。褒められる機会を逃さず、自分の名を覚えてもらうことに熱心だった。
その顔へ、手元の功績を重ねてみる。
長い旅をし、危険を越え、人を救う。
書物へまとめて名を広め、ついには古い伝承にある戦乙女まで従えた。
在学中の印象だけで、その後を決めつけることはできない。
それでも、どこかが、うまく重ならなかった。
ダンブルドアは最初の頁へ戻った。
名前、受章歴、著書。
文字を追い直しても、引っ掛かったものを言葉にはできない。
「校長?」
ミネルバに呼ばれ、彼は顔を上げた。
「面談の日取りは、こちらで候補を出しましょうか」
「うむ。新学期の準備に間に合うよう、早めに会おう」
ダンブルドアは白紙を一枚寄せた。
「推薦への返事も必要じゃな。本人に、都合を尋ねる手紙を出しておくれ」
「承知しました」
ミネルバが立ち上がる。
書類を抱え直した彼女の表情には、候補が見つかった安堵だけでなく、かつての教え子に会う期待もあった。
扉が閉まった後、ダンブルドアは応募書類を机へ置いた。
まだ、何かが引っ掛かっていた。
何が、と問われても答えられない。
彼は暫くその名前を見つめてから、推薦状を重ねた。
まずは、本人に会ってからだ。