第192話 迎える笑顔と、指輪の輝き
ロックハートからの返事は、翌日に届いた。
ミネルバが開いた封書には、見事な筆跡で母校への感謝が綴られていた。面談の承諾へ至るまでに、恩師との再会を喜ぶ言葉と、後進の育成に寄せる思いが続いている。
三日後の午後なら、伺えるという。
彼女は日程を確かめ、校長室へ向かった。
「こちらの日で、よろしいでしょうか」
「うむ。その午後なら、わしも空いておる」
ダンブルドアは予定を書き込んだ紙へ目を通し、頷いた。
「では、そのように返事を出します。来校の時刻も、お知らせしておきましょう」
「頼むよ、ミネルバ」
面談の予定が決まっても、机の書類が減るわけではなかった。
新学期へ向けて確認することは、まだ残っている。ダンブルドアは次の封書を寄せた。
学校で済ませるべき用事を終えたら、あの森へも足を運ばなければならない。
だが、まずは三日後だった。
◆
約束の午後、校長室の扉を開けた男は、廊下から持ち込んだかのように明るい声で挨拶した。
「ダンブルドア校長。お時間を頂き、ありがとうございます」
淡い藤色のローブには皺一つなく、金色の髪は丁寧に整えられていた。
ギルデロイ・ロックハートは、机の前まで進んでから、傍らのミネルバへ顔を向けた。
「マクゴナガル先生も。こうしてまたお会いできるとは、嬉しい限りです」
「お久しぶりですね、ロックハート」
ミネルバは立ち上がった。
「ご活躍は拝見しています」
「恐れ入ります。先生方に教えていただいたことが、旅先でも随分と役に立ちました」
そう言って、彼は白い歯を見せた。
ミネルバにも、見覚えのある笑顔だった。
褒められたときには、いかにも嬉しそうにする生徒だった。今はその顔が、本の裏表紙や雑誌に載っている。
「遠くまでいらしたのですね」
「ええ。腰を落ち着けて振り返ると、我ながら、よく歩いたものだと思います」
「どうぞ、座りなさい」
ダンブルドアが椅子を勧めた。
ロックハートは礼を述べ、腰を下ろした。
勧められた茶を受け取り、室内を見回す。壁の肖像画に視線を留め、懐かしそうに目を細めた。
「城へ戻ると、思い出すことが幾つもありますね。あの頃には、まだ分からなかったことも多かった」
「学校を出てから学ぶことも、少なくはないからの」
「まったくです」
ロックハートは、深く頷いた。
◆
「さて。応募の書類は読ませてもらった」
ダンブルドアが、机に揃えた紙へ手を添えた。
「旅に執筆にと、忙しくしておるようじゃな。その中で、教師になろうと思った理由を、聞かせてもらえるかね」
「経験を伝える時期だと、考えたのです」
ロックハートは答えた。
「危険な相手を前にして、何を知っていたかが、その後を分けることがあります。私の著書が役に立ったという便りも届きますが、紙の上では伝えきれないこともある」
彼は茶碗を受け皿へ戻した。
「読んで理解したつもりでも、実際に杖を持てば戸惑う。知識を使えるようになるまでには、教える者が必要でしょう」
「ええ。そのとおりです」
ミネルバが頷いた。
「特に、下級生には」
「私にも、最初がありましたからね。今の生徒たちが同じところで躓くなら、手を貸せるはずです。恩を返す場所が母校であれば、これほど嬉しいことはありません」
声はよく通り、一言ごとの区切りも聞き取りやすかった。
大勢を前にして話すことにも、慣れているのだろう。
ミネルバは手元の紙へ短く書き留めた。
「一年生を受け持つ場合、最初に何を教えたいとお考えですか」
「まず、逃げる方法を教えたいですね」
ロックハートは、穏やかな調子で答えた。
「危険なものを見分けて、近づかない。それで済めば一番ですが、気づいたときには、向こうもこちらを見ていることがあります。その場で何をすれば逃げられるかを、知っておいてほしいのです」
「逃げる方法、ですか」
「ええ。どちらへ下がれば道があるか。どこまで離れれば追ってこないか。助けを呼べる場所はどこか。相手によっては、背を向けて走ると追われますからね。怖くなったら走れとだけ教えても、十分とは言えません」
言葉を選ぶ間も、彼の表情には余裕があった。
「勇気のある生徒ほど、杖を抜いて何とかしようとするかもしれません。しかし、無事に帰ってこられれば、あとで対処を考えられる。自分では手に負えないときに、そこを離れられるようにしておきたいですね」
「無理をさせないことは、私どもも重く考えています」
ミネルバの返事には、実感が籠もった。
去年一年を思い出せば、尚更だった。
「実際の練習は、どう進めるつもりかね」
ダンブルドアが尋ねた。
「初めは、危険な相手を出す必要はありません。相手がいる場所を決めて、どちらへ離れるかを考えさせる。出口を確かめてから、そこまで動いてみる。それだけでも、戸口の前で皆が立ち止まってしまうといったことは、減らせるでしょう」
ロックハートは、校長室の扉へ軽く手を向けた。
「呪文を使うなら、習ったものの中から、逃げる助けになるものを選びたいですね。成功するまでその場に踏みとどまらせては、何のための練習か分かりませんから」
ロックハートは、二人へ順に視線を向けた。
「もちろん、学校でこれまで何を学んでいるかも、伺いたい。私一人のやり方を押しつけて、混乱させるつもりはありません」
「それは、こちらからも資料を用意できる」
「ありがとうございます。生徒たちに会う前に、よく目を通しておきたいですね」
ダンブルドアは頷いた。
受け答えは明瞭だった。
危険を避ける話になると、ロックハートの言葉は具体的になった。自分を無事な場所に置くことには、よく気が回るらしい。
相手の言葉を聞き、自分の考えを伝える。その間に、聞く者を退屈させない小さな表情の変化もある。
在学中から、人前で話すことを嫌がらない生徒ではあった。
それに、長い年月が加わっている。
ダンブルドアは、昔の教室にいた少年の姿を、目の前の男から一度離した。
◆
教科書の話になると、ロックハートは自分の著書を挙げた。
「事例がまとまっていますから、教材としても使いやすいと思います。生徒が場面を思い浮かべられれば、何に気をつけるべきかも覚えやすいでしょう」
「指定する本については、学年ごとの内容と、家庭の負担も確かめる必要があります」
ミネルバが言った。
「書名を提出していただいてから、改めて相談しましょう」
「承知しました。候補を揃えて、お渡しします」
ロックハートは快く応じた。
話が旅先での経験へ移ると、声には一層の張りが出た。
見知らぬ土地で手に入る情報が限られていたこと。現地の人々から話を聞き、何が起きているかを掴むまでにも手間がかかること。
時折、軽い冗談を交えた。
ミネルバは耳を傾けながら、質問を挟んだ。
教室で話すなら、どの部分が生徒の助けになるか。その関心が、彼女の問いを具体的にしていた。
ダンブルドアも、二人の話を聞いた。
書類を読んだときの、あの引っ掛かりは、まだ僅かに残っている。
しかし、それを何かの過ちの証しにすることはできなかった。
昔の印象だけで、卒業してからの年月を量ることはできない。知らないところで努力し、力をつけたのであれば、それを認めるのも教師の役目だった。
ミネルバの表情は、来校を待っていたときよりも和らいでいた。
「経験を聞いて、生徒たちも学ぶところがあるでしょう」
「そうなれば、私も嬉しいですね」
ロックハートは、彼女へ微笑んだ。
◆
「もう一つ、聞かせてもらいたいことがある」
ダンブルドアは、応募書類に添えられていた一枚を手に取った。
「こちらの、新しい発見についてじゃ」
「ああ。あの指輪ですね」
ロックハートの目が輝いた。
「オーディンゆかりの聖所を見つけた、とあるの」
「ええ。詳しいことは、まだ本にまとめる準備をしているところですが」
彼は姿勢を整えた。
「古い記録を辿って、ようやく辿り着いた場所でした。入り口まで行くのも一苦労でね。奥に何が残っているか、最初から分かっていたわけではありません」
そこで一度言葉を切る。
「秘宝を守っていたものは、こちらを歓迎してくれませんでしたが」
ミネルバが紙へ視線を落とした。
ロックハートは、暗い石の通路と、その先で待ち受けていた怪物を語った。狭い足場で不用意に杖を振れず、相手の動きを見て機会を待ったのだという。
話すたびに、その場で見てきたかのような景色が増えた。
実際には、彼が足を踏み入れた石の通路も、そこで戦った怪物も存在しない。
けれど、結末で手にしたという品は、今ここにあった。
ロックハートが左手を上げた。
指にはめた指輪が、窓からの光を受けた。
「これが、その指輪です」
ダンブルドアは、差し出された手へ目を向けた。
「そして、戦乙女が現れたと」
「ええ。私も驚きました。伝承で読んだ姿を、目の前にするとは思いませんでしたから」
ロックハートは指輪を見下ろした。
「今では、心強い助けになってくれています」
ミネルバは、彼の手から顔へ視線を戻した。
「採用となった場合、学校へも伴うお考えですか」
「お許しいただけるなら」
「でしたら、生徒のそばでどのように振る舞うのかも、確かめておかなければなりませんね。教室や廊下には、大勢の子供がいますから」
「もっともです。私も、その点はご説明するつもりで来ました」
ロックハートは二人を見た。
口元に、明るい笑みが浮かんだ。
「もちろん、お話しするより、実際にご覧いただく方が早いでしょう」
ダンブルドアは指輪へ、もう一度目を向けた。
「見せてもらえるかね」
「喜んで」
返事には、少しの躊躇もなかった。