第194話 増える手応えと、届かない返事
西の湖から戻った翌日、鬼太郎はラドミルと、砦に蓄えていた品を確かめた。
ボリスへ渡すもの。使う予定のあるもの。それらを除き、農具を作る者へ渡せそうな品を、必要な道具の書き付けと照らし合わせる。
「これで、まず話をしてみる」
ラドミルは紙を持ち上げた。
「作れると言うだけでは足りん。いつできるかも聞かねばな」
「お願いします。足りないものがあれば、買う方がよいかも含めて、ご相談しましょう」
畑にする土地も、まだ確かめることがある。
水路や葦場を避け、どこまで土を動かせるか。西の主へ見せる前に、大きな溝を掘り始めるわけにはいかなかった。
ラドミルが去ると、鬼太郎は今度は自分の本を選んだ。
食堂の隣で読めるようにするものと、手元へ残しておくものを分ける。キーノは横から一冊を抜き、頁を開いた。
「これは、絵がある。先に見せるなら、こっちだろう」
「そうですね。ミラさんにも、見ていただきましょう」
机へ置く。
選ぶ本が増えるにつれ、自分の棚に、少しずつ隙間ができた。
◆
森で済ませる用事の合間にも、鍛錬は続けた。
草と枯れ葉を除いた場所に、標的を離して並べる。火を使う側には水を用意し、風向きを確かめてから、鬼太郎は左手を上げた。
内側の力を、掌の先へ通す。
「アギ」
火が飛び、木片の表を焼いた。
鬼太郎は立ち止まらなかった。
横へ動き、次の標的へ左手を向ける。
「アギ」
二つ目の火を放つ。
さらに歩幅を変え、後ろへ下がってから、もう一度。
最初の頃には、力を集めるために意識を手元へ寄せていた。その間、相手を見る目も、動く足も鈍くなった。
今は、狙う場所を見たまま放てる。
次を出すために、姿勢を初めから作り直す必要もない。
動く足に合わせて、短く火を継ぐ。
何日も繰り返すうちに、そうして続けて使える回数が増えた。
十回ほど。
そこまで放つと、身体の内側に残る余力が薄くなる。
まだ出せる。
だが、出せるからといって、普段と同じようには扱えない。その先を押し出せば、身体へ無理が掛かる。
鬼太郎は左手を下ろした。
戦いでは、最後の一発を攻撃に使うとは限らない。
傷を治すために残すことも、動きを止められたときのために取っておくこともある。数だけを増やし、何も残らなくなってから気づくのでは遅かった。
「今日は、そこで終わりか」
水桶のそばで見ていたキーノが尋ねた。
「ええ。今の続きで、強い火を試すつもりはありません」
「なら、消すぞ」
キーノが柄杓を取った。
鬼太郎も手を貸し、焼けた木へ水を掛けた。煙が上がり、火の残っている場所を確かめながら、順に濡らしていく。
別の日には、ザンで標的を変えながら風を送り、ブフで狙う範囲を絞った。
ジオも、ただ強く出そうとするだけではない。必要なときに、狙った相手へ届く形を崩さずに放つ。
思い出したばかりの力を、一度出してみるのとは違っていた。
慣れたはずの魔法にも、まだ直せるところがあった。
◆
アギラオを使う日には、初めから、その分の力を残した。
左掌の先に火を作り、中心へ力をまとめる。
アギなら、もう放てる。
だが、それでは足りない。
鬼太郎は、火の中心を保った。
外へほどけようとする熱をまとめ、放った後にも残る芯を作る。
「アギラオ」
火球が標的へ届いた。
火がほどけて木材の側面を包み、中心の当たった場所へ深く熱が入る。
鬼太郎は命中を見届け、左手の感覚を確かめた。
アギなら、三度ほど放てる力が、一度で減っている。
威力だけを見れば、使いたくなる。
しかし、火をまとめる間は必要だった。相手が迫っているときに、いつものアギと同じつもりで使えば、その間に懐へ入られる。
当てられる場面を作ることまで、考えなければならない。
鬼太郎は、水を運びながら左手を見た。
雷にも、風にも、冷気にも、その先へ進めそうな感触はあった。
ジオンガ。
ザンマ。
ブフーラ。
名は、浮かぶ。
だが、まだ試していない。
一つずつ手を出せば、何かは掴めるかもしれなかった。それでも今は、覚えた火の扱いと、使い慣れた魔法を磨く方を選んだ。
中途半端な力は、身を滅ぼす。
強いものが一度出せたところで、欲しいときに使えなければ、戦いの中では頼れない。
鬼太郎は桶を傾けた。
焼けた木から、湿った匂いが立ち上った。
◆
キーノが友達と手紙を交わし始めたのは、休暇に入って一週間ほど経った頃だった。
学校では、食事の席でも、授業の後でも話せた。
離れて暮らすようになると、聞きたいことは、紙へ書かなければ届かない。
課題は進んでいるか。家では何をしているか。
こちらは森へ戻っている。住民から相談を受けたり、買物をしたりしている。
細かな事情まで書かなくても、伝えることはあった。
ハーマイオニーからの返事は、読むのに少し時間が掛かった。課題の話に加え、休暇中に読んだものや、新学期までに調べたいことまで書いてある。
キーノは時々、鬼太郎へ紙を寄せた。
「もう、ここまでやったそうだ」
「グレンジャーさんらしいですね」
「お前も、人のことは言えないだろう」
鬼太郎は、自分が開いていた本へ目を戻した。
その隣で、キーノはまた手紙を読む。
返事を書くときには、考えているうちに羽根ペンが止まることもあった。それでも、一度書き始めると、紙の余白は少しずつ埋まっていった。
ただ、一人からは、返事がなかった。
◆
「ハリーは、まだか」
鬼太郎が顔を上げると、キーノは届いた封書を卓へ置いていた。
今日も、待っていた相手のものではなかったらしい。
「何か、用事があるのかもしれませんね」
「用事があるなら、そう書けばいいだろう。長い手紙を寄越せとは言ってない」
キーノは椅子へ座った。
少し前にも、同じ話をした。
そのときには、返事を書くのを後回しにしているのだろうか、と二人で話していた。
だが、その後も届かない。
キーノは紙の端を揃えた。揃ったところを、また指で押さえる。
「……私、何かしたか」
鬼太郎は、彼女を見た。
「ハリーさんに、ですか」
「ほかに誰がいる」
返事は早かった。
しかし、キーノは目を合わせなかった。
「帰る前に、何か言ったかと思ってな。覚えはないが」
鬼太郎も、汽車でのことを思い返した。
キーノとハリーが、顔を背けたまま別れた覚えはない。
「僕が見ていた限りでは、いつもと変わりませんでしたよ」
「なら、何で返ってこない」
「そこまでは、僕にも分かりません」
鬼太郎は答えた。
分からないことを、嫌われたからだとも、そんなはずはないとも、決められなかった。
「グレンジャーさんは、何かご存じではありませんか」
「書いた。あいつにも、ハリーから何か来たか聞いてある」
キーノは封書を引き寄せた。
「ついでに、返事くらい書けと言ってやれともな」
鬼太郎は、僅かに口元を緩めた。
キーノはそれを見つけ、目を細めた。
「笑うな」
「失礼しました」
◆
次にハーマイオニーから届いた手紙を読んだとき、キーノの眉が寄った。
鬼太郎へ差し出された紙には、彼女のところへも、ハリーから返事が来ていないと書いてあった。
何度か手紙を出している。
それでも返事がなく、気になっているという。
「……私だけじゃないのか」
キーノが言った。
「そのようですね」
鬼太郎は紙を返した。
キーノは読み直した。先ほどまでの、返事をしない相手への不満とは、違う顔になっていた。
「何か、あったんじゃないか」
鬼太郎も、すぐには否定しなかった。
「ロンさんにも、聞いてみましょう。何かご存じかもしれません」
「ああ」
キーノは新しい紙を取った。
今度は、書き始めるまでに、あまり時間が掛からなかった。
◆
その間にも、鬼太郎の身体には、鍛錬の手応えが増えていた。
足を運びながら力を通す。手元を見ず、次の相手へ向ける。
使い慣れた魔法が、考えたとおりの間に収まるようになる。
ディアも、以前とは違った。
指の治療で、傷んだ場所と、流す力の量を何度も確かめた。その積み重ねは、もっと大きな裂傷を治す際にも役立った。
傷が閉じた後、皮膚の下に鈍く残っていた痛みを、引きずらずに済むようになっていた。
動かせば痛む場所がない。
ただし、疲れまで消えるわけではない。使った力も、休まず戻るものではなかった。
鬼太郎は、そこを確かめながら鍛錬を続けた。
だが、標的の木は、避けない。
こちらが火を作り終えるまで、待っている。
失敗しても、首元へ牙が来ることはなかった。
放ったものが狙いどおりに届くほど、そのことが気になった。
◆
森での日々が重なった頃、ロンから手紙が届いた。
キーノは封を開き、初めの方を読んだところで、顔を上げた。
「ハリー、ロンの家にいるそうだ」
「連絡が取れたのですね」
「ああ。無事だと……」
言いながら、キーノの目が次の行へ進む。
そこで止まった。
鬼太郎は、彼女が読み終えるのを待った。
キーノはもう一度、少し前から読み直した。それから紙を持ち上げ、鬼太郎へ向けた。
「見ろ」
ロンは兄たちと、ハリーを迎えに行ったのだという。
空を飛ぶ車で。
鬼太郎は、その先まで目を通した。
窓の鉄格子。閉じ込められていたハリー。持ち出した荷物と、帰りの空の旅。
手紙だけでも、穏やかな迎えではなかったと分かる。
「……随分と思い切った方法ですね」
「何を考えてるんだ、あいつら」
キーノは紙を取り戻した。
ハリーから返事がなかった理由を、これで全て聞けたわけではない。
それでも、家から自由に出られずにいたことは分かった。
嫌われたのかと考えていたことが、今は、まるで違う話に思えた。
無事だった。
そこは、よかった。
だが、空を飛ぶ車で助けに行くというのは、どういうことだ。
「落ちたら、どうするつもりだった」
「僕には、車がどのように飛ぶのかも分かりませんので」
「そういう話じゃない」
キーノは椅子を引き、卓へ向き直った。
ロンの手紙には、新学期の買物をする日についても書いてあった。ハーマイオニーとも都合を合わせ、ダイアゴン横丁で会えないかという。
「買物には行くぞ」
「ええ。必要なものもありますからね」
「会ったら、話を聞かせてもらう。ロンたちにも、ハリーにも」
インク壺の蓋を開ける。
「まとめて、説教だ」
鬼太郎は彼女の向かいで、自分の本を閉じた。
◆
翌朝、鬼太郎は、いつもの鍛錬場所を通り過ぎた。
腰のホルスターを直し、右手に黒檀を持つ。
木々の先に、大きな背が見えた。
グロブニクは伏せたまま、赤い右目をこちらへ向けた。
「何用だ」
「お相手をお願いしたくて」
鬼太郎は、少し離れたところで足を止めた。
「少し、試したいことが増えました」
グロブニクの頭が上がった。
残った片目が、鬼太郎の空いた左手を見る。
「あの火か」
「それも、使わせていただければ」
鬼太郎は答えた。
大きな身体が起き上がる。
鬼太郎は鞄と銃を外し、戦う場所から離して置いた。
左手は、もう空いている。
こちらが放つまで待ってはくれない相手を見て、口元に笑みが浮かんだ。