神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

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子供にできる仕事

第十七話 子供にできる仕事

 

 物置には、朝を知らせる窓がなかった。

 

 扉の下から差し込む光で、鬼太郎は目を覚ました。

 

 床へ敷かれた薄い毛布。

 

 壁際には、脚の折れた椅子と空の木箱が積まれている。

 

 寝床と呼べるものは、それだけだった。

 

 鬼太郎は上体を起こした。

 

 左腕をゆっくり持ち上げる。

 

 頭の上まで伸ばす。

 

 傷の奥に、昨日まであった引きつりはない。

 

 肘を曲げ、拳へ力を入れる。

 

 痛みは出なかった。

 

 医者から言われた一週間も過ぎている。

 

 日常動作に使う分には問題ない。

 

 だが、射撃の支えへ戻すのは、もう少しあとでよい。

 

 試すためだけに傷を開く必要はなかった。

 

 扉が開いた。

 

 昨夜、鬼太郎の背中を押した男が立っている。

 

 手には、欠けた皿と金属のカップがあった。

 

「食え」

 

 固いパンと、色の薄い飲み物が床へ置かれる。

 

「ありがとうございます」

 

 男は鼻を鳴らした。

 

「食ったら上へ来い。仕事だ」

 

「その前に、車へ行きたいのですが」

 

「何をしに」

 

「僕の荷物が残っています」

 

「服ならあとで持ってきてやる」

 

「大切な書類もあります。自分で確認しますよ」

 

 男は面倒そうに顔を歪めた。

 

 それでも、扉を閉める前に言った。

 

「食ったらだ」

 

 鬼太郎はパンを手に取った。

 

 固かった。

 

 薄い飲み物には、ほとんど味がない。

 

 だが、食べられないものではなかった。

 

 金を稼げば、必要なものは自分で買える。

 

 ここで与えられる食事に期待する理由はない。

 

     ◆

 

 建物の裏には、昨日の車が停まっていた。

 

 男は買い手から預かった鍵で、後部座席の扉を開けた。

 

「早くしろ」

 

「少々お待ちください」

 

 鬼太郎は座席の下へ手を入れた。

 

 右側の留め具を探す。

 

 指へ硬い金属が触れた。

 

 押し込み、横へずらす。

 

 薄い板が外れた。

 

 父の英国出生を示す書類が、油紙に包まれて入っている。

 

 濡れていない。

 

 破れもなかった。

 

 鬼太郎は油紙ごと鞄へ移した。

 

「それだけか」

 

「服も確認します」

 

 男は煙草を取り出した。

 

 扉にもたれ、火をつける。

 

 鬼太郎は鞄を持って、車の後ろへ回った。

 

 荷台の扉を開ける。

 

 左奥の板。

 

 イリーナから聞いた場所へ指をかける。

 

 男は煙を吐き、通りの方を見ていた。

 

 板が外れる。

 

 中には〈シュライク〉と弾薬があった。

 

 鬼太郎は専用ホルスターを身につけ、〈シュライク〉を収める。

 

 上着を下ろせば、外からは見えない。

 

 弾薬と予備弾倉は鞄の底へ入れた。

 

 板を元に戻す。

 

「終わりました」

 

 男が振り返った。

 

 鬼太郎の鞄を見る。

 

 昨日と同じ大きさだった。

 

「中を見せろ」

 

「構いませんよ」

 

 鬼太郎は鞄を開いた。

 

 一番上に衣服がある。

 

 男は手で押し、下に硬いものがないか確かめた。

 

 油紙に包んだ書類へ触れたが、取り出さない。

 

 弾薬までは届かなかった。

 

「行くぞ」

 

 男は鞄を閉じた。

 

 鬼太郎の身体は調べなかった。

 

 昨夜、武器を持っていなかった子供が、一晩で銃を手に入れるとは考えていない。

 

 鬼太郎は男のあとを歩いた。

 

     ◆

 

 買い手は、昨日と同じ椅子に座っていた。

 

 机の上には、簡単な地図が置かれている。

 

「座れ」

 

 鬼太郎は椅子へ座った。

 

 英語での会話に備え、買い手の口元を見る。

 

 昨日より聞き取りやすい。

 

 買い手が、鬼太郎に伝わるよう意識してゆっくり話しているからだった。

 

「子供でもできる仕事だ」

 

「内容をお願いします」

 

 買い手は地図の一点を指した。

 

「ここに、閉まった賭け屋がある。二階の事務室に赤い革の帳面が置いてある。それを持ってこい」

 

「表紙が赤い帳面ですね」

 

「そうだ」

 

「中身の確認は?」

 

「必要ない。開くな」

 

「帳面以外の品は?」

 

「触るな」

 

「人はいますか?」

 

 買い手は指輪をつけた指で、机を二度叩いた。

 

「年寄りの見張りが一人だ。昼間は酒を飲んで寝ている」

 

「武器は?」

 

「持っていない」

 

「建物への入り方は?」

 

 買い手は地図の裏側に、小さな四角を描いた。

 

「裏に石炭を入れる穴がある。大人は通れないが、お前なら入れる」

 

「帳面を持ち帰れば完了。見張りを殺す必要はない。ほかの物は回収しない」

 

 鬼太郎は確認した内容を並べた。

 

「間違いありませんか?」

 

 壁際の男が笑った。

 

 買い手も、面倒そうに息を吐く。

 

「子供の使い走りに契約書でも必要か?」

 

「言葉で十分ですよ。約束したことを、あとから変えなければ」

 

「分かった。それでいい」

 

「報酬は?」

 

「昨日言っただろう。食事と寝床だ」

 

「それは、ここで働く間の条件では?」

 

 買い手の眉が動いた。

 

「食わせて、寝かせて、そのうえ金も欲しいのか」

 

「仕事をすれば、対価が必要でしょう」

 

「まだ何もできると証明していない」

 

「ですから、この仕事で証明します。成功した場合の金額を決めてください」

 

 買い手は鬼太郎を見た。

 

 昨日と同じように、小さな手と細い腕へ視線を落とす。

 

 そして、通常の回収仕事には届かない額を告げた。

 

「それで十分だ」

 

 安い。

 

 だが、英国で最初の仕事だった。

 

 買い手がどこまで情報を隠すのか。

 

 約束した対価を支払うのか。

 

 確かめる費用として考えれば、高くはない。

 

「承知しました」

 

 鬼太郎は地図を覚えた。

 

「では、行ってまいります」

 

     ◆

 

 賭け屋は、細い通りの角にあった。

 

 表の扉には板が打ちつけられている。

 

 窓の内側は、厚い布で隠されていた。

 

 鬼太郎は建物の前を通り過ぎた。

 

 立ち止まらない。

 

 隣の通りへ曲がり、裏側へ回る。

 

 土の上に靴跡がある。

 

 一人分ではない。

 

 大きさの違う足跡が、裏口と停められた車の間を往復していた。

 

 窓の隙間から、細い煙が漏れている。

 

 酒を飲んで眠っている年寄り一人にしては、煙草の臭いが濃かった。

 

 鬼太郎は石炭投入口の場所を確認した。

 

 そのまま通りを一周する。

 

 二度目に角を曲がったとき、店の窓へ後方が映った。

 

 通りの向こうに、見覚えのある上着がある。

 

 英国側の買い手の部下だった。

 

 鬼太郎と目が合う前に、新聞を広げて顔を隠す。

 

 助けるために来たとは考えにくい。

 

 鬼太郎が死んだ場合、何が起きたのか確認する役目だろう。

 

「一人ではありませんね」

 

 鬼太郎は小さく呟いた。

 

 買い手が知らない可能性もある。

 

 だが、部下を監視へ出す程度には、危険を予想している。

 

 知らなかったのではない。

 

 伝えなかっただけだった。

 

 鬼太郎は裏へ回った。

 

 人目の届かない物陰で〈シュライク〉を抜く。

 

 弾倉へ弾を入れ、銃へ戻した。

 

 引き金を引けば、すぐに撃てる状態にする。

 

 石炭投入口の蓋へ手をかける。

 

 錆びた金具をゆっくり持ち上げた。

 

     ◆

 

 地下には、古い石炭の臭いが残っていた。

 

 鬼太郎は狭い穴から身体を滑らせる。

 

 左腕を床へついた。

 

 痛みはない。

 

 音を立てずに蓋を戻す。

 

 暗闇の中で目が慣れるのを待った。

 

 床には石炭の欠片が散らばっている。

 

 壁際に、茶色く乾いた染みがあった。

 

 染みから階段へ、何かを引きずった跡が続いている。

 

 近くには、大人用の靴が片方だけ落ちていた。

 

 年老いた見張りが一人。

 

 武器はない。

 

 買い手の説明と一致するものは、石炭投入口の大きさだけだった。

 

 頭上から声が聞こえる。

 

 一人ではない。

 

 短い言葉を拾う。

 

 帳面。

 

 来る。

 

 待つ。

 

 すべてを聞き取ることはできない。

 

 それでも、帳面を取りに来る者を待っていることは分かった。

 

 鬼太郎は上着の下から〈シュライク〉を抜いた。

 

 地下から一階へ続く扉を、僅かに開けた。

 

 一階には二人いる。

 

 片方は腰に拳銃を差していた。

 

 もう一人は、椅子の脇へ長い銃を立てかけている。

 

 二階にも足音がある。

 

 少なくとも三人。

 

 鬼太郎は扉を閉じた。

 

 別の階段を探す。

 

 石炭を運ぶための細い通路が、建物の奥へ伸びていた。

 

     ◆

 

 二階の事務室にいた男は、窓の外を見ていた。

 

 鬼太郎は開いた扉の陰から、室内を確認する。

 

 男の上着の下にも拳銃がある。

 

 机の上には、赤い革表紙の帳面が置かれていた。

 

 鬼太郎は床板の位置を選びながら進む。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 机まで、あと少し。

 

 足元で、木が鳴った。

 

 男が振り返る。

 

 鬼太郎を見る。

 

 一瞬だけ、動きが止まった。

 

 帳面を奪いに来る相手として、子供を想定していなかった。

 

「誰だ」

 

 鬼太郎は答えず、机へ手を伸ばした。

 

 男が上着の中へ右手を入れる。

 

 鬼太郎は〈シュライク〉を向けた。

 

 銃声。

 

 男の胸へ弾丸が入る。

 

 背中から壁へ倒れた。

 

 鬼太郎は赤い帳面を取った。

 

 表紙を見る。

 

 大きさを確かめる。

 

 開かない。

 

 一階で椅子が倒れた。

 

 二人分の足音が階段へ向かう。

 

 鬼太郎は事務室を出た。

 

 階段の上から下を見る。

 

 一人が拳銃を抜いている。

 

 もう一人は長い銃を持ち上げた。

 

 鬼太郎は左手を、階段脇に垂れた布へ向ける。

 

「アギ」

 

 炎が布を包んだ。

 

 燃えた布が外れ、階段の途中へ落ちる。

 

 男たちが足を止めた。

 

 長い銃を持つ男が、煙の向こうへ銃口を上げる。

 

 鬼太郎は階段の壁へ身体を隠した。

 

 発砲音。

 

 壁の角が砕ける。

 

 拳銃を持つ男が、炎を避けて横の通路へ回った。

 

 鬼太郎は足音を聞く。

 

 通路の出口へ〈シュライク〉を向けた。

 

 男が飛び出す。

 

 鬼太郎は一発撃った。

 

 弾丸が胸へ入る。

 

 男は数歩進み、床へ倒れた。

 

 残る一人の足音が遠ざかる。

 

 裏口が開く音。

 

 追わなかった。

 

 依頼は帳面の回収であり、男たちの殺害ではない。

 

 鬼太郎は足元の男へ近づき、呼吸が止まっていることを確かめた。

 

 事務室へ戻る。

 

 最初に撃った男も、すでに息をしていなかった。

 

 鬼太郎は〈シュライク〉を下げた。

 

 炎が階段脇の木材へ移っている。

 

 長く残れば、帳面まで燃える可能性がある。

 

 正面口へ向かう。

 

 内側から閂を外した。

 

 板の打ちつけられていない脇の扉を開け、外へ出る。

 

     ◆

 

 通りの向こうで、買い手の部下が立ち尽くしていた。

 

 賭け屋の二階から煙が出ている。

 

 鬼太郎は赤い帳面を右脇へ抱えていた。

 

 左手で上着を整える。

 

 〈シュライク〉はホルスターへ戻している。

 

「帰りますよ」

 

 部下は答えなかった。

 

 燃える建物を見る。

 

 次に、鬼太郎を見る。

 

「中に何人いた」

 

「三人です」

 

「一人だと聞いていた」

 

「僕も、そう聞きました」

 

「どうなった」

 

「お二人は亡くなりました。もう一人は裏口から逃げましたよ」

 

 部下の視線が、鬼太郎の上着へ落ちる。

 

「銃を持っていたのか」

 

「ええ」

 

「昨日は持っていなかった」

 

「見つけられなかっただけでしょう」

 

 鬼太郎は歩き出した。

 

 部下は、鬼太郎の肩へ触れなかった。

 

 数歩分の距離を空け、そのあとをついてきた。

 

     ◆

 

 赤い帳面が、買い手の机へ置かれた。

 

 買い手は表紙を確かめる。

 

 留め具を見る。

 

 最初の数頁だけを開き、すぐに閉じた。

 

「間違いない」

 

「では、依頼は完了ですね」

 

 壁際では、監視へ出ていた部下が報告している。

 

 三人。

 

 銃声。

 

 炎。

 

 二人が倒れ、一人が逃げた。

 

 買い手は、昨日のようには笑わなかった。

 

 鬼太郎の上着を見る。

 

「銃を見せろ」

 

「依頼内容には含まれていません」

 

 買い手の目が細くなる。

 

 だが、部下へ取り上げるよう命じなかった。

 

 机の引き出しを開ける。

 

 紙幣を出した。

 

 約束した額より少ない。

 

「建物を燃やした。その分を引く」

 

「建物を燃やしてはいけないとは聞いていません」

 

「騒ぎになった」

 

「武器を持たない見張りが一人とも聞いていました」

 

 買い手は黙った。

 

 鬼太郎は机の上の紙幣へ手を伸ばさない。

 

「危険を隠していたことは構いません。ですが、約束した金額を変えるのは別の話です」

 

 壁際の男たちは笑わなかった。

 

 監視役は、鬼太郎から目を逸らしている。

 

 買い手は指輪をつけた指で机を叩いた。

 

 一度。

 

 二度。

 

 引き出しから、残りの紙幣を出す。

 

「数えろ」

 

「確認は必要ですね」

 

 鬼太郎は紙幣を数えた。

 

 約束した額がある。

 

「間違いありません」

 

 紙幣を鞄へ入れる。

 

「次からは、人数と武器を隠していた分も加えてください」

 

「仕事を選べる立場だと思うのか」

 

「選べますよ」

 

 鬼太郎は微笑んだ。

 

「あなた以外にも、買い手はいるでしょう?」

 

 買い手の指が止まった。

 

 英国の言葉も、土地も、裏社会のつながりも、鬼太郎はまだ十分に知らない。

 

 今すぐ別の仲介人を見つけるのは難しい。

 

 だが、不可能ではない。

 

 買い手も、それを理解している。

 

 食事と物置だけで使える子供は、もういなかった。

 

 代わりに、武装した三人のいる建物から、求めた品を持ち帰れる実行役がいる。

 

「次は、先に条件を決める」

 

 買い手が言った。

 

「ええ。そうしてください」

 

 鬼太郎は丁寧に頭を下げた。

 

 買い手の視線は、上着の下に隠された〈シュライク〉へ向けられている。

 

 昨日までと同じ目ではなかった。

 

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