第196話 迎える客に、先に言うこと
翌朝、鬼太郎は森へ出なかった。
椅子へ座り、途中になっていた課題を開く。足を投げ出すほどではないが、立ち上がると、まだ腿の奥が重かった。
傷のあった場所は、動かしても痛まない。
その違いは、自分でもよく分かった。
キーノが食堂へ入り、卓の上を見た。
「今日は、本当に行かないんだな」
「はい。午後には、お客様もいらっしゃいますので」
鬼太郎は、脇へ置いた手紙に目をやった。
ダンブルドアから、学校での用事を済ませてから訪ねるという知らせが届いていた。伝えられた日は、今日だった。
西の湖で、ラドミルと畑の候補地を見てから、ひと月ほどが過ぎている。
その間に、相談することも、確かめたいことも増えていた。
キーノは手紙を見て、それから鬼太郎へ目を戻した。
「そうだな。私も、話がある」
鬼太郎は羽根ペンを止めた。
「校長先生に、ですか」
「ああ」
キーノは、それ以上説明しなかった。
◆
午後、砦へ続く道に、長い髭と背の高い姿が見えた。
鬼太郎はキーノと外へ出た。
ダンブルドアは二人に気づくと、歩く速さを緩めた。
「待たせたの。学校の方で、片づけておきたいことがあってな」
「お越しいただき、ありがとうございます」
鬼太郎は会釈した。
「こちらも、しておきたいことがありましたので。お待ちするだけではありませんでしたよ」
「そのようじゃな」
ダンブルドアの目が、砦の方へ向いた。
荷を運ぶ住民が、こちらへ目を向けてから道を空ける。食堂の入口では、別の者が抱えていた品を持ち直していた。
「二人とも、元気そうで何よりじゃ」
「校長先生」
キーノが口を開いた。
鬼太郎が中へ案内するより早かった。
「先に、聞いてくれ。こいつ、グロブニクと五日続けて戦ってた」
ダンブルドアの視線が戻った。
鬼太郎は、キーノを見た。
「……五日続けて、かね」
「傷を治して、次の日も行く。その次もだ。昨日、やっと止めた」
「毎回、同じ戦いをしていたわけではありませんよ」
鬼太郎が添えると、キーノはすぐに顔を向けた。
「そこは、聞いてない」
ダンブルドアは、二人を見比べた。
「まず、座って聞くとしようか」
◆
食堂の卓へ着いてからも、キーノの話は続いた。
鬼太郎が裂傷を治しては翌日も出ていったこと。
狼も、毎回乗り気で相手をしていたこと。
そして、途中から見物する者まで増えたこと。
「サーシェスも、止めなかった。酒を持ってきて、周りの連中と飲みながら見てた」
ダンブルドアは茶碗を持つ手を止めた。
「ほう」
「終わった後も、さっきのは惜しかったとか、そんな話ばかりしてた。こいつも、そっちも、楽しそうに」
鬼太郎は否定しなかった。
聞かれていないことまで、詳しくなっていく。
「君は、それを止めたのじゃな」
「ああ。疲れは残ると、自分で言ってるくせに。狼にも言った」
そこで、ダンブルドアの眉が僅かに上がった。
「グロブニクにも?」
「二人ともやりたいなら、休む日くらい決めろと言った。片方だけ言っても、また始めるだろう」
鬼太郎は、頭を上げたまま止まっていた狼を思い出した。
あの顔には、自分も少し驚いた。
思い出し笑いが出そうになったところで、キーノがこちらを見た。
鬼太郎は茶碗へ手を伸ばした。
◆
「では、君の方からも聞こう」
ダンブルドアが言った。
「この五日で、何を確かめたのかね」
鬼太郎は茶碗を置いた。
「まず、使い慣れた魔法を、動きながら続けて放てるようになりました。標的を相手にしていたときより、余分に力を流さずに済むようにもなっています」
左手を卓の上へ出す。
今は、火も冷気も作らなかった。
「同じ魔法でも、相手に合わせて狙いを変えると、無駄が出ていました。そこが、少しずつ減りました」
「使える回数も、増えたかね」
「はい。アギなら、始める前は十回ほどでしたが、今は十五回ほど使えそうです」
ダンブルドアは、出された手へ目を向けた。
「扱いがよくなった分だけかね」
「いえ。内側に蓄えられる量も、増えています。毎日、治療まで含めて使い切り、食べて休んで戻す。それを繰り返した分だと思います」
「ふむ」
「傷の治し方も、以前より細かく確かめられるようになりました。学校にいた頃、指を治していたときに掴んだ感覚が、役に立っています」
キーノが、鬼太郎の腕へ目を落とした。
服の下に、昨日の裂傷は残っていない。
「塞いだ後の鈍い痛みも、今は残さずに済みます」
「疲れまで、なくなるわけではないのじゃな」
「ええ。使った力も、戻りません」
鬼太郎は頷いた。
「それから、火の魔法も、一段強いものを掴みました。アギラオというのですが、動く相手へ初めて当てられました」
声に、自然と張りが出た。
狼がこちらの手を見て、踏み込み方を変える。
それを見て、今度はこちらが立つ場所を変える。
ただ火を大きくするだけでは得られないものが、あの勝負にはあった。
「作るまでの間は、まだ必要です。一度でアギ三回ほどの力を使いますので、いつでも出せるものではありませんが。グロブニクさんにも、はっきり傷を負わせられました」
「それで、相手も熱心になったわけか」
「はい。作る前に来られるようになりまして。おかげで、こちらも随分と鍛えられました」
キーノが身を起こした。
「だから、嬉しそうに話すな」
鬼太郎は口を閉じた。
ダンブルドアが髭を撫でた。
「上達したことは、よく分かった」
その声を聞いて、鬼太郎は顔を上げた。
「自分で確かめ、相手の変化を見て、扱いを直した。それは、君の力になっておるのじゃろう」
「ええ」
「ただ、使える力が増えたことと、身体が休めていることは、別に見なければならん」
ダンブルドアの目が、卓の下へ向く。
「今、立って同じように動けば、五日前と同じ足が出るかね」
鬼太郎は、自分の脚を意識した。
「……疲れている分、遅れるところはあります」
鬼太郎は答え、それから顔を上げた。
「ただ、いつも万全の状態で戦えるとは限りません。相手が、こちらの休み終わるまで待ってくださるわけでもありませんから」
ダンブルドアは、続きを待った。
「疲れているときに、どの動きが遅れるのか。いつもなら避けられる攻撃に、どこまで間を取る必要があるのか。そういうことも、確かめるつもりでした」
五日間の中には、頭で選んだ動きに足がついてこない場面もあった。
その分を知っておけば、次は同じ距離で相手を待たずに済む。
「調子のよいときだけを当てにしていては、困りますので」
「それは、もっともじゃ」
ダンブルドアは頷いた。
「万全でない自分に何ができるか、知っておく意味はある。疲れたときの遅れを、元気なときのつもりで埋めようとすれば、危ういからの」
「ええ」
「そのための鍛錬であっても、どこで切り上げ、いつ休むかは決めておきなさい。傷を治せることが、その判断の代わりにはならんよ」
鬼太郎は頷いた。
五日間で覚えたものを、休んだ身体で使えば、どうなるか。
そう考えることはできた。
「では、休んでから、改めて確かめます」
キーノが目を細めた。
「明日の約束にするなよ」
「はい。まずは、疲れが抜けてからですね」
ダンブルドアは、二人の間へ目を動かした。
「次に予定を決めるときは、休む日も先に入れておきなさい」
「承知しました」
鬼太郎は答えた。
五日間を無駄にしたとは、思わなかった。
ただ、その成果を使う身体まで、損ねてはつまらない。
キーノは返事を聞き、ようやく背を椅子へ戻した。
◆
「学校の方は、いかがですか」
鬼太郎が尋ねると、ダンブルドアは茶を一口飲んだ。
「来学期の準備を進めておった。防衛術の後任も、決まったよ」
キーノも顔を向けた。
「誰になった」
「ギルデロイ・ロックハートじゃ」
ダンブルドアは、旅先での経験を著書へまとめている人物だと話した。
バンシー、トロール、人狼。
各地の危険な相手に対処してきたという経歴と、その経験を生徒へ伝えたいと応募したこと。
ミネルバも同席して面談し、授業の進め方を聞いたという。
「まず、危険から離れる方法を教えたいと話しておった」
キーノが、鬼太郎を見た。
「よく聞いてこい」
「授業は、きちんと受けますよ」
鬼太郎は答え、校長へ向き直った。
「実際の戦いを、多く経験しておられる方なのですね」
「経歴には、そうある。近頃は、古い聖所で秘宝を手にしたとも報告しておるよ」
「秘宝、ですか」
「指輪じゃ。オーディンゆかりの場所で、守っていた怪物を倒したという。その指輪から呼び出される戦乙女を、使い魔として伴っておる」
鬼太郎の指が止まった。
「戦乙女」
「ヴァルキリーという」
ダンブルドアは言った。
「校長先生も、ご覧になったのですか」
「うむ。学校の中庭で、呼び出して見せてもらった。天馬に跨った鎧姿でな。言葉も通じ、彼の指示に従っておった」
木の標的へ、一撃を加えたことも話した。
動きは確かで、求めたところで止め、戻ってきたという。
「来学期は、授業の補佐としても、一緒にいてもらうことになっておる」
鬼太郎は、知らない教師の姿を思い描いた。
各地を巡り、危険な存在を退けてきた魔法使い。
古い秘宝を手にし、戦乙女を従えている。
しかも、その戦乙女は、校長自身が見たという。
それほどの相手を従えるには、どれだけの力が要るのだろう。
旅先で重ねた戦いも、一つや二つではないらしい。
聞く限りでは、目の前の老人と並ぶほどの強者ではないか。
胸の内に、期待が膨らんだ。
「それほどの方でしたら、ぜひ手ほどきをお願いしたいですね」
ダンブルドアが、鬼太郎を見た。
「君が何を学びたいか、会ったときに話してみるとよい」
「ええ。校長先生と並ぶほどの方なら、教えていただきたいことも多そうです」
「彼自身と杖を交えたわけではないから、比べることはできんよ」
ダンブルドアは穏やかに答えた。
「まずは、授業で会うことになるじゃろう」
鬼太郎は頷いた。
まだ会ってもいない相手だった。
だが、教わる機会があるのなら、逃したくない。
新学期に向けて、楽しみが一つ増えた。
「……休む話は、忘れるなよ」
キーノが言った。
「覚えています」
答えながら、鬼太郎は左手を膝へ戻した。
◆
鬼太郎は茶碗を少し脇へ寄せた。
「校長先生。こちらからも、お伝えしておきたいことがあります」
ダンブルドアの目が戻る。
「ボリスさんから聞いた、外の話です」
鬼太郎は、手土産を受け取った日に聞いたことを話した。
闇の勢力が、また水面下で動きを広げていること。
特に、仲間を増やすことへ熱心らしいこと。
今の暮らしに不満を持つ者や、もっと利益を得たい者を集めているという。
「それから、裏では、ヴォルデモートが生きているのではないかという話まで出ているそうです」
ダンブルドアは、途中で口を挟まなかった。
聞き終えてから尋ねる。
「彼自身が、姿を見たということではないのじゃな」
「はい。そこは、こちらでも確かめました。ご本人を見たとは聞いていないし、自分が会ったわけでもないと」
「君が聞いたのは、いつ頃かね」
鬼太郎は、東へ挨拶に出向く前の訪問だったと答えた。
ダンブルドアは、その順を確かめた。
「ボリスさんへ、こちらが学校で見たことは伝えていません。誰がどこで集めているかも、まだ分かりませんので」
「うむ。それでよい」
ダンブルドアは頷いた。
「あの名を使う者が、皆、本人の指示で動いているとは限らん。期待して集まる者も、勝手に威を借りる者もおるじゃろう」
「僕も、その可能性は考えました。ただ、何もない話として流すのも、違うかと思いまして」
「知らせてくれて、ありがとう」
鬼太郎は頷いた。
老人がその話をどこまで知っていたのかは、返事だけでは分からなかった。
「商人には、商売を続けてもらいなさい。確かめるために、危ない集まりへ近づく必要はない」
「ええ。そのために話へ加わらなくてよいとは、伝えています」
「なら、何か新しく耳にしたときに、また聞かせてもらうとしよう」
校長は、自分が知っていることを全て話し始めることも、鬼太郎へ調査を任せることもしなかった。
鬼太郎も、それ以上の働きをボリスへ求めるつもりはなかった。
◆
窓の外を、ラドミルが通った。
抱えた紙を一度持ち替え、声を掛けた住民へ何かを示す。
話を聞いた相手が、食堂の隣へ顔を向けた。
ダンブルドアは、そのやり取りを見ていた。
「ここも、随分と忙しくなったようじゃな」
「相談することが、増えました」
鬼太郎は答えた。
「住む場所だけでなく、使う道具や、交換できる品のことも。皆さんがご自分でできることも、少しずつ増やしたいと思っています」
「ほう」
「まだ、お話ししている途中のものも多いのですが」
窓の向こうで、ラドミルが紙を畳んだ。
鬼太郎は椅子からゆっくり立ち上がった。
脚の重さは残っている。
今日はそれを忘れて、森の奥まで歩いていくつもりはなかった。
「砦の中から、ご覧になりますか」
ダンブルドアは、彼の立つ様子を確かめてから頷いた。
「では、案内してもらおう。急がずにな」
キーノも椅子を引いた。
「今日は、私も一緒に行く」
「ええ。お願いします」
鬼太郎は答え、二人を伴って食堂の扉へ向かった。