第197話 砦に根を張るもの
食堂を出た鬼太郎は、すぐ隣の部屋へ向かった。
扉は開いている。
窓のそばに、背の低い棚が置かれていた。本は、まだ一段を埋めるほどもない。手元から選んだものを並べ、広げて読むための卓を、その前へ寄せてある。
ミラが、卓の向こうにいた。
広げた紙の端を押さえ、もう一方の手で本を開いている。
「お邪魔しても、よろしいですか」
鬼太郎が声を掛けると、ミラは顔を上げた。
「構わない」
その視線が、後ろの老人へ移る。
「今日は、お客様をご案内しています」
「アルバス・ダンブルドアじゃ。よろしく頼むよ」
老人は、彼女の顔を見て挨拶した。
「ミラだ」
ミラは名を返し、卓のそばを空けた。
鬼太郎はダンブルドアへ、ここにある本は住民が読めるように置いたものだと話した。
「僕たちが学校へ戻っても、こちらで使っていただくつもりです」
ダンブルドアは棚へ目を向けた。
表紙の端が擦れた本もある。
新しく揃えた蔵書ではなく、二人が手元から選んだものだと分かった。
「少し、見せてもらえるかね」
「はい。どうぞ」
鬼太郎が答えると、キーノが棚の下を示した。
「戻す場所は、まだ揃えている途中だ。絵の多い本は、そっちへ置いてる」
「探しやすいようにじゃな」
「読めない者も、開くからな」
キーノは一冊の背を、隣と揃えた。
◆
卓の上には、地図が広げられていた。
ミラの指が、二本に分かれた道を辿る。
「外の道を、知っているか」
ダンブルドアが顔を上げた。
「知っている場所もあるよ」
「同じ町へ行くのに、道が二つある。短い方を通れば、早く着くのか」
老人は、彼女が示したところを見た。
「距離だけなら、そうじゃな。ただ、道の悪いところや、越えるのに手間の掛かる場所があれば、遠回りした方が早いこともある」
「それは、この紙で分かるか」
「全ては分からん。だが、ここにある印も、一緒に見てごらん」
ダンブルドアが、地図の脇を示した。
鬼太郎は二人の間へ入らず、少し横へ寄った。
ミラは老人の指すところを見て、それから道へ視線を戻す。
「森でも、歩く者が違えば、通れる道は変わる」
「そのとおりじゃ」
「荷があれば、なおさらだ」
ミラは紙の端を持ち上げた。
下には、前に読んでいた本がある。道の絵と地図を見比べていたらしかった。
「見に行く前に、分かることは知っておきたい」
「よい心掛けじゃな」
ダンブルドアは答え、彼女が次に示した場所を覗き込んだ。
鬼太郎が本を選ぶときには、どれが役立つか、自分で考える必要があった。
今は、ミラの方から知りたいことを尋ねている。
知らない場所の話が、二人の間で続く。
鬼太郎は椅子を一つ寄せた。
「よろしければ、お掛けください」
ダンブルドアは礼を言って座り、ミラの話へ戻った。
◆
廊下へ出ると、壁際で板を持ち直していたゴブリンが、三人を見た。
視線は、ダンブルドアの顔に留まった。
「あんた、たまに来るのを見るが、何者なんだ?」
鬼太郎は足を止めた。
相手は、こちらに用があるときにも顔を合わせる住民だった。老人を追い払う様子でもなく、長い髭と眼鏡を、遠慮なく見上げている。
ダンブルドアは、その方へ身体を向けた。
「この二人が通っている学校で、校長をしておる」
「学校の?」
ゴブリンは鬼太郎とキーノを見た。
「じゃあ、こいつらに魔法を教えたのか」
「わし一人ではないよ。大勢の先生がおる」
「こいつが使うものを、皆、教えられるのか」
「学校で習っているものも、ほかで覚えたものもありますよ」
鬼太郎が答えると、ゴブリンは少し考えた。
「何を教えるんだ。物を動かすとか、直すとかか」
「そうしたこともある。薬の作り方や、危険なものから身を守る術などもな」
ダンブルドアは答えた。
「物を別の形に変えることも、学ぶ」
「道具も、作れるのか」
問いが、すぐに続いた。
老人は少し笑った。
「作れるものもあるが、何でも思うまま、というわけにはいかんよ。何を作りたいかね」
ゴブリンは持っていた板を傾けた。
「棚の支えだ。下が合わんから、こっちを削り直す」
「自分で、合わせておるのじゃな」
「立たなければ、使えないだろう」
「もっともじゃ」
ダンブルドアは板の端を見た。
杖を取り出して代わりに直そうとはせず、どこへ使うのかを尋ねる。
ゴブリンは部屋の方を示し、説明した。
鬼太郎は、開いた扉の横で待った。
校長だと知った後も、相手の口調は変わらない。
ダンブルドアも、それを気にする様子はなかった。
◆
中庭へ出る手前で、ラドミルと会った。
彼は手にしていた紙を畳み、鬼太郎へ向けた。
「鍬の話だ。まず一本、試すところまで決めた」
「作っていただけるのですね」
「使う鉄と、見返りに渡す品は話がついた。だが、柄の長さは、使う奴に持たせてからだ」
鬼太郎は頷いた。
作れる者が見つかっても、すぐ畑へ持っていけるわけではない。使う者の手に合うかも、確かめる必要があった。
「出来上がったら、見せていただけますか」
「ああ。何本も頼むのは、その後にする」
ラドミルが校長へ目を向けたので、鬼太郎は紹介した。
ダンブルドアは挨拶を返し、今の話をもう少し聞いてもよいかと尋ねた。
「農具を、こちらで作るのかね」
「作れるならな。買えば、その分、金が外へ出る」
ラドミルは答えた。
「材料も、作る手もある。なら、見返りを決めて、頼めばいい」
「見返りは、誰が出すのかね」
「最初は、僕の持っている品からです」
鬼太郎が答えた。
「まだ、畑で取れたものはありませんから。その先も続けるなら、収穫したものや、別の品で頼めるようにしたいと話しています」
ラドミルが頷く。
「作る奴も、食う。使う奴が何を出せるか、分からんまま頼んでも続かん」
「畑の方は、もう始めておるのかね」
「土と水を見ているところです」
鬼太郎は、西の湖の近くで許された調査のことを説明した。
葦場には手を入れない。
水路を塞がず、排水する先も、主へ確かめてもらう必要がある。
「土地を使ってよいと言われても、何をしてもよいわけではありませんので」
「先に大きく掘ったら、戻せと言われるかもしれん」
ラドミルは紙を懐へ収めた。
「まず、一本だ」
「ええ。お願いします」
鬼太郎が答えると、ラドミルは中庭を横切っていった。
ダンブルドアは、その背中を暫く見ていた。
◆
ヴェリナは、中庭のそばにいた。
住民との話を終えてから、三人の方へ来る。
「何か、困ったことがあったか」
「いえ。今日は、校長先生へ砦をご案内しています」
鬼太郎が答えると、彼女は老人へ挨拶した。
ダンブルドアも言葉を返し、先ほど本の部屋を見てきたと話す。
「皆で使うようになったのじゃな」
「まだ、置いたばかりだ。読みたいものがない者もいる」
ヴェリナは答えた。
「だが、あれを見てから、これが知りたいと言う者は増えた」
「どんなことをかね」
「食べ物を、長く置いておく方法。外で物を売るときに、どう包むか。自分が持っているものを、ほかでも使うか」
話しながら、食堂の隣へ顔を向ける。
「全部、本で分かるわけではない。分からなければ、知っている者へ聞く。商人へ聞く話も、前より増えた」
「相談を聞く君も、忙しくなったじゃろう」
「何でも、私へ持ってくる者はいる」
ヴェリナは、少し眉を寄せた。
「本人同士で話せることは、先に話させている。どちらが何を出すか、私が勝手に決めても仕方がない」
鬼太郎は頷いた。
自分の留守中に話を集めてもらうことと、全てを任せきることは違う。
ヴェリナにも、ほかにすることがある。
「僕へ聞かないと分からないことは、残しておいてください。戻ってからでも間に合うものでしたら」
「分かっている。今すぐ決めろと騒がれても、決められんものはある」
キーノが、隣で口を開いた。
「お前一人で、全部できるわけでもないからな」
「ええ。そのためにも、ご自分たちで話せることは、増えてほしいですね」
鬼太郎が答えると、ヴェリナは短く頷いた。
◆
中庭の端で、三人は腰を下ろした。
歩いた距離は長くない。
それでも、鬼太郎は座ると、脚を少し前へ出した。
ダンブルドアは、食堂と中庭の間を行き来する住民へ目を向けていた。
先ほどのゴブリンが、削った板を持って戻っていく。
ミラはまだ、本の部屋にいるらしい。
「君は、こうしたことにも随分と手を掛けておるのじゃな」
鬼太郎は老人を見た。
「本や、畑のことですか」
「うむ。道具を作る見返りまで、考えておる」
鬼太郎は、ラドミルが通っていった方へ目をやった。
「僕が考えたことばかりではありませんよ。道具を作る方へ何を渡すかは、ラドミルさんから相談されました」
「それを受けて、自分の蓄えも出すことにした」
「必要なものですから」
鬼太郎は答えた。
「皆さんにできることが増えれば、僕がいない間にも進められます。食べるものが増えれば、ほかのものと交換することもできるでしょう」
棚に並べた本も、同じだった。
自分が知っていることを、その都度話すだけでは限りがある。
欲しいことを自分で調べ、分からなければ誰かへ聞けるなら、その方が先へ進む。
「手に入るものが増えるのも、悪くありませんから」
ダンブルドアは、続きを待っているようだった。
鬼太郎は、少し考えてから付け加えた。
「それに、僕から持ち掛けた話もあります。自分で手を入れておいて、途中で放り出すのは、気分がよくありません」
あの棚も、畑の相談も、自分が関わって動き始めたものだった。
留守にする日が来るからと、後は知らないとは思えない。
「思ったように進まなくても、かね」
「そういうこともあるでしょうね。ですから、できないところは、また相談します」
鬼太郎は膝の上で手を組んだ。
「何でも、初めに考えたとおりになるとは思っていませんよ」
◆
ダンブルドアは、鬼太郎を見た。
つい先ほどまで、新しい教師に手ほどきを受けたいと、目を輝かせていた。
その前には、大きな狼との五日続けての勝負を、満足そうに話している。
強くなることへの欲は、よく知っていた。
今日の話でも、それは少しも薄れていない。
だが、その同じ子供が、棚へ何を並べるかを考え、農具を作る者へ何を渡すかを相談している。
自分がいない間に、誰が何を決めるかも。
人に言われて、仕方なくしている様子ではなかった。
ダンブルドアは、本の部屋へ戻っていったゴブリンの背を見た。
あの住民は、鬼太郎へ逐一、話してよいかを確かめなかった。
知らないことがあったから、訪れた老人へ尋ねた。
ミラもそうだった。
鬼太郎は、その隣で待っていた。
「君が手を離しても、続いていくようにしたいのじゃな」
「僕が、いつもここにいるわけではありませんから」
返事は、すぐに来た。
それから、鬼太郎は少し笑った。
「戻ってきたときに、前より面白くなっていれば、嬉しいですね」
ダンブルドアは頷いた。
この少年について、また一つ、聞いてみたいことが増えた。
今は、先に答えを決めるよりも、ここで交わされる話を聞いていたかった。
◆
隣の部屋から、板を床へ当てる音がした。
続いて、短いやり取りが聞こえる。
「今度は、傾かない」
「本を載せてから、確かめろ」
キーノが立ち上がった。
「見てくる。重い本を、端へ固められても困る」
「お願いします」
鬼太郎が答えると、彼女は部屋へ向かった。
ダンブルドアは、すぐには立たなかった。
鬼太郎も、隣で座っていた。
やがて、扉の向こうからミラが声を掛ける。
「鬼太郎。道の本は、こちらへ置くぞ」
「ええ。取りやすいところへ、お願いします」
返事をすると、中から本の位置を相談する声がした。
鬼太郎が立って、並べ直す必要はなかった。
彼は窓越しに見える棚へ一度目をやり、背をゆっくり壁へ預けた。