第199話 防ぐ術にも、学ぶ順がある
キーノが茶を持って戻ったとき、鬼太郎はまだ壁へ背を預けていた。
差し出された茶碗を両手で受け取る。指先に伝わる熱を確かめてから、膝の上で支えた。
ダンブルドアも礼を言い、茶を一口飲んだ。
「中の方は、落ち着いたかね」
「ああ。道の本を使っている間は、地図も同じ卓へ置くことにした。広げる場所が要るからな」
キーノは窓の脇へ腰を下ろした。
「本が増えたら、また考える。今なら、あれで足りる」
「使ってみないと、分からないこともありますね」
鬼太郎が言うと、彼女は頷いた。
「並べれば済むと思ってたが、開くと場所を取る」
ダンブルドアが窓へ目を向けた。中では、ミラが卓へ地図を広げ直している。
「椅子も、引く場所が要るからの」
「そうだ。それで卓を少し動かした」
鬼太郎は茶を飲みながら、二人の話を聞いた。
棚に何を置くかを考えたときには、床のどこまで椅子が出るかなど、気にしていなかった。使う者がいれば、そうしたことも決まっていく。
茶碗の中で揺れる水面が静まるのを待ち、鬼太郎は老人へ顔を向けた。
「校長先生。もう一つ、お尋ねしてもよろしいですか」
「何かね」
「防護呪文のことです。以前、買った本を読んでいたのですが、実際に使うところと、うまく結びつかない部分がありまして」
キーノが顔を向けた。
「今日は、まだ戦わないぞ」
「質問ですよ」
「その後、試すと言い出すだろう」
鬼太郎が答える前に、ダンブルドアが茶碗を下げた。
「今日は話を聞き、見るところまでにしておこう。君が受ける練習は、身体が休まってからじゃ」
「はい。それで構いません」
鬼太郎は頷いた。
今の脚で避ける練習を始めれば、キーノは茶碗を持ったままでも止めに来るだろう。校長も、その隣で見ていてはくれまい。
それに、知りたいのは、すぐ攻撃を受ける方法ではなかった。
「プロテゴを、教えていただきたいのです」
ダンブルドアは鬼太郎の顔を見た。
「君は、その呪文をどのように使おうと考えておるのかね」
「避けられない攻撃を、防ぐためです」
「避けられないとは?」
鬼太郎は少し考えた。
「足を動かす前に、次が来るときでしょうか。遮るものまで、間に合わないこともあります。相手が一人とは限りませんし」
石の柱の陰へ退いても、いつまでもそこにいられるわけではない。相手へ杖を向けるためには、こちらも身体を出す必要があった。
「防げれば、その間に次の位置へ移れます。足を止めずに使えるようになれば、選べることも増えると思います」
「うむ。それは役に立つじゃろう」
老人は、そこで一度言葉を切った。
「だが、その説明では、防げることを先に当てにしておるな」
鬼太郎は茶碗へ目を落とした。
「……使えるようになった後も、ですか」
「習得した者でも、いつでも同じように使えるとは限らん。遅れることも、相手の呪文に破られることもある。何でも受け止める盾ではないのじゃよ」
鬼太郎は、狼の前脚を思い出した。
一つの手が通ると分かれば、次からはそれを当てにしやすい。相手も同じように来るとは限らないのに。
「防いだつもりで、その場に残っていては困りますね」
「そうじゃ。まず、自分が何を防げるかを知る。その前に、呪文をきちんと成立させる必要がある」
「そこからですね」
鬼太郎は茶碗を壁際の平らなところへ置いた。
両手が空くと、つい杖へ伸ばしたくなる。だが、今日は見せてもらうと決めたばかりだった。右手を膝へ戻す。
ダンブルドアは、その手を一度見てから続けた。
「本には、どのように書いてあったかね」
鬼太郎は読んだ範囲を話した。呪文の名を覚え、記された説明を追うことはできる。それでも、相手の杖が動いてから自分が防ぐところを考えると、分からないことが幾つも残った。
老人は途中で確かめ、理解の曖昧なところへ戻った。
鬼太郎も、読めたというだけで答えられたことにはしなかった。どこで分からなくなったのかを探し、言い直す。
キーノが、二人の話の間で口を開いた。
「私も、教わっていいか」
「もちろんじゃ」
ダンブルドアは彼女へ身体を向けた。
「君は、どんなときに使いたい」
「近くに来られたときだ。呪文を外して、次を使う間がなかったら」
キーノは、自分の手首へ目をやった。
「腕を掴まれてからでは、杖を向けられないこともあるだろう」
「そうじゃな。掴まれた後に、必ず離してもらえる呪文ではない。近づかれる前に間を取ることも覚えなければならん」
「防いで、離れる?」
「それも一つの使い方じゃ。ただ、今の君がどこまで防げるかは、これから確かめることになる。相手が近いからと、必ず間に合うわけでもない」
キーノは眉を寄せた。
「使えれば、近くでも安心というわけじゃないんだな」
「うむ。だから、練習相手も、使う呪文も選ぶ。危険な攻撃で試す必要はないよ」
鬼太郎は隣の少女を見た。
キーノは、こちらへ答えを求めてはいなかった。老人が杖を取り出すと、自分も立ち上がりかけ、待つように言われて座り直す。
「今日は、わしが見せよう。君たちは、よく見ておきなさい」
ダンブルドアは自分の茶碗を鬼太郎のもののそばへ置いた。
中庭を見渡し、通る住民がいないことを確かめる。それから立ち上がり、二人の正面へ少し離れた。
「向かい合ってごらん。杖先だけを見ようとせず、腕の動きもな」
鬼太郎は背を壁から離した。
老人の右手が上がる。
「プロテゴ」
はっきりした発音とともに、杖が動いた。
何かがこちらへ飛んでくることはなかった。それでも、老人の前に、先ほどまでとは違う隔たりが生まれたのが見えた。
鬼太郎は目を細めた。
杖を上げてから、呪文が成立するまで。見せるために行われた動作であることは分かる。実戦なら、老人はもっと短く済ませるのだろう。
だが、見えたからといって、自分の手で再現できるわけではなかった。
ダンブルドアは呪文を解き、もう一度、同じ動きを見せた。今度は発音と杖を動かすところを説明し、二人が見失ったところを聞く。
「最後のところを、もう一度お願いします」
鬼太郎が言うと、老人は嫌がらずに応じた。
キーノも身体を少し前へ出して見た。
「動きが合っていれば、出るのか」
「形だけを真似ても、十分ではない。何をしようとしておるのか、意識を定める必要がある」
「攻撃が来ると思えばいい?」
「怖いものが来ると考えるだけでは、手が急ぐこともあるじゃろう。まずは落ち着いて、今見た動きと呪文を合わせるところからじゃな」
鬼太郎は自分の右手を見た。
指先だけが、膝の上で僅かに動く。
老人はそれを見て、杖を下ろした。
「続きは、休んでからじゃ」
「……はい」
「今、試そうと思っただろう」
キーノが横から言った。
「動きを覚えておこうとしただけですよ」
「杖は出すなよ」
「まだ出していません」
「だから言った」
ダンブルドアが小さく笑い、二人の前へ戻った。
鬼太郎は、教わった動きを忘れないよう、もう一度頭の中で辿った。思ったとおりにできるかを確かめるのは、別の日になる。
「次に練習をするときは、まず、何も飛んでこないところで行いなさい。できるかも分からぬうちから、互いに呪文を掛け合わぬようにな」
老人は、鬼太郎だけでなくキーノにも目を向けた。
「形になったと思っても、すぐ実戦で頼らないことじゃ。先生に見てもらい、無理のないものから確かめる」
「フリットウィック先生にも、ご相談してよいですか」
「うむ。何を教わり、どこまで試したかを伝えなさい。今のところは、わしの説明を聞き、実演を見た。そこまでじゃ」
鬼太郎は頷いた。
「そのように、お話しします」
◆
ダンブルドアが茶碗を空にする頃には、中庭へ差す日が傾いていた。
「そろそろ、戻るとしよう」
老人が立つと、鬼太郎もゆっくり腰を上げた。
腿の重さは、まだある。
座っていた間に治ったつもりにはならず、脚へ体重を掛けてから一歩を出した。
「門まで、お送りします」
「うむ。急がずにな」
キーノは茶碗を食堂へ返し、二人へ追いついた。
鬼太郎は並んで歩く老人を見上げた。
「今日は、長くお引き止めしてしまいましたね」
「聞かせてもらいたい話が、多かったからの」
ダンブルドアは砦の入口を振り返った。
鬼太郎は、その目がどこへ向いたのかを追わなかった。
「教えていただき、ありがとうございます」
「練習を始めたら、できなかったところも覚えておきなさい。次に聞くときに、役に立つ」
「はい」
門の外で、老人は二人へ向き直った。
「キーノさん。君も、自分で分からなかったことを残しておくとよい。二人が同じところで迷うとは限らんからな」
「分かった。書いておく」
キーノが答えた。
ダンブルドアは彼女へ頷き、それから鬼太郎を見た。
「では、また会おう」
「ええ。お待ちしています」
老人が道を歩いていく。
鬼太郎はキーノと共に、木々の間へその姿が隠れるまで見送った。
◆
砦へ戻ると、鬼太郎は自分の帳面を取りに行った。
食堂の卓へ開き、教わった呪文の名を書く。続けて、杖の動きと、発音で確かめたところを書き留めた。
自分では、まだ使っていない。
余白へそう添えてから、実際に試した後で書く場所を空ける。
向かいへ座ったキーノも、自分の帳面を開いた。
「お前、どこまで覚えてる」
「見せていただいたところでしたら。ですが、僕の書いたものが正しいかは、分かりませんよ」
「だから、聞いてる。違ってたら、次に確かめる」
鬼太郎は帳面の向きを変えた。
キーノは自分の記したものと見比べ、一か所へ指を置く。
「ここだ。私は、こう見えた」
鬼太郎は彼女の帳面を覗き込んだ。
同じ実演を見ていても、目を留めたところは違っていたらしい。自分が書いた線の隣へ、別の向きから見た動きを足してみる。
「……これは、次に聞いてみましょうか」
「ああ」
鬼太郎は余白へ、問いを一つ書き加えた。