第202話 誰のための召喚か
ダンブルドアは、最初の頁を読み終えても、すぐには次へ進まなかった。
帳面の上を、節のある指が辿る。
その脇には、老人が持参した書き付けも広げられていた。以前聞いた話で気になったことを、手持ちの魔法書や記録と照らしてきたという。原本の字を読めたわけではないが、尋ねたい箇所には、既に印があった。
「君が操作をする。その後は、機械がこの順番で働く、ということじゃな。召喚の手続きを、機械の中で代わりに行わせる」
「はい。僕が全部を、その場で行っていたわけではありません。儀式に使う図形や言葉、進める順番を、機械が扱える形にしてあるんです」
鬼太郎は、帳面に並べた記述を指した。
「実物の祭壇を、機械の箱へ詰め込むわけではありません。機械の中に、儀式を行うための場を作る。そこで手続きを進めさせます」
「仮の場で行ったことが、実際の召喚へ繋がる、と」
「ええ。ですから、計算の順番さえ合っていれば、何でもよいのではありません。元の儀式で必要なものが、どう置き換えられているかも関わります」
ダンブルドアは、自分の書き付けへ目を落とした。
「ならば、本の中で何が何を担っておるかを、確かめねばならんな。機械で働いたものを、字と図に直すだけで済んだとは限らん」
「前に聞いた、召喚できることと、相手が従うことは別という話が気になっての。わしの方でも、召喚や契約に関わる記録を読み直してきた」
ダンブルドアは自分の書き付けを見てから、帳面へ指を戻した。
「では、ここで確かめておるのは、誰の判断かね。君のものか、それとも、あらかじめ決められていたものか」
鬼太郎は椅子を少し寄せた。
同じ処理の途中でも、自分が選ぶところと、機械へ任せていたところがある。書いたときには区別したつもりだったが、校長の指は、その境目で止まっていた。
鬼太郎は説明を加え、余白へ短く書き足した。
老人が次の頁を開く。
今度は途中で前へ戻り、二つの記述を見比べた。
「こちらを済ませてから、先へ進むのか」
「ええ。そちらを飛ばしたものとしては、読まないでください」
「うむ。わしが早合点したようじゃ」
そう言うと、ダンブルドアは自分の手元にも書き留めた。
「もう一つ。仲魔を記録するとは、悪魔そのものを機械の中へ収めるという意味かね」
「僕が知っている仕組みでは、呼ぶ相手の情報と、その相手を呼ぶための手順を記録します。悪魔そのものを、文字や数字にして詰めておくという話ではありません」
鬼太郎は、操作の説明と、召喚の処理を書いた頁を並べた。
「記録から相手を選んでも、それだけでは現れません。こちらの手続きを動かす必要があります」
「誰を呼ぶかを覚えておくものと、実際に呼ぶための働きは、区別して読まねばならんわけじゃな」
「はい。それに、現れた相手が何をするかまで、記録で決まるわけでもありません」
鬼太郎は、老人の筆が止まるのを待った。
知っているつもりで書いたものでも、尋ねられれば、説明が足りないと分かる箇所はある。ただ、書いておいたおかげで、どの話へ戻ればよいかは探しやすかった。
暫くして、ダンブルドアが帳面から顔を上げた。
「まずは、この説明を頼りに本と比べてみようかの」
「はい」
鬼太郎が帳面を引き取ると、老人は持参した魔導書を卓へ置いた。
見覚えのある表紙が、二人の間に収まる。
鬼太郎は、帳面に挟んでいた別の栞を抜いた。そこには以前、校長室で写した図があった。
鬼太郎は本を自分の方へ寄せ、表紙を開いた。
頁の端を押さえ、帳面に写した図と見比べる。触れても、あのときのように周囲の声が遠ざかることはなかった。
「こちらは、前に写したところですね」
確かめてから、自分で次の頁をめくった。
古い記録と照らし、図の位置を確かめる。もう一枚先へ進んだところで、鬼太郎はペンを取った。
「この先から、もう一度、辿りたいのです」
鬼太郎は開いた本を二人の間へ戻し、筆記具を手元へ寄せた。
読める字も、線もある。
それでも、一頁だけを眺めていては、どこまでが一つの働きなのか掴みにくかった。鬼太郎は図を写し、前世の処理に対応しそうなところへ説明を添えていった。
「今、これは何をしようとしておる?」
校長に問われ、鬼太郎は書く手を止めた。
「呼ぶ側と、呼ばれる側の条件に関わっています。ただ、ここだけでは、最後まで続いていません」
「続きは、次の頁かね」
「……いえ。少し、戻りますね」
鬼太郎はペンを置き、頁の端を持ち上げた。
一枚戻り、それからもう一枚。
鬼太郎は先ほど写したものを見直し、帳面へ残した線の先を、別の図へ繋いだ。
老人が、その横へ自分の紙を寄せる。
鬼太郎には、前世の機械が何を行っていたかが分かる。だが、機械の中で続いていた処理を、この本の字と図がどう担っているかは、一つずつ考えなければならなかった。
ダンブルドアは、調べてきた記録の一つを横へ置いた。そこに記された魔法と、この本を同じものとして扱うつもりはないらしい。何が似ていて、どこが違うかを、鬼太郎の説明と照らしていく。
鬼太郎が意味を話すと、老人はどこからどこへ働きが続くのかを尋ねた。話が繋がらなければ図へ戻り、鬼太郎も、読めたと思っていたところを読み直す。
卓の上で、紙が何度も行き来した。
◆
昼の休憩を終えて戻ると、鬼太郎は午前に書いた線を指で辿った。
途中まで同じところを追っていたダンブルドアの指が、別の記述へ向かう。
「君の説明では、この先へ進むと、対価を取らせることになるのじゃな」
「はい。こちらが受け入れるかどうかを、選ぶところがありません」
「先ほどの、条件に関わる部分へ戻る余地は?」
鬼太郎は本を見た。
午前に確かめた箇所へ頁を戻し、そこから先をもう一度読む。先ほどは引っ掛かっていた記述が、別の働きをしているように見えた。
「……先生。こちらと、続けて読んでみます」
鬼太郎は次の頁を開き、元の位置を見失わないよう帳面にも印を付けた。
鬼太郎は帳面へ目を落とし、余白に図を一つ足した。
それを前の記録の隣へ置く。
「ここで、もう受け入れたことになっています」
ダンブルドアが身を寄せた。
「何を根拠に、そう読めるかね」
鬼太郎は一つ前の箇所から説明した。
呼ぶ側が選んだ返事を受けて、先へ進めるのではない。そこに返事を置くこと自体が省かれ、対価を取らせる方へ繋がっていた。
鬼太郎が帳面へ書き直すと、ダンブルドアは前後の図を見比べた。
「この繋ぎ方ならば、君の言う働きとは合う。じゃが、こちらの記述も確かめたい」
「はい。そこも、続いていますね」
二人は同じ箇所へ何度も戻った。
別の意味で読めないか。前の頁から持ち越した条件がないか。鬼太郎が説明し直すたび、老人は自分の紙へ引いた線を確かめた。
やがて、ダンブルドアがペンを置いた。
「……ここか」
「ええ」
鬼太郎は、自分の図へ小さく印を付けた。
相手へ一方的に取らせる仕組みがある。それは、以前から分かっていた。
今は、その働きを生む記述を、前後の繋がりとともに示せる。
鬼太郎は印のついたところを見つめた。
「妙ですね」
「どこが気になる?」
「選ばせるところを、うまく作れなかった。それだけでは、ないように思えます」
鬼太郎は、本から写した別の箇所へ指を移した。
「ここを抜かしただけでしたら、話は分かります。ですが、その代わりに、こちらを通さず取らせるためのものが入っています」
何も書かなかったから、偶然そうなったのではない。
使う者の返事を待たずに進めるため、別の記述が置かれている。
「最初から、こうしたかったのではありませんか」
ダンブルドアは、すぐには答えなかった。
鬼太郎が印を付けたところへ目を戻し、そこから続く線を、もう一度見た。
「荒い作りだからといって、狙いまでないとは限らんな」
「呼ぶ者には、不利です」
「それでも、この本を使わせたかった者がおるのかもしれん」
老人の声が少し低くなった。
鬼太郎は、表紙の向こうにいる作り手を思った。
誰が、どこまで分かって書いたのか。
前世の仕組みに似たものを、この世界の魔法へ移そうとした。そのうえで、呼ぶ側から選ぶ余地を奪っている。
「ご自分では、使いたくなさそうな本ですね」
「作った者が使うつもりだったとは、まだ決まっておらんよ」
「……ええ」
鬼太郎は本へ目を戻した。
使い手のために作られたとは、限らない。
そう考えると、目の前の不自然な記述も、違って見えた。
「誰に使わせるつもりだったかも、気になりますね」
「そこは、本だけで答えが出るとは限らん。今は、読めたことと、わしたちの考えを分けておこう」
鬼太郎は帳面の端へ、短く書いた。
意図して設けた可能性。
その下には、まだ答えを書かなかった。
◆
「では、これを外せばよいのでしょうか」
鬼太郎が尋ねると、ダンブルドアは椅子へ背を預けた。
「君の知る仕組みでは、どうじゃ」
「一方的に取らせる必要はありません。ただ、この本から、そこの記述をなくしてよいかは別です」
鬼太郎は、印を付けた図を囲んだ。
その外側にも、線は続いていた。
ダンブルドアは別の紙へ、儀式を動かすことと、相手へ対価を渡すことを、離して書いた。
「まず、この二つを一緒にせぬことじゃ。呼ぶために必要な消費と、呼ばれた者の要求は、同じとは限らん」
「ええ。相手が欲しがるものを取り上げても、それで召喚の手続きに必要なものが揃うとは限りませんね」
「じゃが、この本では、二つの働きが一つの記述へ押し込まれておる可能性がある」
老人は、囲みから外へ伸びる線を示した。
「奪う働きだけを外したつもりで、儀式を進める働きまで失うかもしれん。そこが分からぬうちは、消せば直るとは言えんな」
「機械なら、代わりにどう処理させるかを考えられます。ですが、魔法でどこまで同じようにできるかは、僕には分かりません」
「わしも、この部分の役目が一つだけとは、まだ言えん。調べてきた魔法の記録だけでは、ここの繋がりまでは説明できぬ」
ダンブルドアの指が、囲みの外を示した。
「対価を取らせる働きは分かった。だが、そのための記述が、ほかの働きも支えておるかもしれん。前後を読まずに外してよいとは言えぬな」
「動かなくなるかもしれませんね」
「うむ。それだけなら、まだ分かりやすい。動いたが、考えていたとおりではなかった、ということもあり得る」
鬼太郎は囲みの中へ目を戻した。
邪魔なものの位置は分かった。
だからといって、切り取った後まで、同じように働くとは限らない。相手を呼ぶ途中で何が欠けるかも分からぬままでは、自分が選んだ取引に変えたつもりで、別の不都合を抱えることになる。
「この先で使っているのが、相手へ渡したものなのか、儀式を動かすためのものなのか。そこから確かめたいです」
鬼太郎は言った。
「それから、選ぶところと、断るところを作れるか考えましょう。奪わせないようにするために、別の方法で担わせる働きがあるかもしれません」
「そうしよう。今日は、この位置が分かっただけでも進んだ」
ダンブルドアは原本へ手を置いた。
何も消されていない頁が、ゆっくり閉じられる。
鬼太郎は帳面に残した図を見直した。どの頁と照らしたかを書き添え、翌日、同じところへ戻れるようにする。
老人も、自分の紙を揃え始めた。
「明日までに、わしもこの繋がりを考えてみる。君の説明で、もう一度聞きたいところもできた」
「僕も、そちらの線がどう働くのか、お聞きしたいです」
鬼太郎が示すと、ダンブルドアは自分の記録へ印を付けた。
「では、そこからじゃな」
窓から入る光が、朝とは違う向きに卓を照らしていた。
鬼太郎はインクが乾くのを待った。
図の中で、取り除きたい箇所だけが、はっきり囲まれている。その周りには、まだ調べなければならない記述が残っていた。
余白へ次の問いを書き足してから、鬼太郎は帳面を閉じた。