第207話 三日後の迎え
布の玉が、鬼太郎の胸の高さを通った。
身体を横へずらすと、玉は背後へ抜け、そのまま地面へ落ちた。キーノが杖を下げ、眉を寄せる。
「そっちへ動くのは、見えていた」
「ええ。ですが、玉が来たのは、僕がいた場所ですね」
鬼太郎は足元を指した。
少し前まで自分が立っていた土の上に、靴の跡がある。
キーノはそれを見てから、布の玉を拾いに行った。
翌朝、二人は砦の外で練習を始めていた。
昨日の木片の代わりに、柔らかい布を丸めたものを使っている。キーノが浮遊術でそれを動かし、鬼太郎へ当てる。初めは互いに歩く速さを超えず、玉も一つだけにした。
鬼太郎は杖を抜いていない。
避ける場所を残して立ち、キーノの手元を見た。
「もう一度、お願いします」
キーノが元の位置へ戻る。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
玉が浮いた。
鬼太郎は、今度はすぐに動かなかった。
こちらへ近づくまで待ち、先ほどと同じ側へ一歩出る。玉もそちらへ曲がったが、鬼太郎の肩より後ろを通っていった。
キーノは地面へ下ろしてから、杖先を見た。
「追い掛けるのが、遅いのか」
「今は、僕が動くたびに、そちらへ直していますね」
「お前が動かなければ、当たってる」
「ええ。ですから、僕が動く先へ運ぶか、そちらへ動きにくくするか。試せることはありそうです」
キーノは鬼太郎の足から、その横の空いた場所へ目を移した。
「どちらへ避けるか、先に決めているのか?」
「玉の来る方を見てからです。もっと速ければ、今ほど待てませんが」
「なら、まだ速くしない。そのままでいい」
キーノは玉を手元へ戻すため、浮かせ直した。
鬼太郎は、足を置く場所を少し変えた。
次の玉は、真っ直ぐ胸へは来なかった。
右肩の外へ回る。
鬼太郎が空いている左へ動きかけると、キーノの杖先が横へ振れた。玉は鬼太郎の前を斜めに通り、左の袖へ軽く触れた。
「当たった」
キーノの声が上がる。
鬼太郎も、袖を見た。
「今は、こちらへ来ましたね」
「お前が、足を出したからな」
キーノは落ちた玉を見下ろし、それから鬼太郎へ顔を上げた。
「もう一度やる。今のは、同じようにできるか分からない」
「ええ」
鬼太郎は笑って、元の位置へ戻った。
次は、玉が早く横へ動きすぎた。
鬼太郎が一歩退くと、袖へ触れるはずだったものは、何もない所を通っていった。キーノは舌を鳴らしかけ、玉がまだ浮いていることに気づいて杖を戻した。
地面へ下ろし、大きく息を吐く。
「止まってる箱なら、逃げないのにな」
「その代わり、僕は当たればお返事できますよ」
「外しても返事はするだろう」
「ご不満ですか?」
「次を始めるぞ」
鬼太郎は両手を空けたまま、キーノへ向き直った。
こちらも、一度見た動かし方を当てにしていると、足を出す方を選ばされる。まだゆっくりした玉だからこそ、キーノが何を変えたかを見てから考えられた。
何度か続けるうちに、袖へ触れた時と似た動きが、もう一度できた。
今度は鬼太郎が足を止め、玉を先へ通した。
キーノは悔しそうな顔をしたが、すぐに玉を戻さなかった。自分が杖を振り始めた場所を確かめ、靴先で土へ短い線を引く。
「もう少し、手前か」
呟きを聞き、鬼太郎は声を掛けずに待った。
やがて休憩を挟むと、キーノは木陰へ座った。布の玉を膝へ置き、水を飲む。
「お前の方は、物足りないんじゃないか」
「避けたつもりで、袖に触れられましたからね」
「もっと速く動けるだろう」
「ええ。ですが、今日はその速さで逃げるために、お誘いしたのではありませんよ」
鬼太郎も水を飲み、キーノの隣へ腰を下ろした。
「先ほどは、足を出したくなる方へ玉が来ました。あれを、もう少し早くされると困りますね」
「できるようにする」
キーノは玉を握り直した。
「次は、触っただけで終わらせない」
「楽しみにしています」
鬼太郎は、袖に付いた土を払った。
◆
練習を終え、昼を挟んでから、鬼太郎は学校へ向かった。
砦の指定された場所へ立ち、金属の輪を取り出す。鬼太郎は、見送りに来たキーノへ顔を向けた。
「校長先生に、お出掛けの日を相談してきます。日が決まりましたら、お二人へお伝えしますね」
「帰ってから、また練習を始めるなよ」
「今日は、先ほどのところまでにしましょう」
キーノは頷き、輪に触れる手から離れた。
次の瞬間、鬼太郎の身体が引かれた。
足が地面へ戻ると、砦の壁はなくなっている。
学校外の決まった到着地点で姿勢を整え、輪を収めた。城へ向かう道を歩きながら、鞄の中の帳面を確かめる。
友人たちへ会うための荷ではない。
今日は、三人で出掛ける日と、先に聞いておきたいことを、校長へ伝えに来た。
夏休みの城は、学期中より音が少なかった。
鬼太郎は校長への取り次ぎを頼み、しばらく待った後、ダンブルドアと顔を合わせた。
「昨日ぶりじゃな」
老人は鬼太郎の鞄を見た。
「設計の続きを見つけたかね」
「いえ。今日は、ダイアゴン横丁のお話です」
「そちらであったか。座りなさい」
鬼太郎は礼を言い、椅子へ腰を下ろした。
帳面は膝で開く。
「サーシェスさんも、ご一緒したいそうです。しばらく英国のダイアゴン横丁へ行っていないので、お店を見て、必要なものがあれば買いたいと」
「三人で、じゃな」
「はい。それから、換金をお願いしたい品があります」
ダンブルドアの視線が、もう一度鞄へ落ちた。
「今日は、お持ちしていませんよ」
「先に言ってくれて、助かったよ」
老人が椅子へ背を預ける。
「以前と、同じようなものかね」
「金銀の飾りなどです。前ほど多くはありません。小箱が二つで、片方にはまだ余裕があります」
「それでも、増えたのじゃな」
「僕たちの分だけではありませんから。グロブニクさんが対処した侵入者の品も、不要だということで回収しています」
ダンブルドアは鬼太郎へ目を戻した。
「最近も、頻繁に来るのか」
「以前より減っているそうです。森へ入った者が戻らないので、割に合わないと思う方も増えたのだろうと、サーシェスさんが」
鬼太郎は答え、帳面の端へ手を置いた。
「ただ、来なくなったわけではありません。僕が学校へ戻っている間も、警戒は続けます」
老人は少しの間、黙っていた。
「持ち込むものは、前のように分けてからじゃ。店へ出せる品かどうかも、確かめねばならん」
「ええ。使う道具や薬、扱いの分からない魔法の品は、別にしています。向こうで売れるものを見ていただくつもりです」
ダンブルドアは頷き、卓の上の予定を確かめた。
鬼太郎は、それが済むまで待った。
「三日後なら、朝から時間を取れる」
「僕たちは、その日で大丈夫です」
「では、朝食を済ませて待っておいで。わしが森へ迎えに行こう。そこから、三人を連れていく」
「姿現しですね」
「うむ。今回行く方法まで、新しい暖炉を当てにはできんからの」
鬼太郎は日を書き留めた。
三日後の朝、砦で待つ。
先に英国へ集まるのではなく、校長が来てから、三人で同行する。サーシェスにも、別の仕事を入れずに待っていてもらえるよう伝える。
「暖炉の利用先と、接続に必要な手続き。その相談をしてから、換金やお店を回る形でよろしいですか」
「そうしよう。先方の都合で待つこともあるじゃろうが、その時は順を考えればよい」
ダンブルドアは、膝にある帳面を指した。
「ほかにも、聞きたいことがあるようじゃな」
鬼太郎は頁を少し持ち上げた。
「キーノさんとお話しして、気になったことがありまして」
行きに使った場所から帰りにも出発できるのか。
砦を接続すれば、向こうから誰でも入れるのか。入ってくる者を確かめたり、使える相手を限ったりできるのか。
鬼太郎が順に尋ねると、老人は途中で口を挟まず聞いた。
「砦の中へ、知らない方が直接出てくるのでは、外の道を見ていただいている意味が変わりますから」
「もっともじゃ。その問いも、持っていこう。繋ぐ暖炉をどこにするかは、利用の仕方を聞いてから決めるがよい」
「はい。今ある暖炉を、そのまま使うとは決めていません」
鬼太郎は、昨日キーノと見た食堂を思い浮かべた。
本を広げる者がいて、食事をする者がいる。便利な場所であるほど、そこへ突然誰かが来た時には、巻き込まれる者も多かった。
「その辺りは、あちらで相談してから考えましょう」
「うむ。国をまたぐ扱いも含めてな。君たちがどう使いたいかは、三人とも説明できるようにしておいておくれ」
「分かりました」
鬼太郎は最後の一行へ目を落とした。
許可が下りる日までは、まだ書けない。
だが、三日後に誰とどこから出発するかは決まった。友人たちとの約束の日に、慌てて調べることも減らせそうだった。
「では、お二人へ伝えてまいります。お時間をいただき、ありがとうございました」
帳面を閉じると、ダンブルドアが顔を覗くようにした。
「紙に向かわぬ時間は、もう少し作れたかね」
「今朝は、キーノさんと練習しました。浮遊術で動かした玉を、僕へ当てる練習です」
「君が動く相手になったのか」
「ええ。止まった所へ運ぶのは、随分正確になっていましたから。柔らかい布の玉で、ゆっくり始めています」
鬼太郎は、袖へ視線を落とした。
「足を出す方へ先に運ばれると、避けたつもりでも触れられますね」
「相手を務める方にも、学ぶことがあったようじゃな」
「はい。次は、もう少し困らせていただけそうです」
ダンブルドアは眼鏡の奥で目を細めた。
「では、戻ってから続きを急かさぬように」
「今日は、もう終わりと約束してきましたよ」
「その約束も、覚えておいておくれ」
鬼太郎は笑って、席を立った。
◆
城から外の発着地点へ戻り、輪を使って砦へ帰る頃には、光が少し傾いていた。
キーノへ三日後の朝のことを伝えると、彼女は頷き、サーシェスもまだいると言った。
男は話を聞くと、指を三本立てた。
「三日後だな。こっちで待ってりゃいいんだな」
「はい。校長先生が迎えに来てくださいます。荷も、その時に持っていきましょう」
「分かった。箱は、開かねえように縛っておく」
キーノが横から尋ねた。
「暖炉のことは?」
「向こうで、一緒に聞くことになりました。使える相手や帰り道のことも、お伝えしています」
「なら、私も聞く。分からないまま置いてくるなよ」
「ええ。ご自分でも、お尋ねください」
鬼太郎は帳面を開き、決まった日を二人へ向けた。
サーシェスはそれを一目見てから、荷のある方へ向かった。キーノは残り、昨日書いた問いの下へ目を走らせる。
「この後に、買い物だな」
「はい。皆さんとの買い物の前に、もう一度、三人で」
キーノは帳面から顔を上げた。
「だったら、先に店も見られるな」
「何か、探したいものがあるのですか」
「まだ分からない。行ってから見る」
そう答えた口元が、少し緩んだ。
鬼太郎は問いを重ねず、帳面を閉じた。店を歩き、気になるものの前で足を止める時間も、三日後の予定へ入れておいた方がよさそうだった。
それから、玄関の方へ目を向けた。
「キーノさん。暖炉を作っていただく場所ですが、入口のそばではどうでしょう」
「食堂へ、そのまま入ってこられるよりはいい。出てきた者も見える」
「ええ。接続のお話とは別に、暖炉そのものを用意できるか、今日のうちに相談しておきたいです」
キーノも帳面から目を離し、一緒に玄関へ向かった。
その足で、砦の修繕に携わっていたゴブリンたちへ声を掛けた。
鬼太郎が用向きを話すと、一人が道具を置いて見に来た。玄関から入ってすぐの壁際へ立ち、上を見上げる。
「ここへ、一つか」
「はい。人が炎の中を通って移動するために使いたいのです。使う許可や接続の手続きは、これから相談しますが、まずは暖炉を作っていただけませんか」
ゴブリンは壁へ手を当て、外へ回った。戻ってから、床の端へ靴先を置く。
「前へ張り出しすぎれば、荷を入れる時に邪魔だ。こっちへ寄せろ」
示された場所へ鬼太郎も立った。
そこからなら扉が見え、出てきた者が食堂へ向かうには、玄関の前を横切ることになる。キーノも歩いて幅を確かめた。
「ここなら、扉を開けてもぶつからないな」
「では、この位置で。三日後の朝までに、作っていただくことはできますか」
「三日か」
ゴブリンはもう一人を呼び、石と煙を通す所について、短く話した。二人で壁の外側を確かめてから、鬼太郎へ戻ってくる。
「暖炉なら、手元の石で作れる。三日後、お前たちが出るまでに仕上げる。ただし、その移動の魔法まで俺たちに頼むなよ」
「ええ。接続は、別に相談します。必要な寸法や形に決まりがあれば、そちらで聞いてきますので、後で直せるかも伺いたいです」
「聞いたことは、そのまま持ってこい。直す所があるなら、見てから決める」
鬼太郎は頷き、報酬の話を持ち出した。
すると、ゴブリンは腰の道具へ手を置いた。
「英国の店へ行くんだな。なら、買ってきてほしい物がある」
「どのようなものですか」
「石を削る刃と、道具に使う金具だ。この形の物が欲しい」
一本を抜き、鬼太郎へ見せた。使い込まれた刃は、先が短くなっていた。
「似ていても、付け根が違えば合わん。明日、見本と寸法を渡す。品代はこちらで出すから、店で探して持って帰ってくれ。それで暖炉を作る分の仕事と交換だ」
鬼太郎は、金具の付く場所を覗き込んだ。
「必要な数と、幾らまでなら買ってよいかも、教えていただけますか。見つからない時に、違うものを勝手に選ばないようにします」
「それも書く。値が高すぎたら、値段だけ聞いて戻れ」
「分かりました。それでお願いします」
ゴブリンは道具を収め、もう一人と石の置き場へ向かった。
キーノは、その背を見送ってから壁際を指した。
「ここにある物は、今日のうちに退けた方がいいな」
鬼太郎は帳面を鞄へ戻した。
「ええ。まずは、運び出すところからですね」
二人で壁へ寄せてあった荷を動かすと、ゴブリンが戻り、床へ印を付けた。
鬼太郎は、空いた場所から玄関の扉まで歩いてみた。三日後には、ここに暖炉ができている。その日、自分たちが持ち帰る荷にも、作ってくれる者のための品が加わることになった。