第209話 手紙を運ぶ翼
古い時計店と薬屋の間へ入ると、通りの声が少し遠くなった。
銀色の天秤を描いた看板が、路地の奥に見える。
鬼太郎は、その下で足を止めた。狭い窓の向こうには銀の品が並び、帳場の奥で人影が動いている。
「こちらでしたね」
「うむ。先に見てもらうとしよう」
ダンブルドアが扉を開けた。
鈴の音に、女主人が顔を上げる。鑑定眼鏡の硝子を一枚動かし、老人から三人へ目を移した。
「今日は、その顔なんだね」
「おはよう、ミセス・グレイヴス」
「顔を隠しても、連れで分かるようになったんじゃないかい」
女主人の視線が、鬼太郎の荷へ止まった。
「また売り物かい?」
「はい。見ていただけますか」
鬼太郎が答えると、サーシェスも小箱を帳場へ置いた。
グレイヴスは二つの箱を見比べ、白い布を広げる。
「前よりは、少なそうだね。順に開けておくれ」
キーノが紐を解いた。
蓋を開けると、布に包んだ指輪や鎖が出てくる。鬼太郎は一つずつ台へ置き、手元に残すと決めた道具や、扱いの分からない魔法の品は別にしたことを説明した。
「これも、全部売れるとは考えていません。売れない物は、理由を教えてください」
「それは、前にも聞いたね」
グレイヴスは指輪を取り上げ、硝子越しに内側を覗いた。
銀の小皿が並び、分銅が一つ置かれる。
鬼太郎は帳面を開いて待った。
◆
金の鎖は、細い先端まで調べられた。
飾りに付いていた石は、金属の部分と分けて値を付けられる。形が歪んだ留め具にも、素材として買える分はあった。
グレイヴスは時折、品の横へ小さな紙を置いた。
それが増えるたびに、鬼太郎は帳面へ品と額を書いた。キーノは戻された包みを畳み、サーシェスは女主人が持ち上げた石を横から見た。
「そいつは、見た目ほど高くねえか」
「傷を隠して留めてあったからね。外せば分かる。石だけなら、こっちの小さい方がいい」
示されたものを見て、男は鼻を鳴らした。
「持ってた奴は、でかい方を気に入ってたんだがな」
「売る時の値段まで知って着けてる客ばかりじゃないよ」
次に調べた指輪は、買い取る方へ移されなかった。
グレイヴスが鑑定眼鏡を上げる。
「これは、出所の確認が要る。家印が残ってるから、今ここでは買えない」
「では、持ち帰る方へ」
鬼太郎はキーノへ別の包みを向けた。
もう一つ、小さな飾りにも術式が残っていた。持ち歩いて何が起きるかを確かめず、金属として買うことはできないという。
鬼太郎は、その説明も書き添えた。
売る品を全て並べ終える頃には、最初の箱に隙間が増えていた。
グレイヴスは数字を足し、三人の方へ紙を向けた。
「買える物は、これで全部だ。どうする?」
鬼太郎は書き取ったものと照らし、二人にも見えるよう帳面を置いた。
小箱に収まる量でも、金銀と石をまとめれば、日々の買い物だけで使い切る額ではなかった。前回の持ち込みほど多くはないが、財布へ全部入れて店を回る理由もない。
キーノが紙へ目を通し、サーシェスも最後の額を見た。
「僕は、このお値段でよいと思います」
「ああ」
「俺も、それでいい」
返事が揃うと、女主人は買い取る品を奥へ移した。
代わりに硬貨が出てくる。
鬼太郎は受け取る前に、売却の明細を確かめた。三人で分ける分を数え、それぞれの袋へ収めていく。
キーノの袋は彼女へ渡した。
「こちらが、キーノさんの分です」
「分かった」
彼女は重さを確かめ、自分の荷へ入れた。
サーシェスも袋の口を縛り、懐へ収める。
「次は、銀行じゃな」
ダンブルドアが言った。
「はい。今日使う分は、先に分けておきます」
鬼太郎は、戻された品の包みを閉じた。
どれが売れなかったか、何を理由に見送ったか。それが分かるよう、紙も一緒に入れる。
グレイヴスは、箱を片づける手元へ目を向けた。
「そっちは、値段を付ける前に調べるんだよ」
「ええ。相談する時にも、そのお話を伝えます」
ボリスに頼むかどうかも、品を見せてからだった。手数料を引いた後に幾ら残るか、どこまで引き受けるか。聞くことを思い出しながら、鬼太郎は留め具を掛けた。
「ありがとうございました。また、お願いすることがあれば伺います」
「箱を増やしすぎる前においで」
女主人はそう返し、次の客へ顔を向けた。
◆
グリンゴッツの白い建物へ入ると、鬼太郎は先ほど受け取った袋を取り出した。
自分の名義へ預ける分と、今日の手元へ残す分は、既に分けてある。
キーノも、自分の名義の保管口座へ追加で預けた。
窓口で確かめる間、鬼太郎は横で待った。以前は三人分の金を混ぜないことを説明する必要があったが、今回は、彼女自身の分として手続きが進んでいった。
キーノが戻ってくると、サーシェスが袋を指した。
「全部、置いてきたのか」
「使う分は残してる。あんたは?」
「俺は、持ってる」
「前も、そうでしたね」
鬼太郎が言うと、男は外套の上から懐を押さえた。
「使う時に、ここにありゃいい」
「では、なくさぬようにな」
ダンブルドアが先に出口へ向かう。
鬼太郎は窓口でもらった控えを収め、鞄の別の場所を確かめた。ゴブリンから預かった買い出し代は、売却代金にも、自分の買い物の分にも混ぜていない。
建物を出てから、その袋と道具の見本を手前へ移した。
「次は、こちらですね」
キーノも自分の財布をしまい、頷いた。
◆
道具を扱う店では、見本を出すと、店主が奥から木の盆を持ってきた。
並べられた刃を見て、鬼太郎はすぐには手を伸ばさなかった。
形は似ている。しかし、付け根の幅が少し違うものがある。
「こちらの寸法に合うものを、探しています」
紙を広げると、店主は見本を取り、裏返して確かめた。
「こっちは細いな。これなら近いが――」
「近いだけでは、困るそうです」
キーノが言った。
店主は彼女を見てから、別の盆を出した。
今度の品を見本へ並べ、付け根を揃える。サーシェスが横から手を出し、二つの厚みを見比べた。
「こっちは合うな。穴も同じだ」
鬼太郎は、頼まれた数と値段を確かめた。
金具も同じように、寸法を照らして選んでいく。店にある数で揃うと分かると、品代の袋を開いた。
買ったものは紙へ包み、見本とは別にした。どれが何個か分かるよう、店主に品名も書いてもらう。
最後に、使った額と釣り銭を確かめた。
「こちらは、戻ってから一緒にお返しします」
鬼太郎が紙へ記すと、サーシェスは棚の方へ戻った。
「俺も、少し見る」
男が手にしたのは、細い革紐と金具だった。手持ちの道具へ付けるつもりらしく、強く引き、裏側の留め方を見てから選ぶ。
鬼太郎の支払いとは別に、自分の硬貨を出した。
店を出る時には、空いた箱へ収める新しい包みができていた。
キーノがその形を見て言った。
「売って軽くした分、また増えたな」
「今度は、帰りを待っている方のものですよ」
鬼太郎は鞄へ収めた見本に手を添えた。
「合うとよいですね」
「ちゃんと、見て選んだ。帰ったら確かめてもらえばいい」
キーノはそう言い、本屋の看板へ目を向けた。
◆
本屋では、鬼太郎は棚の間を二度往復した。
呪文についての本を開き、説明の続く頁を読む。既に持っている本と似た範囲だと分かると戻し、次の背表紙へ手を掛けた。
キーノは初め隣にいたが、やがて別の棚へ向かった。
戻ってきた時には、絵を交えて外の土地を紹介する薄い本を持っている。
「棚へ置く分か?」
鬼太郎が尋ねると、キーノは首を振った。
「まず、私が読む。ミラが見たければ、その後に貸す」
「ええ。それがよいと思います」
鬼太郎は自分の候補を一冊に絞った。今使っている呪文の掛け方を、別の例で確かめられそうなものだった。
教科書を揃える用事は、友人たちとの買い物にも残っている。今日は選んだものを持ち、キーノと帳場へ向かった。
外へ出ると、サーシェスが店先から身体を起こした。
「ようやく出てきたか」
「お待たせしました」
「次は、どこだ」
鬼太郎は通りの向こうへ目を向けた。
フクロウの店の前で、白い羽が動いている。
「もう一軒、寄ってもよろしいですか」
キーノが、その方を見た。
「フクロウか?」
「はい。キーノさんに、選んでいただきたいのです」
彼女が鬼太郎へ顔を戻した。
「私が?」
鬼太郎は店へ向かいかけた足を止めた。
「今までのお手紙は、校長先生にお願いして、学校のフクロウをお借りしていましたからね。ご自分のフクロウがいれば、頼むたびにお借りせずに済むでしょう」
「お前も、手紙は使うだろう」
「ええ。ですが、よく書いていらしたのは、キーノさんでしたから」
机へ向かい、相手から来た手紙を横へ広げていた姿を思い出す。
何を書こうか考え、書き足し、読み直す。返事が来れば開き、次に伝えたいことをまた紙へ残していた。
「ご自分で選んだ子に、運んでもらえたらと思いまして。よろしければ、僕から贈らせてください」
キーノはしばらく返事をしなかった。
手にした本の包みを見下ろし、顔を上げる。
「自分で、世話をするぞ」
「はい」
「お前の手紙も運ぶなら、私に言え」
「お願いしても、よろしいですか」
「貸さないとは言ってない」
キーノが先に歩き出した。
鬼太郎はその隣へ並んだ。
◆
イーロップのふくろう百貨店へ入ると、羽を動かす音がした。
止まり木にいるもの、籠の奥で目を閉じているもの。鬼太郎が見上げると、丸い目がこちらを追った。
キーノは入口で少し立ち止まり、それから一羽ずつ見始めた。
店の者に手紙を運ぶフクロウを探していると伝え、森の家と学校で世話をするつもりだと話す。鬼太郎は横で聞き、籠や餌についての説明を書き留めた。
茶褐色の羽を持つ一羽の前で、キーノの足が止まった。
丸い顔がゆっくりこちらへ向く。
キーノが横へ動くと、顔も動いた。
「こっちを見てるな」
「モリフクロウですよ」
店の者が答えた。
羽には濃淡があり、止まり木を掴む足の上で身体がふくらんでいる。キーノが近づいても大きく羽を広げず、じっと顔を見ていた。
「触ってもいいか」
許可を得てから、キーノは手を近づけた。
フクロウの嘴が、指の手前で動く。
彼女は一度止まり、店の者に教わったように手の位置を変えた。指が羽へ触れると、鳥は首を少し縮める。
キーノはその動きを見て、すぐには撫で続けなかった。
「嫌か?」
フクロウが瞬きをした。
「お返事を待っていらっしゃるのですか」
鬼太郎が尋ねると、キーノは手を引かずにこちらを見た。
「嫌がってるなら、分かるだろう」
「そうですね」
鬼太郎は、それ以上急かさなかった。
店の者から性質や世話の仕方を聞き、キーノはもう一度その顔を覗き込んだ。
「この子にする」
「分かりました」
必要な籠と餌も合わせ、鬼太郎が支払った。
キーノは、持ち帰ってから落ち着かせる場所や、初めて手紙を運ばせる時のことを尋ねている。店の者は、いきなり知らない場所から放さず、まず家へ慣れさせるよう説明した。
鬼太郎も、玄関を入った先の様子を思い浮かべた。
暖炉の前を籠の置き場所にするのは、よくない。火と人の出入りから離れ、キーノが様子を見られる所を、一緒に探せばよさそうだった。
籠を受け取ったキーノは、取っ手を握り直した。
「重くありませんか」
「大丈夫だ」
中の鳥が動くと、彼女は足を止めた。止まり木へ落ち着くのを待ち、籠を身体の脇へ持つ。
「ありがとう」
小さな声だった。
鬼太郎は、籠から彼女へ目を移した。
「気に入っていただけたなら、嬉しいです」
「この子にも、名前が要るな」
「今度は、登録の前に決められますね」
キーノが鬼太郎を見た。
「お前が、拠点としか呼んでなかったからだろう」
「もう、木陰の家と書いてありますよ」
「呼ぶ時にも、そう言え」
鬼太郎は笑って、扉を押さえた。
外では、サーシェスが籠の中を覗き込んだ。
「増えた荷物は、そいつか」
フクロウが顔を上げる。
「手紙を運ぶ子だ」
キーノが言い、籠を男から少し離した。
「あんたも、近づくなら急に手を出すなよ」
「俺は、何もしてねえ」
ダンブルドアが二人の間から、茶色い羽を見た。
「よい子を選んだようじゃな」
「はい」
キーノは答え、それから自分でも籠を見た。
鬼太郎が横へ立つと、丸い顔がこちらへ向いた。
まだ、自分たちの家も、手紙を届ける友人たちも知らない鳥だった。
キーノは籠の揺れを確かめながら歩き始めた。鬼太郎は、その隣で少し歩幅を緩めた。