神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

203 / 216
話を聞く約束

第202話 話を聞く約束

 

 漏れ鍋へ戻った時には、窓から差す光が低くなっていた。

 

 鬼太郎は暖炉のそばへ寄り、鞄から粉を出した。指で摘むだけのことが、いつもより遅い。

 

 緑の炎へ入る前に、破れた上着の端を引いた。

 

「木陰の家」

 

 行き先を告げると、見慣れた店の床が消えた。

 

 回る景色の中で鞄を身体へ寄せ、足元が定まるのを待つ。玄関の暖炉から踏み出した時、片足が少し遅れた。

 

 壁へ手をつき、止まる。

 

「鬼太郎?」

 

 声がした。

 

 キーノが、こちらへ歩いてきていた。昼に別れた時と同じ顔だったが、肩から鞄は下りている。

 

「お帰り。遅かったな。ロンの――」

 

 そこで言葉が止まった。

 

 鬼太郎は壁から手を離す。

 

「ただいま戻りました」

 

 キーノの視線が、肩へ落ちた。

 

 上着の裂け目から、乾いた血が見えている。脇腹へ重ねていた布も、暖炉を抜ける時にずれていた。

 

 笑みが消えた。

 

 こちらを見る目が据わる。

 

「……気をつけるって、言ったよな」

 

 鬼太郎は、キーノが先ほど口にしかけたロンの名を思い返した。彼女は今日、自分で選んだ友人の家へ行き、帰ってきた。その一日を、帰宅した自分の血で塗り潰すつもりはなかった。

 

 だが、傷を隠してから入っても、彼女が気づかないとは思えなかった。

 

「ええ」

 

「その服は」

 

「傷は、もう治しています」

 

 キーノは歩みを止めなかった。鬼太郎の前へ来ると、上着の肩へ手を伸ばす。

 

「治したかどうかは、その後だ。見せろ」

 

 鬼太郎は鞄を下ろした。

 

 肩紐が離れると、腕が軽くなる。キーノは布を引っ張らず、破れた端だけを持ち上げた。皮膚の閉じた所を見てから、脇腹の方へ顔を向ける。

 

「そこもか」

 

「はい。どちらも塞いでいます」

 

「痛む?」

 

「動かすのには、困りません」

 

「困らないって言い方が、もう困る」

 

 キーノは服の裂けたところを見たが、無理に腕を引っ張りはしなかった。代わりに自分の手を握り、開いた。鬼太郎が歩けていることと、無事に帰ったことを、まだ同じ意味には出来ないらしかった。

 

 キーノの目が、また顔へ戻った。

 

「何があった」

 

 鬼太郎は玄関の奥へ目をやった。

 

「少し、座ってもよろしいですか」

 

 キーノは一度口を閉じ、道を空けた。

 

     ◆

 

 椅子へ腰を下ろすと、脚を伸ばしたくなった。

 

 鬼太郎はそうせず、鞄を隣へ置いた。黒檀も取り出し、そのそばへ横たえる。キーノは水を持ってきて、手の届く所へ置く。

 

 自分も椅子を寄せ、こちらへ向いた。

 

「まず、書店でのことなのですが」

 

 鬼太郎が言うと、キーノは眉を寄せた。

 

「ロックハートのいた店か?」

 

「ええ。あの時、黒檀が反応しました」

 

 鬼太郎は鞄のそばに置いた杖へ目を向けた。

 

「コボルトや、森で倒した悪魔の時のように、何かを取り込んだわけではありません。一度、微かに動いただけです」

 

「何に?」

 

「それが、分かりませんでした」

 

 キーノは黙って、続きを待った。

 

「人は大勢いましたし、誰かが何かをしているところも、見ていません。ただ、あの杖が反応するものが、普通の買い物の中にいたのかもしれない」

 

 鬼太郎は水へ手を伸ばした。

 

「悪魔が、もう日常へ紛れ込んでいるとしたら。見かけないからいない、とも言っていられませんからね」

 

「それで、別件か」

 

「以前、仕事の話を聞いた相手を訪ねました。表に出ない噂なら、あちらの方が早いと思いまして」

 

 キーノは目を逸らさなかった。

 

 鬼太郎は、黎明の輪という派閥の話をしてから、買い手が語った二つの目撃例を分けて伝えた。山道では、翼のある骸骨頭の異形が人を殺し、倒されると姿を残さなかった。別の取引では、角を持つ人型が売り手の指示で動いた。目撃した本人から聞いた話と、さらに誰かを経て届いた話では、確かさが違う。

 

「どちらも、同じところから来たんですか」

 

「分かりません。黎明の輪が動き始めた頃と重なっているそうですが、その程度で決めつけたくはありませんね」

 

 山道で商人を襲った、翼のある骸骨の頭。

 

 護衛が倒すと、霧のように消えたこと。

 

 別の取引では、売り手の後ろに角のある人型が控え、その命令に従っていたこと。

 

「同じ姿じゃないんだな」

 

「ええ。こちらへ来ているのは、一種類だけではなさそうです」

 

「書店にいたのも、そのどちらかか?」

 

「そこまでは分かりません。反応したものの姿も、居場所も、確かめられていませんので」

 

 キーノは腕を組みかけ、やめた。膝へ手を置き、鬼太郎の服を見る。

 

「調べに行った理由は分かった。それで、どうしてその服になった」

 

「詳しい話を聞く代わりに、一つ、依頼を受けました」

 

 鬼太郎は、本を盗んで逃げた男の話をした。

 

 居場所は分かっている。だが、取り戻そうと入った者は返り討ちに遭っていた。

 

「そこへ、一人で行ったのか」

 

「はい。本には触れず、回収する人が入れる状態にする仕事でした」

 

「私に話す前に」

 

「その日のうちに片づけるよう、強く催促されていたそうです。受けるなら、すぐに向かう必要がありました」

 

 キーノが何か言う前に、鬼太郎は続けた。

 

「あなたはもう、ロンさんのお宅へ出発した後でした。相談して戻ってくる時間までは、取れませんでした」

 

 キーノはしばらく黙っていた。

 

「……私も、いつ帰るか決めてなかったな」

 

「ええ」

 

「分かった。そこを、ずっと言っても仕方ない」

 

 声は低いままだった。

 

「何と戦った」

 

 鬼太郎は、少しだけ背を起こした。

 

     ◆

 

 冷気で床を覆った、小さな悪魔。

 

 言葉を返しながら不意を狙い、避けると風を続けて放ってきた相手。

 

 家具も弾丸もすり抜け、こちらが何も出来ないと思って近づいてきたもの。

 

 鬼太郎が話す間、キーノは時々、杖と鬼太郎の手へ目を動かした。

 

「話せるからって、聞いてくれるわけじゃなかったんだな」

 

「ええ。話しながら、こちらをどう殺すか考えていましたよ」

 

「お前も、見てたんだろう」

 

「もちろんです」

 

 鬼太郎は左掌を開いた。

 

「それぞれ、動きも、術の効き方も違いました。銃が通らなければ呪文を試す。雷がよく効く相手もいれば、風で思ったより深く傷つく相手もいる」

 

「それを、入ってから確かめたのか」

 

「見てから名前が戻ったものもいましたので。全部を覚えていたわけではありません」

 

 鬼太郎は、最後の広間の話へ移った。

 

 コンクリートの中に生えた木々と、身体の片側が異様に大きくなっていた男。

 

 まだ言葉が通じ、本を自分のものだと言い張っていたこと。

 

「その人が、ヴェインか」

 

「はい。銃は当たっても、浅く傷つくだけでした。ですが、それ以上に面白かったのは――」

 

 鬼太郎はそこで、キーノの目に気づいた。

 

 さっきより、据わっている。

 

「……面白かったのは?」

 

 続きを求める声は、静かだった。

 

 鬼太郎は、笑みを隠さなかった。

 

「僕と同じ魔法を使ったのです。杖を持たずに、手からアギを」

 

 キーノの目が動いた。

 

「同じって、いつもお前が使ってる、あの火か」

 

「ええ。火を放って、僕を避けさせてから、大きな腕で殴ってきました。こちらが次の火を作ろうとすると、その前に撃ってくる」

 

 鬼太郎は、椅子の上で少し手を動かした。

 

 相手の腕が伸びる方と、自分が抜けた側。その間を、指先だけで示す。

 

「同じ術を使う人間と、ああして向き合ったのは初めてでした。こちらの手も見ているのですよ。待ってはくれませんでしたが、それが――」

 

「楽しかったんだな」

 

「はい」

 

 キーノは息を吐いた。

 

 だが、すぐには叱る言葉を重ねなかった。

 

「そいつも、お前と同じなのか」

 

「同じ?」

 

「前の世界の人間だったのか。お前と同じ魔法を使うなら」

 

 鬼太郎の手が止まった。

 

 キーノは、顔を見ていた。

 

 何となく口にした問いではない。自分が聞いたことと、今の話を結びつけて、答えを待っている。

 

「……分かりません」

 

 鬼太郎は、正直に答えた。

 

「そういう話は、していません。僕の前の世界について知っていると分かる言葉も、聞きませんでした」

 

「でも、同じ火を使った」

 

「悪魔も、僕と同じ系統の術を使います。今日も、冷気や風を使われました。それが使えるというだけで、僕と同じ来歴だとは決められません」

 

 キーノは一度、杖へ目を落とした。

 

「本を盗む前から使えたのか?」

 

「それも、確かめられていません。身体が変わったことと、本が関係しているようには思えますが」

 

「そいつは、何か言わなかったのか」

 

「僕の火を見て、お前も持っているのか、と」

 

「本を?」

 

「かもしれません。何を、と聞き返しましたが、答えはありませんでした」

 

 鬼太郎は掌を膝へ戻した。

 

「同じ火を見た時には、こちらも驚きました。けれど、あの人が何を知っていて、何を手に入れたのかまでは、聞けていません」

 

 キーノは唇を結んだ。

 

「そうか」

 

 それから、まだ血の残る肩へ目を向けた。

 

「それで、怪我をしたのは?」

 

 鬼太郎は、砕いた柱の破片を投げられたことを話した。

 

 広がって飛んでくるものを走って避けきれず、練習していた盾を出した。最初の破片は受けたが、続けて当たると保てなかった。

 

「先生が見せてくれた、あれか」

 

「はい。まだ、足りませんでしたね」

 

 キーノは水の入った器を、鬼太郎の方へ押した。

 

 鬼太郎は受け取り、一口飲んだ。

 

「傷を治している間にも、来ましたよ。その後は、腕を壁へ食い込ませて、顔へ呪文とジオを当てて。その間に、火を作りました」

 

「アギラオか」

 

「ええ。あれを撃つ時間は、自分で作らなければなりませんでした」

 

 声へ、また少し楽しさが戻った。

 

 違う種類の悪魔と戦った。

 

 自分と同じ火を使う人間が、こちらの術を止めようとしてきた。

 

 傷を負い、治し、その先でようやく、狙った火を放てた。

 

 鬼太郎は、目の前のキーノを見た。

 

「楽しかったのは、本当です」

 

「分かってる。聞いていれば、分かる」

 

「ですが、勝てないと分かれば逃げますよ。死んでしまえば、その先がありませんから」

 

 キーノは、すぐには返さなかった。

 

「負けそうになっても、もう少し見たいと思うだろう」

 

 鬼太郎は僅かに口元を上げた。

 

「思うかもしれませんね」

 

「そこだ」

 

 キーノが言った。

 

「逃げるつもりがあるのは分かった。逃げられるうちに決めろよ」

 

 鬼太郎は彼女を見返し、それから頷いた。

 

「ええ。帰る道まで失うつもりはありません」

 

 キーノはまだ何か言いたそうだったが、そこで一度、息を吐いた。

 

     ◆

 

「本は、持ってきてないんだな」

 

「回収する人へ任せました。あの男が死んだ後、木も、変わっていた部屋も戻り始めています。中にいた悪魔も消えました」

 

「全部、そいつが呼んでいたのか」

 

「支えていたのかもしれません。少なくとも、倒した後で変わり始めたのは見ました」

 

 鬼太郎は、本は残り、外で待っていた者たちが確認して回収したことを伝えた。報酬を受け取ったことと、別の悪魔を従えた売り手への連絡を頼んだことも。

 

 キーノは、鞄へ手を出さなかった。

 

「先生には言うのか」

 

「学校へ行った時に、校長先生へお話しするつもりです」

 

 鬼太郎は答えた。

 

「調べていた本とは別に、悪魔がいた場所から、また本が出てきました。同じものとは限りませんが、あちらの研究にも関わるかもしれません」

 

「書店のことも?」

 

「ええ。何が反応したのか分からないことも、そのままお伝えします」

 

 キーノは少しだけ肩を下げた。

 

「いつだ」

 

「もうすぐ新学期ですから。学校で直接、お話しします。今日は、もう出かけません」

 

「それまでに、話すことを忘れるなよ」

 

「ええ。見たことと、まだ分からないことを、分けておきます」

 

 鬼太郎が答えると、キーノはようやく椅子を引いた。

 

「なら、まず着替えろ。その服のまま休むな」

 

「そうします」

 

 鬼太郎も立とうとして、一度膝へ手を置いた。

 

 キーノはそれを見ていたが、腕を掴んで引き上げようとはしなかった。椅子を脇へ寄せ、歩く場所を空ける。

 

 鬼太郎は鞄を持ち上げかけ、また下ろした。

 

「それは後でいい」

 

「……ええ」

 

 今度は、その言葉に従った。

 

     ◆

 

 着替えて戻ると、キーノはまだ起きていた。

 

 血と煤を落とした分、肌は軽くなった。だが、身体の内側は変わらない。鬼太郎は先ほどの椅子へ、ゆっくり腰を下ろした。

 

「もう寝るか」

 

「その前に、一つ」

 

 キーノの目が、また細くなった。

 

「何だ」

 

「ロンさんのお宅は、どうでした?」

 

 彼女は少し黙った。

 

 鬼太郎は続けた。

 

「帰ったら、お聞きするとお話ししましたから。僕の話ばかりでは、申し訳ありません」

 

「……本当に、聞く気はあったんだな」

 

「ありましたよ。案内も、お願いしたはずです」

 

 キーノは椅子へ座り直した。

 

「階段が、多かった」

 

「ロンさんのお部屋まで?」

 

「ああ。途中で、まだ上かと聞いた。あいつ、当然みたいな顔で頷くんだ」

 

 鬼太郎は、家を上がっていく彼女を思った。

 

「先に着いたら、案内してもらうのでしたね」

 

「してもらった。扉の所で止まったら、後ろからハリーが来て、今度は下からジニーが呼ぶし。どっちへ避ければいいんだと思った」

 

 言いながら、キーノの手が動いた。

 

 狭い階段へ並んだ順番を、卓の上で示している。鬼太郎は、その指先を追った。

 

「それで、どうしたのです?」

 

「ロンを先へ押した。部屋を見せるなら、先に入れって」

 

「困っていましたか」

 

「笑ってたよ。ハリーも」

 

 キーノの口元が、少し緩んだ。

 

「その後、何か飲むかって聞かれた。ロンのお母さんは、座る場所まで決めてくれるんだな。私がどこにいればいいか迷ってるうちに、こっちへおいでって」

 

 鬼太郎は水の器を見た。

 

「居場所が、すぐ出来たのですね」

 

「そうだな」

 

 彼女は少し考えてから、頷いた。

 

「帰る時も、漏れ鍋へ戻るまで見てくれた。お礼を言ったら、また来てねって」

 

「よかったですね」

 

「ああ。帰ってから、誰に先に話そうかと思ってた」

 

 キーノはそこで一度、鬼太郎の肩へ目をやった。今は血の見えない服になっている。それを確かめるようにしてから、話を続けた。

 

「気を遣わなくていいって言われた。でも、それが、どうすればいいのか分からなくて」

 

「初めてですからね」

 

「ロンは、お前も次は来いって言ってたぞ。私が案内するって、勝手に決めてた」

 

「では、今日覚えた所を頼りにさせていただきましょうか」

 

「全部は覚えてない」

 

「それなら、ロンさんにもお願いしましょう」

 

 キーノは鬼太郎を見て、少し笑った。

 

 昼間、暖炉の前でも、そんな話をした。

 

 鬼太郎は椅子の背へ身体を預けた。

 

 キーノはまだ、家で聞いたことを幾つか思い出していた。話が前後すると、自分で順番を直す。鬼太郎が尋ねると、そこで見たものを説明しようとして、また手が動いた。

 

 やがて、その手が止まった。

 

「眠いか」

 

「少し」

 

「なら、続きは明日だ」

 

 鬼太郎は、返そうとした質問を飲み込んだ。

 

 明日でも、聞ける。

 

「おやすみなさい。キーノさん」

 

「ああ。今度こそ、休めよ」

 

 鬼太郎は立ち上がった。

 

 今夜は、次に足を置く場所へ、何が飛んでくるか考えずに歩けた。

 

 廊下の向こうでは、キーノがロンの家で聞いた歌を、小さく間違えながら口ずさんでいる。鬼太郎は足を止めず、その調子が途切れるまで耳を傾けた。自分の知らない今日が、彼女にもあった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。