第205話 二人分の空席
玄関へ荷物を運ぶと、サーシェスはもう起きていた。
暖炉の前から少し退き、二人が入れる場所を空けている。キーノはモカの籠を持ち直し、戸が留まっていることを確かめた。
「先に行け。私が後から持つ」
鬼太郎は荷物を寄せ、粉を摘んだ。
「では、行ってきます」
「ああ。あっちで何かあったら、まとめてからじゃなく、先に知らせろよ」
「そうします」
緑の炎へ足を入れる。
この行き先は誰でも選べるわけではない。木陰の家と漏れ鍋を繋ぐ暖炉を使えるのは、鬼太郎とキーノ、それにサーシェスだけだ。外から連れてくる者の分まで勝手に道が開くものではなかった。
漏れ鍋、と告げる前に、キーノがサーシェスへ何か言った。帰ってくるまでに酒を飲みきるな、という声が、回り始めた景色の向こうへ消えた。
次に足を置いたのは、店の暖炉の前だった。
鬼太郎は横へ退き、荷物を壁際へ寄せた。少ししてキーノが出てくる。籠の中で羽音がし、彼女はまずモカへ顔を近づけた。
「着いたぞ。もう回らない」
鬼太郎は上着の煤を払った。
今朝の肩には、裂け目も乾いた血もない。荷物の留め具を確かめてから、駅へ向かった。
◆
九番線と十番線の間を抜けると、赤い列車が見えた。
蒸気の向こうで、誰かが大きく手を振っている。台車を押す音、呼び合う声、籠の中で羽ばたく音が重なった。
キーノは鬼太郎の隣まで進み、足を止めた。
「去年より、人を見て探せるな」
「知っている方が、増えましたからね」
「あ、二人とも!」
呼んだのは、ハーマイオニーだった。
こちらへ来る前に両親へ振り返り、短く言葉を交わしている。鬼太郎たちも挨拶すると、夫妻は二人へ笑顔を向けた。
「もう来ていたのね。ハリーたちは?」
「まだ会っていません。あなたが、最初ですよ」
「どこかに荷物を置いてるのかもしれないわ。先に、席を見つけましょう」
三人は空いている客室を探した。
荷物を収めると、キーノは籠を安定する場所へ置いた。モカは周りの音へ首を動かしていたが、やがて止まり木へ落ち着く。
ハーマイオニーは席へ座り、キーノを見た。
「あの日、ロンの家には行ったのよね。どうだった?」
「階段が多かった」
すぐに返った言葉に、鬼太郎は窓から顔を戻した。
「部屋まで、何度も曲がるんだ。ロンの後ろで止まったら、ハリーも上がってくるし、下からジニーに呼ばれるし」
「楽しそうね」
「どっちへ避ければいいか、分からなかったぞ」
「それでも、案内はしてもらえたでしょう?」
「ああ。今度はこいつも来いって、ロンが言ってた」
キーノが鬼太郎へ顔を向ける。
ハーマイオニーも、こちらを見た。
「あなたは行かなかったの?」
「別の用事がありましたので。帰ってから、お話を聞きました」
「今度は私も、遊びに行きたいわ」
ハーマイオニーは窓の外へ目をやった。
「ロンは、いつも家の話をするでしょう。お母さんたちには会えたけれど、家の中は見たことがないもの」
「食べるものが、すぐ出てくるぞ」
キーノが言った。
「それに、誰へ返事をするか迷ってると、別の話が始まる」
「あなた、ちゃんと食べられた?」
「食べたよ。お礼も言った」
ハーマイオニーは笑った。
「それなら、今度は一緒に行けるといいわね。二人が来たら、聞いてみましょう」
鬼太郎も頷いた。
窓の向こうを、荷物を抱えた少年が走った。その後ろから父親らしい男が追いかけ、何かを渡している。
まだ、ハリーとロンの姿はなかった。
◆
列車が動き出すと、キーノは窓へ身を寄せた。
ホームの人々が、ゆっくり後ろへ流れていく。ハーマイオニーが両親へ手を振り、見えなくなってから席へ戻った。
「違う車両へ乗ったのかしら」
「僕が、見てきましょうか」
「私も行く。荷物は、見ていてくれる?」
キーノが頷くと、ハーマイオニーは客室の戸を開けた。
通路には、まだ席を探している生徒がいた。鬼太郎は身体を横へ向けてすれ違い、客室の窓から中を確かめた。
ネビルはいた。ハリーとロンは見ていないと答え、二人はその先へ進んだ。
赤い髪を見つけて足を止めると、双子の片方がこちらを向いた。ハーマイオニーが二人のことを尋ねる。
「こっちに来てないの?」
もう片方も顔を出した。
「ロンは、君たちといるんだと思ってた」
「私たちも、まだ会っていないの。駅までは、一緒だった?」
「ああ。母さんたちの後から来るはずだったんだけど」
二人は顔を見合わせた。
鬼太郎は通路の先へ目を向けた。
駅には来ていた。だが、こちら側で見た者がいない。
「ほかにも、確かめてみます」
「僕たちも聞いてみるよ」
その声を背に、鬼太郎たちは先へ進んだ。
幾つかの客室で同じ返事を聞き、戻った時には、キーノが戸の前まで来ていた。
「いなかったのか」
「ええ。駅までは来ていたそうですが」
鬼太郎は席へ戻った。
ハーマイオニーも腰を下ろしたが、本へは手を伸ばさなかった。
「ハリー、学校へ帰らないように言われたって、話していたわよね」
キーノの顔が上がった。
「ドビーか」
「また何かしたのかもしれない。手紙まで隠していたんだもの」
鬼太郎は窓の外を見た。
街の建物が途切れ、線路の脇に草地が増えている。ここから駅へ戻って確かめることは出来ない。
「可能性はありますね。ただ、何があったかは、まだ分かりません」
「ロンも一緒なのが、気になる」
キーノが言った。
「ええ。二人が駅で離れたのかも、聞けていませんから」
ハーマイオニーは戸へ顔を向けた。
「ほかの所で見つかれば、教えてもらえるわ。着いても分からなければ、先生へ話しましょう。ドビーの警告のことも」
「はい。そのつもりです」
鬼太郎は答えた。
この前は、隣の席にいた本人から話を聞けた。今度も、その顔を見て確かめたかった。
◆
それから少しして、ドラコはポッターを探して客室の戸を開けた。
中を見渡し、空いている席へ目を留める。
「ポッターとウィーズリーは?」
答えたのは、鬼太郎だった。
「こちらも、探しているところです。ほかの客室で、ご覧になりましたか」
「見てないね。君たちと一緒にいると思ったんだが」
マルフォイは戸の縁へ手を掛けた。
「二人揃って乗り遅れたのかい。新学期の初めから、目立ちたがるね」
「どうなったのか、まだ分かっていません」
鬼太郎の返事に、マルフォイは一度口を閉じた。
グレンジャーは、空いている席からこちらへ目を戻している。キーノも黙ったまま見ていた。
ドラコは、戸口から退きかけた。
父からは、学校でも墓場と付き合っておくよう言われていた。
書店で、あれほど話を続けた理由は教えられていない。だが、父が人前で認めた相手を、ポッターと同じように扱う気にはなれなかった。
そもそも、同じではない。
夜の決闘で、自分が勝ったと判定したのは墓場だった。ポッターと同じ寮にいるからといって、結果を曲げなかった。
その後に見た上級生との決闘も、覚えている。
ドラコは、鞄の脇から出ている本へ目を落とした。
「父上と、本の話をしていただろう」
「ええ。書店で」
「別の説明を読むとか。あれは、何の呪文のことだったんだい」
墓場は本を押し込まず、少し考えた。
「その時は、まだ一冊に決めていませんでした。使っている術でも、思っているより余計な動きをしていることがありますので」
「使えるなら、別にいいんじゃないのか」
「一度は出来ても、次に同じように出来るとは限りませんよ」
墓場の右手が、膝の上で少し動いた。
「例えば、杖を向け直す時ですね。先端だけ動かすつもりで、肩まで一緒に上げていたりします」
ドラコはその手を見た。
「それで、違う本なら直せる?」
「必ずではありません。ただ、自分では気にしていなかったところを、先に書いているものがあるかもしれませんから」
「父上も、同じ間違いを続けるなとは言うけどね」
言ってから、ドラコはグレンジャーへ目をやった。
彼女は口を挟まなかった。ただ、こちらの話を聞いている。
成績のことまで持ち出すつもりはなかった。
「今年は、闇の魔術に対する防衛術にも、随分本を買わされたじゃないか。そっちを読む時間はあるのかい」
「ええ。授業も楽しみにしています」
「ロックハートのか?」
「危ない相手から離れる方法は、もっと知りたいですから」
ドラコは、森から戻ってきた時のローブを思い出した。
何が出たのか、あの夜、細かく教えられたわけではない。だが、裂けた服のままで立っていた本人が、今は平然と授業の話をしている。
「君でも、逃げる方法を習うのか」
「必要なら、逃げますよ。知らないものへ近づいてから、離れ方が分からないのでは困ります」
「なら、先に近づかなければいいだろう」
「そうして済む時は、そうします」
隣で、キーノが僅かに顔を動かした。
ドラコはそちらを見たが、彼女は何も言わなかった。
「本を読んでいても、まだ聞くことがあるんだね」
「ええ。実際に教えていただけば、また違うことも気になるでしょうから」
ドラコは相手の鞄を見た。書店で父と話していた時も、同じような調子だった。よく見せようとして、その場だけ言ったわけではないらしい。
ドラコは戸から手を離した。
「何かよさそうな本があれば、教えたまえ。父上なら、知っているものもあるかもしれない」
「では、こちらで見つからない時には、伺ってもよろしいですか」
「本の名前くらいならね」
ドラコは通路へ出た。
背後で戸が閉まる前に、墓場の礼を言う声が聞こえた。
◆
戸の向こうの足音が遠ざかってから、キーノが鬼太郎へ顔を向けた。
「今日は、随分話していったな」
「ええ。本がお好きなのでしょうか」
「そういう感じだったか?」
「聞いてくださったのは、本のことでしたよ」
鬼太郎が返すと、ハーマイオニーも戸を見た。
「あなたに聞く時は、ハリーに話す時と違うのね」
「話す相手が違いますからね。こちらも、同じお返事をしているわけではありませんし」
鬼太郎は手元の本を鞄へ収めた。
ルシウスに会った時、息子にも見習ってほしいと言われた。今の質問も、その話を覚えていたからかもしれない。
それ以上は、分からなかった。
ハーマイオニーは自分の鞄から本を出しかけ、手を止めた。
「そういえば、二人は休み中も練習していたの?」
「してたぞ」
キーノが答えた。
「浮遊術で、途中で止めたり、戻したり。最近は、布をこいつへ当ててる」
「鬼太郎へ?」
鬼太郎も頷いた。
「僕は、避けながら次の術を用意する方の練習です」
「それで、当たるの?」
「当たる。作る方へ気を取られると、足も止まるからな」
キーノは自分の膝の上へ指で線を引いた。
「最初は、動いた後へ送っていた。でも、それだと届く頃には、もういない。今は、足を出しそうな方へ先に動かす」
「追いかけるより、避ける場所を狭くするのね」
「ああ。途中で低くすると、上だけ見ていても避けられないぞ」
ハーマイオニーは鬼太郎を見た。
「あなたに、そうやって何度も当てられるなら、随分練習したのね」
「こいつが、同じ方へ退こうとするのもあるけどな」
「そちらも、直しませんとね」
鬼太郎が言うと、キーノは少し笑った。
鞄へ手を伸ばしていたハーマイオニーは、今度は本を取り出さなかった。キーノへ、どの辺りで布を止めるのかと尋ねる。
キーノも杖を抜かず、両手で距離を示した。
「近づけすぎると、曲げた時にはもう通り過ぎてる。だから、ここまで来る前に」
鬼太郎は、その指の間を見ていた。
自分が避けている時には、見えなかった方の話だった。
◆
昼を過ぎても、二人が見つかったという声は来なかった。
菓子を売るワゴンが通ると、鬼太郎たちは飲み物と食べるものを買った。キーノは籠へ顔を向け、モカが落ち着いていることを確かめてから包みを開く。
通路で足音がすると、三人とも時々、戸を見た。
違う生徒が通り過ぎる。
ハーマイオニーは本を開いたが、同じ頁へ指を挟んだまま、窓の外へ顔を向けることがあった。
「駅にいたなら、大人もいたはずだ」
キーノが言った。
「ロンのお母さんも、見送ってくれるんだろう。乗れなかったなら、そっちへ戻ってるかもしれない」
「ええ。何も分からないまま、二人きりでどこかへ行くよりは、そちらの方がよいですね」
鬼太郎が答えると、ハーマイオニーも頷いた。
「先生へ連絡が届いているかもしれないわ。着いたら、確かめましょう」
鬼太郎は空いている席へ目をやった。
ハリーが駅へ姿を見せなかった理由は、誰にも分からない。先回りしているのなら、すぐ城で会えるだろう。けれど、ダーズリー家のことも、夏の警告も、まだ片づいてはいなかった。鬼太郎はその二つを繋げたくなる気持ちを抑えた。確かめられるのは、本人の話を聞いてからだ。
そこでロンへ、家へ招いてくれた礼を言うつもりだった。ハリーには、今度こそ手紙が届くところで続きを聞きたかった。
話すことはあるのに、本人たちがいない。
やがて外が暗くなり、窓へ客室の灯りが映るようになった。
三人は順に着替えを済ませ、鞄を足元へ寄せた。キーノはモカの籠を膝へ置き、持ち手を握り直す。
通路では、荷物を出す音が増えていた。
鬼太郎は窓へ目を凝らした。灯りの向こうの暗がりを見ようとすると、自分の顔も重なって見える。
列車が、少しずつ速さを落とし始めた。
「着くな」
キーノが言った。
鬼太郎は頷き、荷物へ手を掛けた。
二人の席は、空いたままだった。
キーノは空席を見てから、モカの籠に掛けた布を直した。「着いていたら、私から文句を言う」と、小さく呟く。鬼太郎は頷いた。二人が無事なら、聞くべきことはいくらでもある。