神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

207 / 215
戻ってきた声

第206話 戻ってきた声

 

 列車の外は、思っていたより冷えていた。

 

 鬼太郎はホームへ下り、後ろから来るキーノへ場所を空けた。籠を抱えた彼女が足元を確かめる間にも、生徒たちは次々に歩き出していく。

 

 ハグリッドが、頭一つ高い所から新入生を呼んでいた。

 

 小さな影が、その灯りへ集まっていく。ジニーの赤い髪も見えた。キーノが手を上げると、彼女は一度こちらを向き、それから一年生の列についていった。

 

「今年は、あっちじゃないのね」

 

 ハーマイオニーが言った。

 

 上級生たちの進む方には、馬車が並んでいた。

 

 鬼太郎は乗り込む前に、その前方へ目を留めた。黒い生き物が、頭を低くして立っている。骨の形が分かるほど痩せた胴へ、薄い皮膚が張りついていた。

 

 翼がある。

 

 折り畳まれた膜の端が、肩のそばで少し動いた。

 

「鬼太郎、乗れるぞ」

 

 キーノの声に、鬼太郎は足を進めた。

 

 中へ収まると、ハーマイオニーが向かいへ座った。キーノは籠を膝に載せ、揺れないよう片手を添えている。

 

 馬車が動き出した。

 

 鬼太郎は前の方を見た。細い脚が、迷わず道を踏んでいく。背の骨が浮いているのに、車輪を引く歩調は乱れなかった。

 

「不思議な生き物ですね」

 

「何が?」

 

 ハーマイオニーが尋ねた。

 

「これを引いているものです。ずいぶん痩せているのに、よく歩きます。翼も、邪魔にはならないようで」

 

 彼女は鬼太郎と同じ方へ顔を向けた。

 

 しばらく見てから、また戻す。

 

「あなたには、見えるの?」

 

「ええ。黒い身体で、頭は馬とも少し違いますね。骨ばっていて、目は白く見えますが」

 

「それなら、セストラルだと思うわ」

 

 鬼太郎は、彼女へ顔を戻した。

 

「ご存じなのですか」

 

「『ホグワーツの歴史』に載っていたの。学校の馬車を引いているけれど、誰にでも見えるわけではないって」

 

「あなたには、見えませんか」

 

「ええ。私には、何もいないように見えるわ」

 

 ハーマイオニーは、もう一度前を見た。

 

「死を目撃して、その意味を理解した人にだけ見えるそうよ」

 

 鬼太郎は、見世物小屋の床に落ちた血と、その前にも見送った幾つもの死を思い浮かべた。死んだ人間が二度と同じ声で答えないことを、もう知っている。だが、いま馬車を引くものが見える理由を、そのどれか一つへ決めるつもりはなかった。

 

 車輪が石を踏み、座席が少し揺れた。

 

 鬼太郎は膝へ置いた手を動かさず、黒い背へ目を戻した。

 

 こちらに見えているものが、向かいの彼女には見えていない。それでも、何が引いているかを知って、この馬車へ乗っている。

 

「なるほど。それで、先ほどは何を見ているのかと」

 

「見たことがないから、今の説明で分かったの。本に書いてあった姿と、よく似ていたわ」

 

 ハーマイオニーは、誰の死を見たのかとは聞かなかった。

 

 鬼太郎も、自分から話し始めはしない。

 

 キーノの膝で、モカが一度羽を動かした。彼女が籠を押さえ直すと、その向こうの木々が途切れた。

 

 城の窓に、灯りが並んでいた。

 

「見えてきたぞ」

 

 キーノが言った。

 

 鬼太郎は顔を上げた。

 

 前を行くセストラルの翼越しに、見慣れた塔が近づいていた。

 

     ◆

 

 大広間へ入る前に、三人はマクゴナガルを見つけた。

 

 新入生を迎える支度の途中だったらしく、教授は戸のそばで足を止めた。

 

「どうしました」

 

「ポッターさんとウィーズリーさんに、列車で会えませんでした」

 

 鬼太郎が言うと、ハーマイオニーも続けた。

 

「車内を探したんです。お兄さんたちも見ていなくて。でも、駅までは一緒だったそうです」

 

 マクゴナガルの目が、二人の顔を順に見た。

 

「ほかに、何か聞いていますか」

 

「夏に、ハリーが学校へ帰るのを止めようとした屋敷しもべ妖精がいたんです。今度も関係があるかもしれないと思って」

 

「その話は、本人から?」

 

「はい。手紙も隠されていたと聞きました」

 

 教授は一度、大広間の方へ目をやった。

 

「こちらで確認します。三人とも、中へ入りなさい。何か分かっても、自分たちで探しに出たりしないように」

 

 鬼太郎は頷いた。

 

「よろしくお願いします」

 

 教授が離れるのを見てから、三人は卓へ向かった。

 

 灯った蝋燭の下で、知っている顔が幾つもこちらを向く。休み中はどうだった、と声を掛けられ、返事をしながら腰を下ろした。

 

 教員卓には、ロックハートがいた。

 

 書店で見た時とは違う色のローブを着て、近くの教師と話している。こちらの卓へ顔を向けると、何人もの生徒が手を振った。

 

 ハーマイオニーもそちらを見た。

 

 鬼太郎は、授業で聞いてみたいことを思った。危険なものへ気づいた後、どう動くか。先に退く場所を決めていても、それが使えなくなった時にはどうするか。

 

 ただ、今は教師の姿を数える方へ、目が戻った。

 

 スネイプの席は空いていた。

 

 やがて新入生が入ってくると、話し声が小さくなった。

 

 ジニーは列の中にいた。大広間を見回した後、前の子が動くと、自分も少し進む。去年のキーノも、あの辺りに並んでいた。

 

 鬼太郎は隣へ顔を向けた。

 

 キーノは、帽子の置かれた椅子を見ている。

 

 名前が呼ばれるたびに、別の卓から拍手が上がった。

 

 ジニーの番が来た時には、赤い髪の兄たちが揃って前を向いた。帽子が寮の名を告げると、グリフィンドールの卓が一段と騒がしくなる。

 

 キーノが隣の席を空けた。

 

「こっちだ」

 

 近づいてきたジニーが、ほっとしたように笑った。

 

 座る前に、一度卓の先まで目を走らせる。

 

「ロンは?」

 

 キーノの手が止まった。

 

「まだ、会ってない。先生には話した」

 

「ハリーも?」

 

「ああ」

 

 ジニーは椅子へ腰を下ろしたが、すぐには前を向かなかった。

 

 キーノは何もなかったように話を変えず、隣に座ったままでいた。

 

     ◆

 

 食事が始まってからも、戸の開く音がすると顔を上げた。

 

 入ってきた教師が、そのまま教員卓へ向かう。別の戸から誰かが出ていく。皿の上へ料理を取っても、何を話しているのかは聞こえなかった。

 

「車で来た奴がいるんだって」

 

 卓の向こうから、そんな声が来た。

 

 キーノが顔を上げる。

 

「車?」

 

「空を飛んで来たって。外で見たって奴がいたらしいよ」

 

「誰が見たんだ」

 

 聞き返すと、話していた少年は隣を見た。そちらも、その隣から聞いたのだと言う。

 

 別の所では、ポッターとウィーズリーが退学になったらしい、という声まで上がっていた。

 

 ハーマイオニーが眉を寄せた。

 

「本人たちは、まだここへ来ていないのよ」

 

 鬼太郎は教員卓へ目を戻した。

 

 噂が広がるより先に、教師が動いている。自分たちが聞いていないことを、知っている者がいるのだろう。

 

 食事の途中で、マクゴナガルが卓の近くへ来た。

 

 三人が顔を上げると、教授は短く言った。

 

「二人とも、学校へ到着しています。今は事情を聞いているところです」

 

「怪我は?」

 

 ハーマイオニーの問いは、すぐだった。

 

「話の出来る状態です。あなたたちは、食事を続けなさい」

 

「二人ともですか」

 

「ええ、ポッターもウィーズリーも。事情は教師が聞いています」

 

 それ以上は、まだ分からないのだろう。噂の中にあった大怪我や退学の言葉を、鬼太郎は確かな話から外した。

 

 詳しいことは、それ以上話さなかった。

 

 それでも、鬼太郎は戸から目を離せた。

 

 キーノも席へ座り直した。ジニーへ、先生も二人に会っているそうだ、と伝える声が聞こえた。

 

 料理は、まだ温かかった。

 

     ◆

 

 宴が終わると、新入生たちが監督生の周りへ集まり始めた。

 

 鬼太郎はキーノとハーマイオニーへ声を掛け、教員卓の方へ歩いた。

 

 ダンブルドアは立ち上がりかけたところだった。鬼太郎を見ると、一度足を止める。

 

「戻ったようじゃな」

 

「はい。校長先生、お時間のある時に、お話ししたいことがあります」

 

 老人の視線が、鬼太郎の顔へ落ちた。

 

「休みの終わりに、何かあったのかね」

 

「ええ。こちらで調べていたものにも、関わるかもしれません。見たことを、まとめてあります」

 

 ダンブルドアは、すぐには次の問いを足さなかった。

 

 背後を、新入生の列が通っていく。

 

「分かった。明日、こちらから時間を知らせよう。帳面も持っておいで」

 

「確認できたことと、僕の推測は分けてあります」

 

「それは助かる。じゃが、今夜ここで話を聞いてしまえば、君の休む時間を奪ってしまう。詳しい話は、明日にしよう」

 

 鬼太郎は頷いた。校長がまだ何も聞いていないことを、こちらも忘れてはいけない。

 

「ありがとうございます」

 

「今夜は、寮へ戻りなさい。長い旅じゃったろう」

 

 鬼太郎は礼をして、二人の所へ戻った。

 

 キーノは、こちらの顔を見てから歩き始めた。

 

「話せたか」

 

「明日、呼んでいただけることになりました」

 

「なら、帳面を出せるようにしておけよ」

 

「ええ」

 

 ハーマイオニーは先の角へ目をやっていた。

 

「二人は、もう戻っているかしら」

 

 鬼太郎もそちらへ顔を向けた。

 

 階段を上がる間に、後ろの話し声が少しずつ遠くなった。

 

     ◆

 

 太った婦人の肖像画の前に、二人の少年がいた。

 

 鬼太郎たちが角を曲がると、ハリーが顔を上げた。

 

 ロンも隣にいる。

 

「そこにいたのね!」

 

 ハーマイオニーが先へ進んだ。

 

 鬼太郎も歩みを速めた。服が汚れている。ロンの顔には擦った跡があり、ハリーもひどく疲れた顔をしていた。

 

 だが、二人とも、自分の足で立っている。

 

「退学になったとか、車で落ちたとか、変な噂ばかり聞こえてきたのよ。大丈夫なの?」

 

「退学には、なってないよ」

 

 ハリーが答えた。

 

「先生にも会った。二人とも、ここにいていいって」

 

「じゃあ、本当に車で来たの?」

 

 ロンが、少し肩を上げた。

 

「先に、合言葉を教えてくれないか。ここで止まってたんだ」

 

 ハーマイオニーは口を開きかけ、閉じた。

 

 合言葉を告げると、肖像画が動く。

 

 途端に、中から歓声が上がった。

 

 談話室には、まだ大勢が残っていた。双子が前へ来て、ロンの肩を叩く。どこへ落ちた、どれくらい飛んだ、と声が重なり、ハリーも入口から引き入れられた。

 

 鬼太郎は脇へ退き、二人が通れるようにした。

 

 キーノはついていったが、皆と一緒に笑ってはいなかった。

 

 ようやく暖炉から少し離れた所で、ハリーとロンが足を止める。

 

「一日、探したぞ」

 

 キーノが言った。

 

 ロンの笑みが、小さくなった。

 

「……ごめん。乗れなかったんだ。駅の壁が、通れなくなって」

 

「お母さんたちは?」

 

「先に入ったよ。僕たちだけ、向こうに残った」

 

 ハリーが、台車ごとぶつかったことを話した。

 

 列車が出るまで、押しても通れなかったこと。大人たちがこちら側にいて、自分たちにはマグルのお金もほとんどなかったこと。

 

 そこから、車の話になった。

 

「どうして、フクロウで知らせなかったの?」

 

 ハーマイオニーが尋ねた。

 

「それ、先生にも言われたよ」

 

 ロンは目を逸らした。

 

「あの時は、思いつかなかったんだ」

 

「私たちも、別の客室にいるんだと思っていた。でも、どこにもいなかった」

 

 キーノは二人の顔を見ていた。

 

「どこかで無事に待ってるのかも、分からなかったぞ」

 

 ハリーは、今度は彼女へ向き直った。

 

「ごめん。戻ったら会えると思って、そればかり考えてた」

 

 鬼太郎はその声を聞いてから、尋ねた。

 

「壁が通れなかった理由は、分かったのですか」

 

「まだ。どうして急に、あんなことになったのか」

 

 ハーマイオニーが鬼太郎を見た。

 

 ドビーの名は、すぐには口にしなかった。本人が何を知っているかを聞く前に、こちらの考えで話を埋めたくはなかった。

 

「その時のお話も、先生にしておいた方がよさそうですね」

 

「壁のことは、全部話したよ」

 

「ええ。夏の警告の方もです」

 

 ハリーは少し黙り、それから頷いた。

 

 ロンが腰を下ろすと、ローブの裾から細かい屑が落ちた。

 

 手を動かした拍子に、折れかけた杖も見えた。先が、繋がった木の細い部分で傾いている。

 

「ロン、それ……」

 

 ハーマイオニーの声に、ロンは杖を膝へ寄せた。

 

「ぶつかった時に、折れたんだ」

 

「そのまま使う前に、先生へ見せた方がいいわ」

 

「分かってるよ。今日は、もう使わない」

 

 ロンは握り直そうとはせず、そっと収めた。

 

「何に、ぶつかったんだ」

 

 キーノが聞いた。

 

「木だよ。よりによって、暴れ柳に」

 

「柳?」

 

 鬼太郎は、落ちた屑から顔を上げた。

 

「車が落ちたら、枝で殴ってきたんだ。扉も屋根も、へこむくらいに。こっちは出ようとしてるのに、開けた所まで叩かれて」

 

 ロンが話す横で、ハリーも頷いた。

 

「幹に近づいたから、動いたのですか?」

 

「ぶつかったんだよ。どれくらい離れれば止まるかなんて、見てる余裕はなかった」

 

 鬼太郎は、その枝の届く範囲を思い描いた。

 

 木なら、根を置く場所は動かないのだろうか。それとも、こちらが下がれば幹ごと寄るのか。枝が何本も違う方から来るなら、一本を避けた先にも――。

 

 頬へ、指先が触れた。

 

「鍛錬に使うなよ」

 

 鬼太郎は隣を見た。

 

 キーノが、こちらの頬へ指を当てていた。

 

「……まだ、何も言っていませんよ」

 

「顔に出てるんだよ」

 

 指が離れた。

 

 鬼太郎は自分の口元へ触れた。笑っていたらしい。

 

 向かいでロンが、呆れたようにこちらを見ていた。

 

「今、僕たちの話を聞いてたよね?」

 

「ええ。車がへこむほどでしたね」

 

「そこを聞いて、どうして試そうとするんだよ」

 

「見てみたいとは思いましたが」

 

「見るだけなら、枝の届かない所からだ」

 

 キーノは言った。

 

 鬼太郎は少し考え、それから掌を膝へ戻した。

 

「では、まずは、そこからにしておきましょう」

 

「まずは、じゃない」

 

 ハリーが、小さく息を漏らした。

 

 笑ったのだと気づいて、鬼太郎も顔を向ける。

 

「何です?」

 

「いや。二人とも、戻ってきたんだなって」

 

「それは、こちらの台詞ですよ」

 

 鬼太郎が返すと、ロンも背もたれへ身体を預けた。

 

 今度は、その肩から少し力が抜けた。

 

     ◆

 

 話は、いつまでも続けられなかった。

 

 パーシーが近づいてくると、ロンは疲れたと言って立ち上がった。ハリーも一緒に男子の階段へ向かう。

 

 ハーマイオニーは二人の背を見送り、それからキーノへ顔を向けた。

 

「私たちも、行きましょうか」

 

「ああ」

 

 キーノは鬼太郎を見た。

 

「明日、先生に呼ばれるんだろう。寝坊するなよ」

 

「時間は、これから教えていただくのですが」

 

「だからって、昼まで寝るな」

 

「ええ。おやすみなさい」

 

 返事を聞いてから、彼女は女子の階段へ向かった。

 

 鬼太郎も自分の寝室へ上がった。

 

 運ばれていた荷物を開き、帳面を取り出す。書いた頁は、そのまま残っていた。窓の数が変わった部屋も、ヴェインの火も、明日には話せる。

 

 帳面を、しまい直さず手近な所へ置いた。

 

 向こうでは、ロンがまた車のことを尋ねられていた。ハリーも言葉を足し、別の誰かが笑う。

 

 列車では聞けなかった声だった。

 

 廃ビルの中で耳にした声は、意味が通じても、相手がいつ襲ってくるか分からなかった。いま聞こえるのは、明日の授業を嫌がるロンと、それをからかう誰かの声だ。どちらもまだ無事に戻ってきたのだから、今夜はそれでよかった。

 

 しかし、机の上には報告用の帳面が残る。触れてはいけないと指定された本は、取り戻され、どこかへ運ばれた。誰の手にあるかも、何を起こすかも、まだ知らない。

 

 鬼太郎は寝台へ腰を下ろした。今度は、本人たちがどこにいるか、確かめに行く必要はなかった。

 

第13章「横丁の裏側」完

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。