神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

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第十四章
耳当ての向こう


第208話 耳当ての向こう

 

 目を開けると、隣の寝台でロンが鞄を探っていた。

 

 窓から入る光は白く、昨夜閉めた帳面の角を照らしている。鬼太郎は上体を起こし、それを手に取った。挟んでおいた栞が抜けていないことを確かめ、教科書とは別の場所へ収める。

 

「もう宿題の心配?」

 

 ロンが顔を上げた。

 

「先生へお見せするものです。昨日、お話しする時間をお願いしましたので」

 

「初日から?」

 

「休み中のことですから、忘れないうちに」

 

「僕は、しばらく先生に呼ばれたくないな」

 

 そう言ったロンの手元に、折れかけた杖が見えた。傾いた先を押さえ、鞄の中の物へ引っ掛けないよう横に置いている。

 

 ハリーは眼鏡を掛けながら、そちらを見ていた。

 

「朝ご飯、行こう。先生たちが来る前に食べられるかも」

 

「大広間にいらっしゃると思いますが」

 

「……そうだった」

 

 鬼太郎は鞄を持って立ち上がった。

 

 階段を下りると、談話室では新入生が出口を気にしていた。誰かが出ていくたび、同じ授業へ行く者か確かめている。

 

 去年も、自分たちはここから教室を探した。

 

 肖像画の穴を抜けた先で、キーノとハーマイオニーが待っていた。

 

「おはようございます」

 

「起きたな」

 

 キーノが鬼太郎の顔を見た。

 

「昼までは寝ませんでしたよ」

 

「朝飯を逃したくなかっただけかもしれないだろ」

 

「そちらも、大切ですね」

 

 ハーマイオニーは二人のやり取りを聞きながら、本を鞄へ入れた。ハリーとロンにも朝の挨拶をして、皆と歩き出す。

 

 大広間へ近づくにつれ、皿の触れ合う音と話し声が増えた。

 

     ◆

 

 昨日の宴と違い、卓の上には朝食が並んでいた。

 

 鬼太郎はトーストを取り、キーノへ籠を回した。少し先でネビルが手を上げる。郵便で忘れ物が届くはずだと話し、入口の方へ何度か目をやっていた。

 

「時間割は、まだなのね」

 

 ハーマイオニーが教員卓を見た。

 

「最初から迷うのは嫌だぞ」

 

 キーノは飲み物を注ぎながら言った。

 

「去年ほどではないでしょう。知っている教室なら、分かります」

 

「教室が同じならな」

 

 その時、頭上で羽音がした。

 

 開いた窓からフクロウが次々と入り、卓の上へ降りてくる。誰かが杯を引き寄せ、別の生徒が包みを受け取った。鬼太郎も顔を上げたが、自分たちの前を目指してくるのは、見覚えのある灰色のフクロウだった。

 

 ずいぶん低い。

 

 ロンが立ちかけるより早く、羽が卓へぶつかった。ハーマイオニーが慌てて水差しを退け、キーノが倒れそうになった杯を押さえる。

 

「エロール!」

 

 ロンが両手で起こすと、濡れた羽が広がった。

 

「生きてる?」

 

 ハリーが身を寄せる。

 

 フクロウは弱々しく頭を動かした。その嘴に赤い封筒があるのを見て、ロンの顔が変わった。

 

「……母さんだ」

 

 鬼太郎は、差出人を見るより先にそう分かる理由を尋ねかけた。

 

 隣のネビルも、封筒を見つめている。

 

「開けた方がいいよ。放っておくと、もっとひどくなるから」

 

「分かってる」

 

 ロンは答えたが、すぐには手を伸ばさなかった。

 

「普通の手紙では、ないのですか」

 

「吠えメールだよ」

 

 その返事で、ハリーも赤い封筒へ目を戻した。

 

「吠えるって?」

 

「もうすぐ分かる」

 

 ロンはエロールから封筒を受け取った。端から細く煙が上がる。鬼太郎は皿を少し離し、ロンが封を切るのを見た。

 

 次の瞬間、女の声が大広間へ響き渡った。

 

 すぐ隣で怒鳴られたのとも違う。卓の端まで届いた声が、石の壁からも返ってくる。鬼太郎の指のそばで、匙が震えた。

 

 モリーだった。

 

 車を勝手に持ち出したこと。二人が学校へ着いたと知るまで、どれほど心配したか。ダンブルドアから届いた知らせと、職場で事情を聞かれることになったアーサーの話が、続けざまに響いた。

 

 ロンは椅子の中へ沈んでいた。

 

 ハリーも、口へ運びかけた匙を下ろしている。自分の名が出ると、ますます顔を上げなくなった。

 

 鬼太郎は手紙を見ていた。

 

 横丁では、モリーはハリーの煤を払っていた。キーノを家へ迎え、帰ってきた彼女からは、食事を勧められた話も聞いた。その声が、今は二人の死んでいたかもしれない旅を叱っている。

 

 周囲の席から笑う声がしたが、キーノはそちらへ顔を向けただけだった。

 

 最後の言葉が途切れると、封筒は燃え、卓の上に灰を残した。

 

 急に戻った静けさの中で、エロールが羽を動かした。

 

「……これで、全員知ったな」

 

 ロンが言った。

 

 ハーマイオニーは口を開きかけ、彼の前へ水の入った杯を寄せた。

 

「フクロウにも、飲ませてあげた方がいいわ」

 

 ロンは少し顔を上げた。

 

「うん」

 

 濡れた羽を撫で、杯のそばへエロールを寄せる。その横で、ハリーは食べかけの皿を見つめていた。

 

「お父さん、大丈夫かな」

 

「知らない。母さん、ものすごく怒ってた」

 

「僕も、謝る手紙を書くよ」

 

 ロンはすぐには返事をしなかった。エロールが水を飲み始めてから、小さく頷く。

 

 鬼太郎は二人の前へパンの籠を置いた。

 

「まだ、ありますよ」

 

「今は、あまり……」

 

 ハリーは言いかけたが、籠を押し返しはしなかった。

 

 少ししてマクゴナガルが卓の間へ来ると、生徒たちは順に時間割を受け取った。

 

 鬼太郎も自分の分を広げる。

 

 最初は薬草学。二時間続きで、ハッフルパフとの合同だった。午後の防衛術へ目を移したところで、教授が足を止めた。

 

「墓場。校長先生から伝言です。今日の授業が終わった後、校長室へ来るように」

 

「はい。帳面を持って伺います」

 

 入口を通るための合言葉も、小声で伝えられた。

 

 教授が先へ進むと、キーノが時間割から顔を上げた。

 

「放課後か」

 

「ええ。それまで、こちらですね」

 

 鬼太郎は薬草学の欄を指した。

 

 キーノは自分の紙を畳み、残ったトーストを口へ運んだ。

 

     ◆

 

 外へ出ると、朝の空気はまだ冷たかった。

 

 温室へ向かう道では、昨夜の車を見たかと尋ねる声が時々聞こえた。ロンは短く返すか、聞こえないふりをして歩いた。

 

 鬼太郎はその先で、枝に添え物をされた木へ目を留めた。

 

 離れていても、幹は太かった。あの枝が車の屋根をへこませたのだろう。今は動いていないが、折れた箇所を支えているものが幾つも見える。

 

「あれですか」

 

「そう。あれ」

 

 ハリーが答えた。

 

 鬼太郎は道を外れず、歩きながら見た。こちらからでは、枝の先と地面との距離も測れない。

 

「今日は授業だぞ」

 

 キーノが言った。

 

「分かっています。先生もいらっしゃいましたし」

 

 温室の前へ、スプラウトが来るところだった。

 

 教授は生徒たちを集め、第一温室とは別の方へ向かった。鍵を取り出した先の戸には、第三温室の番号がある。

 

 前の方で、小さく歓声が上がった。

 

 戸が開くと、湿った土と肥料の匂いが流れてきた。鬼太郎は鞄を身体へ寄せ、中へ入った。頭上には大きな花が垂れ、隣の鉢では赤黒い蔓が曲がっている。

 

「通路は空けて。鞄は作業の邪魔にならない場所へ置いてくださいね」

 

 スプラウトの声に従い、鬼太郎は壁際へ鞄を置いた。帳面を入れた側を上にし、作業台へ戻る。

 

 台の上には、色の違う耳当てが並んでいた。

 

「今日はマンドレイクの植え替えをします。この植物が、どんな時に使われるか分かる人は?」

 

 ハーマイオニーの手が上がった。

 

 呪いや変身によって変えられた者を、元の状態へ戻す薬に使われる、と彼女は答えた。スプラウトは頷き、グリフィンドールへ点を与える。

 

「では、扱う時に気をつけることは?」

 

 今度も、彼女の手が早かった。

 

「叫び声です。聞いた人を死なせることがあります」

 

 キーノが台の苗へ目を落とした。

 

 紫がかった緑の葉が、土から生えていた。葉だけを見れば、鉢の前で声を抑える必要さえなさそうだった。

 

「成熟した株なら、その通りです。ここにあるのは、まだ幼いものですよ」

 

 スプラウトは苗の列を示した。

 

「それでも、声を聞けば何時間も気を失うことがあります。耳当ては隙間なく着けること。私が合図するまで、途中で外してはいけません」

 

 教授は親指を立て、皆へ見せた。

 

 鬼太郎は耳当てを取り、両耳へ合わせてみた。周囲の音が消える。キーノの口が動いたので顔を向けたが、何を言ったかは聞こえなかった。

 

 彼女は自分の耳当てを持ち上げ、鬼太郎の方を指した。しっかり塞がっているか、確かめているらしい。

 

 鬼太郎が頷くと、キーノも着けた。

 

 スプラウトは全員の顔を見回し、自分も耳を覆った。それから袖を上げ、苗の葉を掴む。

 

 土が持ち上がった。

 

 その下から現れたものを見て、鬼太郎は僅かに目を細めた。

 

 根ではなかった。

 

 泥の付いた小さな手足がある。薄緑の身体を捻り、赤ん坊に似た顔が、大きく口を開けていた。頭の葉は教授の手に握られているのに、下の身体は逃れようと暴れている。

 

 ――僕の知っているものとは、違いますね。

 

 そう思った。

 

 思ってから、鬼太郎は一瞬、苗ではないものを探した。

 

 何と違うのだろう。

 

 比べようとしても、もう一方の姿が浮かばなかった。マンドレイクという名と、違うという感覚だけが残っている。いつ、どこで見たのかさえ分からない。

 

 教授の腕が動き、鬼太郎はそちらへ目を戻した。

 

 新しい鉢へ、小さな身体が収められる。手足が土へ隠れ、口元まで覆われた。最後に葉だけが残ると、スプラウトは手の土を払い、親指を立てた。

 

 鬼太郎も皆に合わせて耳当てを外した。

 

 温室の音が戻ってきた。誰かの息を吐く音に、苗を見た感想が重なる。

 

「あれなら、鉢から出るのは嫌だろうな」

 

 キーノが言った。

 

「土の中に、身体があったんですね」

 

「葉だけじゃ分からなかったぞ」

 

 鬼太郎は苗の列を見た。

 

 隣の株も、その隣も同じような葉を出している。下に隠れた顔を思い浮かべようとすれば、今見たものなら、はっきり浮かんだ。

 

 スプラウトが作業の組を分け始めたので、鬼太郎はその声を聞いた。

 

 引っ掛かったものは、まだ残っていた。けれど、今は手順を聞き逃す方が困る。

 

     ◆

 

 鬼太郎とキーノは、ネビルたちと同じ台になった。

 

 隣ではハリーたちが新しい鉢へ土を入れている。ハッフルパフの生徒も加わり、短く名乗る声が聞こえた。

 

 鬼太郎は手袋を着け、空の鉢を手元へ寄せた。

 

「先に、入れる所を作るんだよ」

 

 ネビルが土の中央を窪ませた。

 

「抜いてからだと、片手でやることになるから」

 

「ええ。ありがとうございます」

 

 鬼太郎も底の土を均し、苗の身体が収まる深さを取った。キーノは自分の鉢と実演に使われた鉢を見比べ、縁の方へ土を寄せている。

 

 用意が出来たところで、教授が耳当てを示した。

 

 皆の動きが変わる。

 

 鬼太郎も耳を覆い、隣のキーノが着け終わったのを見てから、苗へ手を伸ばした。

 

 葉をしっかり握り、引き上げる。

 

 土が崩れ、身体が抜けた途端、足が跳ねた。小さな拳が手袋の手首へ当たる。叫んでいる口は見えるが、声は聞こえなかった。

 

 鬼太郎は空けておいた鉢へ運んだ。

 

 身体が縁に触れると、マンドレイクは両足を広げた。そのまま押せば、足を引っ掛けたままになる。

 

 鬼太郎は鉢の中心へ少し持ち上げ直し、足の向きが変わったところで下ろした。空いた手で脇の土を寄せると、小さな手がそれを掻いた。

 

 腕がまだ、鉢の縁に掛かっている。

 

 教授がしていた動きを思い出し、腕が引っ込んだところで、身体の周りから土を足す。口元が隠れた後も葉は揺れていたが、やがて小さく震えるだけになった。

 

 鬼太郎は握っていた指を緩めた。

 

 抜けてはこない。

 

 鉢の傾きを確かめてから、脇へ移した。

 

 キーノは隣で、苗を新しい鉢へ下ろしていた。途中で動きを止め、窪みの底へ視線をやる。空いた手で土を少し外へ寄せ、もう一度下ろすと、今度は身体が収まった。

 

 鬼太郎が土の袋を近づけると、彼女はそちらから一掴み取り、鉢へ入れた。

 

 返事は聞こえなかったが、土を足す前に一度、こちらへ目が向いた。

 

 台の向こうでは、ネビルが作業を続けている。手を止めて株を見る間はあっても、次に何をするかで迷っている様子はなかった。

 

 鬼太郎は次の鉢を用意した。

 

 耳当ての外で葉が震え、生徒の口が動く。誰かを呼ぶ声が聞こえないので、土を取る時にも、隣の手が出ていないか目で確かめた。

 

 何株かを移した頃には、手袋の中が湿っていた。

 

 最後の鉢を置くと、スプラウトが台へ来た。鬼太郎たちはまだ耳当てを外さず、教授が葉と土の高さを確かめるのを待った。

 

 指が一つの鉢を示す。キーノの植えた株だった。

 

 彼女はその周りへ土を足し、軽く押さえた。教授は頷き、隣の組へ進んだ。

 

 やがて、台の上から抜き出された苗がなくなった。

 

 スプラウトが全体を見渡し、親指を立てる。

 

 耳当てを持ち上げると、誰かの大きな溜息が聞こえた。

 

「……暑い」

 

 キーノも額へ手の甲を当てかけ、泥に気づいて止めた。

 

「先生は、簡単そうに入れていましたね」

 

「足を広げるのは、聞いてなかったぞ」

 

 鬼太郎は自分の鉢を見た。

 

「ええ。でも、手を離す前に収まってよかったです」

 

 ネビルが手袋を外しながら、二人の鉢へ顔を向けた。

 

「ちゃんと入ったね」

 

「先に穴を作っておいて、助かりました」

 

「去年、鉢を替える時にやったから。今日は、根がずいぶん動いたけど」

 

 その言い方に、キーノが笑った。

 

「あれを根って呼ぶのか」

 

「ほかに、何て言えばいいかな」

 

 ネビルも、少し笑った。

 

 片付けに入ると、ハリーが隣から来た。袖に土が付き、髪も朝より乱れている。ロンも疲れた顔だったが、今度は母親の手紙だけが理由ではなさそうだった。

 

「そっちは、終わった?」

 

「ええ。そちらも、随分元気な株だったようですね」

 

「鉢へ戻したいのか、戻りたくないのか、最後まで分からなかったよ」

 

 ロンは手袋を裏返しかけ、落ちた土へ顔をしかめた。

 

 ハーマイオニーは耳当てを元の場所へ戻し、二人へ片付ける場所を示している。鬼太郎も使った道具を運び、台に残った土を集めた。

 

 授業の終わりを告げられた頃には、温室へ入った時より、皆の動きがゆっくりになっていた。

 

     ◆

 

 外の風が、頬へ気持ちよかった。

 

 鬼太郎は袖口に付いた土を払い、鞄を肩へ掛け直した。中の帳面は、出した時のままにしてある。校長へ話すのは、今日の授業が終わってからだった。

 

「次は、変身術よ」

 

 ハーマイオニーが時間割を確かめた。

 

「先に手を洗おう。このままだと、教室まで土を運ぶぞ」

 

 キーノが掌を開いた。

 

 鬼太郎も自分の手を見た。手袋をしていても、外す時に少し付いたらしい。爪の脇に、黒い土が残っていた。

 

「耳当ては、よく出来ていましたね」

 

「急に、どうした」

 

「あれだけ口を開けていても、何も聞こえませんでしたから」

 

「聞こえたら、今頃まだ温室だろ」

 

 キーノは言って、隣を歩くハリーへ顔を向けた。

 

「お前の所のも、ずっと叫んでたのか」

 

「たぶん。耳当てがなかったら、大変だったと思う」

 

 鬼太郎は歩きながら、土から現れた顔を思い返した。

 

 違う、と感じた理由は、まだ分からない。

 

 だが、今朝見たマンドレイクの足が、鉢の縁へどう掛かったかは覚えていた。次に植え替える時には、下ろす向きを少し変えられる。

 

 先で、ロンが水場を指した。

 

 キーノがそちらへ足を向ける。鬼太郎も考えを切り、皆と一緒に手を洗いに向かった。

 

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