第211話 次に見てもらうもの
談話室へ戻ると、キーノは卓へ向かっていた。
鬼太郎が近づくと、紙を押さえていた手を離す。脇には教科書が開かれ、ハーマイオニーがその向こうで何かを書いていた。
「話せたか」
「はい。お待たせしました」
「待ってるだけじゃなかったぞ」
キーノは自分の羊皮紙を示した。
丸の中に穴が二つ描かれ、その片方へ短い線が伸びていた。変身術で作ったボタンの、穴が通らなかったところらしい。
鬼太郎は隣の空いた椅子へ鞄を置いた。
「材料の方も、手配してくださっているそうです」
声を少し落とすと、キーノは顔を寄せた。
「もう届いたのか?」
「まだです。続きは、次の長い休みに」
「なら、しばらくは学校だな」
「ええ。そちらも、やりたいことがありますから」
鬼太郎が教科書を出すと、その間から羊皮紙の端が覗いた。挟んでおいた獅子の絵だった。
キーノが手元を見て、口元を緩める。
「それもか」
「このままでは、尾の方が頭に見えるそうですので」
ハーマイオニーが顔を上げた。
「私、逆に見たのね」
「ええ。こちらが頭のつもりでした」
紙を回して示すと、彼女はその線を目で追った。
「たてがみを描こうとしたの?」
「はい。その下へ脚が来るはずだったのですが」
「その線が、胴にも繋がっているからじゃないかしら」
鬼太郎は胸元の紋章を見た。
獅子の頭の周りへ、細い線が幾つもある。全部を一度に写そうとして、頬とたてがみの境まで繋げてしまっていた。
新しい場所へ、頭だけを大きく描いてみる。
キーノが身を乗り出した。
「まだ、ボタンには付けないのか」
「先生に、先に描いてみるように言われましたからね」
「私も、穴を大きくすればよかったのかな」
彼女は自分の紙を見た。
「二つとも、大きく?」
ハーマイオニーが聞く。
「通らなかった方だけだ」
「それだと、穴の大きさが違ってしまわない?」
キーノはペンを止めた。
紙の丸を見て、窪みのある方へ目を移す。
「……そうか。穴は、二つとも同じにしたいんだった」
線を引き、次に確かめたいことを書き足した。
鬼太郎も獅子の頭へ目を戻した。たてがみを描き込む前なら、頬の線は少し分かりやすい。これを、あの小さな表面へ収めるのは、また別の難しさがあるのだろう。
向かいではロンが、手紙の書き出しで止まっていた。
ハリーが隣で自分の紙を折り、それからロンの方へ目をやる。何か言おうとして、やめた。
ロンはしばらく紙を見つめ、ようやくペンを動かした。
鬼太郎はそちらを覗き込まず、自分の絵へ短い線を足した。
◆
その夜、寝室が静かになってから、鬼太郎は帳面を開き直した。
寝台の帳を引き、杖先の灯りを手元へ寄せる。新しい紙には、聞いた話の出所から書き始めた。
建物の場所と、外で待っていた者の配置。
窓の数が合わなかったところは、図も写した。行きと帰りで道が変わったので、同じ線にはしない。
ヴェインが使った術を書き、ペンを止めた。
校長には、話した。
今まで自分とキーノ、サーシェスの間にあった話が、別の場所へも渡った。その先で何が分かるかは、まだ知らない。
鬼太郎は、見ていない本の中身を書き足さず、頁を進めた。
写しを終えると、研究の頁を混ぜていないか確かめ、紙を揃えて折る。
帳面へ栞を戻し、灯りを消した。
今度は、明日の授業に使う本を、頭の中で数えてから横になった。
◆
翌朝、校長宛の写しを届けた。
授業を受け、昼を挟み、午後の教室を出る頃には、廊下の光が少し傾いていた。
鬼太郎はキーノと、呪文学の教室へ向かった。
今年の指導について、先生へ尋ねたいと話したのは、昼食の時だった。キーノも聞きたいことがあると言い、授業の後に一緒に行くことになった。
戸の前で足を止めると、中から紙を揃える音がした。
鬼太郎が声を掛ける。
「フリットウィック先生、少しお時間をいただけますか」
「どうぞ。戸は開いていますよ」
先生は机の向こうにいた。
二人を見ると、羽根ペンを置いて身体をこちらへ向ける。
「揃って来ましたね。どうしました?」
「今年も、授業のほかに練習を見ていただきたいと思いまして」
鬼太郎が言うと、フリットウィックは隣へも目を向けた。
「キーノも?」
「はい。浮遊術で、聞きたいことがあります」
「それでは、順に伺いましょう。夏の間、何をしていましたか」
鬼太郎は教科書の入った鞄を下ろした。
休みの話を全て、ここでするわけではない。先生に見てほしいのは、自分が杖を扱う時の動きだった。
「避けた後に向け直す時、肩まで大きく動いてしまうので、そちらを。もう一つ、校長先生に教わった盾の呪文を練習しています」
「プロテゴですね。今は、どのくらい出来ますか」
「形は出ます。ただ、維持しようとすると薄くなったり、消えたりします」
フリットウィックは立ち上がり、机の横へ回った。
「ここでは長く保とうとしなくて結構です。まず、一度見せてもらいましょう」
◆
鬼太郎は、何も置かれていない方へ身体を向けた。
キーノが脇へ退き、先生も杖先の正面を空ける。鬼太郎は黒檀を右手へ持ち、構えた。
「プロテゴ」
半透明の円が現れた。
向こうの机が透けて見える。淡く光る縁は、最初の一瞬には揃っていた。
鬼太郎は腕を動かさず、形を保とうとした。
右上が薄れる。
そちらを戻そうとしたところで、今度は下の縁が揺れた。握った指へ力が入り、黒檀の先が僅かに上がる。
「そこまででよいですよ」
鬼太郎は術を解き、杖を下ろした。
「今、薄れたところを追いましたね」
「はい。右上からでした」
「その後、腕と手はどうしましたか」
鬼太郎は自分の右手へ目を落とした。
「握り直しました。先も、少し上がったと思います」
「ええ。形を保つ方と、それを直そうとして加えた動きを、一度分けて見たいですね」
フリットウィックは鬼太郎の立っていた位置と、杖先を順に見た。
「今の一度だけで、全部の原因は決められません。ただ、出すところまでは練習してきたのが分かります。そこから先を調べましょう」
鬼太郎はもう一度黒檀を構えかけた。
「今日は、次の相談も聞かせてください。繰り返す方は、時間を取ってからにしましょう」
先生が言うと、鬼太郎は手を下ろした。
何も飛んでこない教室でさえ、縁は揃い続けなかった。今の形へ石を当てて、どれほど保つか試すのは、まだ先の話だった。
「はい。向け直す動きの方も、こちらで見ていただけますか」
「杖を振ってみてください。呪文は唱えずに、左右の窓の端を順に狙うつもりで」
鬼太郎は窓へ顔を向けた。
片方の縁へ黒檀を合わせ、横へ向け直す。
立ったままなら、肩を大きく上げずに済んだ。
「では、横へ一歩動いてから」
足を出し、上体を返す。
杖の先が、一度下へ沈んだ。狙う場所へ戻す時には、肘も少し上がった。
鬼太郎はそこで止め、先生を見た。
「動いた後は、まだ戻っていますね」
「毎回ではありません。今の一歩では、身体を返す方が先に済んで、杖が後から追い掛けました」
フリットウィックは床を指した。
「足を置いた時、杖先がどこにあるか。次は、その位置も記録してみてください。去年の試合から、避けた後に続けようとする動きはあります。今度は、戻す途中の余分な道を見たいのです」
鬼太郎は足元を見た。
ただ速く向けようとすれば、今より力を入れて振るかもしれなかった。先端が下を通ってから上がるなら、その分も動かしていることになる。
「分かりました。足を置く所と、一緒に見ます」
窓へ向けていた黒檀を下ろし、後ろへ退いた。
◆
キーノは自分の鞄から、折り畳んだ布を出した。
ハンカチだった。両端を中へ折り、指で丸める。
「休み中は、布を丸めて、鬼太郎に当てる練習をしていました」
「相手は、動くのですね」
「はい。進んだ後を追うだけでは間に合わないので、退きそうな所へ先に送ります。でも、途中で別の方へ動かれると、そのまま通り過ぎる時があります」
フリットウィックは、丸まった布を見た。
「どこまで来てから向きを変えていますか」
「近くまで行ってから、です。相手が変わるまで、分からないので」
キーノは自分で言ってから、先生の顔を見た。
「もっと遠くで、変えられる方へ置いておくんですか」
「それも一つです。ですが、実際の動きを見てから、考えましょう」
先生は机から小さな木片を取り、空いた机へ置いた。
「今日は、これへ布を触れさせてみてください。人へ当てるより、位置が分かりやすいでしょう」
キーノは布を机へ置き、松の杖を向けた。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
布が浮く。
机の上まで運ばれ、途中で止まった。先生が木片を少し右へずらすと、キーノは布をそちらへ動かし、軽く触れさせる。
「では、戻して、もう一度」
布が同じ高さを保ったまま戻った。
次は木片が左へ動いた。キーノは途中で進路を変え、また触れさせた。
鬼太郎は横から見ていた。
布が少し沈んだ時も、彼女はすぐに高さを戻している。家で使っていた布と重さが違っても、床へ落とさず扱えていた。
先生は木片を元へ置いた。
「次は、少し手前で止めてみてください」
キーノの布が進んだ。
木片へ近づいたところで、先生の手が反対へ滑る。布はその横を通り、キーノは一度止めてから折り返した。
戻った布が、木片へ触れた。
「こうなります」
キーノが言った。
「人なら、戻っている間に、また動けますね」
「はい。今のは止まっていてもらったから、当たりました」
フリットウィックは、布の通り過ぎた所へ指を置いた。
「止めることも、折り返すことも出来ています。ですから、今日は出来なかったことより、どこで切り替えたかを見ましょう。木片が動いてから、ここまで進んでいましたね」
キーノは布を見た。
「当てる方へ送ったまま、向きを変えようとしていました」
「ええ。進ませる、止める、戻す。それぞれを出来ることと、動く相手を見ながら選ぶことは、少し違います」
先生は木片を、さっきより大きく右へ動かした。
「一度外れた時、必ず同じ相手を追い直さなければいけませんか」
「……こっちへ戻して、また別の方からでもいいです」
キーノは自分の立つ側を指した。
「その方が、どこにあるか見えます。向こうへ行きすぎると、鬼太郎も、布も、見たい場所が離れるので」
「それなら、次はその戻し方も試せますね。速く追うことだけで解決しようとしなくてよいのです」
キーノは布を手元へ呼ぶように寄せ、掌の上で止めた。術を解くと、柔らかく落ちた布を握る。
「試してみたいです」
「では、動く目印の方も用意しましょう。今日は手で動かしましたが、どこを見て切り替えたか、後で確かめられるように」
鬼太郎は、キーノの布を見た。
「では、また困らせていただけそうですね」
「お前が同じ所へ退かなくても、当てたいんだ」
キーノは返し、布を畳み直した。
◆
フリットウィックは机へ戻り、予定の書かれた紙を出した。
「二人とも、今年の時間割は持っていますか」
鬼太郎とキーノは鞄を開いた。
授業のある場所だけでなく、課題を進める時間も見ながら相談する。去年と同じ時刻へ、そのまま入れるわけにはいかなかった。
「セドリックさんたちとの手合わせも、お願い出来ますか」
鬼太郎が尋ねると、先生はペンを止めた。
「もちろん、希望は聞いておきます。ですが、相手の予定も確かめてからです。上の学年になれば、授業も課題も変わりますからね」
「ええ。僕だけ先に決めても、集まっていただけませんね」
「それと、会ったらすぐに一試合、とはしませんよ」
鬼太郎は顔を上げた。
フリットウィックは穏やかに続けた。
「互いに、休みの間に何を練習してきたか。今、どこを見てほしいか。それを確かめてから組みましょう。相手も、去年と同じ動きをするとは限りません」
セドリックの、杖を返す動きが浮かんだ。
最後に勝てたことは覚えている。だが、あのまま何も変えずに待っているとは、鬼太郎も思わなかった。
「それなら、ますます楽しみです」
「ええ。楽しみにしていてください。まず二人は、次の呪文学の授業がある日の放課後で、どうでしょう」
時間割へ目を落とす。
キーノも確かめ、頷いた。
「大丈夫です」
「僕も、お願いします」
フリットウィックは、紙へ二人の名を書いた。
「短い確認から始めます。今日のように、何が起きたかを話せるようにしてきてください。出来た時のことも忘れずに」
鬼太郎は時間割の余白へ、約束を書き留めた。
キーノも、自分の紙へペンを走らせている。
書き終えると、先生は戸の方へ目を向けた。
「それでは、今日はここまで。夕食を逃すほど、廊下で続きを始めないようにね」
「はい。ありがとうございました」
二人で礼をし、鞄を持って教室を出た。
◆
廊下で、キーノが自分の右手を少し動かした。
杖は収めたままだったが、向こうへ送った布を手元へ戻すような動きだった。
「続けるのかと、先生が心配なさっていましたよ」
「頭で考えてるだけだ」
「それなら、僕も少し」
鬼太郎が窓へ目をやると、キーノはこちらを見た。
「歩きながら振るなよ」
「抜きませんよ」
肩と肘を動かさずにいるつもりでも、足を出せば上体は揺れる。止まった姿勢で出来たことが、一歩の後では同じにならない。
どこを通って杖先が戻ったか。
鬼太郎は、次に持っていく紙へ何を描くか考えた。
「お前が避けた時、布を追わせすぎてたのかもしれない」
キーノが言った。
「戻す間に、また動けますからね」
「だから、一度、こっちへ戻す。その間に、お前がどこへ行くかを見る」
「こちらへ来る道を、同じようにはしていただけなさそうですね」
鬼太郎が返すと、彼女は笑った。
「当てる練習だからな」
階段の下から、夕食へ向かう生徒の声が届いた。
鬼太郎は鞄を掛け直した。そこには、まだ獅子に見えない絵と、今書いたばかりの約束が入っている。
キーノも時間割をしまい、歩く調子を上げた。
次に教室へ来る時、何を見せるか。
二人はそれぞれに考えながら、声のする階段を下りていった。