第212話 鍋の外の話
地下牢の教室へ入ると、机の上には材料の瓶が並んでいた。
鬼太郎は鞄を下ろし、キーノの鍋を置く場所も空けた。乳鉢と天秤を出している間に、隣の列へスリザリンの生徒が入ってくる。
ドラコがこちらを見た。
鬼太郎が会釈すると、彼は僅かに顎を引き、クラッブたちと席へ向かった。
「今日は、これか」
キーノが黒板を見上げた。
そこには、ふくれ薬と書かれていた。
乾燥イラクサ、フグの目、コウモリの脾臓。続く手順を読みながら、鬼太郎は器具の位置を変えた。材料を持った手が、熱い鍋の上を横切らずに済むよう、乳鉢を手前へ寄せる。
戸が閉まった。
スネイプは教壇へ進み、机の間へ視線を走らせた。
「夏の間に、量ることと数えることまで忘れた者はいないだろうな」
騒がしかった声が小さくなる。
「本日は、ふくれ薬を調合する。作用は、名から想像がつくはずだ。皮膚へ付着させて確かめようなどとは考えんことだ」
教授は見本の瓶を置いた。
「手順は黒板にある。取り掛かる前に最後まで読め。途中まで作ってから、足りない材料を探し回られては迷惑だ」
鬼太郎は、最後の行まで目を通した。
最初に使うものと、煮込んだ後に加えるものが分かれている。コウモリの脾臓は、乳鉢には入れない。
「私が量る。お前は、こっちを数えてくれ」
キーノが乾燥イラクサの容器を引き寄せた。
鬼太郎はフグの目の瓶を取り、頷いた。
◆
キーノは匙を二度、乳鉢の上へ運んだ。
乾いたイラクサの葉が落ちる。縁に残った細かいものまで指で払おうとせず、匙を軽く振ってから戻した。
鬼太郎はフグの目を三つ加えた。
「次は、一緒に砕くんだな」
「ええ。細かくしすぎず、とあります」
キーノは乳棒を握り、材料を押した。
鬼太郎は鍋を確かめ、次に使う計量具を出した。材料が潰れるにつれ、乳鉢の音が変わる。横で黒板を写していたハリーが、その音へ顔を向けた。
「そっちは、もう砕いてる?」
「はい。三つ入れてからです」
「僕たちも、そこまでは合ってる」
ロンが瓶を閉じながら答えた。
彼の杖は机に出ていなかった。ハリーが鍋の位置を直す間に、ロンが次の材料を量る。呪文を使わない作業は、自分から引き受けているようだった。
キーノが乳棒を止めた。
「これくらいか?」
鬼太郎は乳鉢を見た。
大きな塊は残っていない。だが、粉というには粗いところが、端の方に幾つかあった。
「こちらだけ、もう少しでしょうか」
「全部を続けて砕くんじゃなくて、ここだな」
キーノは端の粗いところを中央へ寄せ、数度押した。それから乳鉢を少し傾け、出来上がりを確かめる。
鬼太郎はそこから二杯分を量った。
鍋へ入れ、道具を置いてから火へ手を伸ばす。
中火で二十秒。
キーノは時計へ目を移していた。鬼太郎が火を合わせると、その位置と針を交互に見た。
「……今」
声に合わせて、鬼太郎は黒板で示された通りに杖を振った。
ここからは煮込む時間だった。
すぐに次の材料を入れず、鬼太郎は黒檀を脇へ置いた。キーノが開始の時刻を書き留める。
「六十分。今の鍋なら、これでいいんだな」
「ええ。次へ進む前に、もう一度見ましょう」
キーノは後半の手順を読み直した。
鍋の縁から、薄く湯気が上がる。すぐに吹き上がるような様子はなかった。
向こうでは、誰かが材料を入れる順を聞き返していた。スネイプの声が、その机の前で止まる。
「鍋を見てから質問したまえ。今、何を入れる段階かね」
鬼太郎は自分の鍋へ顔を戻した。
待つ時間はあっても、放っておいてよいわけではないらしい。
◆
煮込む間、スネイプは黒板の手順を写すだけで済ませなかった。
最初に乳鉢へ入れるもの、後で鍋へ加えるものを分けて答えさせる。匙の二杯と、瓶の中から数える三つを同じ欄へ書いた生徒には、それでは何を量るか分からんと指摘した。
鬼太郎は自分の記録を見た。
乳鉢へ入れた量と、出来た混合物から鍋へ取った量は、別に書いてある。余った分まで、ついでに鍋へ落とすことはなかった。
「……瓶へ戻すな」
近くでスネイプの声がした。
「混ぜた後のものを、元の材料と一緒にするつもりか」
鬼太郎は余りを収める容器へ蓋をした。
キーノもその声を聞き、片付けかけた匙を見直した。使ったものと、まだ使っていないものを分けて置く。
授業が進み、教室に立つ湯気が濃くなった頃、キーノが時計を指した。
「時間だ」
鬼太郎は書き留めた時刻と見比べ、鍋へ目を落とした。
「では、次へ」
コウモリの脾臓を一つ加える。
今度はキーノが攪拌棒を持った。反時計回りに四度。最後の一周を終えてから、棒を引き上げた。
鬼太郎は火を弱め、三十秒を計った。
指定の時間を終え、もう一度杖を振る。
キーノは火と鍋を見ていた。鬼太郎が杖を下ろすと、黒板へ目を移し、終えた手順の脇へ小さく印を付けた。
「終わったな」
「はい。提出する分を取りましょう」
薬液を瓶へ移す時、キーノは先に下へ布を敷き、瓶を支えた。鬼太郎は一気に注がず、縁に付けないよう手を止めながら入れた。
蓋を閉じると、二人の名前を記す。
スネイプが机の前へ来た。
瓶を取り、光へ向ける。傾けた中で、薬液が動いた。
「煮込み始めた時刻は」
キーノが記録を示した。
教授はそれを見てから、鬼太郎へ目を向ける。
「最初に砕いたものは、全て入れたか」
「いいえ。混合物から二杯分を量って入れました。残りは、こちらです」
鬼太郎が蓋をした容器を示すと、スネイプはそちらも確かめた。
「最初の材料を二杯使ったから、出来たものも二杯分しかないと思い込む者がいる。その点は、区別出来たようだな」
瓶が机へ戻された。
「粘りも極端には外れていない。提出し、器具を片付けたまえ」
「はい」
教授が離れると、キーノは鍋の中を見た。
「……出来た、でいいんだよな」
「よろしいのでは。やり直すようには言われませんでしたから」
「もう一時間待てって言われたら、どうしようかと思ったぞ」
「次の授業にも、鍋を持っていくことになりますね」
キーノは笑いかけ、すぐに教授のいる方を見た。
「運ばない。ここで片付ける」
鬼太郎も乳鉢を寄せた。
向こうの席では、スネイプがハリーの瓶を見ていた。何か言われたハリーが顔をしかめ、ロンは自分たちの記録へ目を落としている。
鬼太郎たちは使った器具を順に片付けた。
ふくれ薬を作れたからといって、次も同じように作れるとは限らない。だが、今日は急いで材料を足すことも、時計を見失うこともなく終えられた。
キーノは書き終えた記録を読み返し、提出する瓶を持って立ち上がった。
◆
地下牢を出ると、廊下の空気は幾分軽かった。
鬼太郎は袖へ残った匂いを確かめ、鞄を掛け直した。キーノが隣へ来た時、後ろから名を呼ばれる。
「墓場」
ドラコだった。
クラッブとゴイルは少し先にいる。ドラコは二人へ待つよう顎を動かし、鬼太郎へ目を戻した。
「ロックハートの授業は、受けたんだろう」
「ええ」
「随分、楽しみにしていたじゃないか。どうだった?」
鬼太郎は少し間を置いた。
キーノが、こちらへ顔を向ける。
「危ない時に、どこを通って離れるかという説明は、参考になりました」
「へえ。君にも?」
「机の間が最初は空いていても、相手が本や荷物を動かしてしまいますので。一度確かめた道が、そのままとは限りませんでした」
ドラコは、鬼太郎の顔を見ていた。
「それだけかい」
「使い魔の技も、見せていただきました。先生ご自身との手合わせは、まだです」
「本当に頼んだのか」
「はい。まず皆の動きを見てから、とおっしゃっていました」
キーノが口を挟んだ。
「その前は、好きな色を答える試験だったぞ」
ドラコの目が彼女へ動いた。
「あの紙か」
「そっちも、あったのか」
「当然だろう。同じ先生なんだから」
ドラコは言ってから、鬼太郎へ戻った。
「君は、あれにも期待通りだったと答えるつもりかい?」
「いえ。あれは、あまり」
今度の返事は、すぐに出た。
ドラコの口元が上がる。
「先生の誕生日を知っていれば、危険な相手も帰ってくれるのかもしれないね」
「それなら、先に教えていただきたかったですね」
鬼太郎が答えると、キーノが小さく息を漏らした。
ドラコも、笑みを深めかけた。
だが、廊下の先からハリーたちの声が近づくと、顔をそちらへ向けた。ロンはまだ、授業で言われたことをハリーへこぼしている。
「紙を埋められたかどうかで、先生への感想も変わるんじゃないか」
ドラコが言った。
キーノは答えず、自分の鞄の紐を直した。
鬼太郎もハリーたちを話へ呼び込まず、ドラコへ向き直った。
「僕は、実際の指導も受けたいと思っています。フリットウィック先生へは、今年もお願いしました」
ドラコの視線が戻った。
◆
「去年も、授業の後にやっていたのかい」
「ええ。許可をいただける時に。セドリックさんたちとの手合わせも、先生に見ていただきました」
「上級生とやっていたのは、見たよ」
ドラコは少し顎を上げた。
鬼太郎は頷いた。
見られていたことを、改めて説明する必要はなかった。
「今年も、相手の方と先生の予定が合えば、お願いしたいと思っています」
「授業の呪文で?」
「使ってよいと決めたものだけです。それと、杖を向け直す時に、余計な所を通っていないかも見ていただいています」
ドラコは、列車の中で聞いた話を思い出したらしかった。
「肩まで動くという、あれか」
「はい。立っている時に直っても、足を出した後では、また違いました」
「本を変えて読んでも?」
「読んで分かったつもりでも、自分がその通り動いているかは、見ていただいた方が分かりますので」
ドラコの右手が、ローブの脇で少し動いた。
鬼太郎はその手を見つめず、顔へ目を向けたままでいた。
「父上も、構えは見てくれるけどね」
ドラコは言った。
「家では出来ても、相手が違えば同じとは限りませんね」
「君は、僕の動きを知っているのかい」
「一度、立ち会いましたよ」
ドラコが口を閉じた。
夜の教室で、ハリーが杖を構えた時のことを、鬼太郎も覚えていた。勝ったのはドラコだった。だが、あれから一年近く、授業も、それぞれの経験も積み重なっている。
「今も同じだとは、思っていません」
鬼太郎が続けると、ドラコは視線を逸らさずに答えた。
「当然だろう」
少し先で、ゴイルが壁へ背を預けた。
ドラコはそちらを見て、また口を開いた。
「先生は、そういう練習も受け付けるのかい」
「ご相談には乗ってくださいます。ただ、僕が勝手にお約束することは出来ません」
「頼んでくれとは言っていない」
「はい」
鬼太郎はそれ以上、誘わなかった。
ドラコは鞄を掛け直した。
「本でよさそうなものを見つけたら、名前くらいは聞くよ。父上に尋ねることも出来ると言っただろう」
「覚えています。こちらで見つからない時には、お願いします」
ドラコは短く頷き、二人の待つ方へ戻った。
すぐにこちらを振り返ることはなかった。
◆
「聞きに行くのかな」
キーノが言った。
「先生の所へ、ですか」
「ああ」
「どうでしょう。気になってはいらっしゃるようでしたが」
鬼太郎は角の向こうへ消えた三人から、目を戻した。
ハーマイオニーが少し離れた所で待っていた。こちらが歩き出すと、彼女も足を進める。
「何の話だったの?」
「ロックハート先生と、杖の練習です」
「あの試験のことも言ってたぞ」
キーノが付け足すと、ハーマイオニーは眉を寄せた。
「読んだことを覚えているか、確かめたかったのよ」
「危ない相手の話も、聞かれたかったですが」
鬼太郎が言うと、彼女は少し考えた。
「次の授業では、そういう質問もあるかもしれないわ」
「ええ。そちらも、聞いてみます」
廊下が分かれる所で、キーノが足を止めた。
「私は、ハーマイオニーと図書館へ行く。昨日のところ、もう少し見たいんだ」
「変身術ですか」
「ああ。穴が開いてれば、それで全部同じってわけじゃないだろう」
鬼太郎は彼女の鞄へ目をやった。前の夜に描いていた、二つの穴のあるボタンを思い出す。
「では、後でお話を聞かせてください。僕も、先生へ見せる図を直しておきます」
「食事の時には戻るぞ」
キーノは言い、ハーマイオニーと階段へ向かった。
鬼太郎も、別の廊下へ足を進めた。
◆
談話室では、ハリーが机の前にいた。
鬼太郎は窓に近い席へ座り、羊皮紙を広げた。足の置き場所を二つ描き、その上へ、杖先の通った線を加える。
動かずに向け直した時は、短かった。
一歩出た後では、下へ沈んでから戻っていた。
同じ矢印へ書き込むと重なるので、別の図へ分ける。先に身体が返った時、肘はどこにあったか。その位置を思い出そうとして、鬼太郎は自分の腕へ目を落とした。
「練習の続き?」
ハリーが声を掛けた。
「はい。杖は抜かずに済む方です」
「それなら、ここでも出来るね」
彼は自分の紙を寄せ、鬼太郎の線へ目を向けた。
「週末も、先生と?」
「今のところ、そちらは決まっていません。最初の練習日だけです」
「じゃあ、時間があったら、ハグリッドの所へ行かない?」
鬼太郎はペンを置いた。
「皆さんで?」
「ロンとハーマイオニーには、話してる。キーノにも聞こうと思ってたんだ」
「それなら、戻った時に伺ってみましょう」
ハリーは頷いた。
「今年は、まだゆっくり話してないから」
「ええ。昨日までは、こちらも先生方へ伺うことが多かったので」
鬼太郎は机の紙を見た。
次の練習までに、直しておきたいところはある。それでも、週末を全部埋めるほどの約束をしたわけではなかった。
「お茶へ入れても大丈夫なお菓子があると、よいですね」
鬼太郎が言うと、ハリーが笑った。
「持っていく方も、考えようか」
「はい。前にいただいたものは、なかなか手強かったですから」
鬼太郎は紙を少し横へ寄せた。
ハリーは椅子を近づけ、ロンを待つ間に何を持っていくか話し始めた。鬼太郎も鞄から小さな紙を出し、杖の動きとは別に、友人たちとの予定を書き留めた。