第226話 継承者の噂
翌朝、グリフィンドールの談話室には、妙な静けさがあった。
誰も話していないわけではない。暖炉の前では三年生たちが宿題を広げ、窓際ではクィディッチの予定について言い合っている。けれど、鬼太郎が通りかかると、二つ向こうの椅子で交わされていた声が途切れた。
また、秘密の部屋の話だろう。
昨日の魔法史で聞いた伝説を書き留めた帳面は鞄に入れてある。読み返したところで新しい情報が増えるわけではないので、今朝はいつもどおり授業の支度を済ませた。
「お前、朝から本を何冊持っていくつもりだ」
キーノが鞄を覗き込んできた。
「魔法史の分もです。昨日、途中になったところを確認しておきたいので」
「秘密の部屋の方か?」
「いいえ。授業の方ですよ。あれだけ脱線したのに、宿題の範囲は減らないでしょうから」
「そりゃそうだ」
キーノは笑い、それから声を落とした。
「昨日の話、もう一年生まで知ってるぞ。食堂へ行く途中、誰かが継承者を見たって言ってた」
「見たんですか?」
「誰を見たか聞いたら、知らないってさ」
「それでは、見たとは言えませんね」
「私もそう思う」
二人は階段へ向かった。
途中でハリーたちに追いついた。ロンが大股で歩き、ハーマイオニーが隣で何かを説明している。ハリーは聞いているようで、ときどき背後を振り返った。
「おはようございます」
「おはよう、鬼太郎」
ハリーはそう答えたが、すぐに足を止めた。
小柄な一年生が、階段を二段飛ばしで駆け上がってきたからだ。
「ハリー! よかった、見つけた!」
コリン・クリービーだった。首から下げたカメラが胸の前で跳ねている。
「どうしたの、コリン」
「昨日ね、僕の寮の子が、ハリーが継承者なんじゃないかって言っててさ。僕、違うって言ったんだけど、聞いてくれなくて」
ハリーの顔から、わずかに血の気が引いた。
「……僕が?」
「うん。でも僕はそんなこと信じてないよ! だってハリーは――」
「コリン」
ハーマイオニーが優しく遮った。
「教えてくれてありがとう。ただ、廊下でその話を大きな声ですると、聞いている子が増えるでしょう?」
コリンは口元を押さえた。
「あ、ごめん」
「気にしないで。君が言い出したわけじゃないんだろ」
ハリーが笑おうとすると、コリンは大きく頷いた。
「もちろん! じゃ、僕、授業に行くね!」
カメラを押さえながら走り去る背中を見送り、ロンが鼻を鳴らした。
「見てもいないのに犯人を決めるなんて、ばかげてる」
「誰かが言ったことが、次の人には見たことになるんでしょうね」
鬼太郎は言った。
ロンが頷きかけ、顔をしかめた。
「それにしたって、ハリーに向けるのはひどいよ」
「うん」
ハリーは短く答えた。
それ以上話す前に、廊下の先から次の授業を知らせる鐘が鳴った。
◆
昼食後、鬼太郎とキーノは呪文学の教室を出たところで、聞き覚えのある笑い声を聞いた。
「だからよ、あの時はお前が先に右を見たんだろうが!」
「先輩がわざと大声を出すからでしょ。分かってたら、あんな方へ動かないわよ」
窓際にレゼとグレアムがいた。
グレアムは片手で空中に杖の動きを描き、レゼはそれを途中で遮って、別の角度へ指を差し向ける。二人とも制服のままだが、話しているのは先日の合同練習のことらしい。
「こんにちは、レゼさん、グレアムさん」
「おう、鬼太郎!」
グレアムがすぐに振り向いた。
「ちょうどいい! この間、お前が盾を解いてから踏み込んだだろ。あれ、次はどうするつもりだ?」
「できれば、踏み込む前に相手の射線を変えたいですね」
「ははっ! そうだろうな。あそこで止まってりゃ、また俺が狙ったぜ!」
「その話、今しなくてもいいでしょう」
レゼが腕を組んだ。
「鬼太郎、何か用があったんじゃないの?」
「はい。少し伺いたいことがあります」
鬼太郎は廊下を見た。生徒は行き交っているが、少し脇へ寄れば通行の邪魔にはならない。
「秘密の部屋について、スリザリン寮で伝わっている話はありますか?」
レゼの眉が上がった。
「秘密の部屋?」
「昨日の魔法史で、スリザリンが城に造ったという伝説を聞きました。教科書や図書館で分かることとは別に、寮の中だけで聞く話があるかと思いまして」
「へえ。俺たちに聞きに来たのか」
グレアムは楽しそうに笑ったが、すぐ答えはしなかった。
「五年もいたって、そんな部屋を見つけた奴の話は聞いたことねえな。俺が知らねえだけかもしれんが」
「私も、場所なんて知らないわ」
レゼは窓枠に寄り掛かった。
「寮で伝説の話をする子はいるけど、最近になって急に増えたのよ。あの壁の文字が出てからね」
「前から聞いていた話と、事件のあとで増えた話は違いますか?」
「違うと思う。今は、誰かの親戚が入り口を見たとか、廊下の石が夜中に動くとか、そんな話ばっかり。誰に聞いても、最初に言った人の名前が出てこないもの」
キーノが肩をすくめた。
「こっちの寮と同じだな」
「さっきなんか、継承者は五年生らしいって話まで聞いたわ」
「五年?」
グレアムが自分を指した。
「じゃあ俺も候補かよ。だったら怪物の一匹くらい、見せてほしいもんだぜ!」
「笑い事じゃないでしょ」
レゼがすぐに言った。
「猫が石になってるのよ。今度は人かもしれないんだから」
「ああ、分かってるさ」
グレアムは笑みを残したまま頷いた。
「本当に危ねえ奴がいるなら、先生方が先に動くだろ。俺が勝手に見つけて、年下を巻き込むつもりはねえよ」
「それを聞いて安心したわ」
「ただ、腕に覚えのある奴だったら、どんな動きするのかは見たいけどな!」
「……やっぱり、そういうところよ」
レゼは呆れた顔をした。
鬼太郎は二人の話を書き留めるため、小さな帳面を取り出した。
「昔からの話として、怪物の種類や封印の方法を聞いたことは?」
「ないわね。そもそも本当にあるか分からないでしょ」
レゼが答える。
「『継承者だけが開ける』ってところまでは、みんな似たようなことを言うけど」
「そこはビンズ先生の伝説と同じですね」
「ビンズ先生にまで聞いたの?」
「グレンジャーさんが質問したんです」
「へえ。あの先生が、よく話してくれたわね」
レゼは軽く笑った。
グレアムが鬼太郎の帳面を覗き込む。
「お前、そんなものまで記録するのか?」
「後で誰から聞いた話か分かるようにしています。グレアムさんが聞いたことと、レゼさんが聞いたことも分けておきたいので」
「面白えな! 俺だったら覚えときゃ十分だと思うが」
「先輩、さっきだって私が言った手順を取り違えてたでしょう」
「ありゃ試しに変えただけだ!」
「そういうことにしとくわ」
レゼは鬼太郎へ目を戻した。
「もし古い話を知ってる人がいたら、聞いておく。でも、期待しないでね」
「ありがとうございます。無理に探していただく必要はありません」
「それより、次の練習よ。あの時の踏み込み、私も試したいんだから」
「ええ。ぜひ」
グレアムが声を上げた。
「おいおい、お前らだけで決めるなよ! 俺も混ぜろ!」
去り際まで、二人の話題は結局決闘へ戻った。
角を曲がってから、キーノが鬼太郎の帳面を覗く。
「少なくとも、事件のあとに増えた噂が多いんだな」
「ええ。レゼさんが昔から聞いていた話とは、分けておきましょう」
「先輩たちなら、もっと知ってるかと思ったんだけどな」
「聞けただけでもよかったですよ。ほかの寮だから特別な秘密を知っている、というわけではないようですから」
「じゃ、残るはマルフォイか」
キーノはそう言って、次の階段へ足を向けた。
◆
ドラコに会ったのは、その翌日の午後だった。
変身術の授業が終わり、鬼太郎がキーノと階段を下りていると、下の踊り場に三人のスリザリン生がいた。
先頭のドラコ・マルフォイは、教科書を片腕に抱えている。その後ろではクラッブとゴイルが何かを食べながら歩いていた。
「マルフォイさん。少しお時間をいただけますか」
鬼太郎が呼び掛けると、ドラコは振り向いた。
「……墓場か。何の用だい?」
その目がキーノへも移る。
「決闘の話なら、僕は忙しいんだけど」
「今日は違います。秘密の部屋について、少し聞きたくて」
ドラコは本を持ち直した。
「秘密の部屋?」
「ビンズ先生から伝説を伺いました。マルフォイ家のような古い魔法使いの家に、何か言い伝えが残っていないかと思いまして」
後ろでゴイルが口を動かすのを止めた。
ドラコは鬼太郎をじっと見た。
「どうして僕に聞く? 僕が継承者だとでも思ってるのかい」
「いいえ。そういう話ではありません」
「じゃあ、何で?」
「ご家族から聞いた昔話なら、学校の本とは違うものがあるかもしれませんから。マルフォイさんが知らなければ、それで構いません」
ドラコはしばらく黙った。
廊下の向こうで誰かが笑い、階段を駆け下りていく。その声が遠ざかってから、ドラコは小さく鼻を鳴らした。
「古い家だからって、城の秘密を全部知ってるわけじゃない。君は、純血の家を何だと思ってるんだ?」
「昔の記録が残っていることもある家、でしょうか」
「……まあ、そういうものはあるさ」
ドラコは否定しなかった。
「だけど、何でも他人に話すとは限らない。まして、こんな騒ぎの最中にね」
「分かりました。では、秘密の部屋の場所をご存じというわけではないんですね」
「そんなもの、知るわけないだろ」
答えは早かった。
キーノが一歩だけ前へ出る。
「じゃあ、伝説が本当かどうかは?」
「僕に分かるわけないだろう。君たちこそ、校長先生に聞けばいいじゃないか」
「先生にも調べていただいています」
鬼太郎は答えた。
「でも、歴代の校長が見つけられなかったという話ですから、別のところからも聞いてみたかったんです」
「だったら図書館にでも行くんだね」
「はい。グレンジャーさんが調べています」
ドラコの口元が、わずかに引きつった。
「ああ、彼女なら何冊でも読むだろうさ」
それきり、彼は返事をしなかった。
鬼太郎は引き止めるのをやめた。
「お時間を取らせました。ありがとうございます」
「礼を言われるようなことはしてないよ」
ドラコは踵を返しかけ、それから振り向いた。
「一つだけ言っておくけど、僕が何か知っていたとしても、ポッターたちに話すと思わないことだね」
「無理に聞き出すつもりはありません。お答えいただけないなら、それで結構です」
鬼太郎が答えると、ドラコは少しだけ眉を寄せた。
「……そうかい。じゃあ、もういいだろ」
「はい。失礼しました」
ドラコはクラッブとゴイルを連れ、階段の下へ消えた。
キーノは、二人の姿が見えなくなってから息を吐いた。
「お前、あそこで引くんだな」
「嫌がっている相手を追っても、話は聞けませんから」
「まあ、あいつならなおさらだな」
ドラコが何かを隠しているかどうかは分からない。少なくとも、聞かれていないことまで話す相手ではなかった。
「でも、マルフォイさんが『場所は知らない』と答えたことは確かです」
「本当かどうかは別だけどな」
「ええ」
キーノは階段の向こうを一度見た。
「あいつ、壁の文字の前であんなこと言ってたくせに、自分が疑われるのは嫌なんだな」
「自分への疑いは、誰でも嫌でしょう」
「それもそうか」
鬼太郎は帳面に短い一行を加えた。
――マルフォイ家についての詳しい伝承は未確認。本人は部屋の場所を知らないと答えた。
◆
その日の夕方、鬼太郎たちは図書館の奥で合流した。
ハーマイオニーは新しく借りた本を三冊積み、ハリーは何度も同じページを開いていた。ロンは窓の外を眺めている。
「どうだった?」
ハリーに聞かれ、鬼太郎は椅子へ座った。
「レゼさんとグレアムさんは、部屋を見つけた人の話を聞いたことがないそうです。寮の中でも事件のあとに噂が増えていて、誰が最初に言ったのかは分からないそうです」
「マルフォイは?」
ロンがすぐ尋ねた。
「本人は、部屋の場所を知らないと答えました。ご家族に伝わる話があるかどうかは、教えていただけませんでした」
「どうせ、何か知ってても話さないさ」
「その可能性はあります」
鬼太郎は帳面を開いた。
「ただ、話してくれなかったというだけでは、知っている証拠にもなりませんから」
ハーマイオニーが頷く。
「そうね。私は古い学校案内の写しを見つけたけど、秘密の部屋については何も書かれていなかったわ。寮の紋章や創設者の由来なら載っているのに」
「本当にないのかもしれないね」
ハリーが言った。
「でも、壁にはあんなことが書かれていた」
キーノは机に肘をついた。
「誰かが伝説を信じて、ああ書いた可能性もある。でも、猫が石になったのは別に起きてるんだよな」
「だから怖いんだよ」
ロンは窓から顔を戻した。
「もし怪物がいるなら、今度は誰が襲われるか分からない」
ハリーが本を閉じた。
「僕が聞いた声も、その怪物と関係があるのかな」
鬼太郎は顔を上げた。
「関係はあるかもしれません。あの夜、声のする方へ向かった先でミセス・ノリスを見つけましたから」
「でも、声は僕にしか聞こえなかった」
「ええ。それに、話している相手も姿も見ていません」
「人じゃないものが喋ってるってこと?」
ロンが眉をひそめた。
「人以外でも声を出すものはいます。でも、何だったかは分かりません」
鬼太郎は帳面に書いた道順を見せた。
「声を聞いた場所と、猫を見つけた場所はここです。どこを通ったかは覚えていますが、声が壁の向こうを動いていたのか、廊下を進んでいたのかまでは判断できません」
ハーマイオニーは羊皮紙を引き寄せた。
「先生たちに話したことも、この図と同じ?」
「はい。分からないところには印をつけて、校長先生にもお伝えしました」
「じゃあ、私たちだけでそこを勝手に決めない方がいいわね」
「うん」
ハリーは少しだけ表情を緩めた。
しばらく、紙をめくる音だけが続いた。
やがてロンが言った。
「でも、変じゃないか? スリザリンがマグル生まれを追い出すために怪物を置いたっていうなら、最初にやられたのは猫だろ」
「そこも気になっています」
鬼太郎は答えた。
「猫が標的だったのか、そこに居合わせただけなのか。それさえ、まだ聞けていません」
「ミセス・ノリスは喋れないものね」
ハーマイオニーはため息をついた。
「マンドレイクが育つまで待つしかないのかしら」
キーノが口を開いた。
「じゃあさ、猫を見つけた場所をもう一度見たらどうだ? 先生たちが調べたあとでも、窓とか、通り道なら見られるだろ」
「調査の邪魔にならない範囲なら」
ハーマイオニーが慎重に言った。
「事件現場に近づきすぎて、またフィルチさんを怒らせたくないわ」
「帰り道に、様子を見るくらいなら大丈夫でしょう」
鬼太郎は帳面を閉じた。
「ただし、何か見つけても触らないで、先生に伝えることにしましょう」
ロンが立ち上がり、鞄を肩に掛けた。
「そうしよう。僕はもう、あの廊下で犯人扱いされるのは御免だよ」
◆
夕食前の廊下は、思ったより静かだった。
石壁の赤黒い文字は、まだ消えていない。
ミセス・ノリスが吊るされていた金具は空で、その下には、フィルチが使っていた椅子が一脚置かれていた。濡れた布と瓶は片づけられている。
鬼太郎は椅子の手前で立ち止まった。
「ここから先へは行かない方がいいですね」
ハリーたちも足を止めた。
「猫がいたのは、あの辺りだよね」
ハリーが金具を指す。
「うん。僕らが来たのは、あっちの階段からだった」
ロンが背後へ目を向けた。
鬼太郎は壁と床を見比べた。事件の夜には、水が広がっていた。今は床の石目が乾いている。洗った跡は残っていたが、どこから水が来たのかまでは分からなかった。
「焼けたような跡があるね」
ハリーが足元を指した。
石の継ぎ目近くに、黒ずんだ部分が二つあった。
鬼太郎は少し屈んだが、触れなかった。
「もともとあったものかもしれません。僕らが来た夜、ここまでは見ていませんでしたから」
「先生には言っておこう」
「ええ」
ハーマイオニーは窓の方へ近づきかけ、途中で止まった。
「……ねえ、あれを見て」
窓の上の方だ。
細い糸が、陽の光を受けて銀色に光っている。
その先には、小さな黒いものが幾つも重なっていた。
「蜘蛛?」
キーノが首を伸ばした。
確かに蜘蛛だった。二十匹近くいるだろうか。互いの脚に触れそうなほど密集し、窓枠と石壁の間の細い隙間へ次々と潜り込もうとしている。
そのうちの一匹が糸を伝って登り、後ろの蜘蛛を押しのけるように窓枠の隙間へ消えた。
「何してるんだ、あいつら」
ハリーが呟く。
「外へ出ようとしてるみたい」
ハーマイオニーが言った。
ロンは一歩下がった。
「……あんまり近づかないでくれよ」
「どうしたの?」
キーノが振り返る。
「蜘蛛が苦手なんだ」
「こんな小さいのも?」
「大きさじゃないよ。あの脚の動きが嫌なんだって」
ロンは蜘蛛から目を逸らし、壁の文字へ視線を移した。こちらの方が見ていて落ち着くとも思えなかったが、蜘蛛の方を見るよりはましらしい。
「ここから離れた方がいいんじゃない?」
ハリーが言うと、ロンは即座に頷いた。
鬼太郎は窓の隙間をもう一度見た。
蜘蛛が何匹も同じ場所にいるだけなら、珍しいことではない。だが、あれだけの数が一つの狭い隙間へ向かい、互いを押しのけているのは気に掛かった。
森で生き物を見ていれば、動きが変わる理由は幾つも考えられる。湿気、寒さ、餌、別の生き物の気配。
この窓だけを見て、どれかに決めることはできない。
「グレンジャーさん。ここに蜘蛛が集まっていたことも、先生に伝えましょう」
「そうね。ほかの窓にもいるかどうか、気になるわ」
「今は探し回らなくていいですよ」
鬼太郎は答えた。
「道順だけ覚えておいて、先生に話せば十分です」
ハーマイオニーは頷いた。
「うん。そうしましょう」
五人が離れかけたところで、キーノが窓を指した。
「ほら、また一匹」
細い糸が揺れ、最後尾の蜘蛛が小さな隙間へ潜った。
廊下に残ったのは、石壁の文字と、空になった窓枠だけだった。
大広間へ向かう途中、五人はマクゴナガルに会い、見たことを伝えた。石の黒ずみが二つあったこと。蜘蛛が窓の隙間へ次々に入っていったこと。そして、どちらにも手を触れていないこと。
「そのままにしておいて正解です。あとは先生方に任せなさい」
教授は場所を確かめると、それ以上の探索はしないよう念を押した。何の跡なのか、なぜ蜘蛛が集まっていたのかは、その場では分からなかった。
◆
夕食後、鬼太郎は談話室で帳面を開いた。
レゼとグレアムから聞いた話。
マルフォイの答え。
ビンズ先生が確かな歴史と区別した伝説。
そして、廊下の窓枠の隙間へ次々に入っていった蜘蛛。
鬼太郎はレゼの話とグレアムの話を別の欄に記し、マルフォイについては「知らないと答えた」とだけ書いた。
向かいではキーノが教科書を閉じ、伸びをしている。
「今日は随分歩いたな」
「授業のある階だけでも、結構な距離ですからね」
「でも、何も分からなかったわけじゃないだろ」
「ええ」
鬼太郎は帳面の端を押さえた。
「少なくとも、誰が何を知らないかは少し分かりました」
キーノは笑った。
「ずいぶん控えめな成果だな」
「調べものは、こんな日もありますよ」
「じゃあ、明日は?」
「授業ですね。そのあと、フリットウィック先生に教わったことを試してみたいです」
「お前、やっぱりそっちの話になるんだな」
「キーノさんも、次はエレノアさんの動きに合わせる方法を考えていたでしょう?」
「……そうだけど」
二人は顔を見合わせて笑った。
鬼太郎は帳面を閉じかけ、最後に一行だけ付け足した。
――なぜ、あの窓枠に集まっていたのか。
翌日の教科書を鞄へ戻す。暖炉の火が小さく弾け、廊下の向こうでは誰かが笑った。
ハリーが聞いた声は、鬼太郎には今も聞こえない。窓枠から蜘蛛は消えた。それでも石壁には、あの文字が残っている。
鬼太郎は帳面を閉じた。聞こえなかった声も、消えた蜘蛛も、まだ分からないままだった。
第15章『廊下に残る声』完