第22話 鍵のいらない盗人
一週間後、両替所の扉を開けた男は、鬼太郎を見るなり右手を止めた。
外套へ入れかけていた手を下ろし、奥へ道を空ける。
鬼太郎は挨拶をして中へ入った。
頬の傷は細い線になり、左手首の火傷にも新しい皮膚が張っていた。肩と脇腹はまだ押すと痛んだが、銃を構える動きを妨げるほどではない。
休んでいる間に手入れを済ませ、両替所と工場で使った五発も補ってある。
「ちょうど一週間か」
仲介人が帳面を開いた。
「ルークは生きていたぞ」
「そのようにお伝えしましたね」
「呪いを杖もなしに外されたと言っている」
鬼太郎は机の前で足を止めた。
「そうですか」
「お前は、何を使った?」
「箱を運ぶ方法を聞きに来たのでしたら、お答えできますよ」
男はしばらく鬼太郎を見ていたが、やがて帳面へ目を戻した。
「盾を銃で抜き、工場を焼いたという話もある」
「ずいぶんと、立派な仕事になりましたね」
「違うのか」
「箱は、開けずに持ち帰りました。それで足りているはずです」
仲介人は鼻を鳴らし、一枚の紙を出した。
「なら、これはどうだ」
薬品商の地下倉庫から、三晩続けて品物が消えた。
扉には二つの錠と魔法の防護があり、開けられれば店主に分かる。二晩目から見張りを置き、三晩目には二人へ増やした。それでも朝にはまた品が減っていたという。
「窓は?」
「ない。姿くらましも中ではできん。先に調べた魔法使い二人は、扉の防護に破られた跡はないと言った」
「倉庫へ入れる方は、何人です?」
「店主と店員三人。全員調べたが、盗品も売った金も出ていない」
仲介人はそこで紙を一枚めくった。
「危険な品もある。皮膚を焼く薬、吸えば声が出なくなる粉、瓶を割れば燃える液体だ。棚の防護は主人に止めさせる」
前と違い、尋ねる前に話が出た。
鬼太郎は盗まれた品の名を読んだ。使い道の分からないものばかりだが、その下の報酬欄は読める。
侵入方法と犯人を突き止める額。盗品を回収した場合は追加がある。
「僕が見るまで、倉庫を動かさないこと。店員には一人ずつ話を聞かせてください」
「店主へ伝える」
「それから、僕へ襲いかかった者の杖や道具は、僕が取るものとしてください」
仲介人が顔を上げた。
「今度は欲しいのか」
「先に、決めておきたいのです」
用心棒が了承を取りに出て、戻るまで鬼太郎は紙を読んでいた。分からない言葉を二つ尋ね、期限が今夜から三日であることを確かめる。
主人は条件を飲んだ。
鬼太郎は前金を受け取り、案内役と店を出た。
◆
ノクターン横丁へ入ると、見上げる空が細くなった。
上階の窓が向かいへ張り出し、店先には品名を出していない店も多い。覗き窓から客を確かめ、扉を少しだけ開ける者がいる。
煤けた緑色の扉の前で、案内役が止まった。
薬品商の主人は、入ってきた鬼太郎を頭から足まで見た。
「箱を運ぶのと、盗人を探すのは違うぞ」
「ええ。ですから、先に倉庫を拝見しても?」
男は返事をせず、奥へ歩き出した。
狭い階段を下りた突き当たりに、鉄帯を打った木の扉があった。鍵穴は上下に二つ。その縁を銀色の線が巡り、床にも記号が並んでいる。
「一度も開けられていない」
主人が言った。
鬼太郎は扉の左右と、その上を見た。
「この魔法は、倉庫のどこへ入っても分かるものですか?」
「入れば分かる」
「この扉を通れば、という意味ではなく?」
「同じことだろう」
鬼太郎は鞄からルークの手帳を出し、紙を挟んだ頁を開いた。
扉と窓が描かれ、その周囲で線が閉じている。床にある印と同じものではない。だが、どこまで見張るかを確かめる必要はあった。
「作ったのは、あなたですか?」
「専門の奴に頼んだ」
「その方は、壁や天井も見張ると言いましたか?」
主人は床を見た。
「破ろうとすれば分かる。そう聞いた」
「では、壊さない入り方も探しましょう」
手帳をしまい、防護を止めてもらった。
主人が杖先を銀線へ触れさせると、輝きが端から消えていく。二本の鍵を回し、扉が開いた。
甘い匂いと、鼻の奥を刺す臭いが混ざっていた。
鬼太郎はすぐには入らず、触れてはいけない棚と品物を教わった。先に主人を歩かせ、そのあとをついていく。
両側の壁に、瓶や壺、箱を置いた棚が並んでいた。
盗まれた品は四つ。
主人に元の場所を示させ、鬼太郎は紙へ印をつけた。どれも倉庫の奥にある。床に近い段と、成人なら腕を伸ばすだけで届く高さに収まっていた。
「高い物から持っていくんだ」
「残っている物の値段も、教えてください」
主人は面倒そうだったが、入口側へ戻って答えた。
消えた品より高い瓶が、手前に二本ある。奥の棚にも、高い段には小さな箱が残っていた。
「一番高いものを選んではいませんね」
「盗人が間違えたんだろう」
「三晩とも、奥だけで?」
鬼太郎は棚の脚へ屈んだ。
半円を描く擦り傷がある。ほかの棚には見えなかった。
「これを動かしたのは、いつです?」
「動かしていない。前からある傷だ」
硬貨の縁で埃を分けると、擦れた部分だけ薄かった。棚の下に黒い粒も落ちている。
主人に見せると、土だと答えた。
倉庫の床へ積もる埃とは、色が違った。
鬼太郎は一度外へ出た。店の脇を通り、壁の煉瓦を数える。地下へ戻って扉から奥までの歩数と比べ、もう一度往復した。
外から見た長さに対し、地下倉庫は短い。
壁の厚みを引いても、奥にまだ空間がありそうだった。
「隣は、何ですか?」
「空き店舗だ。長く使っていない」
「以前から、別の建物でしたか?」
「俺が買ったときには、こうだった」
主人が店を買ったのは七年前だという。
鬼太郎は奥の棚へ目を戻した。
「品を移して、これを動かしてください。僕は触りませんので」
◆
店員二人が呼ばれ、棚から品を下ろした。
背板のない棚を横へずらすと、後ろには煉瓦壁があった。鬼太郎は硬貨で少しずつ叩き、音を聞いた。
中央の数個だけ、軽く響く。
周囲には、新しい漆喰が薄く塗られていた。目地の奥まで詰まっていない。床際に、棚の下と同じ黒い土が落ちている。
主人が杖を上げた。
「吹き飛ばせば分かる」
「まだ壊さないでください」
鬼太郎は壁の前から退き、主人を見た。
「道を見つけても、盗んだ品が戻るとは限りません」
「この先にあるだろう」
「もう、別の場所へ売られていたら?」
主人は歯を噛み合わせた。
「では、どうする」
「まず、店員の方に話を伺います」
古参の調合役は、この建物と隣の建物が、昔は同じ持ち主だったと知っていた。
地下には荷を運ぶ穴があったが、店ができるとき塞いだのだという。
「その話を、主人には?」
「していない。塞いだ穴がどうした」
「ご存じだった方を、確かめています」
次に、荷運びをする大柄な店員へ棚のことを尋ねた。
「五日ほど前に動かした」
「理由は?」
「瓶を割ったから、下を掃除すると言われたんだ」
頼んだのは、在庫を記録する若い店員だった。
荷運びの男は棚の反対側を持っただけで、裏までは見ていない。掃除は若い方へ任せ、別の荷を運びに戻ったという。
三人目が椅子へ座ると、鬼太郎は同じことを尋ねた。
「奥の棚を、動かしましたか?」
「動かしていない」
「荷運びの方は、あなたに頼まれたそうですが」
「ほかの棚と間違えたんだろう」
「瓶を割った覚えは?」
「ない」
若い店員の手は、机の下へ入ったままだった。
「では、棚の後ろも見ていませんね」
「ただの壁だ。煉瓦なんか外していない」
鬼太郎は、すぐには次の問いを続けなかった。
煉瓦を外せるようになっていることは、まだ店員へ伝えていなかった。
相手の目が、鬼太郎から扉へ動く。
「もう結構です。仕事へ戻ってください」
店員は椅子を引き、足早に出ていった。
扉が閉まると、主人が杖を抜いた。
「あいつだな」
「壁の向こうへ来る者が、まだいます」
「吐かせればいい」
「その者の寝床も、盗品の置き場所も知っていれば、そうできますね」
鬼太郎は、閉じた扉を見る。
「今、騒げば知らせに走ります。棚を戻してください。今夜、来るところを待ちます」
主人は不満そうに杖を下げた。
若い店員には在庫を数え直すよう命じ、地上の奥部屋へ残した。扉を外から施錠すると、中で抗議が始まった。
主人は、なくなった品の数を確かめ終えるまで出さないと返した。
通路の話はしなかった。
◆
夜、鬼太郎は倉庫へ入った。
元へ戻した奥の棚から離れたところに、低い木箱が積んである。その陰へ座ると、壁に開くはずの穴が見えた。
棚板の隙間から人が出るなら、降りる場所は限られている。
鬼太郎は、その背後も確かめた。
銃弾が外れても、瓶へ当たらない場所だった。
アギは使えない。ここに置かれた品の性質を、すべて知っているわけではない。火を出して自分の退路まで燃やすつもりはなかった。
主人が防護を止めて鬼太郎を入れ、外へ戻って二つの錠を掛けた。
扉の縁で、銀線がまた光った。
「何かあれば、こいつで分かる」
戸の向こうから言われた。
「分からなかったから、僕が来たのですよ」
返事の代わりに、階段を上がる足音がした。
鬼太郎は右手へ〈シュライク〉を抜いた。
引き金へは触れず、肘を膝へ預ける。長く構え続けると腕が疲れる。木箱へ身体を寄せ、音を立てずに足の位置を変えた。
上階から聞こえていた靴音が止まる。
通りの声も遠くなった。
どれほど待ったころか、石の擦れる音がした。
奥の棚の後ろで、煉瓦が一つ消える。
二つ目、三つ目。
黒い隙間から、杖を握った手が出た。
痩せた男が顔を入れ、倉庫を見回す。鬼太郎は木箱の陰で動かなかった。
男は身体を横にし、棚板の間を通って床へ降りた。
「誰もいない」
壁の向こうへ囁く。
重い息が返った。
もう一人いた。
鬼太郎は待った。
大きな手が穴から出る。その手も杖を握っていた。続いて肩が入り、大柄な男の顔が見えた。
後ろへ戻るには、身体を穴から引き抜かなければならない。
鬼太郎は立った。
「杖を床へ置いてください」
痩せた男の顔がこちらを向いた。
次に、鬼太郎の銃を見る。
「お前、あの箱の……」
「そちらの方も、杖を先に置いてから入ってください」
「餓鬼一人だぞ」
穴の男が言った。
「ええ。ですから、お二人が入るのを待っていました」
痩せた男はゆっくり屈んだ。
杖が床へ近づく。
その手首が返った。
鬼太郎は撃った。
右腕へ弾丸を受けた男が声を上げ、杖を落とす。奥の壁で小さく煉瓦が砕けたが、瓶の割れる音はしなかった。
同時に、壁の穴が赤く光った。
鬼太郎は木箱の陰へ身を沈めた。頭上の角が砕け、細かい木片が髪へ落ちる。
大柄な男は、片肩を突き出した姿勢で杖を向けていた。
鬼太郎は箱の左へ身体を寄せた。
杖先がそちらへ動く。
身を隠したまま反対へ戻り、男の腕が追いつく前に立った。
二発目を、杖を握る手へ撃つ。
男が吠えた。
杖が床へ落ち、身体が穴の向こうへ引かれかける。だが、片手ではすぐに抜けなかった。肩を煉瓦へぶつけ、その場で止まる。
鬼太郎は前へ出て、二本の杖を靴で遠ざけた。
痩せた男の左手が外套へ動く。
「その手も、見えるところへ」
胸へ向いた銃口を見て、男は腕を下ろした。
扉の外で、見張りが怒鳴った。
「生きているか!」
「主人を呼んでください。盗人は二人です」
足音が階段を上がっていく。
鬼太郎は壁の穴へ銃口を移した。
「もう、入って構いませんよ」
◆
主人と見張りに二人を縛らせ、杖は布で別々に包ませた。
鬼太郎はそれを鞄へ入れてから、若い店員を連れてくるよう頼んだ。
地下へ下りてきた店員は、捕らえられた二人を見て足を止めた。
「知らない奴らだ」
「まだ、何も伺っていませんよ」
主人の杖が店員の喉へ向いた。
鬼太郎はその脇から口を挟んだ。
「別々に聞かせてください。三人で考えた話を、聞きに来たわけではありませんので」
主人は見張りを増やし、三人を別室へ移した。
質問は同じものを繰り返した。誰が棚を動かし、誰が壁を細工し、どの品を盗むと決めたのか。
答えが合うところと、合わないところを紙へ残す。
痩せた男は、傷を押さえる布へ血が滲むたび口数が増えた。大柄な男は店員の取り分に腹を立て、店員は自分だけが罪を被せられると思うと、二人のしたことまで話し始めた。
若い店員が、品物と棚の位置を教えた。
瓶を割ったと嘘をついて棚を動かし、荷運びの男がいなくなってから痩せた男を入れた。二人で煉瓦を外せるようにし、隣の地下から通う道を作ったという。
一度に大量に持ち出さず、帳面の間違いに見えるだけの量を盗んだ。
「まだ売っていない」
痩せた男が言った。
「あと二晩分、まとめてからだ」
「では、今はどこに?」
男が説明した場所を、残る二人にも尋ねた。
隣の地下、奥の床石の下。
示す場所は一致した。
主人と通路を抜けると、黒い土の積もった先に、使われなくなった地下室があった。
床石の一枚だけ、縁に新しい傷がある。
「あなたが開けてください」
鬼太郎が言うと、主人は横目で見た。
「そこまで分かって、まだ触らんのか」
「あなたのお薬ですから」
主人が杖を振り、石を上げた。
下に布包みがあった。開くと、青い封蝋の瓶と、針金で留めた壺、小さな箱が現れる。
主人は一つずつ持ち上げ、封と中身を確かめた。
四つとも、帳面から消えていた品だった。
鬼太郎は紙の印を一つずつ消し、最後のものへ線を引いた。
「これで、回収分も揃いましたね」
主人は盗品を抱えたまま、短く答えた。
「払う」
◆
三人のその後は、尋ねなかった。
鬼太郎が確かめたのは、報酬と取得した道具だった。
二本の杖のほかに、壁を削る薄い金具、小さな袋、隣の店の鍵がある。薬品商の品物には手をつけず、侵入者の持っていたものだけを受け取った。
夜明けの両替所へ戻ると、仲介人は鬼太郎の顔を見てから鞄へ目を落とした。
「扉は?」
「壊れていませんでした」
「防護もか」
「ええ。壁の向こうに、古い通路がありました」
男は帳面へ印をつけた。
「魔法使いを二人も入れたのに、扉に傷がないとしか言わんかった」
「そこは、間違っていなかったのですね」
鬼太郎は鞄の紐を肩へ掛け直した。
手帳は入れた場所にある。図を見ただけで防護を解けるようになったわけではないが、主人へ何を尋ねるかを考える役には立った。
仲介人が次の頁へ手を伸ばす。
「次は、後日にします」
「また休むのか」
「まず、持ち帰ったものを確かめます」
男の視線が鞄へ動いた。
「二本、取ったそうだな」
「ええ。使えるかどうかは、まだ知りませんが」
鬼太郎は机から離れた。
外へ出ると、荷を運ぶ者が店の戸を叩いていた。通りの向こうで鎧戸が開き、薄い光が石畳へ差している。
鞄へ新しく加わった二本は、別々の布に包まれたままだった。
鬼太郎はその口を閉じ、帰る道へ足を向けた。