第二十二話 捕まらない男
英国へ渡ってから、五か月ほどが過ぎていた。
その間に、鬼太郎は幾つもの仕事を請けた。
奪われた品を取り戻す。
逃げた男を捜す。
金を運ぶ人間を、目的地まで守る。
捕らえるだけの仕事と、殺してもよい仕事では値段を変えた。依頼人へ直接会う仕事でも、買い手が間へ入ったなら、最初に決めた仲介料を支払った。
エレノア・グレイからも、二度目の依頼が来た。
だが、彼女だけの仕事を受けることは断った。
「他から、もっと条件のよいお話が来るかもしれませんから」
そう答えても、次の依頼は途切れなかった。
鬼太郎が誰の手下でもないことは、少しずつ知られていった。
同時に、別の噂も広がっていた。
手から炎を出す、外国人の子供。
子供の手に合わせた、小さな拳銃を持っている。
仕事を頼めば、報酬と条件を何度も確かめる。
殺す必要がなければ殺さないが、殺してよいと決めれば最後まで追う。
呼び方は、話す者によって違った。
火の子供。
小さな殺し屋。
外国から来たガキ。
弾丸が当たらないと言う者もいた。
睨んだだけで人を焼いた、一晩で十人殺したと話す者までいた。
鬼太郎は訂正しなかった。
噂を聞いて手を出すのをやめる者がいる。
名指しの仕事が増えれば、報酬も上げられる。
困る理由はなかった。
◆
英語にも慣れた。
ゆっくりした会話なら、買い手を挟まずに依頼人と話せる。簡単な依頼書や街路図も、自分で読めるようになった。
それでも、早口や裏で使われる言葉は分からないことがある。
長い契約書を渡されたときは、買い手に一文ずつ読ませた。
分からないまま頷くより、その方が安く済む。
身体も、わずかに変わっていた。
指が伸び、〈シュライク〉を握ったときに当たる場所が以前と違う。まだ使えないほどではないが、鬼太郎は構えと力の入れ方を少しずつ直した。
傷めていた左腕は、日常では不自由なく動く。
銃を両手で支えることもできた。
ただし、左手を銃へ添えれば、同じ手で炎は放てない。
それは治る前から変わらない。
増えたのは、使える力ではなく、今の身体でできることへの理解だった。
◆
その男が買い手の店へ来たのは、雨の降る午後だった。
灰色の帽子と外套を身につけ、革の手袋をしている。
「ハロルド・ベケットだ」
男は名乗ると、鬼太郎を見下ろした。
「噂より小さいな」
「でしたら、別の方へ頼まれますか?」
「いや。普通の連中で捕まらないから、普通じゃないガキに会いに来た」
ベケットは帽子を脱ぎ、椅子へ座った。
古い品や宝石を扱う男だと、買い手が説明する。盗まれた品も、持ち主の分からない品も扱うらしい。
「盗まれた」
ベケットは二枚の紙を机へ置いた。
一枚には、頬の痩せた男の顔が描かれていた。
「サイラス・ウォード。古い本や銀器、宝石を集めている。少なくとも、表向きはな」
「盗まれたものは?」
「小粒の宝石を入れた革袋。それと、黒い帳簿だ」
「帳簿には何が?」
「取引相手と支払いの記録だ。売られれば、宝石より高くつく」
鬼太郎はもう一枚の紙を見た。
そこには、ウォードが使っていたという住所が三つ書かれている。
「居場所は分からないのですか?」
「分かっていたら、俺の連中が連れてきている」
ベケットは苛立ったように手袋を引いた。
「見つけたことはある。何度もな。だが、捕まえられない」
「抵抗が強い?」
「そういう話じゃない」
ベケットは答える前に、買い手を見た。
「路地の奥へ追い詰めた。前には高い壁、後ろには三人いた。ウォードは壁の前に立っていたんだ。それが、次に見たときには消えていた」
「目を離したのでは?」
「追った連中は、離していないと言っている」
「全員が?」
「二人はそう言った。一人は、よく覚えていない」
鬼太郎は似顔絵から目を上げた。
「ほかには?」
「鍵を掛けた部屋からも消えた。窓の外と廊下に人を置いていたのに、誰の前も通っていない。破裂するような音がしたそうだ」
「同じ方が見たのですか?」
「違う連中だ」
「その方々と、別々に話をさせてください」
ベケットが眉を寄せる。
「俺の話じゃ足りないのか?」
「あなたが見たものではありませんから。人を捜すには、誰が何を見たのかを分ける必要があります」
鬼太郎は二枚の紙を机へ戻した。
「仕事を受けるかは、そのあとに決めます」
◆
最初の男は、右腕を布で吊っていた。
ウォードへ手を伸ばした途端、身体が後ろへ飛び、壁に打ちつけられたという。
「触れてはいないのですね?」
「指一本、触れられてねえ。あいつが腕を振ったら、いきなりだ」
「何か持っていましたか?」
「何も」
男はそう答えたあと、首を傾げた。
「いや、細い何かがあったかもしれねえ。棒みたいな……だが、見たっていうほどじゃない」
「何か言いましたか?」
「覚えてない。短く、何か叫んだ気はする」
二人目の男は、右手に包帯を巻いていた。
拳銃を向けた瞬間、手から銃が弾き飛ばされた。
撃たれたのでも、殴られたのでもない。
「糸か何かで引かれたんだ。そうに決まってる」
男は繰り返した。
「ウォードは糸を持っていましたか?」
「暗かったんだ」
「細い棒は?」
「持ってない」
「はっきり見えたのですか?」
「だから、暗かったと言ってるだろ」
三人目は、路地でウォードを追った一人だった。
高い煉瓦の壁。
左右に扉はない。
ウォードは腕を伸ばせば届くところにいた。
だが、破裂音を聞いた次の瞬間、姿がなかった。
「壁へ入ったんじゃないか?」
「入り口を見ましたか?」
「見てない。隠し戸だ。でなきゃ、床が開いた」
「そのあと、壁と地面は調べましたか?」
「調べたさ。見つからなかっただけだ」
男は、ウォードが細い棒を手にしていたと断言した。
ただし、その色も長さも答えられなかった。
四人目は、顔を思い出せなかった。
追い始める前には見ていたはずなのに、似顔絵と同じ男だったかと尋ねると、言葉に詰まった。
「帽子を被っていた気がする」
「似顔絵では被っていません」
「なら、別の場所で見たんだ。薬でも嗅がされたんだよ。あの路地へ入ってから、順番が曖昧なんだ」
最後に会った男は、閉め切った部屋の外を見張っていた。
中から、乾いた音を聞いた。
扉を開けると、ウォードだけが消えていた。
「窓は?」
「一つだ。外にも一人いた」
「煙や火薬の匂いは?」
「なかった」
「床や壁は調べましたか?」
「全部だ。俺は偽物の壁だと思ってる。最初から逃げ道を作ってたんだ」
「ウォードが何か持っていたという話は?」
「俺は中を見ていない。ほかの奴が、細い棒だと言っていた。そいつは酒が入ってたから、当てにはならん」
◆
五人の話は、細かなところで食い違っていた。
壁へ消えた。
床の下へ逃げた。
火薬か、圧縮した空気を使った。
仲間がいて、よく似た別人と入れ替わった。
記憶がおかしいのは、薬を使われたからだ。
誰も、自分の知らない力を見たとは考えていない。
しかし、別々の場所で、同じ男が捕まる直前に姿を消している。
触れずに人と拳銃を飛ばしたという話もある。
細い棒については、見た者と見ていない者がいた。
鬼太郎は買い手の店へ戻り、ベケットの前へ座った。
「お受けします」
「ようやくか」
「条件があります」
鬼太郎は指を一本立てた。
「ウォードを見つけ、黒い帳簿と宝石の袋を回収する。生きたまま引き渡せば全額。死んだ場合は減額。品物が足りなければ、さらに減額」
「それでいい」
「引き渡す前に、僕がウォードへ質問します」
ベケットの目が細くなった。
「何を聞く?」
「あなたの帳簿とは関係のないことです。答えたくなければ、答えさせる方法はこちらで選びます」
「殺すなよ」
「生きたままの報酬を望むなら、殺しません」
鬼太郎は二本目の指を立てる。
「それから、ウォードが細い棒を持っていた場合、それは僕がいただきます。あなたから盗んだ品ではありませんね?」
「そんな物は知らん。帳簿と宝石さえ戻ればいい」
「伺っていない危険があれば、追加でお支払いください」
「どこまでを危険と呼ぶ?」
「あなたの方々が見たことを、故意に隠していた場合です」
ベケットは買い手へ顔を向けた。
買い手が、決めた条件を紙へ書いていく。
報酬から取る仲介料は五分の一。
数字も、仕事を始める前に決まった。
三人が署名する。
ベケットは前金を置き、帽子を被った。
「普通の奴じゃないぞ、あれは」
「ええ。その方が、請ける価値があります」
◆
夜、鬼太郎は借りている部屋へ戻った。
扉と窓を確かめ、床板を一枚外す。
布で包んだ父の書類と、一本の細い棒を取り出した。
ブルガリアで、両親を襲った男が持っていたものだ。
細長い表面を、灯りの下で確かめる。
鬼太郎には、これをどう使うのか分からない。
ウォードが同じ物を持っているとも、まだ決まっていない。
それでも、細い棒を振り、短い言葉を発した直後に、人が触れずに飛ばされた。
閉ざされた場所から、破裂するような音とともに消えた。
両親を襲った者たちも、よく似た棒を手にしていた。
鬼太郎は父の書類を開いた。
父が生まれた国。
両親を殺した者たち。
その二つを追って、英国まで来た。
細い棒を布へ戻し、床板を閉じる。
鬼太郎の口元に、笑みが浮かんだ。
銃口を向け、炎を放つときと同じ笑みだった。
誰もいない部屋で、鬼太郎は呟く。
「ようやく、こちらから辿れそうですね」