神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

24 / 30
消える前に

第二十三話 消える前に

 

 サイラス・ウォードの依頼を受けてから、二週間が過ぎた。

 

 鬼太郎が英国へ来て、五か月半ほどになる。

 

 ベケットから渡された三つの住所を、鬼太郎は順に調べた。

 

 一つ目の家には、ウォードと無関係な家族が住んでいた。

 

 半年前に越してきてから、似顔絵の男を見たことはないという。

 

 二つ目は空き家だった。

 

 家具はなく、床には埃が積もっている。窓の留め具も内側から錆びつき、人が出入りした跡はなかった。

 

 三つ目は、閉店した製本所の二階にあった。

 

 表の看板は外され、作業場に残っているのは重い机と棚だけだった。

 

 二階の一室を、ウォードは以前から借りている。

 

 家主は一階の奥に住んでいた。

 

「まだ、あの部屋を使っているのですか?」

 

 鬼太郎が似顔絵を見せると、家主は声を落とした。

 

「家賃は届く。だが、階段を上がるところは見ていない」

 

「部屋に来ていない?」

 

「夜になると、窓に明かりが見えることがある。確かめに上がれば、もう消えてる。裏に階段でも作ったんだろう」

 

 建物の裏側には、高い煉瓦の壁しかない。

 

 鬼太郎は一階と二階を調べた。

 

 壁を叩き、床板の高さを比べ、棚も動かす。

 

 人が通れる空洞も、隠された階段も見つからなかった。

 

 それでも、二階の部屋にだけ新しい蝋の跡がある。

 

 暖炉には、古い灰の上へ落ちた黒い燃えかすが残っていた。

 

 誰かが部屋へ入り、灯りと火を使っている。

 

 だが、家主の前を通っていない。

 

 鬼太郎は、出入口を探すのをやめた。

 

 ウォードが出入口を必要としないなら、見つからないものを探し続けても意味はない。

 

     ◆

 

 鬼太郎は、ウォードが出入りしていた古書店を回った。

 

 最初の二軒では、似顔絵を見せても知らないと言われた。

 

 三軒目の店主だけが、紙を手に取った。

 

「名前は知らん。だが、この顔なら覚えている」

 

 店主は鬼太郎の置いた情報料を数え、硬貨を帳場の下へしまった。

 

「何をお探しでしたか?」

 

「古い本だ。どこで刷られたかも分からん、題の一部しか読めない本を捜していた。金なら出すと何度も来た」

 

「見つかった場合、連絡する方法は?」

 

 店主は帳場から、小さな紙片を出した。

 

 そこには別の名前と、私書箱の番号が書かれていた。

 

「これを使えと言われた。だが、本は見つからなかった」

 

 鬼太郎は紙片の文字を書き写した。

 

 買い手の事務所へ戻り、似た時代の古書を一冊用意させる。

 

 表紙は擦れ、頁の端は茶色く変わっている。

 

 ウォードが捜しているものではない。

 

 布で包めば、開くまでは分からなかった。

 

「国外から持ち込まれた。捜していた本かもしれない。確認したければ、三日後の夜に指定した場所へ来い」

 

 そう書いた手紙を、古書店の店主から私書箱へ送らせた。

 

 受け渡し場所には、閉店した製本所を指定した。

 

 ウォードが扉を使わず二階へ入れるなら、慣れた建物の方が警戒を弱める可能性がある。

 

 来なければ、別の餌を使えばよい。

 

 鬼太郎は、返事を求めず三日待った。

 

     ◆

 

 約束した夜、鬼太郎は製本所の作業場で待った。

 

 正面の扉には、内側から錠を掛けている。

 

 裏口と窓も閉じた。

 

 机の上には、布で包んだ古書を置いた。

 

 鬼太郎は机から離れ、部屋全体を見渡せる壁際に立つ。

 

 上着の下には〈シュライク〉がある。

 

 約束の時刻を過ぎても、扉は動かなかった。

 

 外の足音も聞こえない。

 

 来ないのであれば、今夜は終わりだった。

 

 そう考えたとき、乾いた破裂音が響いた。

 

 鬼太郎の視線が、作業場の中央へ動く。

 

 少し前まで誰もいなかった場所に、男が立っていた。

 

 頬が痩せ、暗い色の外套を着ている。

 

 サイラス・ウォードだった。

 

 扉も窓も開いていない。

 

 床にも、男が隠れられる場所はなかった。

 

 ウォードは周囲を見回し、机の上の包みへ目を止めた。

 

 それから、壁際にいる鬼太郎を見る。

 

「店の者はどうした」

 

「来ませんよ」

 

「では、お前は誰だ?」

 

「墓場鬼太郎と申します」

 

 鬼太郎は壁から離れた。

 

「ハロルド・ベケットさんから、あなたを捜すよう頼まれました」

 

 ウォードの顔から、わずかに力が抜けた。

 

 驚いたのではない。

 

 子供が一人で立っている理由を理解し、かえって警戒を解いたように見えた。

 

「あの男は、とうとう子供まで使い始めたのか」

 

「黒い帳簿と、宝石の入った革袋をお返しください。あなたも一緒に来ていただきます」

 

「本は?」

 

「あなたに来ていただくための偽物です」

 

 ウォードは机の包みを見た。

 

 その右手が、外套の袖口へ寄る。

 

 鬼太郎の右手も、上着の下へ入った。

 

 ウォードの袖から、細い棒が現れる。

 

 ブルガリアの家で見たものと、よく似た形だった。

 

 鬼太郎が〈シュライク〉を抜く。

 

 ウォードは棒を向け、短い言葉を発した。

 

 見えない何かが、鬼太郎の右手を打った。

 

 指が開く。

 

 〈シュライク〉が手を離れ、床を滑った。

 

 壁際まで飛び、木箱へ当たって止まる。

 

 痛みの残る右手を見ている時間はない。

 

 ウォードが、もう一度細い棒を向けていた。

 

     ◆

 

「怖がる必要はない」

 

 ウォードの声は、追跡者から逃げている男のものとは思えないほど落ち着いていた。

 

「私に会ったことを、少し忘れるだけだ」

 

「それで、以前の方は顔を思い出せなかったのですね」

 

 鬼太郎は左手を上げた。

 

「アギ」

 

 炎が放たれる。

 

 ウォードは目を見開き、横へ飛んだ。

 

 炎は男がいた場所を通り、背後の作業台へ当たった。

 

 乾いた木の表面が燃え上がる。

 

 ウォードは重い机の陰へ身を伏せた。

 

「杖もなしに魔法を使ったのか」

 

 鬼太郎は、燃える作業台から距離を取る。

 

「その言葉は、初めて聞きました」

 

「何?」

 

「魔法、という言葉です」

 

 机の脇から、細い棒の先端が見えた。

 

 鬼太郎は横へ動く。

 

 直後、さきほどまで立っていた壁が大きく鳴った。

 

 何かに殴られたように、木の板が割れる。

 

「自分が何者かも知らないのか。どこの魔法使いだ、お前は」

 

「それを、あなたに教えていただこうと思っています」

 

 鬼太郎は燃えている作業台の陰へ回った。

 

 炎がウォードから〈シュライク〉を隠している。

 

 だが、鬼太郎からも見えない。

 

 床に落ちた位置は覚えていた。

 

 木箱の手前まで、あと数歩。

 

 ウォードが机の陰から立ち上がる。

 

 鬼太郎ではなく、部屋の空いた場所へ顔を向けた。

 

 足を揃える。

 

 細い棒を身体へ引き寄せた。

 

 袋小路で消えたときも、閉ざされた部屋で消えたときも、同じ動作をしたのかもしれない。

 

 鬼太郎は足を止めた。

 

「プリンパ」

 

 ウォードの身体が強張る。

 

 空いた場所へ向いていた目が、炎と机の間を迷った。

 

 自分がどちらを向いていたのか、分からなくなったように一歩よろめく。

 

 乾いた破裂音は鳴らない。

 

 鬼太郎は木箱へ走った。

 

 ウォードもすぐに細い棒を上げる。

 

 プリンパは、相手を従わせる力ではない。

 

 長く止めておくこともできない。

 

 ただ、一度逃げるための時間を奪えば、それでよかった。

 

 鬼太郎は床から〈シュライク〉を拾い、右手で構えた。

 

 ウォードの棒も、鬼太郎へ向く。

 

 二人の間で、作業台の炎が揺れている。

 

 鬼太郎の口元に、戦うときの笑みが浮かんだ。

 

「魔法使い、ですか。ようやく、あなた方の名前を知りました」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。