第23話 対岸の男
二本の杖を机へ並べると、どちらも思っていたより軽かった。
鬼太郎は一本ずつ包みを解き、窓から差す光へ向けた。細い方の握りには浅い擦れがあり、もう一本には床へ落ちたときについたらしい傷がある。
それ以上は分からなかった。
初歩書には、木や芯について書かれた箇所もあった。だが、外から見た木目だけで材料を言い当てられるほど、鬼太郎は知識を持っていない。
まして、追跡の仕掛けや、持った者へ害を与える呪いがないかなど、見つめていても分からなかった。
鬼太郎は杖を振らず、元の布へ戻した。
ウォードの杖は、その二本から離して置いてある。入口を開くことには使えた。だからといって、新しく持ち帰ったものも同じように使ってよいとは思えない。
先に〈シュライク〉を手入れした。
倉庫で使った二発を補い、作動部を確かめる。木箱の陰へ屈んだときも強く打ちつけてはいなかった。握る手にも異常はない。
その日は眠り、翌日から本と手帳を開いた。
紙を挟んだところを読み返すと、工場で見た仕掛けの図にも、まだ分からない線が残っている。扉の周りだけを見張るものがある。それは確かめられた。だが、どの線がその範囲を決め、どの言葉で動かすのかは別だった。
鬼太郎は辞書を引いた。説明に使われた単語を調べると、その意味を示す言葉にも知らないものがある。
一頁を読み終える前に、窓の光が机の端へ移った。
苛立ちはしなかった。工場へ入る前には、読むための本さえなかったのだ。
ただし、持ち帰った物が増えれば、自分で扱えないものも増える。机の隅へ置いた二つの包みを見て、鬼太郎は本を閉じた。
あの店を避けて歩いたときには、支払いに使える金がなかった。今はある。それでも、元の持ち主を尋ねられた場合の扱いは分からないままだった。
まずは、仕事で取得したと承知している相手から紹介を受けることにした。
四日目の朝、鬼太郎は包んだ杖を鞄へ入れた。
◆
「仕事の前に、紹介していただきたい方がいます」
両替所でそう言うと、仲介人の手が帳面の上で止まった。
「杖を調べられる方です。壊れていないか、追跡するものや罠がないか、確かめたいのですが」
「売るのか?」
「先に、持っていてよいものか知りたいのです」
「鑑定だけでも金は取るぞ」
「もちろんです。あなたの紹介料も含めて、先に教えてください」
仲介人は二つの額を紙へ書いた。
鬼太郎は鑑定中に壊された場合の扱いを確かめ、持ち込んだ二本から魔法を撃たせるつもりはないと伝えた。
呼ばれてきたのは、指先を黒く染めた老人だった。
老人は鬼太郎より先に、机の包みを見た。
「この二本か」
「ええ。一本ずつお願いします。包みも入れ替えないように」
「自分の杖でもないのに、細かいな」
「今は僕の持ち物ですから」
老人は鼻を鳴らし、細い方を持ち上げた。拡大鏡で先端と握りを見てから、自分の杖を出す。
「何をなさるのですか?」
「表面の反応を見る。こいつから魔法は出さん」
短い呪文のあと、淡い光が杖を滑った。先まで途切れず進み、消える。
「折れも、芯の大きなずれもない。持ち主へ今すぐ場所を知らせるような仕掛けも見えん」
「見えないものは?」
「保証せん。そこまでやるなら料金が違う。それでも、ないと断言する奴は信用するな」
「分かりました」
老人は二本目にも同じことをした。今度は握りの近くで、光が少し揺れる。
「随分、攻撃の魔法を通したらしい」
「倉庫で赤い光を撃たれました。それも分かるのですか?」
「見ていない魔法の名までは知らん。癖が残っているだけだ」
老人は杖を布へ置いた。
「使える品だ。だが、お前に従うかは別の話だぞ」
「奪ったからでは、決まらないのですね」
「相性がある。前の持ち主と同じ働きをすると思うな」
使わずに確かめる方法はないという。
売る場合の値も聞いたが、一本目は鑑定料を少し上回る程度だった。二本目にはそれより値がついたものの、今手放そうと思う額ではなかった。
「持っていても、使えなければ木の棒だ」
「もう少し知ってから、決めることにします」
鬼太郎は別々に包み直し、老人へ代金を渡した。
「二本とも、お作りになったものではないのですか?」
「違う」
「では、傷めたときには、作った方へ持っていくべきでしょうか」
「まずは折るな。何でも元に戻せると思われる方が迷惑だ」
老人は受け取った硬貨を自分の袋へ入れた。
鬼太郎はそれ以上、質問を重ねなかった。包みを持つ指へ力を込めず、二本を横へずれないよう鞄の底へ置く。
同じ道具でも、相手が何を知り、何を保証しないかを聞ける者は必要だった。老人の顔と、受け取った料金を覚えておく。
杖は鞄へ戻った。
調べてもらう前より、分からないことの範囲がはっきりした。それで今日は足りた。
老人が出ていくと、仲介人が帳面を開いた。
「今度こそ見るか」
「内容を伺います」
「一人では渡せん仕事だ」
机へ見取り図が広げられた。
川沿いの古い税関倉庫。街道側に正面扉、川側に大きな搬入口があり、横には小さな窓が三つ描かれている。
「昨夜、運び屋が襲われた。革の書類鞄を取り戻す。封は開けるな。中身の確認も要らん」
「運び屋の方は?」
「生きていれば連れ帰れ。追加が出る。死んでいても、鞄があれば基本分は払う」
相手は確認できただけで五人。魔法使いが複数おり、人数が増えている可能性もある。
倉庫に元からあった防護は働いていないらしいが、占拠した者が新しく置いたかは分からない。
期限は今夜だった。日付が変わる前に、鞄を別の買い手へ渡すという話がある。
鬼太郎は川側の搬入口を見た。
「二つの出口を、一人では見られないからですか?」
「川へ逃げられれば、中へ入った奴には追えん。逆も同じだ」
「では、組む相手を先に見せてください」
仲介人が奥の扉へ顔を向けた。
「入れ。聞こえているだろう」
扉が開いた。
男が細長いケースを提げて現れた。
無造作に伸びた黒髪と、試すような笑み。入ってすぐ机へ来ず、扉から一歩ずれ、鬼太郎と窓の位置を見る。
ケースを持つ手には、銃を扱う者の硬さがあった。
視線が鬼太郎の顔から、右脇へ下がる。
上着に隠れた〈シュライク〉のところで止まった。
「俺が組むのは、この坊主か?」
「黒い箱を持ち帰り、薬品商の穴を見つけた奴だ」
「呪いが効かねえって餓鬼か」
「効きましたよ」
鬼太郎が答えると、男は顔を向けた。
「受けたあと、自分で外しました」
「杖もなしに?」
「ええ」
「そいつは結構」
信じたとも、嘘だとも言わない声だった。
男はケースを机の横へ立てた。倒れないことを確かめてから手を離す。
「サーシェスだ。お前は?」
「名前が、仕事に必要ですか?」
「撃つ前に呼べねえと困るだろ」
「合図を決めれば済みます」
「可愛げのねえ坊主だな」
サーシェスは笑った。
鬼太郎も相手を見たまま、口元を緩めた。
「こいつは魔法を使わん」
仲介人が言う。
「使えん、だ。俺はスクイブなんでね」
サーシェスは、自分のことより仲介人の言い方が気に入らなかったらしい。訂正してから、ケースへ顎を向けた。
「代わりに、こっちは使う」
「長銃ですね」
「中を見たのか?」
「その長さで、あの持ち方でしたから」
男の目が、初めて鬼太郎の銃から顔へ戻った。
◆
サーシェスは対岸の小さな建物を指した。
「ここは?」
「使われていない荷役小屋だ。倉庫まで、およそ二百ヤード」
仲介人が答えた。
「俺がここへ入る。川側の見張りを落とし、出てくる奴を止める。坊主は街道側から入れ」
「最初に撃てば、中の方々に知られます」
「知らせるような撃ち方をすると思ってんのか?」
怒った声ではなかった。
鬼太郎は男の顔から図へ目を戻す。
「搬入口が閉じていたら、中は見えませんね」
「だから、外へ出る奴を撃つ。中まで全部撃ってほしいなら、お前の取り分は減るぜ」
「中にいる僕まで撃つのは、困りますが」
「鞄を持ってねえ間なら、まだ考えてやる」
鬼太郎は答えず、川の流れる方向を尋ねた。朝の風は川下へ向かっていたというが、夜まで同じとは限らない。
サーシェスは質問を急かさなかった。
「盾の呪文は、ご存じですか?」
「張る前に撃つ」
「すでに張っていたら?」
「待つか、守ってねえ方を撃つ。正面へ弾を捨てる趣味はねえ」
図をなぞる指は、同じ場所へ留まっていなかった。扉から窓、川辺の足場へ動き、相手が逃げる道を追っている。
鬼太郎は、鞄を確保した合図を決めるよう求めた。
「火でも上げるか?」
「敵にもよく見えますね」
「冗談だ」
「使わずに済みそうで、安心しました」
サーシェスは喉の奥で笑い、川側の窓を指した。
灯りを一度消して点ける。できなければ、白い布を掛ける。
それを鞄確保の合図にした。
実際の配置が違えば、互いの許可を待たず位置を変える。ただし、どちらが先に鞄を持っても、封は開けない。
運び屋が生きていても、回収品を先に確保する。
仲介人が報酬を五つへ分けた。
倉庫へ入り、探して運び出す側に三つ。川側を塞ぎ、外から援護する側に二つ。
「逆がよければ、代わりますよ」
鬼太郎が言うと、サーシェスは右脇を見た。
「その小せえ銃で、対岸から撃つのか?」
「僕なら、もっと近い場所を選びます」
「悪くねえ。だが、中はお前でいい」
サーシェスは五つの取り分へ目を落とした。
「追加も同じ割合だ。死んだ方の取り分を、勝手に生き残りへ移すのもなし。いいな?」
「構いません」
「助けてくれって泣かれても、持ち場を捨てるとは限らねえぞ」
「僕も、役目を終える前に迎えに行くとは限りません」
仲介人が二人を見比べ、条件を書き加えた。
鬼太郎は最初から読み直した。分からない隠語だけを尋ね、合意した内容と違わないことを確かめる。
サーシェスは椅子へ腰掛けず、その間も入口が見えるところに立っていた。
「よく読むな」
紙をめくったとき、男が言った。
「読まずに引き受けて、あとから聞いていないと言う方が、お好みですか?」
「いや。中で揉める相手よりはましだ」
サーシェスは、図の街道側を指で叩いた。
「運び屋を見つけても、その場で縄を解くなよ。そいつが歩けなきゃ、鞄を持って逃げる足まで止まる」
「先に鞄、と決めたはずですが」
「そう言って、現物を見てから変える奴もいる」
鬼太郎は紙から顔を上げた。
「では、僕が変えるかどうかも、見ていてください」
「そいつは、お前が中で何をしてるか見えればな」
サーシェスは笑い、指を図から離した。
信用すると言われるより、その返事の方が分かりやすかった。互いに、まだ相手の仕事を見ていない。
鬼太郎が紙を戻すと、細長いケースを持ち上げた。
「そんじゃ、坊主。俺の射線を横切らねえよう頼むぜ」
「あなたも、僕の撃つ先には立たないでくださいね」
「覚えておく」
男は笑ったまま、先に店を出た。
◆
鬼太郎は個室へ戻り、鑑定を済ませた二本の杖を床下へ収めた。
父の書類と襲撃者の杖とは、包みを離しておく。簡単な鑑定で見つからなかったものが、本当にないとは限らなかった。
仕事へ持つのはウォードの杖と、〈シュライク〉、予備弾薬。それに合図の白い布を一枚、鞄を包むための布を別に用意した。
知らない道具を増やすより、使う物を取り出せるようにしたかった。
約束の石橋へ着くころ、川の上に夕明かりが残っていた。
サーシェスは橋の下で待っていた。
「遅刻じゃねえな」
「約束した時刻です」
「そういう返しをすると思ったぜ」
男がケースを開けた。
長い銃身の先に、筒が取りつけられている。照準器と弾倉を確かめ、肩へ吊るす。
腰にはリボルバーとナイフがあり、上着の内側には円筒が一本見えた。
「そちらは?」
「煙だ。逃げ道が潰れたときに使う」
「爆発するものは、持たないのですか」
「鞄を紙屑にして、ただ働きしたいならな」
鬼太郎は円筒から目を離した。
サーシェスはケースを閉じ、持っていくものだけを身体へ留めた。使える武器を見せるために、余計なものまで持ってきたのではないらしい。
「ここから別だ。俺は川を回る。坊主は街道側を見ろ」
「日が落ちるまでは、撃たないのでしたね」
「配置が変わってたら、図より自分の目を信じろよ」
鬼太郎は橋の反対側から出た。
街道を正面へ進まず、空き家の裏と崩れた石塀を使い、倉庫の見える場所を変える。
街道側に一人いた。
正面扉と道を往復している。上着の内側へ、ときどき手を添えていた。
川側の搬入口にも一人。
窓の向こうを横切る影は三つあり、二階の足場にも別の男が現れた。
六人。
聞いていたより一人多い。
鬼太郎はすぐ数を決めず、待った。中の影が移るのを見て、同じ者を二度数えていないことを確かめる。
正面の男が扉を開け、内側へ話しかけた。
その間も、ほかの影は四つある。
少なくとも六人は確かにいた。
鬼太郎は扉の縁へ目を移した。
白い線と、小さな記号がある。
ルークの手帳にあった、入口を見張る図と似ていた。同じではない。ここを開けば鳴るのか、触れただけで知らせるのかも分からなかった。
正面を使うつもりはなくなった。
側面へ回ると、壁へ木箱が積まれている。その上には割れた小窓があり、脇を錆びた排水管が通っていた。
窓の周囲に白い線は見えない。
鬼太郎は小石を拾い、硝子の残っていない隙間へ投げた。
内側で小さく音がする。
人影は動かなかった。
もう一度、窓と足場を見比べた。
木箱に足を置けば、その先の金具へ届く。腕だけで身体を吊るさずに済むよう、使えそうな場所を順に探す。
鬼太郎は壁の陰で鞄を持ち直した。
対岸の小屋は、ここから屋根の一部しか見えない。
あの男が入れたかどうか、まだ知らなかった。
ただ、川側を自分で見に戻れば、こちらの仕事が止まる。
鬼太郎は木箱へ手を掛けた。
体重を預けると、上の板がわずかに沈んだ。すぐ足を戻し、隣の箱へ移る。こちらは角を踏めば支えられそうだった。
窓の内側へ、もう一度目を向ける。
上がれれば戻れるか。鞄を抱えたまま降りられるか。
何も持たない今と、回収した後では、同じ道も使いやすさが変わる。鬼太郎は排水管の下と、壁際の空いた場所を覚えた。
風が川の方へ抜けた。
鬼太郎は箱の角へ足を置き、身体を持ち上げた。