第二十四話 杖の向こう側
二人の間で、作業台の炎が揺れていた。
鬼太郎は杖を持つ右前腕へ狙いを定め、〈シュライク〉の引き金を引いた。
ウォードの杖が動く。
「プロテゴ」
銃声が響いた。
弾丸はウォードへ届かなかった。
男の前で、何もない空間が一瞬だけ歪む。弾丸は硬い壁へ当たったように向きを変え、床へ落ちた。
ウォードの口元が緩んだ。
「それがお前の武器か」
「一つは、そうですね」
鬼太郎は床へ落ちた弾丸を見ない。
銃弾を防ぐ魔法がある。
だが、ウォードは杖をこちらへ向け、言葉を発してから防いだ。
何もしなくても守られているわけではない。
鬼太郎が銃口を戻す。
ウォードは杖を横へ振った。
壁際の棚が大きく揺れた。
木箱と古い道具を載せたまま、床を削って鬼太郎へ滑ってくる。
鬼太郎は横へ走った。
棚の角が右肩を掠める。
避けた先へ、ウォードの杖が向いていた。
短い言葉。
空気が塊になってぶつかる。
鬼太郎の身体が床から離れ、背中から別の棚へ叩きつけられた。
肺から息が押し出される。
握った〈シュライク〉だけは離さなかった。
◆
ウォードはすぐに次の言葉を発しなかった。
銃口が自分へ向く前に、重い机を杖で動かす。
机が横倒しになり、二人の間へ壁を作った。
鬼太郎は立ち上がろうとした。
背中と脇腹が痛む。
右手にも、最初に〈シュライク〉を弾かれた痛みが残っている。
ウォードは、銃弾が魔法より速い場合があると理解した。
先ほどのように、身体を晒して言葉を唱えるつもりはないらしい。
倒れた机の向こうから、杖の先だけが現れる。
鬼太郎は転がった木箱の後ろへ身を寄せた。
見えない力が木箱を砕く。
破片が頬を掠めた。
鬼太郎は一発撃ち返した。
弾丸は机の厚い天板へ入る。
「子供が持つような物じゃない」
机の向こうから、ウォードの声がした。
「杖も、そうではありませんか?」
「これは我々の道具だ」
「でしたら、僕の銃も同じです」
鬼太郎は返事をしながら、机の右側へ視線を向けた。
ウォードの靴先が見える。
撃とうとした瞬間、床に落ちていた縄が動いた。
何本もの縄が、蛇のように鬼太郎の脚へ巻きつく。
身体を引かれ、床へ倒された。
縄は腰、胸、右腕まで這い上がる。
〈シュライク〉を持つ右手が、身体へ押しつけられた。
左腕も巻き込まれる。
ウォードが机の陰から出てきた。
「炎を出す前に、両手を縛ればいい」
鬼太郎は左手を握らなかった。
縄と身体の間で、掌を開く。
「アギ」
小さな炎が、左手へ触れていた縄を燃やした。
熱が袖を焦がす。
左の手首にも、焼ける痛みが走った。
それでも、縄は黒くなり、力を失う。
鬼太郎は左腕を引き抜いた。
ウォードが息を呑む。
その一瞬に、残った縄へ炎を移した。
鬼太郎は床を転がり、燃える縄から身体を抜く。
◆
ウォードは追撃しなかった。
作業場の空いた場所へ下がり、足を揃えている。
鬼太郎を倒すより、逃げることを選んだ。
杖を身体へ引き寄せる。
プリンパを続けて使える保証はない。
使えなければ、頭痛で自分の動きまで止まる。
鬼太郎は左手を床へ向けた。
「アギ」
ウォードの足元ではなく、その右側へ炎を放つ。
床板と転がっていた布が燃え上がった。
右へ回避する道が塞がれる。
左には、最初に燃えた作業台がある。
ウォードは姿を消すための構えを崩し、炎のない正面へ飛び出した。
鬼太郎が待っていた場所だった。
さらに一発。
弾丸がウォードの右脚へ入る。
男は床へ膝をついた。
それでも、杖を手放さない。
鬼太郎へ向け、何かを唱えようとする。
続けて、もう一発。
弾丸が右前腕を撃ち抜いた。
ウォードの指が開く。
杖が床へ落ちた。
鬼太郎は立ち上がり、痛む背中を庇いながら歩く。
ウォードも左手を杖へ伸ばした。
鬼太郎は杖の手前を靴で踏み、男の手が届かないところまで滑らせる。
「動かないでください」
〈シュライク〉の銃口が、ウォードの胸へ向く。
「次は、ここへ撃ちます」
ウォードの身体が、わずかに回ろうとした。
「消えようとしても同じです。先ほどと同じ動きをすれば撃ちます」
男の動きが止まる。
「生きたあなたを渡す方が報酬は高い。ですが、死んでいても報酬は出ます」
鬼太郎は笑みを消していた。
「どちらになるかは、あなたがお決めください」
ウォードは左手を床へ置いた。
◆
鬼太郎は、ウォードを腹這いにさせた。
左手で杖を拾い、上着の内側へ入れる。
製本所へ来る前に用意していた縄で、両手と両脚を縛った。
銃弾を受けた右脚と右前腕には、ウォードの服を裂いて布を巻く。
血を止めるのも、満額の報酬を守るためだった。
作業場では、二か所の炎が広がり始めていた。
鬼太郎は事前に壁際へ置いていた砂を運び、火へ被せる。
厚い布も重ね、燃えている場所から空気を奪った。
炎が消えるまで、ウォードから目を離さない。
この建物の家主には、危険があるため今夜だけ別の場所で眠るよう金を渡してある。
銃声を聞いて、作業場へ入ってくる者はいなかった。
火が収まってから、ウォードの外套を調べた。
内側の深い隠しポケットへ、黒い帳簿が入っている。
別のポケットからは、小粒の宝石を詰めた革袋が見つかった。
「持ち歩いていたのですか」
「隠した場所を、ベケットに探らせるつもりはなかった」
鬼太郎は帳簿の表紙と中身を確かめた。
革袋も開き、複数の宝石が入っていることを見る。
正確な数と価値は、依頼人に確認させればよい。
「では、仕事の品は揃いました」
鬼太郎は重い椅子を起こし、ウォードを座らせた。
「次は、僕の質問です」
◆
鬼太郎は奪った杖を、ウォードへ見せた。
「これは、魔法を使うための道具ですか?」
「魔法を集中させ、狙い、形にするための道具だ」
「杖がなければ、魔法は使えない?」
「使える者もいる。だが、難しい」
「あなたが消えるには?」
ウォードは黙った。
鬼太郎は〈シュライク〉を男の右脚へ向ける。
「同じ場所をもう一度撃たれる前に、ゆっくりお答えください」
「……杖があった方が、集中しやすい。今の傷で、杖もなしに姿くらましをすれば、身体の一部を置いていくかもしれん」
「姿くらまし。それが、消える魔法の名前ですか」
「そうだ」
鬼太郎は、知らない言葉を一つずつ覚えた。
「魔法使いは、ほかにも大勢いるのですか?」
ウォードは鬼太郎の顔を見た。
「本当に何も知らないのか」
「質問しているのはこちらです」
「いる。昔から、マグルに隠れて暮らしている」
「マグルとは?」
「魔法を使えない人間だ。ベケットのような連中だよ」
ウォードの話す速度が上がった。
「もう少し、ゆっくりお願いします」
鬼太郎が止めると、ウォードは一度息を吐いた。
英国には、魔法使いの社会がある。
魔法省という組織が、決まりを作り、破った者を捕らえる。
魔法界の存在は、マグルへ知られないよう隠されている。
そのため、普通の街の中にも、マグルには見つけにくい店や通りがある。
「そこへ入るには?」
「ロンドンに〈漏れ鍋〉という店がある。その奥から、ダイアゴン横丁へ入れる」
「場所を教えてください」
「住所を聞いても、マグルには店が見えない」
「僕は魔法使いなのでしょう?」
ウォードは答えなかった。
鬼太郎は紙と鉛筆を出した。
「場所と、入口を開く方法を」
ウォードは片手を縛られたまま、言葉で道順を伝えた。
鬼太郎が聞き取り、紙へ印をつける。
店の奥にある壁の、決まった煉瓦へ杖で触れる。
鬼太郎が煉瓦の並びを図にし、触れる順番をウォードに言わせた。
「子供は、どこで魔法を覚えるのです?」
「親から教わる者もいる。英国なら、十一歳でホグワーツへ行く者が多い」
「十一歳」
「お前ほどの年齢で、それだけ意識して魔法を使う子供は普通じゃない。どこかの家が隠して育てたのか?」
「それは、あなたが知る必要のないことです」
鬼太郎は紙を畳んだ。
魔法使い。
杖。
姿くらまし。
マグル。
魔法省。
ダイアゴン横丁。
ホグワーツ。
両親を襲った者の名前も、所属も分からない。
だが、探す場所は初めて見えた。
◆
夜更け、約束した時刻に買い手の部下が車で現れた。
鬼太郎は、建物へ入らず外で待つよう事前に伝えていた。
部下は撃たれたウォードと焦げた作業場を見たが、何も尋ねなかった。
ウォードを後部へ乗せ、買い手の事務所を経てベケットのもとへ運ぶ。
ベケットは黒い帳簿を最初から最後まで確認した。
革袋の宝石は、一つずつ机へ並べて数える。
「全部ある」
ベケットは最後に、椅子へ座らされたウォードを見た。
「どうやって捕まえた?」
「逃げるための道具を取り上げました」
鬼太郎は、それ以上を説明しなかった。
「その細い棒か」
「これは、事前の条件どおり僕がいただきます」
ベケットも、買い手も異議を唱えない。
ウォードは生きている。
帳簿と宝石にも欠品はない。
ベケットは満額を支払い、買い手が五分の一を仲介料として取った。
残りが鬼太郎へ渡される。
鬼太郎は金額を数えた。
「確かに。これで依頼は完了です」
ウォードをその後どう扱うかは、ベケットの問題だった。
◆
個室へ戻ると、鬼太郎は焦げた左袖を切った。
左手首の火傷を冷やし、布を巻く。
右肩、背中、脇腹には濃い痣ができていた。〈シュライク〉を弾かれた右手の痛みも残っている。
鬼太郎は傷を治す力を知らない。
痛みが引くまで、射撃は控える。
その数日間、鬼太郎はロンドンまでの道を調べた。
英国へ渡ってから、間もなく半年になる。
借りている個室の机へ、二本の杖を並べる。
一本は、ブルガリアで両親を襲った男から回収したもの。
もう一本は、サイラス・ウォードから奪ったもの。
形も長さも違う。
だが、どちらも魔法使いの杖だった。
二本の横へ、街路図とウォードから聞き取った煉瓦の図を広げる。
ロンドンの一角へ印をつけた。
その場所に、マグルから隠された入口がある。
鬼太郎は二本の杖を床板の下へ戻し、ロンドンへの地図だけを鞄へ入れた。
「では次は、隠れている側へ伺いましょうか」