第二十七話 客を選ぶ店
茶色い外套の男は、何度も後ろを振り返った。
鬼太郎が逃げていないことを確認するたび、口元の笑みが深くなる。
細い路地を二度曲がった。
ダイアゴン横丁の賑わいは、建物に遮られて聞こえなくなっていく。
男が立ち止まったのは、曇った窓のある小さな店だった。
扉の上に看板はない。
窓の内側には、片方の皿が欠けた天秤、罅の入った水晶、持ち手の取れた大鍋が並んでいる。売り物に見せるため置かれているが、どれにも値札はなかった。
「ここだ」
男が扉を開けた。
鬼太郎は、すぐには入らなかった。
窓は汚れているだけではない。外の光を鈍く反射し、店内の様子を映さないよう細工されている。
開いた扉の向こうから、一人分の呼吸が聞こえた。
さらに奥。床板が、続けて二度鳴った。
中にいるのは一人ではない。
「どうした?」
「いえ。随分と静かな店だと思いまして」
「人に知られたくない金を替える店だからな」
男はそう言って笑った。
鬼太郎は店へ入った。
背後で扉が閉まり、鍵が回った。
◆
店内には、椅子に座った男が一人いた。
年齢は四十を越えている。整えた髪と濃い色の上着は、鬼太郎を連れてきた男より上等だった。
その前には、傷の多い木製の机がある。
壁際の棚には、小箱や瓶が並んでいた。
封蝋のついた小包。
変色した銀器。
中身の見えない薬瓶。
どれにも番号が振られ、机の帳面にも同じ番号が書かれていた。
装飾ではない。
値段のつく商品だった。
「座りなさい」
机の男が言った。
言葉は丁寧だが、客へ向ける声ではなかった。
鬼太郎は椅子へ座らず、部屋を見る。
奥の扉の左右に一人ずつ立っていた。
二人とも外套の内側へ手を入れられる位置に腕を下ろしている。
鬼太郎を連れてきた男が入口を塞いだ。
合計、四人。
「マグルの金を持っているそうだね」
「はい。こちらのお金へ替えられると聞きました」
「まず、幾ら持っているか見せてもらおう」
「交換率と手数料を先に教えてください」
机の男が目を細めた。
「子供が気にすることではない」
「僕のお金です。僕が気にすることですよ」
「ここでは、こちらが値段を決める」
鬼太郎は、男の机に置かれた硬貨を見た。
金色が二枚。銀色が数枚。銅色が十枚ほど。
「その金色の硬貨が、書店で言われた金額の単位ですね」
「余計なことを聞いてきたらしいな」
「交換できる金額を示してください。納得できれば、お渡しします」
机の男が、入口にいる男へ視線を送った。
それだけで、話し合いは終わった。
「鞄を机に置け」
茶色い外套の男が言った。
「交換は?」
「お前には必要ない」
奥にいた二人が、外套から杖を抜いた。
「鞄と上着を置け。中にある物も全部だ」
片方が鬼太郎へ杖を向ける。
「大人しくすれば、怪我はしない」
机の男は椅子へ深く座り直した。
「この部屋の音は、外へ漏れない。泣いても叫んでも、誰も来ないよ」
鬼太郎は、壁と天井を見た。
どのような魔法なのかは分からない。
だが、男たちは自分たちの声も外へ届かないと考えている。
「それは、都合がいいですね」
鬼太郎は右手を上着の内側へ入れた。
杖を向けていた男が笑う。
「妙な真似を――」
その杖先が動いた。
短い言葉が始まる。
終わる前に、鬼太郎は〈シュライク〉を抜いた。
◆
一発目が、杖を持つ男の右前腕へ入った。
男の声が呪文から悲鳴へ変わる。
杖が床へ落ちた。
銃声は狭い部屋の空気を叩いたが、表から人が駆け込んでくる気配はない。
音は、本当に外へ漏れていなかった。
背後で靴音が鳴る。
鬼太郎は身体を沈めた。
茶色い外套の男の腕が、頭上を通り過ぎる。
鬼太郎は振り向きながら、男の右脚を撃った。
二発目。
男は入口の扉へ肩からぶつかり、その場へ崩れた。
残る用心棒が杖を構える。
「プロテゴ!」
男の前で、空気が歪んだ。
ウォードが銃弾を弾いたものと同じだった。
鬼太郎は撃たず、机の横へ転がる。
赤い光が通り過ぎ、背後の棚へ当たった。
木片と瓶の破片が飛び散る。
鬼太郎は机を盾にして立ち上がった。
左手首には、まだ布が巻かれている。
掌を開き、用心棒の左側へ向けた。
「アギ」
床板の上へ炎が走った。
男は炎を避け、右へ動く。
その先へ、机の陰から〈シュライク〉の銃口が現れた。
「次は、あなたの腕を撃ちます」
用心棒の動きが止まる。
防御魔法の歪みは、もう消えていた。
「杖を床へ置いてください」
男は机の向こうにいる主人を見た。
「こちらを見てください」
鬼太郎が言う。
「彼が撃たれるか、あなたが撃たれるかという問題ではありません。杖を置かなければ、両方です」
用心棒は、ゆっくり腰を屈めた。
杖を床へ置き、足で鬼太郎の方へ滑らせる。
「ほかの二本も、机の上へ」
撃たれた二人の杖を拾わせる。
用心棒が、三本の杖を机へ置いた。
机の男の右肩が、わずかに下がる。
右手が机の縁へ隠れようとしていた。
「その下にも、一本あるのですね」
鬼太郎は男の右手へ銃口を向けた。
「握れば、右手を撃ちます」
男の手が止まる。
「左手で、ゆっくり出してください」
机の裏へ留められていた杖が、四本目として並んだ。
◆
床の炎は、棚から落ちた厚い布を用心棒に被せさせて消した。
撃たれた二人には、服を裂いた布で傷口を圧迫させる。
鬼太郎は自分で手当てしなかった。
〈シュライク〉を向けたまま、机の帳面を開く。
すべての文章は読めない。
だが、日付、名前、金額、品物の番号は分かる。
両替だけの帳面ではなかった。
別の頁には、英国の紙幣を示す記号と、交換した硬貨の枚数が何件も記録されていた。同じ金額なら、おおむね同じ枚数が渡されている。
男が今から話す交換率が、過去の取引と大きく違えば分かる。
回収。
護衛。
運搬。
人捜し。
短い単語の隣に、依頼人と報酬らしき記載が並んでいる。
棚の番号と同じものもあった。
品物を回収する者と、それを買う者も、この男を通してつながっている。
鬼太郎は帳面へ視線を戻した。
「両替以外の仕事も、扱っているのですね」
男は答えなかった。
「まず、交換の話を終わらせましょう」
◆
男は、最初に隠していた交換率を話した。
鬼太郎は一つずつ言葉を確認し、金貨一枚が銀貨十七枚、銀貨一枚が銅貨二十九枚に当たることも説明させた。帳面に残された以前の両替とも比べる。
持ってきた紙幣の一部だけを渡す。
男は魔法界の硬貨を机へ積んだ。
鬼太郎は種類ごとに枚数を数える。
「足りません」
「今言った率なら、それで合っている」
「それは交換分です」
鬼太郎は、床で呻く二人へ目を向けた。
「僕を騙し、所持品を奪おうとした分が入っていません」
「……幾ら欲しい」
「先ほど書店で選んだ本を買えるだけ、追加してください」
店の金をすべて奪えば、この窓口は使えなくなる。
必要なのは、一度きりの金ではなかった。
男は銀貨と銅貨を追加した。
鬼太郎はもう一度数え、鞄へ入れる。
机に並べた四本の杖は取らなかった。
持ち主も由来も分からない道具を増やすより、この者たちが次の仕事を持ってくる方が価値がある。
「あなたは、両替だけでなく仕事も扱っているのでしょう?」
「それがどうした」
「次は僕を騙す話ではなく、報酬の出る仕事を持ってきてください」
男は、初めて鬼太郎の顔を正面から見た。
紙幣を持った外国人の子供を見る目ではない。
「お前に仕事を任せろと?」
「判断する材料は、先ほどお見せしたはずです」
鬼太郎は〈シュライク〉を下ろさない。
「あなたが仕事を紹介し、僕が成功すれば、あなたも報酬を得る。失敗すれば、次から紹介しなければよい。それだけです」
男の視線が、床に倒れた二人、立ったままの用心棒、机に並んだ杖を順に移る。
長い沈黙の後、男は口を開いた。
「……一つだけ、誰も受けたがらない仕事がある」