神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

33 / 43
鍵穴の外から

第三十二話 鍵穴の外から

 

 傷をつけた硬貨が、鬼太郎の指の間で裏返った。

 

 地下倉庫の扉には、二つの鍵穴がある。

 

 鉄の帯を打った木の縁には銀色の線が巡り、床へ並んだ記号は、敷居の前で半円を描いていた。

 

 鬼太郎は硬貨を投げない。

 

 ルークの工場では、何が起きるか分からない場所へ硬貨を先に触れさせた。

 

 ここで同じことをすれば、薬品商が使っている防護を勝手に作動させることになる。

 

「この印は、何を見つけるものですか?」

 

 鬼太郎は床の記号を指した。

 

「倉庫へ入った奴だ」

 

 店の主人が答える。

 

「倉庫のどこへ入っても分かるのですか。それとも、この扉を通れば分かるのですか?」

 

「同じことだろう」

 

「扉以外から入れないのであれば、同じですね」

 

 主人の口が閉じた。

 

 鬼太郎は鞄からルークの手帳を取り出した。

 

 扉と窓が描かれた頁を開く。

 

 床にあるものと完全に同じ印ではない。線の本数も、囲まれた文字も違う。

 

 それでも、手帳の図はすべて入口の周りで閉じていた。

 

 倉庫の壁や天井まで見張っていると判断できるものはない。

 

「これを設置したのは、あなたですか?」

 

「専門の魔法使いに頼んだ」

 

「仕組みは、その人から聞きましたか?」

 

「破ろうとすれば分かる。中で姿くらましはできない。それで十分だ」

 

「扉を破ろうとした者しか分からない、という可能性もあります」

 

「だったら、どうやって確かめる」

 

「まず、中を見ます」

 

 鬼太郎は手帳を閉じた。

 

「防護を止めて、あなたが開けてください。僕は触れません」

 

     ◆

 

 主人は外套の内側から杖を抜いた。

 

 銀色の線へ杖先を当て、短い言葉を唱える。

 

 線の輝きが端から消えた。

 

 床の記号も、古い汚れのような色へ変わる。

 

 主人は二本の鍵を別々の鍵穴へ差し込み、上、下の順に回した。

 

 扉が内側へ開く。

 

 鬼太郎はすぐには入らなかった。

 

 倉庫の中には、両側の壁に沿って棚が並んでいる。

 

 瓶。

 

 蓋を針金で留めた壺。

 

 細長い木箱。

 

 中身の見えない包み。

 

 空気には、表の店よりも濃い匂いが混ざっていた。甘いもの、鼻の奥を刺すもの、湿った土に似たもの。そのどれが危険か、鬼太郎には区別できない。

 

「床を踏むだけで作動するものは?」

 

「ない。今は防護も切ってある」

 

「棚へ触れた場合は」

 

「印のある棚には触るな。右奥の白い瓶にもだ」

 

「あなたが先を歩いてください」

 

 主人が顔をしかめる。

 

「俺の店だぞ」

 

「ですから、僕より安全な場所をご存じでしょう」

 

 主人は杖を持ったまま倉庫へ入った。

 

 鬼太郎は、その足が置かれた場所だけを踏んで続いた。

 

     ◆

 

 盗まれた品の一覧は、店の帳面に残されていた。

 

 鬼太郎は名前を読んでも、それが何に使われるかまでは分からない。

 

 主人に、一つずつ元の位置を示させる。

 

「最初は、これだ」

 

 奥の棚、下から二段目。

 

「次は?」

 

「向かいの棚にあった。青い封蝋の瓶だ」

 

 それも倉庫の奥だった。

 

 三つ目は、奥の棚の中央。

 

 四つ目は、その隣の木箱から消えていた。

 

「高い物だけを選んでいる」

 

 主人が言った。

 

「ここにある物の値段を、すべて教えてください」

 

「全部だと?」

 

「盗まれなかった物もです」

 

 主人は面倒そうに答えた。

 

 鬼太郎は帳面の余白へ、聞いた数字を書き込む。

 

 消えた物より高価な瓶が、入口に近い棚へ二本残っていた。

 

 同じほどの価値を持つ箱も、手前側にはある。

 

「最も高い物を選んだわけではありませんね」

 

「盗人が値段を間違えたんだろう」

 

「三晩続けて、奥の棚だけを?」

 

 鬼太郎は盗品のあった場所を見直した。

 

 すべて床から鬼太郎の頭二つ分ほどまでに収まっている。成人なら、屈まずに手を伸ばせる高さだった。

 

 奥の棚のさらに上には、軽そうな小瓶が残されている。

 

「価値ではなく、取れる位置を選んだ可能性があります」

 

「扉から入れば、どれでも取れる」

 

「ええ。扉から入れば」

 

 鬼太郎は倉庫の一番奥へ視線を移した。

 

     ◆

 

 奥の棚は背板がなく、横長の棚板が壁の大半を隠していた。瓶や箱の隙間から見えるのは、古い煉瓦だけだった。

 

 鬼太郎は床へ屈む。

 

 棚の脚の周囲に、半円状の擦り傷があった。

 

 ほかの棚の脚にはない。

 

「この棚は、いつ動かしました?」

 

「動かしていない」

 

「床には動かした跡があります」

 

「品を入れる前からあった傷だ」

 

 鬼太郎は傷を指でなぞらず、硬貨の縁で周囲の埃を分けた。

 

 擦れた部分だけ、埃が薄い。

 

 古い傷の上を、最近もう一度棚が通っている。

 

 棚の下から、黒い粒が一つ出てきた。

 

 硬貨に載せる。

 

 薬の粉には見えない。

 

 倉庫の床に積もった灰色の埃とも違う。

 

「これは何です?」

 

 主人は顔を近づけた。

 

「土だろう」

 

「この地下室にはありませんね」

 

 鬼太郎は立ち上がった。

 

「外から建物を測ります」

 

     ◆

 

 店の脇には、人一人がようやく通れる細い道があった。

 

 鬼太郎は表から裏へ歩き、壁に並ぶ煉瓦の数を数えた。

 

 地下へ戻り、扉から奥の棚まで歩数を合わせる。

 

 一度目。

 

 二度目。

 

 歩幅を変えないよう、床の継ぎ目へ足先を置く。

 

 外から測った長さと、地下倉庫の長さが合わない。

 

 壁一枚の厚さを引いても、その向こうに空間が残る。

 

「隣は?」

 

「空き店舗だ。何年も使われていない」

 

「地下室はありますか?」

 

「知らん」

 

「この店を建てたのは、あなたですか?」

 

「七年前に買った」

 

 鬼太郎は奥の棚へ戻った。

 

「動かしてください」

 

「商品がある」

 

「先に、安全な場所へ移してください。僕は触れません」

 

 主人は店員を二人呼び、棚の瓶と箱を運ばせた。

 

 空になった棚を三人で横へずらす。

 

 背後から煉瓦壁が現れた。

 

 一見すれば、周囲の壁と変わらない。

 

 鬼太郎は硬貨で一つずつ叩いた。

 

 低い音。

 

 低い音。

 

 中央の数個だけ、軽く響く。

 

 その周囲には、古い漆喰とは色の違う部分があった。

 

 新しい漆喰は表面だけに薄く塗られ、煉瓦同士の奥まで入っていない。

 

 床際には、棚の下で見つけたものと同じ黒い土が落ちている。

 

「向こう側から外し、戻せるようにしてあります」

 

 主人が杖を上げる。

 

「吹き飛ばせば――」

 

「まだ壊さないでください」

 

 鬼太郎は壁の前へ立った。

 

「道を見つけただけです。盗んだ者は、まだ向こう側にいます」

 

     ◆

 

 三人の店員には、別々の部屋で話を聞いた。

 

 最初は、薬を調合している古参の男だった。

 

「この建物に、以前は別の通路がありましたか?」

 

 鬼太郎が尋ねると、男はしばらく考えた。

 

「店ができる前なら、荷を入れる穴があったと聞いたことがある」

 

「どこへ続いていました?」

 

「隣の地下だ。昔は二軒で同じ持ち主だった。だが、壁で塞いだはずだ」

 

「そのことを店主へ話しましたか?」

 

「話す理由がなかった。塞がれた通路だぞ」

 

「知っている人は、ほかに?」

 

「古い建物を知る奴なら、いるだろうな」

 

 二人目は、荷物を運ぶ大柄な店員だった。

 

「奥の棚を動かしたのは、いつです?」

 

「五日ほど前だ」

 

「店主は、動かしていないと言いました」

 

「旦那は見てない。瓶を一本割ったから、下を掃除するって言われたんだ」

 

「誰に?」

 

 男は廊下の先を見た。

 

「帳面をつけてる若い奴だ」

 

「棚の裏を見ましたか?」

 

「少し引いただけだ。俺は反対側を持っていた。掃除はあいつがやった」

 

 三人目は、在庫を記録する若い店員だった。

 

 椅子へ座らせても、両手を机の下へ入れたまま出さない。

 

「奥の棚を動かしましたか?」

 

「動かしていない」

 

「荷物を運ぶ方は、あなたに頼まれたと話しています」

 

「あいつの勘違いだ」

 

「瓶を割ったことは?」

 

「ない」

 

「では、棚の後ろに何があるかも知りませんね」

 

「ただの壁だ。煉瓦なんか外していない」

 

 鬼太郎は何も言わなかった。

 

 壁が煉瓦であることも、外せるようになっていることも、まだ店員には伝えていない。

 

 若い店員の右手が、机の下でわずかに動く。

 

「もう結構です」

 

 鬼太郎は扉を開けた。

 

「仕事へ戻って構いません」

 

 店員は鬼太郎を見たが、質問はしなかった。

 

     ◆

 

「あいつだろう」

 

 若い店員が帰ったあと、主人はすぐに杖を抜いた。

 

「連れ戻す」

 

「今捕まえれば、壁の向こうから来る者は逃げます」

 

「吐かせればいい」

 

「どこまで知っているか分かりません。盗品の保管場所も、向こう側の人数も、まだ聞いていない」

 

「じゃあ、見逃せと言うのか」

 

「今夜だけです」

 

 鬼太郎は主人の杖先を見た。

 

「疑っていることを気づかせないでください。棚を元へ戻し、煉瓦も触っていないように見せます」

 

「また盗ませるのか」

 

「盗む前に捕らえます」

 

 主人は不満そうだったが、杖を収めた。

 

     ◆

 

 日が落ちる前に、棚は元の位置へ戻された。

 

 煉瓦の周囲に落ちていた粉も、完全には拭わない。

 

 犯人が前夜との違いに気づかないようにする。

 

 古参の店員と荷運びの男は、いつもどおり帰された。

 

 若い店員だけは、主人から在庫の数字を確かめるよう命じられ、地上の奥部屋へ残された。

 

 店員が部屋へ入ると、主人が外から鍵を掛けた。

 

 疑われていると気づいたとしても、もう壁の向こうへ知らせることはできない。扉を叩く音はしたが、主人が杖を持って前へ立つと止んだ。

 

 地下扉の前には、前夜と同じ場所へ見張りを一人置く。

 

 扉しか見ない見張りだった。

 

 それでよい。

 

 鬼太郎は店の主人に防護を止めさせ、地下倉庫へ入った。

 

 奥の棚から離れた場所に、背の低い木箱が積まれている。

 

 その陰なら、壁から入った者にはすぐ見えない。

 

 銃口を向けた先には、瓶も壺もない。外れた弾丸を受けるのは、何も置かれていない煉瓦壁だった。

 

 アギは使えない。

 

 棚の中には、火を近づけなくても燃える液体がある。炎を出せば、犯人より先に倉庫全体が敵になる。

 

 パトラも、今使うものではない。

 

 鬼太郎は〈シュライク〉を抜き、右手へ持った。

 

 左手は空けておく。

 

「朝まで開けるな」

 

 主人が言う。

 

「中で何か起きても、扉の防護が――」

 

「作動しない可能性を調べているのですよ」

 

 主人は舌打ちし、外へ出た。

 

 二つの鍵が回る。

 

 銀色の線が再び淡く光り、扉の縁を巡った。

 

     ◆

 

 地下には、時を知るものがなかった。

 

 上の店から聞こえていた足音が止まる。

 

 通りを行く者の声も、やがて遠くなった。

 

 鬼太郎は木箱の陰で姿勢を変えず、奥の壁を見ていた。

 

 右手に〈シュライク〉。

 

 引き金からは指を外している。

 

 眠気はない。

 

 一週間の休息を挟まず、黒鉄の箱を運んだ直後にここへ来ていれば、この待ち時間に集中を保てなかったかもしれない。

 

 どれほど経ったころか。

 

 小さな音がした。

 

 石と石が擦れる音。

 

 鬼太郎は動かない。

 

 奥の棚の裏で、煉瓦が一つ、向こう側へ引かれた。

 

 暗い穴が開く。

 

 二つ目。

 

 三つ目。

 

 人の肩が通るほどの隙間になる。

 

 穴は、背板のない棚の下段と重なっていた。

 

 最初に入ってきたのは、杖を握った手だった。

 

 杖先が左右へ動く。

 

 続いて、痩せた男の顔が現れた。

 

 男は棚の隙間から倉庫を見回す。

 

 扉の銀色の線は光ったまま、何の音も立てない。

 

 男は身体を横にし、棚板の間から壁をくぐった。

 

 床へ降りる。

 

「誰もいない」

 

 小声で、壁の向こうへ告げた。

 

 返事は聞こえない。

 

 代わりに、重い息が一つ返る。

 

 もう一人いる。

 

 痩せた男だけを止めれば、二人目は通路へ戻る。

 

 鬼太郎は待った。

 

 壁の穴から、大きな手が出る。

 

 一本目とは別の杖を握っていた。

 

 肩。

 

 頭。

 

 大柄な男が、狭い穴へ半身を入れる。

 

 後ろへ戻るには、壁の向こうへ身体を引き抜かなければならない。

 

 鬼太郎は木箱の陰から立ち上がった。

 

 〈シュライク〉の銃口を、痩せた男へ向ける。

 

「なるほど」

 

 二人の顔が、同時にこちらを向いた。

 

「鍵が使われなかったわけです」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。