神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

34 / 194
檻の外の約束

第33話 檻の外の約束

 割れた壁の向こうへ出ると、鬼太郎は足を止めた。

 

「お金を、忘れています」

 

 サーシェスが振り返った。

 

「その足で戻るのか」

 

「机の鞄です。中は、ご覧になりましたよね」

 

 帳簿を持ち出すのに使った鞄には、最初から硬貨の袋が入っていた。サーシェスは肩の荷へ目をやり、口の端を上げた。

 

「ちゃんと覚えてやがる」

 

「忘れると、数え直せませんから」

 

「拾い物まで三対二か」

 

「ほかの割合にする理由があれば、伺います」

 

 サーシェスは鬼太郎の顔をしばらく見ていた。

 

「帰ってからだ。ここで広げるなよ」

 

「ええ。帳簿の分も、そのときに」

 

 約束を忘れていないのは、向こうも同じらしい。

 

 鬼太郎は壁から手を離した。二歩ほどは支えなしで進めたが、その先ではまた指を石へ触れさせた。

 

 通路に伏せた男の傍を、サーシェスが先に越えていく。鬼太郎はその後ろを辿った。靴が床を擦る音を、小さくする余裕がなくなっていた。

 

 階段の手前で、人の声がした。

 

「こっちだ」

 

 女の声だった。

 

 サーシェスが銃口を向ける。

 

「出てくるな。そのまま喋れ」

 

「そっちにいた子供は、まだいるか」

 

 鬼太郎は足を止めた。

 

 壁の陰に、白い髪が見えた。舞台で切られていた少女が、自分の足で立っている。その手からは、まだ血が落ちていた。

 

「いますよ」

 

 少女の目が、鬼太郎の顔から腹へ動いた。

 

「急に、弱くなったな」

 

「長くは続きませんでした」

 

「そうか」

 

 それだけ言って、少女は壁から離れた。

 

 後ろに、男が三人いた。

 

 そのうち一人の顔を、鬼太郎は見覚えていた。左耳の下の傷。右手の小指がない。

 

「トーマス・ヘイルさんですか」

 

 男はすぐには答えなかった。

 

「なぜ、名前を知ってる」

 

「あなたと箱を、取り戻す仕事です」

 

「誰に頼まれた」

 

 鬼太郎は料金所で使う半札のことを伝えた。男の肩から力が抜ける。

 

「まだ持ってるのか、あれを」

 

「はい。箱は舞台に残っています。歩けますか」

 

「歩ける。あれなら、台車もいる」

 

 サーシェスが、少女の手の鍵を見た。

 

「開けたのは、お前か」

 

「使える手があった方がいい」

 

 少女は三人の方を見ずに答えた。

 

「出口が分かるなら、私も行く」

 

「まだ取りに行く物がある。横から余計な扉を開けんなよ」

 

 サーシェスは銃を下げた。

 

 鬼太郎は少女の足を見た。片足を少し後ろへ引き、いつでも壁際へ退ける姿勢だった。

 

「モーンは」

 

 少女が尋ねた。

 

「奥の部屋です。もう動きません」

 

「見たのか」

 

「ええ」

 

 少女は、二人が出てきた通路へ顔を向けた。

 

 戻ろうとはしなかった。

 

     ◆

 

 舞台へ戻る道では、トーマスが鬼太郎の前を歩いた。

 

 何度か振り返られたが、鬼太郎は平気だとは言わなかった。平気ではないことは、見れば分かる。

 

 半開きの格子の向こうに、鉄箱が残っていた。

 

 右の取っ手の下の傷も、暗緑色の封蝋も、そのままだった。三つの鍵の印を、鬼太郎は離れたところから確かめた。

 

「これです」

 

 トーマスが格子へ近づき、上端を見た。

 

「これじゃ、台車は通らないぞ」

 

「巻上げる所がある」

 

 サーシェスは舞台の脇へ向かった。

 

「そいつら二人、ついてこい」

 

 男の一人が後ずさった。

 

「また閉じ込める気じゃないだろうな」

 

「そう思うなら、一人で出口を探せ。俺は荷物を出して帰る」

 

 男は開いた客席の方を見た。誰かを捜しているようだったが、すぐに目を戻した。

 

 もう一人が先にサーシェスへ続き、遅れて歩き出す。

 

 鬼太郎は格子の外側へ腰を下ろした。

 

 座るつもりはなかった。壁を伝って膝が曲がり、そのままになった。

 

 少女が、数歩離れて立ち止まった。

 

「お前が、あれを開けたのか」

 

「途中まで開いたのは、あの方のおかげです」

 

「私の方じゃない。あの、客のところだ」

 

 鬼太郎は客席を見た。倒れた椅子と、動かない人影が並んでいる。目の高さが下がると、椅子の脚が邪魔で奥は見えなかった。

 

「ええ」

 

「私を買うつもりだったのか」

 

「買いませんよ」

 

 少女の目が細くなった。

 

「モーンは、お前に渡したか」

 

「そのつもりのことは、言っていました」

 

「なら、私は行かない」

 

 少女が一歩退いた。

 

 鬼太郎は手を伸ばさなかった。

 

「あなたが決めればいいことです。僕の仕事は、あの箱と、こちらの方ですから」

 

 トーマスは格子を見上げたまま、黙っていた。

 

 遠くで歯車が動き始めた。格子が一度震え、止まる。次に動いたときには、鉄が擦れる音が長く続いた。

 

 少女は、鬼太郎から目を離さなかった。

 

「なら、なんで私を見てた」

 

「出てくると思ったんです」

 

 血が落ちる手へ、鬼太郎は視線を移した。

 

「鍵を見ていたでしょう。最初は、届きませんでしたけど」

 

 少女がその手を身体の後ろへ隠した。

 

「勝手に、見てたのか」

 

「見えるところでしたので」

 

 答えてから、鬼太郎は首を壁へ預けた。頭の傷へ触れ、すぐに離す。

 

 少女の顔が、また腹の傷へ向いた。

 

「あれは、お前も治るのか」

 

「傷を塞ぐことはできました。失くした血は、戻っていません」

 

 少女は、そこで初めて少し近づいた。

 

「私もだ」

 

 鬼太郎は顔を上げた。

 

「見ていました。立ち上がるたびに、遅くなっていましたね」

 

「お前も今、遅い」

 

「困っています」

 

 格子が頭より高いところまで上がった。

 

 トーマスが台車を探しに行く。その足音を聞きながら、鬼太郎は少女を見た。

 

「外に出た後、行くところはありますか」

 

「お前には関係ない」

 

「なければ、一緒に来ませんか」

 

 少女の手が、また鍵を握り込んだ。

 

「買わないと、言ったな」

 

「はい」

 

「じゃあ、何に使う」

 

 鬼太郎は少し考えた。

 

 目の前で縛られていたときも、少女は諦めずに人の動きを追っていた。手が届いたら噛みつき、血を流したまま自分で鍵を奪った。あれを、傍でまた見てみたいと思った。

 

「あなたは、しぶといですね」

 

「それで?」

 

「近くにいてほしいと思いました。何をするかは、お互いに動けるようになってから相談したいです」

 

「分からないまま、来いと言うのか」

 

「いま仕事を頼んでも、できないでしょう。僕も、今日はもう働きたくありません」

 

 少女は鬼太郎の脚へ目を落とした。

 

 血で色の変わった布を見て、少し黙った。

 

「食べ物と、寝る所は」

 

「用意します」

 

「檻はいらない」

 

「僕の部屋にはありませんよ」

 

「部屋になくても、鎖はつけるな。血も身体も、売らない。切って調べるのも、させない」

 

 最後の言葉を言うとき、少女は鬼太郎の目を見た。

 

「分かりました」

 

「嫌なら、私は出ていく」

 

「出ていく前に、ひと言お願いします」

 

「止めるためか」

 

「捜してしまいますから」

 

 少女の口が閉じた。

 

 鬼太郎は続けた。

 

「僕からも、頼みたいことがあります。持ち物を勝手に持ち出さないこと。僕のことを、勝手に他人へ話さないこと。それから、仕事の相手へいきなり噛みつかないでください」

 

「そいつが、先に何かしたら」

 

「何をされたかは、聞きます」

 

「毎回、お前に聞くのか」

 

「逃げる必要があるときまで、待てとは言っていません」

 

 少女は鍵束を見下ろした。

 

 トーマスが空の台車を押してきた。車輪の音が近づいても、二人の間へは入らなかった。

 

「名前は」

 

 少女が尋ねた。

 

「墓場鬼太郎です。鬼太郎で結構です」

 

「キーノだ」

 

「そう呼ばれていましたね」

 

「私が、そう呼べと言ってる」

 

 鬼太郎は少女の顔を見た。

 

「では、キーノさん。外まで、一緒に」

 

「先は、外で考える」

 

「ええ」

 

 キーノは、その場から離れなかった。

 

     ◆

 

 箱を台車へ載せるときには、鬼太郎の出番はなかった。

 

 巻上機から戻った男二人とトーマスが、取っ手へ手を掛けた。サーシェスは持ち上がる側を見ながら、封蝋を床や格子へぶつけないように指示した。

 

 鬼太郎は壁へ手をついて立ち上がった。

 

「包みの下へ、布をお願いします」

 

「見えてる。お前は倒れねえようにしとけ」

 

 箱が台車へ収まった。

 

 サーシェスが結び紐を引き、トーマスが反対側を押さえる。鬼太郎は封蝋をもう一度見てから、右の取っ手の傷へ指を触れた。

 

「開けられていませんか」

 

 鬼太郎が尋ねると、トーマスは封の縁へ顔を近づけた。

 

「俺が運んでたときと同じだ。ここの欠けも、前からある」

 

 男の指が、封蝋の下の小さな凹みを示した。

 

「取り上げられた後は、見てない。それ以上は言えない」

 

「それで結構です。引渡しの際にも、そう話してください」

 

「俺を、また渡すのか」

 

 トーマスの手が、取っ手から離れた。

 

 鬼太郎は男を見た。

 

「頼まれたのは、無事な帰還です。あなたが何をしたかは、聞いていません」

 

「……道で捕まったんだ。二人がかりで、馬の前へ出てきて」

 

 トーマスはそこで言葉を切り、歯を噛んだ。

 

「話せる。あいつらには、俺から話す」

 

 男が自分で取っ手を持ち直すのを、鬼太郎は待った。

 

 中身を確かめたいとは、もう思わなかった。

 

 少なくとも、今夜は。

 

 キーノは台車の反対側にいた。廊下を先に見ようとして、途中で顔を背ける。

 

 鬼太郎も、そちらを見た。

 

 解体に使う台の傍で、白衣の男が床を這っていた。片手を身体の下へ入れ、肘で引きずるように進んでいる。こちらへ伸ばした腕には、血がついていた。

 

 キーノの鍵が鳴った。

 

 鬼太郎は何も言わなかった。

 

 彼女は男を見つめ、次に、開いた廊下へ目を向けた。

 

 台車が動き出す。

 

 キーノもついてきた。

 

 床の男が何か言ったが、車輪の軋む音に混じって聞き取れなかった。キーノは振り向かなかった。

 

 サーシェスが先導した道には、彼が倒した男がいた。二人の元捕虜がそこを通るたびに、箱を押す手が止まる。

 

「止めるなら、止めるって言え。脚を挟むぞ」

 

 注意された男が謝った。

 

 トーマスは返事の代わりに、前の車輪を段差へ持ち上げた。

 

 裏口の手前で、サーシェスが全員を待たせた。

 

 外を見てから戻り、短く言う。

 

「いまなら出られる。騒ぐなよ」

 

 鬼太郎は扉の縁へ手を掛けた。

 

 冷たい風が、濡れた服へ入ってきた。

 

 空はまだ暗かった。壁の上に星が幾つか見え、その下に道が続いている。遠くで犬が吠えた。

 

 舞台の明かりも、拍手も、ここからは聞こえなかった。

 

 キーノは敷居を越えたところで止まった。

 

 建物ではなく、空を見ていた。

 

「そこは、荷物が通ります」

 

 鬼太郎が言うと、彼女は横へ避けた。

 

「分かってる」

 

 鍵束を握った腕を、今度は下ろしていた。

 

「それは、持っていくんですか」

 

 鬼太郎が尋ねると、キーノは手を開いた。

 

 鉄の鍵が、互いに重なって掌へ載っている。

 

「いらないのか」

 

「戻る予定はありませんけど」

 

 キーノは建物を見た。すぐに視線を外し、扉の脇へ鍵束を置く。

 

 自分を縛っていた金具の鍵も、そこへ落とした。

 

 短い音がして、手が空いた。

 

「後ろから来る奴がいたら、使うだろ」

 

「まだ、いたんですか」

 

「知らない。全部は開けてない」

 

 鬼太郎は戸口の暗がりを見た。奥を調べ直すつもりはなかった。キーノも、置いた鍵を拾い直さずに荷馬車へ向かった。

 

 サーシェスは近くに繋がれた馬と、荷馬車を調べた。御者台の下を覗き、荷台の覆いを引く。

 

「これを借りる。箱を載せろ」

 

 男二人が台車を押し上げようとして、サーシェスに止められた。脇に積まれていた板を二枚渡し、車輪が落ちない幅へ直す。

 

 鬼太郎は荷台の縁へ手を掛けた。

 

 腕へ体重を掛けると、左の傷が痛んだ。

 

 もう一度足を置こうとしたところで、後ろから襟を掴まれた。

 

「首が、締まります」

 

「ぶら下がる前に、乗れ」

 

 サーシェスに持ち上げられ、鬼太郎は腹を庇って荷台へ転がり込んだ。

 

 キーノが避け損ねた袖を掴んだ。鬼太郎の肩が縁へ戻りかけ、そこで止まる。

 

 彼女も顔をしかめていた。

 

「重い」

 

「下ろさないでくださいね」

 

「自分で奥へ行け」

 

 鬼太郎は空いた手で床を押し、箱の脇へ身体を移した。

 

 トーマスが乗り込み、箱の紐を荷台へ結び直した。

 

 キーノは荷台の覆いを見上げ、入口の布を脇へ寄せた。

 

「閉めるな」

 

「寒いですよ」

 

「開いてる方がいい」

 

 鬼太郎は布から手を離した。風が通っても、彼女は元へ戻さなかった。

 

「着いた先で、身体のことを聞かれたら」

 

 小さな声だった。

 

「答えたくないことは、答えなくていいと思います」

 

「お前が言うのも、だ」

 

 鬼太郎は彼女を見た。

 

 混血だという舞台の紹介も、傷の塞がる様子も、覚えている。それを代金の足しにするつもりはなかったが、言わないでほしいことまで、こちらが勝手に決めるものではないらしい。

 

「分かりました。僕からは話しません」

 

 キーノは入口へ顔を向けた。

 

「私が噛むかもしれない相手にも、先に言え」

 

「その話は、動けるようになってから、もう少し詳しくお願いします」

 

 言い終わる前に、鬼太郎は息を継いだ。長く話すほど、胸が苦しかった。残る二人は、荷馬車から離れて立っていた。

 

「俺たちは、こっちへ行く」

 

 一人が道を指した。

 

 サーシェスは行き先を尋ねなかった。

 

「追っ手が来ても、こっちの話はするな」

 

 男は頷いた。もう一人がキーノの方へ何か言いかけたが、声を出す前に頭を下げた。

 

 キーノは返さなかった。

 

 二人は足を速め、建物の陰へ消えた。

 

 サーシェスは御者台へ上がり、少し進んだところでもう一度降りた。塀の外へ回って、隠していた長い銃を持ち帰る。

 

 鬼太郎は、その姿を見てようやく息を吐いた。

 

 サーシェスが空いた窓から中を見た。

 

「料金所へは、まだ間に合う」

 

 鬼太郎は顔を上げようとした。

 

 口が乾いていた。

 

「先に……治療を」

 

「報酬より先でいいのか」

 

「受け取る前に、死ぬと困ります」

 

 サーシェスが小さく笑った。

 

「そりゃ、そうだ」

 

「費用は、記録を……お願いします」

 

「忘れたら、適当に足すぞ」

 

 何か言い返そうとしたが、舌が動かなかった。

 

 荷馬車が揺れた。

 

 鬼太郎は壁へ身体を預け、上着へ手を当てた。折られた手紙は、まだそこにあった。銃も、収まっている。

 

 向かい側で、キーノが膝を抱えて座った。

 

 白い髪の間から、目がこちらを見ていた。

 

「おい」

 

 呼ばれて、返事をしようとした。

 

 車輪の音が、急に遠くなった。

 

 身体が横へ傾き、誰かの手が袖へ触れたところで、鬼太郎の意識は途切れた。

    第3章『最後の演目』完

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。