第三十四話 杖の値段、銃の値打ち
夜明けの通りを抜け、借りている個室へ戻ったころには、窓の向こうが白み始めていた。
鬼太郎は扉を閉め、鍵を掛ける。
鞄を机へ置く前に、窓の留め具と床板を確かめた。出ていったときから動かされた跡はない。
それから、鞄の中身を一つずつ机へ移した。
薬品商から受け取った報酬。
薄い漆喰削り。小さな袋。隣の空き店舗へ入るための鍵。
そして、別々の布で包まれた二本の杖。
ウォードから奪った杖は、その二本とは離して置く。
三本とも、同じ細長い木の棒に見える。
だが、一本だけは、これまでに漏れ鍋の奥の壁を開くため何度も使っている。残る二本は、どのような魔法へ使われ、何が仕込まれているのかも分からない。
鬼太郎は布を解かなかった。
先に〈シュライク〉をホルスターから抜き、弾倉を外す。薬室に弾が残っていないことを確かめてから、机の上へ清掃用の布を広げた。
二発。
痩せた男の右腕へ一発。
大柄な男の右手へ一発。
どちらも狙った場所へ入り、瓶には触れていない。
結果に問題はなかった。
それでも、撃てたことと、次も撃てることは別だった。
部品を順に外す。火薬の汚れを拭い、銃身の内側を確かめる。作動部に異物はなく、目に見える傷もない。握ったまま木箱の陰へ身体を倒したが、どこかへ強く打ちつけてもいなかった。
清掃を終え、同じ順序で組み直す。
引き金には指を掛けず、作動を確かめる。
異常はない。
使用した二発を予備から補い、残りの弾数を数えた。
すべてを終えてから、鬼太郎は服を脱いだ。
右肩と脇腹に残っていた痣は、さらに薄くなっている。左手首の火傷も、銃を支える動きを妨げない。薬品商の倉庫で新しく傷ついた箇所はなかった。
報酬を数え直し、魔法界の硬貨とマグルの金を分ける。
杖二本と、侵入者から取った道具は、布に包んだまま鞄へ戻した。
それからようやく、鬼太郎は寝台へ横になった。
◆
翌日、二本の杖を机へ並べた。
窓から入る光の下で、布を一枚ずつ開く。
痩せた男が持っていた杖は、大柄な男のものより細い。握りの辺りに浅い擦れがあり、長く同じ向きで持たれていたことは分かる。
もう一本は、落ちたときについたらしい新しい傷が表面にあった。折れてはいない。鬼太郎の弾丸も、杖そのものには当たっていなかった。
長さを測る。
表面を見る。
柄の端にある小さな印を、購入した初歩書の図と見比べる。
そこまでだった。
木の種類も、中に何が使われているのかも、鬼太郎には断定できない。以前の持ち主が使っていた魔法を、外側の傷から読み取ることもできなかった。
二本を振ることはしない。
意味の分からない呪文を唱えることもしない。
調べるために、分からない道具を使う必要はない。
鬼太郎は再び一本ずつ包み、ウォードの杖とは別の場所へ置いた。
その日も、その翌日も、魔法界へは行かなかった。
食事を取り、眠り、身体を動かす。
頬の細い傷と、左手首に残る新しい皮膚を確かめる。
ルークの手帳も開いたが、読めない単語と略号は、見つめているだけでは意味を持たなかった。分かる図だけを初歩書と照らし合わせ、推測と確定したことを別々に書き留める。
薬品商の依頼を終えてから四日後の朝、鬼太郎は二本の杖を鞄へ収めた。
〈シュライク〉を右脇のホルスターへ入れ、上着で隠す。
ウォードの杖だけは、横丁へ入るため取り出しやすい場所へ入れた。
◆
漏れ鍋の奥で、鬼太郎は覚えている順に煉瓦を叩いた。
壁が左右へ退く。
朝のダイアゴン横丁を抜け、道幅が狭くなり、店の窓が暗くなる方角へ進む。
非正規両替所の扉を開けると、仲介人は帳面から顔を上げた。
「四日か」
「ええ」
「銃は」
「問題ありません」
仲介人の手が、閉じてあった帳面へ伸びる。
「では――」
「その前に、紹介していただきたい方がいます」
手が止まった。
「誰だ」
「杖を調べられる方です。先日の二本は、外から見ただけでは性質が分かりませんでした」
「売るのか」
「値段を聞くことはあるかもしれません。ただし、先に知りたいのは、壊れていないか、追跡や罠がないかです」
「調べるだけでも金は取るぞ」
「当然でしょう。あなたの紹介料と、相手の鑑定料を先に教えてください」
仲介人は二つの額を紙へ書いた。
鬼太郎は合計を確かめる。
「鑑定中に壊された場合は?」
「鑑定した奴が払う。お前が試させた魔法で壊れたなら、お前の負担だ」
「僕は試しません」
「なら、そう伝えておく」
仲介人は帳面を閉じ、奥の扉へ入っていった。
◆
連れてこられたのは、指先を黒く染めた年老いた魔法使いだった。
男は鬼太郎を見るより先に、机へ置かれた二つの包みを見た。
「これか」
「ええ。ただし、魔法を撃たせるつもりはありません」
「振らずに分かることだけでいいならな」
鬼太郎は鑑定料を机へ置いた。紹介料は仲介人の側へ分ける。
男は受け取る前に額を数えた。
「一本ずつです」
鬼太郎が言う。
「二本を同時に開かないでください。包みも入れ替えないように」
「自分の杖でもないのに、細かいガキだ」
「僕が持ち帰ったものですから」
男は鼻を鳴らし、痩せた男から取った方を開いた。
布の上から杖を持ち上げ、表面を灯りへ向ける。小さな拡大鏡で柄と先端を見たあと、自分の杖を取り出した。
「それで何をします?」
「反応を見るだけだ。こいつから魔法は出さん」
鬼太郎は、男の杖先と手元が見える位置へ移った。
短い呪文とともに、調べられている杖の表面を淡い光が滑った。
光は途中で途切れず、先端まで進んで消えた。
「折れも、芯の大きなずれもない。少なくとも、今すぐ持ち主へ場所を知らせるような仕掛けは見えん」
「見えない仕掛けがないとは?」
「言わん。そこまで保証してほしければ、料金が違う。それでも完全にはならん」
「それで結構です」
男は柄の印を調べ、木目へ爪を当てた。
「珍しい品じゃない。よくある作りだ。売るなら、値はこの程度だな」
示された額は、先ほど払った鑑定料を少し上回るだけだった。
鬼太郎は答えず、一本目を元の布へ戻させた。
二本目も同じ順序で調べられた。
淡い光が表面を進む。
今度は、柄に近い場所で光がわずかに揺れた。
「こっちは、攻撃に使う魔法を随分通しているな」
「先ほどの赤い光も、その一つですか?」
「見ていないものまでは知らん。残っている癖が強いだけだ」
「壊れています?」
「使える。だが、お前に従うかは別だ。杖には相性がある。奪ったからといって、前の持ち主と同じ働きをするとは限らん」
「使わずに相性を知る方法は?」
「ない」
男は二本目の値段も告げた。一本目よりは高いが、鬼太郎が手放す理由になる額ではなかった。
「売らんのか」
「今日は、値段を知りに来ただけです」
「持っていても、お前が魔法を使えなきゃ木の棒だぞ」
「木の棒かどうかを決めるのは、もう少し知ってからにします」
二本の杖を別々に包み直し、鞄へ戻す。
鬼太郎は、男が帰るまで包みから目を離さなかった。
◆
「今度こそ、仕事を見るか」
仲介人が帳面を開いた。
「内容を聞いてから決めます」
「一人では渡せない仕事だ」
「人数を条件にする理由は?」
仲介人は一枚の紙を机へ広げた。
四角い建物と、その横を流れる川。反対側には、細い街道が描かれている。
「川沿いの古い税関倉庫だ。今は使われていない。昨夜、運び屋がそこで襲われた」
「運んでいたものは?」
「革の書類鞄。封がしてある。中には、依頼人と取引相手をつなぐ記録が入っている」
「中身の確認は」
「するな。封を壊さず持ち帰れ」
「運び屋は?」
「生きていれば追加が出る。死んでいても、鞄さえ戻れば基本分は払われる」
「襲った人数は」
「確認できたのが五人。増えている可能性はある。魔法使いが複数いる」
「倉庫の防護は?」
「元からあるものは死んでいるらしい。占拠した連中が新しく置いたかは分からん」
「期限は」
「今夜だ。日付が変わる前に別の買い手へ渡すという話がある」
鬼太郎は紙を見る。
川へ向いた大きな搬入口。
街道側の正面扉。
横には小さな窓が三つ。建物の外に、荷を積むための張り出しがある。
「二つの出口を、一人では見られないからですか」
「それもある。鞄を持って川へ逃げられたら、倉庫の中から追いつくのは難しい。逆も同じだ」
「先に組む相手を見せてください」
仲介人は、机の奥にある扉へ顔を向けた。
「聞こえているだろう。入れ」
扉が開いた。
最初に見えたのは、男の手に提げられた細長いケースだった。
杖を入れるには長すぎる。
男は室内へ入ると、扉を背にしなかった。壁際へ一歩ずれ、鬼太郎と仲介人、表へ通じる扉、窓の位置を順に見る。
無造作に伸びた黒髪。
口元には、相手を試すことを楽しんでいるような笑みがある。
上着の裾は片側だけ重い。腰に何かを下げている。ケースを持つ手の指には、銃を扱う者の硬さがあった。
男の視線が、鬼太郎の顔から右脇へ下がる。
上着に隠した〈シュライク〉の位置で止まった。
「おい」
男は仲介人へ言った。
「俺が組まされる相手ってのは、その坊主か?」
「黒い箱を持ち帰ったのも、薬品商の穴を見つけたのも、そいつだ」
「呪いが効かねえってガキか」
「効かなかったとは言っていませんよ」
鬼太郎が答える。
「自分で外しただけです」
「杖もなしに?」
「ええ」
男の笑みが少し深くなった。
「そいつは結構」
信じた顔ではなかった。
鬼太郎も、訂正を重ねなかった。
「あなたが、もう一人ですか」
「サーシェスだ。お前は?」
「この仕事に、名前は必要ですか?」
「撃つ前に呼べねえと困るだろ」
「合図を決めれば済みます」
「可愛げのねえ坊主だな」
「そうですか」
鬼太郎は微笑んだ。
サーシェスはケースを机の横へ立てた。床へ置く瞬間にも、手を離して倒れるような扱いはしない。
中身は長銃だろう。
「こいつは魔法を使わん」
仲介人が言った。
「使えん、と言えよ」
サーシェスは笑ったまま訂正した。
「俺はスクイブだ。ご立派な杖どもにゃ嫌われてるんでね」
卑下する調子ではなかった。
使えないことを恥じてもいない。ただ、魔法使いが自分をどう見るかまで分かったうえで、口にしている。
「では、その中身を使うのですね」
鬼太郎はケースを見る。
「開けて見せてやろうか?」
「必要ありません。持ち方を見れば、飾りではないことは分かります」
「へえ」
サーシェスは初めて、鬼太郎の右脇ではなく目を見た。
◆
二人は見取り図を挟んで向かい合った。
サーシェスの指が、川の対岸にある小さな建物を叩く。
「ここは?」
「使われなくなった荷役小屋だ」
仲介人が答えた。
「倉庫までの距離は」
「およそ二百ヤード。間に川がある」
「窓は生きてるか」
「屋根は残っている。窓枠の一部もだ。中までは見ていない」
サーシェスは、川側の搬入口から荷役小屋まで指を滑らせた。
「俺がこっちへ入る。川側を見張ってる奴を落として、逃げてきた奴も止める。坊主は街道側から中へ入れ」
「最初に撃てば、倉庫の全員が襲撃に気づきます」
「気づかれるような撃ち方をすると思ってんのか、坊主」
サーシェスの声には、怒りより愉快さがあった。
鬼太郎は男の顔ではなく、図へ目を戻す。
「風は川上からですか、川下からですか」
「今朝は川下へ流れていた」
仲介人が答える。
「夜まで同じとは限りませんね。荷役小屋から搬入口の内側は見えます?」
「扉が開いてりゃな」
サーシェスが言う。
「閉じていた場合は」
「扉の外へ出た奴を撃つ。お前が中で死にそうなら、別の位置へ移る」
「僕が中にいるまま、倉庫ごと爆破する案は?」
「鞄が燃える。報酬も消える。やる理由がねえな」
即答だった。
「盾の呪文は知っていますか」
「知ってる。だから、構える前に撃つ」
「すでに使っていた場合は?」
「切れるまで待つか、そいつが守ってねえ方を狙う。正面から弾を捨てる趣味はねえ」
鬼太郎は、サーシェスの指を見る。
図の上で遊ばせてはいない。相手の位置が変わるたび、次に撃てる場所を探している。
「鞄を見つけた合図を決めましょう」
「赤い火でも上げるか?」
「相手にも見えます」
「冗談だ」
「面白くはありませんね」
「ますます可愛げがねえ」
サーシェスは笑い、窓の一つを指した。
灯りを一度消して点ける。
できなければ、川側の窓へ白い布を掛ける。
二つの合図を決めた。
鬼太郎が街道側から入り、倉庫内で書類鞄を探す。サーシェスは川の対岸から搬入口と外周を監視する。
敵の配置が聞いていたものと違えば、互いに相手の許可を待たず位置を変える。
ただし、書類鞄を確保した側は封を開けない。
運び屋を生きたまま見つけた場合も、鞄の回収を優先する。
仲介人が報酬を五つに分けた。
倉庫へ入り、鞄を探して運び出す役に三つ。
川側の退路を塞ぎ、外から援護する役に二つ。
「逆がいいなら代わりますよ」
鬼太郎が言った。
「そのちっこい銃で二百ヤード先を取るのか?」
「あなたが中へ入るのであれば、僕はもっと近い場所を選びます」
「悪くねえ答えだ。だが、中はお前でいい」
サーシェスは三つの取り分へ顎を向けた。
「先に鞄を持った方が、相手の分まで取るのはなしだ。死んだ方の取り分も、生き残った方へ勝手に移さない」
「構いません」
「助けてくれって泣かれても、役目を捨てて駆けつけるとは限らねえぞ」
「僕も同じです」
二人の返答を聞き、仲介人が条件を紙へ書き加えた。
鬼太郎は、報酬、期限、回収品、追加報酬、二人の役割を最初から読み直す。分からない隠語は、その場で意味を確認した。
サーシェスは急かさなかった。
代わりに、鬼太郎がどの行で止まり、何を尋ねるかを見ていた。
最後に二人が同意し、契約が成立した。
仲間になったわけではない。
サーシェスは鬼太郎を守るために動かない。
鬼太郎も、サーシェスを助けるために仕事を変えない。
今夜一度、同じ報酬へ向けて、別々の場所から銃を構える。
決まったのは、それだけだった。
サーシェスは細長いケースを持ち上げる。
「そんじゃあ、坊主」
愉快そうに歯を見せた。
「まずはお前が、俺の射線に入らねえか見せてもらおうか」