神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

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白い泥の靴

第38話 白い泥の靴

 治療師の指が、右脇腹の傷痕を押した。

 

 鬼太郎は深く息を吸い、ゆっくり吐いた。契約の席へ行った日には、階段を上がるだけで奥が引かれた。今は椅子から立ち、部屋を往復しても、同じ感覚は起こらなかった。

 

「急に立ったときは」

 

「昨日から、目眩はありません」

 

「昨日から、ね」

 

 女は鬼太郎の目を見て、脈を確かめた。

 

「歩けるようになったからって、いっぺんに戻すなよ。まず軽い運動。それで異常がなきゃ、少しずつだ」

 

「銃の点検は、座ってできます」

 

「点検だけならね」

 

 鬼太郎が返事をする前に、女は壁際のキーノへ向いた。首と手首の痕を確かめ、食べている量と、歩いた時間を聞く。

 

 キーノは触れられる所を目で追いながら答えた。血を採る道具が出てこないことも、そのたびに確かめているようだった。

 

「あんたも、動ける分だけだよ」

 

「分かってる」

 

「そっちの子に、付き合って倒れるんじゃない」

 

「倒れるなら、一人で倒れろ」

 

 キーノがこちらへ言い、鬼太郎は上着を戻した。

 

「できれば、次は倒れずに済ませたいですね」

 

 女は、できればという所が嫌だと返した。

 

     ◆

 

 部屋へ戻ると、鬼太郎は机へ布を敷いた。

 

 シュライクには、劇場の床でついた傷があった。見える汚れを拭っても、細かい隙間には乾いた血と埃が残っている。弾を外し、部品を順に並べると、向かいのキーノが身を寄せた。

 

「壊れたのか」

 

「調べます。撃ってから分かるより、今の方がよいでしょう」

 

 石へ当たった部分も、今のところ歪んではいなかった。鬼太郎は汚れを取り、いつもの動きが戻るかを確かめた。

 

 キーノの指が、布の手前まで伸びて止まる。

 

「触っていいか」

 

「そちらの部品なら。弾の方は、そのままにしてください」

 

 彼女は金属を持ち上げた。思ったより重かったらしく、片手から両手へ替える。

 

「私にも使えるか」

 

「練習は必要です。それに、僕の手へ合わせて作ったものですから」

 

「ほかの銃なら?」

 

「身体が戻ったら、持ち方から教えられますよ」

 

 キーノは部品を元の位置へ戻した。机の脇には、彼女が持ってきた入門書がある。昨日書き写した文字の紙が、その間へ挟まっていた。

 

「先に、こっちだ」

 

 杖を取って言った。

 

「両方いっぺんには、覚えられない。弾も金も要るし、それは私の手に合わないんだろ」

 

「ええ」

 

「本は、もう少し読める。光も出せる。なら、次を調べる方が早い」

 

 鬼太郎は、それ以上銃を勧めなかった。

 

 清掃を終えると、使った六発分を補充した。劇場へ入る前と同じ数に戻ったが、すぐホルスターへ戻して歩き回る気にはならなかった。机から離れた所へ収め、まずは部屋の端まで、身体を捻らずに歩くところから始めた。

 

     ◆

 

 数日後、鬼太郎は町外れの古い作業場を借りた。

 

 以前にも短い試射に使った場所で、奥には厚く土が積まれている。屋根の半分は残り、横には使われなくなった窯があった。持ち主へ伝えた時刻より早く着き、入口と窓の外を確かめてから荷を下ろす。

 

 キーノは連れてこなかった。

 

 見学するか尋ねると、文字の続きをすると答えた。帰るまでにノックスを一度で使うと言っていたが、それを今日の仕事にはしなかった。

 

 鬼太郎は水を入れた浅い器を、土の上へ置いた。

 

 左手を向ける。あの夜には、意識した先へ力が溢れた。今は掌へ通す分を、自分の内側から引き出さなければならない。

 

「ブフ」

 

 白い冷気が器を覆った。

 

 水面に薄い膜ができる。指で触れずに待ち、器の縁を傾けると、その下の水はまだ動いた。通路の床へ靴ごと貼りつけた時のようには、凍っていなかった。

 

 鬼太郎は器を戻した。

 

 弱くなったというより、これが今の身体で出せる冷気なのだろう。やり方を忘れてはいない。力を集めた分だけ、腕の内側へ疲れが残った。

 

 間を置き、土壁へ古い金属片を立て掛ける。

 

「ジオ」

 

 細い雷が走った。金属の縁で白い光が弾け、乾いた音が窯へ返った。鬼太郎は手を下ろし、指を開いた。

 

 劇場の広い客席へ届いた光とは、太さも勢いも違う。あれを今のつもりで使えば、届く前に相手の呪文を受けるかもしれなかった。

 

 次には、丸めた布を少し離れた土の上へ置いた。

 

 風を通す向きを定め、左手を上げる。

 

「ザン」

 

 布が土を擦り、転がった。傍の埃も舞い上がる。鬼太郎は飛んだ先へ歩き、布を拾った。破れてはいない。これだけで、何もかも切れると思うのは無理があった。

 

 記録へ短く書き、いったん座る。

 

 掌の感覚は戻っていた。それでも、同じ場所へ同じ強さで出せるかは、まだ確かめなければならない。人に当ててどうなるかも、金属や布を見ただけでは分からなかった。

 

 アギは最後に、一度だけ試した。

 

 掌の先へ小さな火をまとめ、土で囲った木片へ放つ。炎が移ったのを見届け、用意した砂で消した。

 

 四つを使っただけでも、息を整える時間が要った。

 

 あの夜のような力が続いていれば、銃を拾い直す手間も、罠の扉を開ける時間も違っただろう。だが、そう考えたところで掌へ増えるものはなかった。

 

 鬼太郎は紙を畳んだ。

 

 次は同じことを、もう少し疲れずにできるか。それが分かれば、戦う時に使う順番も決められる。

 

 帰りには水面の氷が薄く割れ、器の縁から外れた。鬼太郎は水を捨て、道具を片づけた。ディアを試すための傷を作ることはしなかった。

 

     ◆

 

 身体に変化が残らなかったことを翌朝に確かめ、射撃は別の日にした。

 

 治療師には経過を伝え、最初は三発、痛みや目眩があればそこでやめると言われた。鬼太郎は同じ作業場へ行き、土壁の前の紙へ向けて一発目を撃った。

 

 弾痕は中心より下だった。

 

 右手首を動かし、左腕を上げる。脇腹には痛みがない。だが、撃つ直前に身体が僅かに縮んでいた。

 

 二発目は、足の位置と息を整えてから撃った。最初より中心へ近づく。

 

 三発目は木箱の陰へ歩いて移り、姿勢を変えて試した。腰を捻ると傷痕の奥が引かれたが、痛みにはならない。

 

 紙の中へ収まった弾痕を見て、銃を下ろした。

 

 もう一発撃てば、今度は狙った所へ届くかもしれない。手にも、まだ余力はあった。

 

 鬼太郎は続けず、片づけを始めた。

 

 相手がいれば、撃たなければならない時もある。今日は誰もいない。ここで傷を開けば、次に来られる日が遅くなるだけだった。

 

 部屋へ帰ると、キーノは一人で灯した光を消してみせた。

 

「一度で消えましたね」

 

「その前は、二度失敗した」

 

「どこを変えました?」

 

「強く握るのをやめた。昨日も、そうした方がよかった」

 

 キーノは紙へ丸をつけ、こちらの荷を見る。

 

「お前は?」

 

「三発。最初は下へ外れました」

 

「下手になったな」

 

「そのようです。戻すものが、まだありますね」

 

 紙へ結果を加え、銃を清掃した。使った三発も補充する。脇腹の張りは休んでいるうちに薄れ、翌日には残らなかった。

 

     ◆

 

 買い物へ出ようと決めたのは、その後だった。

 

 鬼太郎は必要な品を紙へ書いた。本は欲しいだけ挙げれば、すぐに金が足りなくなる。読み書きの教材と、図の多い杖魔法の入門書。魔法界の暮らしと法律、危険な薬品の扱いも、早めに読んでおきたかった。

 

 キーノが隣から紙を見る。

 

「私の仕事も、あるか」

 

「荷物を持つだけでは、安くなりますよ」

 

「それ以外も、できる」

 

 鬼太郎はペンを止めた。文字の練習を働きに数えるつもりはなかったが、彼女の目が役立つことは、劇場でも見ていた。

 

「では、店で僕が話している間、買った物を見ていてください。道も覚えて、同じ人がついてこないか確かめる。何か見つけたら、先に僕へ知らせること」

 

「捕まえるのか」

 

「そこまでは頼みません。危険があれば離れます」

 

 半日の固定報酬を告げ、役に立つ異変の報告には追加をつけた。キーノが少ないと言ったので、戦う仕事を含めるつもりはないと伝える。

 

「勝手に仕掛けてから、危険だったと言われても困ります」

 

「仕掛けなければ、払う?」

 

「頼んだことをしていただければ。尾行が見つからなくても、固定分は変わりません」

 

 キーノは紙の数字を読んだ。まだ全部の文章は読めないため、鬼太郎が短く区切って読み上げた。

 

「それなら、やる」

 

 彼女は紙の端へ、小さく印をつけた。

 

 外出するときには、仮杖を上着へ収めていた。鬼太郎もウォードの杖を取り、銃とは別の位置へ入れる。混血について聞かれても、答えたくなければ答えず、しつこい相手からは離れると話した。

 

「お前は、言わない約束だ」

 

「覚えています」

 

 キーノはそれだけ確かめ、先に廊下へ出た。

 

     ◆

 

 漏れ鍋の中庭で、キーノが足を止めた。

 

「壁だ」

 

「ここを開けます」

 

 鬼太郎はウォードの杖で、教わった煉瓦を叩いた。壁が動き始めると、キーノは一歩退いたが、すぐに杖先が触れた場所へ目を戻す。

 

「いまのも、呪文か」

 

「決まった場所を叩くと、開く仕掛けです。僕が使える呪文が増えたわけではありませんよ」

 

 キーノは位置と回数を確かめてから、開いた先へ進んだ。

 

 通りには、魔法使いが大勢いた。店の看板が揺れ、頭上を鳥籠が運ばれていく。キーノは浮く荷物を見上げた後、その下で買い物袋へ近づく人影を見た。

 

「店に入るなら、先に言え」

 

「まず、あちらの古書店へ」

 

 鬼太郎は少し奥の通りを指した。

 

 角の薬店で、茶色い外套の男が包みを受け取っていた。片方の靴だけ、白く乾いた泥で汚れている。キーノは道を譲るついでに見て、そのまま歩いた。

 

 古書店では、鬼太郎が棚の前から動かなくなった。

 

 新しい紙ではなく、何度も開かれた革の匂いがする。本の中には、背表紙の文字だけ残って擦り切れたものもあった。

 

 店主が数冊出すと、鬼太郎は値段より先に、頁の抜けや余白への書込みを調べた。キーノも一冊開く。最初の行から知らない字が続いている。

 

 その隣の本には、手と杖の大きな図があった。

 

「こっちがいい」

 

 キーノは図の本を引き寄せた。

 

「自分で見られる方ですね」

 

「読んでもらうのを待つより、早い」

 

 鬼太郎はその本を、買う方へ置いた。

 

 魔法界の一般書、簡単な法律書、基礎の理論と薬品の本。生き物や遠い土地を扱う本も見つけたが、今日は値段を控えるだけにした。

 

 キーノは重ねられた本の傍へ残り、客が通るたびに手元を見た。鬼太郎が店主と話している間、包みに触れようとする者はいなかった。

 

 支払いが済むと、一方の包みをキーノが抱えた。

 

 店を出た所で、彼女の足が僅かに遅くなる。

 

 通りの向こうに、茶色の外套がいた。

 

 今は包みを持っていない。銀器を並べた店の硝子を見ているが、片方の靴には同じ白い泥がついていた。

 

 キーノは鬼太郎の袖を引いた。

 

「同じ男だ。二度目」

 

 鬼太郎は顔を向けなかった。

 

「どの人ですか」

 

「茶色の外套。左の靴だけ白い。さっきは薬屋で、包みを受け取ってた。今はない」

 

「ほかに、覚えた所は?」

 

「左の袖が擦れてる」

 

 鬼太郎は持った本を抱え直し、前の道具店を見た。

 

「こちらへ。店の中を通ります」

 

 二人は棚の間を抜け、別の通りへ出た。鬼太郎が小さな金具を眺めるふりをしている間、キーノは窓へ映る道を見た。

 

 男は現れない。

 

「追わないのか」

 

「本を持って追いかける理由がありません。別の店へ用があっただけかもしれませんし」

 

「ついてきてたら?」

 

「そのときも、まず荷物を持ち帰ります。今日は、戦う準備で来ていません」

 

 鬼太郎はキーノの抱えた包みを見た。

 

「報告は、助かりました」

 

「金は」

 

「帰ってから、約束どおりに」

 

 キーノは包みの下へ手を入れ直した。男のいない通りを見てから、鬼太郎の後へ続く。

 

     ◆

 

 鞄の店では、キーノの持つ包みが重さを増したように感じられた。

 

 棚の奥には、外見より多く入る品があった。一番安いものを鬼太郎が見せてもらうと、口の内側で底の位置が僅かに揺れた。

 

「壊れたとき、中の物はどうなります?」

 

 店主は、運がよければ戻ると答えた。

 

 鬼太郎は鞄を返した。

 

「それでは、困りますね」

 

「安いものに、何でも求めるなよ」

 

「ほかの品を見ます」

 

 高い方には製作者の印と、修理先を書いた札がついていた。鬼太郎は価格を聞き、今買えば何を諦めるかを考えた。

 

 食料や二人の部屋に使う金までは、入れられない。サーシェスへ払った金も、仕事を頼まなかったからと戻ってはこない。

 

「今日は、普通のものにします」

 

 底と肩紐の丈夫な鞄を買い、本を入れた。持ち上げれば、そのままの重さが掛かる。

 

「早く、広い方を買え」

 

 キーノが言った。

 

「本をなくさない品を、探してからです」

 

 鬼太郎は製作者の印と店名を書き留め、残った金で整備用の布と油を買った。

 

 帰路では道を変えた。茶色い外套が見えなくなっても、そのまま部屋へは戻らず、人の多い店へ一度入る。

 

 キーノは包みを抱えたまま、通りを見ていた。

 

 男は、帰るまで現れなかった。

 

     ◆

 

 購入品を並べ終えると、鬼太郎はキーノへ固定報酬を渡した。

 

 さらに、男の外見と見た場所を紙へ書き、報告の分を加える。

 

「捕まえてないぞ」

 

「頼んでいませんから」

 

「敵かも、分からない」

 

「ええ。でも、次に同じ人を見たら、比べられます。外套の色だけでなく、靴と包みの違いも覚えていました」

 

 キーノは紙と金を見比べた。

 

「あいつが違う靴を履いたら?」

 

「ほかに変わらない所があるか、見ることになりますね」

 

「袖は擦れてた。歩くと、こっちの肩が下がる」

 

 自分の右肩を少し落としてみせた。

 

 鬼太郎はそれも書き加えた。何を知りたがっていたのか、男が本当にこちらを見ていたのかは、まだ分からない。

 

 キーノは数え終えた金を、自分の内ポケットへ入れた。

 

 鬼太郎も買った本を鞄へ収めていく。油は別に包み、弾薬の入った箱から離して置いた。キーノの挿絵の本だけは、机へ残す。

 

「それは、私の方へ持っていく」

 

「どうぞ。明日、分からない所を教えてください」

 

「お前が教えるんだろ」

 

「どこが分からないかは、キーノさんに聞かなければ」

 

 彼女は本を抱えた。重い包みを運んだ腕へは、もう一本抱える余地があるらしかった。

 

 鬼太郎は男について書いた紙を畳み、仕事用の手帳へ挟んだ。

 

 白い泥は、歩けば剥がれるだろう。それだけを覚えておけばよいとは、思わなかった。

 

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