第40話 箱にはない条件
サーシェスの指が、地面に描いた二階窓へ置かれた。
「ここから、正面の銃持ち。この二人は、長銃で見える」
別棟寄りにいる刃物の男は、外壁の陰になる。鬼太郎はその位置から壁沿いへ線を引いた。
「こちらは僕が。そのままヴェイルさんを確かめます」
「俺は二発撃ったら裏へ回る。箱が動いたら止めるぞ」
「馬や車輪を撃って、横転させないでくださいね」
「箱の方が大事ってか」
「中の道具を焼かれても、壊されても、同じ失敗ですから」
サーシェスは荷車へ向かう線の脇に、逃げ道を一本加えた。線路を横切り、壊れた柵から作業道へ出る。鬼太郎が来た道とは違ったが、人を支えて歩くなら、草の深い方よりよさそうだった。
「地下の音は?」
「まず、ご本人に聞きます。何か分からないまま、先に降りるつもりはありません」
「逃げた奴も追わねえな」
「箱と職人から離れるのであれば」
サーシェスが鬼太郎の腹へ目をやった。
「医者が聞いたら喜ぶぜ」
「報酬の増えない相手を追って、治療費が増えても困ります」
「そっちは、俺の弾も減らなくて済む」
二人は合図を確かめた。鬼太郎の最初の一発で、サーシェスも撃つ。変化があれば無理に同じ位置へ残らず、箱と職人を先に守る。
サーシェスが先に出た。
鬼太郎は少し待ってから、地面の図を足で消した。
◆
刃物の男は、線路の方を見ていた。
鬼太郎は積まれた枕木の陰を辿り、途中で止まった。二階窓の薄い光が、一度こちらへ流れる。顔を上げずに待つと、窓の男は正面へ向き直った。
刃物の男との間に、大人なら数歩の距離が残っている。今の身体で飛びかかり、声も出さずに倒せる相手ではなかった。
鬼太郎は小石を拾い、線路の向こうへ投げた。
錆びた鉄へ当たる音に、男の肩が動く。上着へ手を入れたところで、鬼太郎は銃を上げた。
一発。
男が壁へぶつかり、膝を折った。
二階の光がこちらを向く。その直後に別の銃声が重なり、窓硝子が落ちた。正面の男が銃を持ち直すより、二発目の長銃の方が早かった。
倉庫の中で怒鳴り声が上がった。
鬼太郎は倒れた男へ近づかず、別棟の側面へ回った。正面扉の奥に足音があり、誰かが止まる。
「来い!」
扉の隙間へ、薄い膜が見えた。
鬼太郎は返事をせず、裏へ進んだ。高い小窓がある。足元の台へ上がって覗くと、杖を扉へ向けた男の背中と、奥の椅子に座る灰色の髪が見えた。
古い窓の留め具には、内側から木が渡してあった。湿った端と金具を見て、鬼太郎は左手を向ける。
「ブフ」
冷気が隙間へ入った。金具の周りが白くなり、木の端に薄い氷がつく。鬼太郎は息を継ぎ、持っていた鉄片を差し込んだ。
すぐには外れなかった。
角度を変えて押すと、傷んだ木が割れた。音を聞いた護衛が振り返る。
鬼太郎は銃を収め、両手を窓枠へ掛けた。腹を押しつけず、先に脚を入れる。床へ下りたとき、男の盾がこちらへ動きかけた。
鬼太郎は抜き直した銃で、杖を持つ手を撃った。
杖が落ち、扉の膜が消える。
男は反対の手で短剣を抜いた。切っ先が鬼太郎ではなく、椅子の職人へ向いた。
「止まれ!」
鬼太郎は止まらなかった。
三発目が男の胸へ入り、短剣が椅子の脇を通って床へ落ちた。鬼太郎は倒れた身体へ銃を向けたまま、部屋の隅と奥の小扉を見た。
ほかの動く者はいない。
「エドガー・ヴェイルさんですか」
職人は鬼太郎の顔から、小さな銃へ目を移した。
「誰だ」
「あなたと、銅で縁取られた工具箱を取り戻す依頼を受けました」
「依頼人は」
鬼太郎は依頼人を示す番号と、引渡し先の一部を告げた。ヴェイルの目つきが変わる。
「あいつが、子供を寄越したのか」
「仲介人が紹介したのは僕です。外には、もう一人います。歩けますか」
銃を収めてナイフを出し、椅子へ縛る縄を切る。ヴェイルが立つと、左手の布から血が滲んだ。本人は右手を椅子へつき、身体を支えた。
「歩ける。箱はどこだ」
「荷車です。錠を触らなければ、持っても構いませんね」
「左右の取っ手で、水平に。傾ければ、中の器具が壊れる」
「分かりました。ここから出る前に、もう一つ」
外で短い銃声がした。鬼太郎は窓へ一度目を向ける。
「地下から、金属を叩く音がしました。何か、ご存じですか」
ヴェイルの右手が椅子を離れた。
「弟子だ。下へ閉じ込められた」
鬼太郎は職人を見た。
「その方も、一緒に連れてこられたんですか」
「そうだ。私が先に捕まった。あの子は奥で仕事をしていたのに、後から見つけられた」
「依頼人は、知らなかったのでしょうか」
「そんなことは知らん。早く出してやってくれ」
ヴェイルが奥の扉へ向かいかけ、鬼太郎は前へ出た。
「その方は、今回の依頼に含まれていません」
「なら、置いていくのか」
「まだ地下を見ていません。敵や罠が残っていれば、あなたと箱を失う危険が増えます」
ヴェイルの顔が強張った。
「弟子を残して、私だけ出ると思うのか」
「出ていただくために、相談しています」
職人は鬼太郎の目を見た。こちらが怒るのを待つ顔ではなかった。話をやめれば、本当に先へ進まないと分かったらしい。
「金か」
「それ以外でも、構いません」
「拡張鞄は持っているか」
「信用できる品を、探しています」
「紹介状をもらう話は、聞いたんだな」
外の銃声が続いた。ヴェイルは一度そちらを見たが、声を落とさなかった。
「最初に買う一つを、私が検査する。容量も、空間の揺れも、縫い目と術式のつながりも見てやる。粗悪品なら、何が悪いか説明する」
「検査料は?」
「その一つは取らん。弟子を、生きてここから出せ」
鬼太郎は、鞄の店で揺れていた底を思い出した。高い品でも、値札だけでは中の出来までは確かめられなかった。
「修理できる作りかも、分かりますか」
「印を見ればな。私の道具も取り戻すんだろう」
「ええ。では、ご本人を確認し、生きて連れ出す。代わりに、購入する最初の拡張鞄一つを、無償で検査していただく。問題があれば、理由も」
「それでいい」
「引渡しの後に、書いていただきます」
ヴェイルは返事の代わりに、奥の扉を指した。
「地下は、大倉庫の床からだ。こっちではない」
「ありがとうございます。まず、こちらへ伏せていてください」
鬼太郎は椅子を倒し、壁に寄った陰を示した。ヴェイルはついてこようとしたが、左手へ力が入らず、途中で顔を歪めた。
「今の手では、二人を支えられません。外を空けてから、迎えに来ます」
「弟子との話を、忘れるなよ」
「忘れません。あなたにも、覚えていていただきます」
◆
サーシェスは、荷車の奥に工具箱が残っているのを見た。
長銃は退路の枕木の下へ隠した。御者台へ上がった男へリボルバーを一発撃つと、手綱が落ちた。馬は繋がれたまま首を振り、荷車は動かなかった。
箱の傍の魔法使いが、盾を張った。
サーシェスはそのまま撃たず、煙幕を荷車の反対側へ投げた。煙が上がると、相手は杖先と盾をそちらへ向けた。
別の敵が来たと思ったらしい。
サーシェスは逆へ回った。箱に弾が向かわない角度まで進み、盾から外れた腕へ二発目を撃つ。
落ちた杖を見届けたところで、大倉庫の扉が開いた。
三人いた。
先頭の杖、後ろの短銃、別棟へ向きを変える棍棒。サーシェスは荷車の陰へ下がった。
坊主が職人を出すには、少し足りない。
「こっちだ」
声を掛けると、杖の男がこちらへ顔を向けた。
◆
窓から外へ戻った鬼太郎は、別棟へ近づく棍棒を見た。
ヴェイルのいる壁まで、そのまま来られては困る。左手を上げ、男の進む先に積まれた空の木枠を狙った。
「アギ」
小さな火が木枠へ移り、乾いた端を燃やした。男は足を止め、後ろへ顔を向ける。
短銃の男が横へ走り、杖持ちの盾が鬼太郎へ向いた。
鬼太郎は銃を上げたが、撃たなかった。相手がこちらへ杖先を揃えようとした瞬間、荷車側から銃声がした。
肩を撃たれた男の腕が下がり、盾が消える。
短銃がこちらへ上がった。
鬼太郎は横へ移り、四発目を撃った。男の脚が折れ、銃が土へ落ちる。棍棒を持つ男は、火からも別棟からも離れる方へ走った。
背中は見えた。
鬼太郎は引き金へ置いた指を戻した。
サーシェスが荷車の陰から出てくる。
「逃がしたな」
「依頼の対象は、そちらではありません」
「そっちは取れたか」
「本人は別棟です。地下に弟子がいると聞きました」
「増えたのは、敵だけじゃねえってか」
鬼太郎は、検査を対価に引き受けたことを伝えた。サーシェスは鼻を鳴らし、倉庫の方を見た。
「俺の役目も増えるぞ」
「地下に敵がいれば、援護をお願いしたいです。その分は、追加で」
男が出した額へ、鬼太郎は短く頷いた。
「先に、箱と爺さんだ」
「ええ。移せる状態にしましょう」
ヴェイルを連れ出すと、職人は荷車へまっすぐ向かった。銅の縁と錠を調べ、傾けず運ぶための取っ手をサーシェスへ示す。
「その縄で固定しろ。蓋の中央へは掛けるな」
「うるせえ箱だな」
「喋ってるのは、持ち主だ」
鬼太郎は周囲を見た。正面に二人、二階に一人、別棟に一人。荷車の二人と、倉庫から来た三人。
逃げた者を含めて、九人いた。
追加の条件には届いている。だが、床下からまた金属の音がし、数えるのをそこでやめた。
◆
大倉庫の入口では、木枠の端がまだ燃えていた。
鬼太郎は足元の砂を掛け、隣の麻袋から離した。火が広がらないのを見てから、中へ入る。
ヴェイルが示した床には、麻袋が幾つか積まれていた。その下の鉄輪を引こうとすると、横木が渡してある。
サーシェスが外し、鬼太郎は床扉の横へ退いてから開いた。
「師匠か!」
下から若い声がした。
ヴェイルが答えかけるより先に、別の声が怒鳴った。
「黙れ!」
階段の下で、杖の光が動いた。
鬼太郎はヴェイルを床扉から離し、左手を階段の壁際へ向けた。下にいる弟子の場所は、まだ見えない。人へ直接当てるつもりでは使えなかった。
「ザン」
風が古い壁を叩き、埃を剥がした。木片と粉が下へ吹き込み、杖の光が揺れる。
男が咳き込み、顔を腕で覆って階段へ踏み出した。
サーシェスのリボルバーが鳴った。
男が倒れ、光が床へ落ちる。鬼太郎は階段へ足を入れる前に、下へ声を掛けた。
「ほかに、武器を持つ方はいますか」
「いない! 見張りだけだ!」
「ヴェイルさん。この声で、間違いありませんね」
「そうだ。早く下ろしてくれ」
サーシェスが先に降りた。落ちた杖を遠ざけ、階段裏を覗く。短い合図を受けて、鬼太郎も続いた。
脇腹の奥が引かれた。
窓を越え、走り、身体を捻った。痛みは鋭くなく、出血もない。そこでディアを使っても、失った余力が戻るわけではなかった。
鬼太郎は一度息を整え、地下へ足を下ろした。
若い男が、腕を配管へ縛られていた。額に血が固まり、片目が腫れている。足元には、小さな金属工具があった。
音は、これを蹴っていたらしい。
「歩けますか」
「ゆっくりなら。師匠は?」
「上にいます。あなたの声だと、確認していただきました」
鬼太郎は縄を見て、ナイフを出した。普通の縄だった。切ると、男は腕を抱えて壁へ背をつける。
階段の上からヴェイルが下りてきた。
「動くか」
「痺れてる。手は、どうしたんだ」
「後でいい。立て」
鬼太郎は足元の工具を拾い、二人へ見せた。弟子がそれは自分のだと言ったので、渡す。
若い男は受け取り、鬼太郎の顔を見た。
「誰なんだ、お前」
「あなたの師匠から、追加で依頼を受けた者です」
「追加?」
ヴェイルの右手が、弟子の肩へ掛かった。
「私が頼んだ。お前は歩けるかだけ、確かめろ」
男は立ち、膝へ手をついた。鬼太郎は階段を先に上がり、戸口の外を見た。
逃げた棍棒持ちは、戻っていなかった。
それでも、いつまでもここへ残る理由はない。地下の一人を含めれば、敵は十人。そのうち一人は遠くへ逃げ、ほかにも息のある者が残っている。
鬼太郎は追わず、二人を荷車へ向かわせた。
◆
工具箱は、荷台の奥で動かなかった。
ヴェイルが錠を確かめ、右手で縄を引く。鬼太郎はその脇で、弟子が座るのを待った。
「開けて確かめますか」
「ここでは開けん。防護は作動していない。中を見るなら、引渡し先だ」
「それで結構です」
サーシェスが長銃を取りに戻った。鬼太郎は荷車の外へ立ち、倉庫と線路の両方を見た。
右脇腹へ手を当てる。張りは残っていたが、強くはなっていない。手を離し、銃を収め直した。
今夜撃ったのは四発。使ったMAGはブフ、アギ、ザンが一度ずつだった。まだ動けるが、もう一つの建物へ入り直すだけの余力があるとは決められない。
サーシェスが長銃を持って戻り、御者台へ上がった。
「来てる奴は」
「まだ見えません」
「じゃあ出るぞ。逃げた奴が呼ぶなら、待つことはねえ」
鬼太郎も荷台の前へ乗った。ヴェイルと弟子、工具箱が、手を伸ばせば届く所にある。
車輪が泥を踏んだ。
壊れた柵へ向かって、荷車が進み始める。鬼太郎は後ろを向いたまま、倉庫の扉と窓を見ていた。
「本当に、鞄を調べさせるだけでよかったのか」
ヴェイルが尋ねた。
「問題のない品か分からずに、お金を払いたくありませんから」
「あんな所で、値段の相談をする子供がいるとはな」
「嫌でしたら、先に教えていただければ、ほかの対価を伺いましたよ」
弟子が師匠の顔を見た。
「俺を出すために、何を約束したんだ」
ヴェイルは答えかけ、鬼太郎へ目を戻した。
「……鞄一つの検査だ」
弟子はしばらく黙っていた。膝の上には、地下で鳴らしていた工具が載っている。
「礼を言う所なのか、怒る所なのか、分からない」
「外へ出てから、ゆっくりお考えください。僕があなたから頂くものはありません」
御者台でサーシェスが笑った。
「そいつに、まともな助け方を期待するなよ」
「生きたまま、出られました」
「そうだな。そこの爺さんが払った分は働いた」
荷車が柵を抜けた。
鬼太郎は膝の上へ手を置いた。指には、まだ銃の感触が残っている。
箱一つと職人一人を取り戻す仕事だった。今は、荷台へ一人増えている。
その分の約束を、鬼太郎もヴェイルも忘れてはいなかった。