神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

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傷が閉じても、目は閉じない

第四十二話 傷が閉じても、目は閉じない

 

 少女は、鬼太郎から先に目を逸らさなかった。

 

 首と手足を銀色の金具に押さえられ、逃げるどころか身を起こすこともできない。

 

 それでも、その目だけは動いていた。

 

 鉄台の横に立つ男の腰。

 

 そこから吊られた三本の鍵。

 

 台の脇へ並べられた刃物。

 

 舞台袖へ通じる黒い幕。

 

 そして、鉄格子の中にいる鬼太郎。

 

 助けを求めている目ではなかった。

 

 泣いてもいない。

 

 次に何が起きるか分かっていながら、相手の隙だけを探している。

 

「今夜、最初にご覧いただくのは――」

 

 正面上階の男が、両腕を広げた。

 

「人と吸血鬼の間に生まれたものです」

 

 客席のざわめきが大きくなった。

 

 前の席にいる女が、仮面の下で笑った。

 

「本当に塞がるの?」

 

「前は腕を切っていたぞ」

 

「今日はもっと深くやれ」

 

 声が重なる。

 

 鉄台の少女は、何も言わなかった。

 

 解体役の男が、細身の刃を一本取った。

 

 刃を灯りへかざし、客席によく見えるように裏返す。

 

 それから少女の服を脇腹の上まで切り開いた。

 

 古い血が布へ固まっている。

 

 だが、露わになった肌には、それまで何度も刃を入れられた痕がほとんど残っていなかった。

 

「傷は閉じます」

 

 上階の男が言った。

 

「骨に届いても、肉を削いでも。時間さえ与えれば、また同じ形へ戻る」

 

 解体役が少女の脇腹へ刃を当てた。

 

 少女の指が強く握られる。

 

 金具と鉄台の間で、爪が小さな音を立てた。

 

 刃が沈んだ。

 

 白い肌に赤い線が走り、すぐに口を開く。

 

 少女の身体が跳ねた。

 

 首の金具が鳴り、息が喉で潰れる。

 

 それでも悲鳴は出さなかった。

 

 噛み締めた歯の間から、短い息だけが漏れた。

 

 解体役は刃を引いた。

 

 血が鉄台へ落ちた。

 

 台に刻まれた溝を流れ、足元の受け皿へ細く注いでいく。

 

 客席から拍手が起きた。

 

 鬼太郎は、少女の脇腹を見た。

 

 開いた傷の縁が、わずかに動いている。

 

 血で濡れた肉が寄り合い、断たれた部分を内側から埋めていく。

 

 速い。

 

 だが、一瞬ではない。

 

 少女の顔から血の気が失われていくのに対し、受け皿へ落ちた血は戻らない。

 

「失った肉も戻るのですか?」

 

 鬼太郎が尋ねた。

 

 拍手が少し弱まった。

 

 上階の男は、鬼太郎を見下ろした。

 

「肉の量による」

 

「首を落とした場合は?」

 

「試すには、商品を一つ失う覚悟がいる」

 

「再生には、血液や食事が必要なのでしょうか」

 

 男の口元から、笑みが消えた。

 

 その質問を、珍しいものへ目を輝かせる子供のものとは受け取っていない。

 

 鬼太郎が、敵の使う魔法を見てから殺し方を変えたこと。

 

 封じられた入口を避け、壁や窓を選んだこと。

 

 守りを固めた魔法使いを、杖が動くより先に撃ったこと。

 

 男は、それらを集めていた。

 

 目の前の子供は、知らないものを知ったままにはしない。

 

 仕組みを測り、限界を探し、必要になれば殺し方へ変える。

 

「さて」

 

 男は、客席へ聞かせる笑いを戻した。

 

「どこまで壊せば死ぬのか。それを確かめるのも、この演目の楽しみでね」

 

 答えになっていない。

 

 分かっていて隠しているのか。

 

 まだ本人たちにも分からないのか。

 

 鬼太郎は、少女の傷へ目を戻した。

 

 血は止まり始めている。

 

 傷口も半分ほどまで閉じていた。

 

 だが呼吸は浅く、握った指から力が抜けている。

 

 失った血までは戻らないらしい。

 

「君なら、あれをどう殺す?」

 

 男が尋ねた。

 

 鬼太郎は答える前に、少女の目を見た。

 

 痛みに濡れてはいる。

 

 それでも、視線は再び解体役の腰へ戻っていた。

 

「殺す必要があるかどうかを、まだ決めていません」

 

 客席の一部が笑った。

 

 上階の男は笑わなかった。

 

 鬼太郎は鉄格子へ左手を触れさせず、指一本分の距離まで近づけた。

 

 格子の外側には、細い銀の線が床を一周している。

 

 正面右の術者は、その線と鬼太郎を交互に見ていた。

 

 左奥の術者は、杖を胸の高さに保っている。

 

 残る二人は、高所の足場から互いの姿を確認できる位置にいた。

 

 一人を撃てば、ほかの三人が動く。

 

 舞台袖には水樽が二つ。

 

 天井の袋へつながる縄を握る男が一人。

 

 鉤のついた網を運ぶ者が二人。

 

 鉄格子の錠は、客席側ではなく、舞台袖に近い支柱へ埋め込まれている。

 

 鍵を持っている者は、まだ見えない。

 

 鬼太郎は〈シュライク〉の銃口を下げたまま、全員の位置を頭の中へ置いていった。

 

     ◆

 

 淡い色の土は、林の奥へは続いていなかった。

 

 劇場の北側を回り、斜面の下へ降りている。

 

 サーシェスは足跡を踏まないよう、その横を歩いた。

 

 低い石壁の先に、半地下の扉があった。

 

 外から見れば、崩れた物置の一部にしか見えない。

 

 だが扉の前だけ、雑草が短く踏まれている。

 

 脇の壁には、小さな青い板が打ちつけられていた。

 

 死んだ見張りから奪った木札と同じ色だった。

 

 サーシェスは扉から離れ、斜面の上を見た。

 

 外からここを狙える場所は二つある。

 

 どちらにも人影はない。

 

 長銃を、倒木と石の隙間へ滑り込ませた。

 

 枝を二本だけ戻し、外から見えないようにする。

 

 逃げるときにも、十秒あれば回収できる。

 

 上着の下にはリボルバー。

 

 腰にはナイフ。

 

 煙を出す小さな投擲物が一つ。

 

 サーシェスは死んだ男の上着を羽織り、青い木札を手へ持った。

 

 扉の横には、数字を刻んだ木枠がある。

 

 木札を差し込む。

 

 奥で小さな金具が外れた。

 

「客札じゃねえな」

 

 扉を細く開ける。

 

 短い通路の先に、もう一枚の扉があった。

 

 今度は鍵穴がある。

 

 奪った二本のうち、短い方は入らない。

 

 長い方を差すと、錠が回った。

 

 サーシェスは扉をすぐには開かなかった。

 

 耳を寄せる。

 

 壁の向こうから、拍手が響いていた。

 

 その中に、男の声が混じる。

 

 何を言っているかまでは聞き取れない。

 

 だが、見世物はもう始まっている。

 

「坊主、随分と大人しく見物してやがるな」

 

 口元を歪め、扉を押す。

 

 内側は、舞台裏へ物を運ぶ細い通路だった。

 

 血と消毒薬の臭いがする。

 

 壁際には空の檻が三つ並び、その先を黒服の男が一人歩いている。

 

 サーシェスは扉を閉め、追わなかった。

 

 まず、通路がどこへ出るかを見る。

 

 撃つのは、その後でよかった。

 

     ◆

 

 少女の傷が、細い赤線を残すところまで閉じた。

 

 解体役は手袋を替え、客席へ両手を見せた。

 

 噛まれないためか、少女の頭から遠い場所に立っている。

 

「今度は腕だ!」

 

 客席から声が飛んだ。

 

「骨を見せろ!」

 

 解体役が笑い、少女の右手首を固定する金具へ手を伸ばした。

 

 刃を入れる位置を変えるため、腕を少し外へ出すつもりらしい。

 

 腰の鍵を一本抜く。

 

 少女の瞳が、その動きだけを追った。

 

 鍵が回る。

 

 銀の金具が浮いた。

 

 その瞬間、少女は右腕を引き抜いた。

 

 皮膚が金具の縁へ擦れ、血が飛ぶ。

 

 構わず男の腕を掴んだ。

 

 自分から顔を引き寄せ、手首へ噛みつく。

 

 解体役が叫んだ。

 

 少女の歯が肉へ沈む。

 

 男が腕を引いても、離さない。

 

 腰の鍵が揺れた。

 

 少女の指先が届きかける。

 

 舞台袖から二人が駆け寄った。

 

 一人が少女の髪を掴み、もう一人が肩へ短い棒を振り下ろした。

 

 鈍い音がした。

 

 少女の歯が外れる。

 

 口元を血で濡らしたまま、鉄台へ押し戻された。

 

 解体役は噛まれた手首を押さえて下がった。

 

 鍵は床へ落ちず、まだ腰に残っている。

 

「この、化け物が」

 

 男が吐き捨てた。

 

 少女は荒い息を繰り返した。

 

 肩を打たれ、右手首からも血が出ている。

 

 それでも、笑った。

 

「次は、喉を食い破ってやる」

 

 客席の笑いが途切れた。

 

 解体役の顔が赤くなる。

 

「名前もない獣が、よく吠える」

 

「ある」

 

 少女は、口の中の血を鉄台の横へ吐いた。

 

「キーノだ」

 

 解体役を睨む。

 

「殺し損ねた奴の名前くらい、覚えておけ」

 

 次に、その目が鬼太郎へ向いた。

 

 檻へ入れられたまま、銃を撃たず、炎も出さずに立っている子供を見る。

 

 助けを待っているのなら、同じ獲物だ。

 

 そう告げるような目だった。

 

 鬼太郎は、ほんの少し口元を緩めた。

 

「いい目をしていますね」

 

 キーノの眉が寄った。

 

「何を見てる」

 

「あなたが、いつ諦めるのかを」

 

「死んでも諦めない」

 

「それは、よかった」

 

 鬼太郎は穏やかに答えた。

 

 正面上階の男が、手すりへ片手を置いた。

 

 少女の再生ではなく、鬼太郎の反応を見ている。

 

「気に入ったかね?」

 

「興味はあります」

 

「ならば安心したまえ。最後には、君も同じ台へ乗せてあげよう」

 

 客席に笑いが戻った。

 

 鬼太郎は上階を見上げた。

 

「それは困ります」

 

 声は柔らかいままだった。

 

「僕は、切られる側より切る側のほうが好みですから」

 

 右手の〈シュライク〉は、まだ持ち上げない。

 

 檻の錠。

 

 四人の術者。

 

 天井の袋。

 

 水樽。

 

 解体役の腰に残った鍵。

 

 そして、傷が閉じても相手の喉を狙うことをやめない少女。

 

 鬼太郎は順番を考えた。

 

 あれを、ここに置いていくのは惜しい。

 

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