第43話 小さくなった握り
新しい鞄へ最初に入れた仕事の荷は、まだ品物ではなかった。
鬼太郎は受取用の布と固定帯を詰め、中央の棚を一段空けた。赤線のある右側には、蓋をした容器を二つ。寸法は依頼書で確かめてある。
キーノが机の紙を読み、途中で指を止めた。
「四人。これは、四人だけか」
「依頼人が、把握している人数です」
「前も、違っただろう」
「ええ。ですから、今度はその先も決めます」
盗まれた魔法薬の材料二箱と、黒革の帳簿。隠し場所は運河沿いの染料倉庫だった。箱は封を切らず、上下を守る。帳簿の方は、表紙の傷と最初の頁で確かめられる。
鬼太郎は紙を畳まず、キーノの前へ残した。
「今回は、戻らない時の伝言を頼みます。時刻と渡す相手を、ここに」
キーノは数字を読んだ。分からない一語を尋ね、紙の下へ自分で書き写す。
「倉庫は?」
「入りません。連絡を待つ場所は、別です」
「なら受ける。待ってる金も、前と同じだな」
「はい。使わなくても、お支払いします」
返事を聞き、鬼太郎は出発用の紙だけ取った。
◆
仲介人は人数の追加を聞くと、椅子の背へ身体を預けた。
「四人と伝えた。見に行けば、分かるだろう」
「見てから戻る間に、箱を移されたら困りませんか」
「その場で片づければいい」
「では、その場で続ける条件も、今お願いします」
鬼太郎は倉庫の図の脇へ、六、九と書いた。
六人以上なら追加、九人以上ならさらに増額。対象は回収を妨げる側の人数で、同じ者を二度数えない。たまたま近くを通った者まで含めない代わりに、全員を倒して運ぶことも求めない。
仲介人はその最後の行を指した。
「お前が七人いたと言えば、それで払うのか」
「配置と、確認した根拠を持ち帰ります。僕一人の話では、不足ですか」
「もう一人も同じことを言うだけだろう」
「人数で争いそうなら、受ける前に現地確認をする方を雇ってください。その費用と待つ間のことを、決め直しましょう」
しばらく、ペンの先が机を叩いていた。
結局、配置図と同行者の証言を受け付け、疑義があれば具体的な箇所を示す、と書き加えられた。鬼太郎は、箱の状態と引渡し先も読み直してから印を置いた。
サーシェスには、その後で会った。
「前の続きだな」
貸し部屋の卓へ出した紙を見て、男は言った。
「今回は、こちらも六人以上、九人以上で追加をお願いしたいです。依頼人から受け取れるかどうかとは、別に」
「そいつが渋っても、俺の分は出すってことか」
「入っていただく危険は、変わりませんからね」
「じゃあ、俺が一人も撃たなかったら?」
「人数が増えた場所で、引き受けた役を果たしていただければ」
サーシェスは紙を引き寄せた。
「撃った数で払うなら、坊主より先に撃つ理由ができるな」
「箱へ当たらない方を、優先していただきたいです」
「今度の荷は、それか」
男の目が鞄へ移った。
鬼太郎は口を開け、空けておいた棚と右側の容器を見せた。サーシェスは外側の幅を見てから、中を覗く。
「便利なもんを買ったな。持って走れるか」
「これから、荷を入れた重さで確かめます」
「満杯にしてから、足が遅くなったと言うなよ」
固定報酬、人数の追加、弾薬と移動費。合意した紙を分けた後、二人は倉庫の周りを見に出た。
◆
運河の水面に、倉庫の窓が細く揺れていた。
表の戸口に一人。水際を歩く者が一人。割れた窓越しに、箱へ腰掛けた男と、卓を囲む二人が見えた。
既に五人だった。
二階の窓に人影が動く。鬼太郎は壁の陰で待ち、顔がもう一度出るのを見た。外にいる二人とは、服も髪も違う。
六人。
サーシェスは運河へ続く通路を指した。鬼太郎が頷くと、男は裏手へ消えた。挟んで撃たない位置を先に決めてある。
鬼太郎は窓の下へ屈んだ。
扉の内側には、上げ下げする鉄の留め金がある。隙間から左手を寄せ、その付け根へ冷気を集めた。
薄く白くなった金具へ、折り畳みナイフの背を当てる。凍った汚れが崩れ、持ち上がった金具が止まった。
右手を銃へ戻してから、戸を押す。
卓に近い男が顔を上げた。腰へ伸ばした手に短銃が見え、鬼太郎はその手首へ一発撃った。
男が銃を落とすより早く、奥の戸が蹴り開けられた。
サーシェスのリボルバーが鳴る。椅子が倒れ、鬼太郎へ向きかけた杖が横へ飛んだ。
鬼太郎は床の染料袋へ左手を向けた。破れ目から覗く粉を狙い、息を短く吐く。
風が袋の口を押し広げた。
赤黒い粉が、卓の向こうへ吹き上がる。顔を背けた男を避け、鬼太郎は柱の陰へ移った。箱と帳簿を燃やすわけにはいかない。火の代わりに使った粉は、自分の視界も遮っていた。
二階から足音が下りてくる。
サーシェスが階段へ銃口を上げた。一発。手摺の向こうで何かが落ち、足音が止まる。
鬼太郎は中央の台へ近づいた。二つの封印箱は、聞いていた深緑の紐で留められている。すぐには触らず、足元と棚の奥を見た。
表の戸が動いた。
外にいた見張りだと思いかけ、鬼太郎は服の色が違うことに気づいた。先ほど水際を歩いていた男は、窓の向こうでまだ屈んでいる。
買物袋を提げた七人目だった。
こちらを見て袋を捨て、懐へ手を入れる。
鬼太郎は台の陰から、相手の腿を撃った。男が戸口へ倒れ、抜きかけの杖が石床を滑る。
「一人、戻りました」
「見た。右へ寄るな」
サーシェスが三発目を撃った。窓の外で水際の男が身を引き、そのまま倉庫から離れて走る。
鬼太郎は追わなかった。
粉の中で動く手を、柱の反対側から確かめる。卓の二人は倒れ、箱に座っていた者も両手を上げていた。表の見張りは逃げ、二階にいた男は階段の途中で動けずにいる。
サーシェスが落ちた武器を足で遠ざけた。
「七人だな」
「ええ。戻った方を、外の二人と重ねないでください」
「赤い上着と買物袋。忘れようがねえ」
鬼太郎はシュライクをしまい、箱へ手を伸ばした。
封に割れはなかった。側面の小窓には、細い針が浮かんでいる。水平に持つと中央へ戻り、傾けると端へ寄った。
まず台の上で向きを整えた。鞄の右側を開き、容器を引き出して箱を収める。蓋を留め、一つずつ棚へ入れて固定帯を掛けた。
サーシェスが入口を見ている間に、黒革の帳簿を開いた。表紙の傷、最初の頁の印。確かめて閉じ、こちらは中央へ入れる。
鞄を持ち上げると、肩へ重みが掛かった。
工房で警告を教わった時ほどではない。それでも、空の時と同じ速さで振り回せる荷ではなかった。肩紐を胸の前へ引き、身体から離れない位置へ直す。
「両手は空くか」
「はい」
鬼太郎は右手で銃を抜き直した。
箱を両腕へ抱える必要がなくなった。その分、戸口を先に見ることができた。
◆
引渡しでは、先に箱の針を見せた。
封と中身を依頼人側が確認している間に、鬼太郎は七人の位置を書いた。赤い上着の男が戻ってきた道には、時刻の前後も添える。
サーシェスが階段と窓の位置を直した。
「これは、もう少し奥だ。俺が見た時には、そこの手摺から覗いてた」
仲介人は図を読み、二人へ別々に同じ戸口のことを尋ねた。返答を聞いてから、七人の欄へ印を押した。
六人以上の追加を含む金が出た。
サーシェスへの支払いでも、同じ段階の追加を載せた。リボルバー三発と移動費を合わせ、最後に双方の紙へ済みの印をつける。
「次から、これを使えばいいですね」
「丸写しするなよ。相手が十人と知ってりゃ、六人から追加じゃ割に合わねえ」
「最初の人数に合わせて、変えます」
「そういうことだ」
男は金を受け取り、鞄へ顎を向けた。
「傷は?」
鬼太郎は革を見た。擦れた所へ赤い粉がついている。
「今のところ、表だけです。僕も、新しいものはありません」
「そっちは聞いてねえ」
「でしたら、まとめてお答えできましたね」
サーシェスが鼻で笑った。
キーノへの待機分は、戻ってから払った。今回も伝言の紙は使わずに済んだ。
鬼太郎は二発分を補充し、染料の粉を落としてから銃を清めた。机の横では、キーノが七人の図を見ている。
「こいつは、どこから来た」
「買物から戻ったようです」
「見てから行っても、増えるんだな」
「減ることも、あるでしょうね」
キーノは紙へ、入口とは別に矢印を書いた。
「じゃあ、見張るのは中だけじゃ足りない」
鬼太郎はその矢印を消さず、次の依頼に使う紙と一緒にしまった。
◆
三か月の期限が近づく頃、サーシェスは一度、鬼太郎の仕事を断った。
「先約がある。戻るのは、早くても五日先だ」
「では、こちらは別の方を探します。お帰りになったら、連絡をいただけますか」
「帰った場所まで教える気はねえぞ」
「連絡を受ける所は、前と同じで結構です」
その仕事は、結局受けなかった。
別の相手と条件を詰めるには時間が足りず、一人で入るほどの報酬でもなかった。鬼太郎は依頼書を返し、空いた日に鉄道の路線を調べた。
サーシェスが戻ってから、二人は契約の期限について話した。
「続けるのか、坊主」
「同じく三か月で、いかがでしょう。月ごとの前払いも、拒否する条件も、そのままで」
「この前、一つ逃したな」
「先約を捨てる契約には、していませんでしたから」
男は卓へ肘をついた。
「呼ばねえ月でも払う。そっちは、変えねえんだな」
「こちらの話を先に聞ける余地を、残していただいています。仕事の度に探すより、その方がよいです」
「値上げは、考えなかったか」
鬼太郎が尋ねると、サーシェスは口の端を上げた。
「聞かれるとは思わなかったな」
「次の月に突然言われるより、今の方が助かります」
男は今までの依頼と受け取った額を数え、今回は同額で受けると言った。次の更新まで、その額を守ることも紙へ残した。
新しい期間と支払日を書いた二通へ、それぞれ印をつけた。
鬼太郎が最初の月の金を出す。終わる期間の分は、既に支払ってある。日付を見比べ、同じ月へ二度払っていないことを確かめた。
サーシェスは金をしまうと、路線図へ目を向けた。
「今度は、列車を盗む気か」
「乗る方です」
「切符くらい、買えるだろ」
「終点に着いてから、どこへ行けるのか知りたいんです」
鬼太郎は図を畳み、仕事の紙と分けた。
◆
雨の多い日が続き、窓を開けたまま眠る夜が増えた。
鞄の空いていた棚へ、薄い寝具と雨避けの布が入った。火を起こす道具、小鍋、針と糸。買う度に一度広げ、使ってからしまった。
書店で手に取る本も、呪文だけではなくなった。
港から港へ行く船。山道の印、飲める水の探し方。土地が変われば持込を止められる物も違い、銃を鞄へ隠せることと、持っていてよいことは別だった。
詳しく読むには、言葉が足りない所もある。鬼太郎は見慣れない地名を書き写し、分からない頁へ細い紙を挟んだ。
強い呪文の題が並ぶ棚も見た。
買えば、その場で使えるようになるわけではない。いま持つ杖で小さな灯りを保つことさえ、まだ思うようにはいかなかった。鬼太郎は表紙から手を離し、地図の棚へ戻った。
キーノは買物の受領証を、自分で読み始めた。
最初は合計額だけだった。やがて個数と単価を拾い、違う物が書かれていれば店の者へ尋ねた。鬼太郎を呼ぶ前に話が済むことも増えた。
その分、依頼も変わった。
店で顔を覚える。決めた相手へ短い紙を渡す。通りへ立ち、入ってきた者と出た者を分けて記す。
一度、キーノは紙を読んでから突き返した。
「これは嫌だ」
「理由を、伺っても?」
「戻る道が一つしかない。知らない男と、そこまで行かない」
鬼太郎は図を見た。相手の口約束では、裏からも出られることになっていた。だが、その扉が開くかまでは確かめていない。
「分かりました。今回は、別にします」
「部屋の金は?」
「この仕事を断る前と、同じです」
キーノはまだこちらを見ていた。
鬼太郎が依頼書を自分の方へ戻すと、彼女はようやく机の本を取った。持ち帰る時には自分で抱え、斜め向かいの部屋へ入っていった。
予備の鍵は、使わなかった。
茶色い外套の男は、現れなかった。
同じ服を探すだけでは足りない。キーノが人の出入りを記す時にも、鬼太郎は顔より先に、誰が誰を待っていたかを聞くようになった。それでも、投函口の先へ辿り着いたわけではなかった。
朝夕の風が冷たくなると、服の袖から手首が多く出るようになった。
鬼太郎は初め、洗ったせいかと思った。靴を履いた時、同じ側の指が押され、立ってみてから考えを変えた。
新しい靴を買う日、キーノが古い靴を並べた。
「こっち、もう小さいだろう」
「履けないほどでは、ありませんよ」
「走ってから言うな」
鬼太郎は言い返しかけ、店で少し歩いてみた。新しい方が指を動かせる。買うことにすると、キーノは当然だという顔で箱を受け取った。
偽名の書類に記した誕生日を、いつの間にか過ぎていた。
元の書類の日付も確かめ、鬼太郎は帳面の歳を八へ直した。翌朝の食事は同じで、依頼の値段も変わらなかった。
変わったのは、手だった。
夜、弾を抜いたシュライクを清めていると、キーノが隣から覗いた。
「それも、小さくなったか」
鬼太郎は銃を握った。
ペタルの工房で、何度も合わせた握りだった。指は以前より深く回る。人差し指を曲げる角度も、あの時と少し違っていた。
使えなくなったわけではない。だが、ぴたりと収まっていた場所を、今は自分の手が越え始めている。
「僕の方が、大きくなったようですね」
「服は替えた」
「銃は、靴屋さんでは替えられませんから」
鬼太郎は右手を開いた。
この手に合わせて作ってもらった時には、英国へ渡る道さえ手元になかった。
今は机に路線図があり、鞄には雨を避けて眠るための道具がある。キーノは読めなかった字を読み、サーシェスには次の仕事の話を持っていける。
鬼太郎はペタルへ知らせることを、紙の端に書いた。
その下へ、今日確かめた握りの違いも残す。
シュライクをしまう前に、もう一度だけ構えた。銃口の先は、物を置いていない壁の低い所へ向ける。
まだ、この銃で狙える。
それを確かめて下ろすと、鬼太郎は机の地図を広げた。袖口を押さえずとも、指先が次の町へ届いた。