宛名のない報告
第48話 宛名のない報告
少年が英国を離れた。
報告は、その一行から始まっていた。
アルバス・ダンブルドアは、封筒を机の端へ置いた。窓の外では、梟が一羽、城の屋根を越えていく。朝の光が羊皮紙を照らしていたが、差出人の名も、受取人の名も、そこには書かれていなかった。
墓場鬼太郎。同行者は二人。
淡い髪の少女と、赤い髪の成人男性。三人とも荷を持ち、同じ船へ乗った。乗船後に別れた形跡はない。
鬼太郎が何を話し、誰がどの条件を受け入れたのか。それを知る者が部屋の外にいなければ、報告にはならない。三人が一緒に出たからといって、同じ目的を持つようになったと書かなかった点は、評価できた。
引き出しから薄い綴りを取り出す。
いちばん古い紙だけ、端の色が違っていた。
父親の血筋。母親の出身。英国で生まれ、家族とともにブルガリアへ移った男児。焼けた家と、見つからなかった子供。
ダンブルドアは眼鏡を外し、鼻の付け根へ指を当てた。
まだ、会ったことはない。
幼い手が銃へ伸びるところも、人が倒れた後の顔も、自分の目では見ていなかった。長く見てきたように思う時こそ、それを忘れぬ方がよい。
◆
シビル・トレローニーが、二度目に背筋を伸ばした時。
ホッグズ・ヘッドの二階には、まだ一つ目の予言が残していった沈黙があった。
扉の外を窺っていた者は、すでに連れ去られていた。ダンブルドアは、目の前の女性が自分の言葉を覚えていないことを確かめ、話を続けようとしていた。
その途中で、彼女の目から焦点が消えた。
「神を殺せし魂は、墓場を越える」
聞き違いかと思った。
意味より先に、声が違っていた。低くなったのでも、掠れたのでもない。一語を置き、次の一語を置く。その間に、息を整える気配がなかった。
「敗れてなお屈せず、選ばれず、従わず、定めの外より還り来る」
ダンブルドアは手を伸ばしかけ、止めた。
彼女は誰も見ていなかった。こちらの反応を待つこともなく、一定の調子で続けている。
「古き魔法の血を引きながら、その力を持たぬ父と、日の昇る国より来た母。その間に、定めの外なる子は生まれる」
古き魔法の血。
その時、ダンブルドアの頭へ浮かんだのは、自分の家に連なる幾つもの名だった。近しい者ばかりではない。遠く枝分かれし、手紙さえ途絶えた血筋もある。
「白にも黒にもなれる者を、仲間と思うな。一人は闇に選ばれ、一人は神を拒む。二つの道が交わるとき、魔法の世は、墓場より還りし者の望みを知るであろう」
最後の音が消えると、シビルの頭が垂れた。
ダンブルドアは立ち上がり、倒れる前に肩を支えた。呼吸はある。声をかけると、彼女は目を瞬かせ、何かあったのかという顔をした。
二度目についても、覚えてはいなかった。
彼は彼女のために椅子を直しながら、今聞いた言葉を胸の内で繰り返した。
一つ目の予言には、闇の帝王へ抗う者がいた。誰かを探し、危険から遠ざけるために、考えられることもあった。
二つ目は違う。
白にも黒にもなれる。
それでも、仲間と思うなという。
敵になると決まっているなら、もっと別の言い方があるはずだった。だが予言は、こちらが尋ねたいことに順序よく答えてはくれない。
ダンブルドアは、シビルの様子が落ち着くのを待った。
その間も、感情のない声だけが耳から離れなかった。
◆
家系図で見つけた名を、予言の子供だと決めることはできなかった。
魔法を使えぬ父と、日本から来た母。
条件に合う一家はあった。父方を遡れば、ダンブルドア家の遠い枝にも繋がる。だが、言葉に合う者を一人見つけたことと、その者しかいないと確かめたことは違った。
調べる間に、一家の家が焼けた。
両親は死に、子供の行方は分からなくなった。
ダンブルドアは当時の記録へ指を置いた。焼け跡で見つからなかったものを、生存の証拠にも死亡の証拠にもできない。
そのまま、次の知らせが途絶えた。
英国の裏側で、火を使う子供の話を聞くまでは。
最初の紙には、名さえなかった。外国から来た幼い少年。小さな拳銃を持ち、杖を使わずに火を出す。
珍しくはある。
しかし、珍しい噂はいつもあった。呪われた物を売る者は、それを持つだけで百人に勝てると言う。敗れた者は、相手が何もせず自分を倒したと話す。
ダンブルドアが気に留めたのは、子供の年頃と、魔法を使ったはずの場所に残らない知らせだった。
調べるべき名が、引き出しの中にあった。
鬼太郎がブルガリアを出た道筋まで、全てを繋げられたわけではない。別の名で通った場所もあり、金だけ受け取って客を忘れる者もいた。
それでも、複数の断片は一人の子供へ集まり始めた。
ダンブルドアは直接の観察を頼んだ。
手を出さず、接触せず、挑発もしない。噂を確かめるために、危険な仕事を与えるようなこともさせなかった。
何を欲しがるのか。
誰と会い、どんな条件で仕事を受け、どのような時に断るのか。
火の大きさより先に、知りたいことがあった。
初めの頃には、まだ、話をする機会を選べばよいと考えていた。
トム・リドルの時のように、異質さを見つけた後で手を離すつもりはなかった。あの子へ示した力は、恐れさせる役には立った。奪った物を返させることもできた。
だが、相手が取り繕うことを覚えれば、表へ出てくるものは変わる。
従ったように見える子供と、教えられたことを受け入れた子供。その違いを、自分は十分に見ていただろうか。
長く生きたからといって、失敗が消えるわけではない。
それでも、今度はもう少しできると思った。
少なくとも、同じことをそのまま繰り返さずに済む。
ダンブルドアはそう考え、次の報告を待った。
やがて机へ載る紙の量が増え、待つだけでは済まないものも見えてきた。
少年は、人を殺していた。
六歳ほどの頃から、仕事の一部として。
その一文を、ダンブルドアはすぐには次へ送れなかった。
恐怖のために魔法が暴発した話ではなかった。誰かに命じられ、嫌々引き金を引いたと確かめられたわけでもない。
生きたまま渡す条件なら、危険を増やしても生かして連れ帰る。
情報が必要なら、傷つけた相手を止血する。
こちらへ武器を向けた者には、撃つ。
別の報告では、追えば届いた敵を追わなかった。品物を取り戻す仕事は終わっており、そこで余計な戦いをする理由がなかったらしい。
止まれるのだ。
止まれるのに、選んでいる。
ダンブルドアは、その違いを子供の年齢で片づけることができなかった。
何も知らぬから命を軽く扱う、という説明では、読んだものの幾つかが合わない。死ぬ危険を知らないにしては、退く時に捨てるものの選び方が慎重だった。
ならば、大人と同じように責任を負わせればよいのか。
その答えにも、彼は頷けなかった。
報告の中の少年は、まだ、自分の身体に合う銃を職人へ頼まねばならぬほど小さかった。
◆
ダンブルドアは、綴りから二枚の紙を抜いた。
同じ出来事を伝えたものだったが、書かれた人数が違う。
拳銃で防壁を破ったという話と、横へ回って撃ったという話も、ひとまとめにはできない。頭を狂わせる力については複数の証言があったが、どこまでが実際に起きたことなのかは分からなかった。
傷を負わない子供だという噂の後に、治療を受け、仕事を休んだ記録が届いたこともある。
彼は、確かめられない箇所へ細い線を引いた。
少年にできることを小さく見積もれば、会った時に間違える。
できないことまで足しても、同じだった。
その二枚を離して置き、別の報告を開く。
ここでは、観察を頼んだ者が、観察される側へ回っていた。
茶色い外套を替えた後も、同じ者だと見抜かれた。少女が袖と歩き方を見たらしい。鬼太郎はその場で捕らえようとせず、同行していた男が後を追った。
ダンブルドアは、続きを読んだ日のことを覚えていた。
驚いたのは、見つけた相手へすぐ襲いかからなかった点だった。見張る者を倒すより、誰が見張らせているのかを知ろうとしている。
こちらの顔を知られぬまま、同じ観察を続けるのは難しい。
彼は、直接の追跡を止めさせた。
その後に届くものは、終わった仕事や買い物の話が中心になった。少年の一日を順に辿れる紙ではない。数日前の出来事が、別々の者から遅れて届く。
それを嫌って追跡を戻せば、今度は鬼太郎の方が先へ進むだろう。
ダンブルドアは、少女についての記録へ目を移した。
キーノ。
見世物にされていた子供。身体の傷が塞がるという話はあるが、詳しい出自までは、ここにある紙で確かめられない。
鬼太郎と同じ建物で暮らしている。
ただし、部屋は別だった。
本人が鍵を使い、一人で買い物へ出る。仕事の報酬も受け取っているらしい。鬼太郎と常に一緒ではなく、留守にする日もある。
逃げられないよう囲われている、と結論づける材料はなかった。
だから安全だとも、まだ言えない。
食事や寝床を与えられた子供が、それを失うのを恐れて、望まぬことまで引き受ける場合はある。外から一度扉が開くのを見ただけで、暮らしの内側まで分かったとは思わぬ方がよかった。
それでも、少女が観察に加わったことは無視できなかった。
ただ守られ、運ばれている相手ではない。
彼女自身が何を見て、何を望むのか。会うのであれば、鬼太郎だけに尋ねて済ませるべきではなかった。
もう一人は、サーシェスという傭兵だった。
鬼太郎と組む仕事も、別に受ける仕事もある。いつでも呼べる護衛として、少年の部屋へ詰めているわけではない。
報酬についての揉め事は確認されていない。
だが、報酬を分けていることと、忠実であることも違う。
ダンブルドアは、二人の名を鬼太郎の下へ書きかけ、ペンを止めた。別の行へ、それぞれ移す。
少年だけを連れ出せば、残る二人がどう動くか。
少年を押さえれば、二人とも従うのか。
どちらも、今ある報告から期待してよいことではなかった。
気に入った者を近くへ置きたがるらしい。
相手を檻へ入れる代わりに、近くを選ぶ理由を用意しているのであれば、力で扉を開けてやるだけでは話が終わらない。
ダンブルドアはペンを置き、椅子へ背を預けた。
「お主とは、違うようじゃな」
机の脇には、トム・リドルについての古い記録もあった。
トムと比べるだけでは、同じ手を使ってよい理由にはならなかった。
◆
出発の報告には、別の紙が添えられていた。
長い期限の仕事を断ったこと。野営に使う品を買っていたこと。英国以外の土地を調べる本や地図へ、関心を向けていたこと。
一つずつなら、旅へ出る者に珍しい買い物ではない。
鬼太郎が以前に暮らしていた国と並べると、考えられる行き先はあった。
ブルガリア。
戻ったとしても、焼けた家に住むとは限らない。
長く留まるための荷なのか、さらに先へ行く途中なのかも、まだ分からなかった。
今すぐ後を追うこともできる。
しかし、船が岸を離れた後で、自分が現れれば、少年は何を考えるだろう。
遠い親戚が偶然見つけたと言われて、喜んで信じるとは思えなかった。英国で見つけた投函口の先を、目の前の老人へ結びつけようとするかもしれない。
知られるのが嫌だから会わない、というわけにもいかない。
ただ、会う前に決めつけ、相手を望む形へ動かそうとすれば、最初の問いから間違える。
ダンブルドアは脇へ立てかけた杖を手に取った。
古い木肌が掌へ収まる。
今ある報告の範囲なら、少年が正面から挑んできても、止められると考えていた。速い抜き撃ちも、杖を使わぬ炎も、軽く扱ってよいものではない。
それでも、長く積み重ねた魔法へ届くほどだとは思えなかった。
問題は、少年が正面から挑むと決まっていないことだった。
入口を避け、相手の帰り道を調べ、できない仕事は他の者へ頼む。監視者を見つけた時にも、背後を辿る方を選んだ。
自分が勝てる場所へ、相手が立つのを待っていては、会うことさえできないかもしれない。
杖の力で従わせる。
その考えへ戻るたび、投函口の前まで来た傭兵の姿を想像することになった。
ダンブルドアは杖を机へ戻した。
守る者は、目の前にいる者だけではない。自分が負けないという見込みだけで、敵を作ってよい立場でもなかった。
窓の外へ目を向ける。
ホグワーツは、朝の中にあった。
この城へ来る子供の一人に、ハリー・ポッターがいる。
まだ鬼太郎と会ったという知らせはない。鬼太郎がハリーを捜しているという報告もなかった。
二人が交わる前に、整えられるものはある。
ハリーには、魔法を学び、友を得て、自ら選ぶ力を身につける時間が必要だった。その道へ何を置き、何をまだ知らせずにおくか。ダンブルドアは、全てを本人へ明かして決めてもらうつもりはなかった。
闇の帝王は消えていない。次に立ち上がった時、ただ子供たちの成長を願って待っていたのでは済まない。
誰をどこへ置けば、敵の手が届きにくくなるか。誰の望みなら、こちらの必要と結びつくか。善意だけでは引き受けぬ者にも、差し出せるものはあった。
鬼太郎についても同じだった。望むものが分かれば、この子が自分から選ぶ道へ、学校と教師を置くことができる。強くなりたいのであれば、よい教師を選ぶことが、こちらにも都合のよい選択になる。
利用するという言葉を避けても、していることは変わらない。
敵を倒し、その後に子供たちが生きる場所を残す。そのための手を、聞こえの悪さだけで捨てるつもりはなかった。
ただし、鬼太郎を一人加えたために、用意したものが全て崩れるようでは意味がない。味方へ数える前に、何を差し出せば動き、何をすれば敵へ回るのか、自分で確かめる必要があった。
一人は闇に選ばれ、一人は神を拒む。
あの声は、二人が出会った時に何が起きるかを教えなかった。争うとも、助け合うとも言わなかった。
仲間と思うな。
同じ相手へ向かえば、同じものを守る者になる。そう考えてはならないということか。
ダンブルドアは古い紙を閉じた。
解釈を一つ増やしても、まだ会っていない少年の答えにはならなかった。
◆
ブルガリアへ戻ったかどうかを、まず確かめる。
その先で何を始めるかについても、噂へ余計な注文をつけずに待つ。こちらが用意した出来事へどう応じるかを見るより、本人が選んだ場所を知りたかった。
十歳を迎える頃だったはずだ。
十一歳になれば、この城へ入る年齢になる。
入学の案内には、会う理由があった。遠い血縁も、調べれば示せる。予言を口にせずとも、話せることはある。
だからといって、話せることだけを並べれば済む相手ではない。
なぜ知っているのか。
なぜ今なのか。
どこまで調べたのか。
まだ見ぬ子供から尋ねられそうなことを考え、ダンブルドアは、僅かに口元を緩めた。
「菓子だけでは、足りそうにないのう」
いつものように笑い、まず話を聞くことはできる。
それは偽りの顔ではなかった。
子供が何を知り、何を学びたがるのか、自分の耳で聞きたかった。無事な寝床を持つことも、人へ頼れることも、まだ知らぬものがあるなら示したい。
同時に、火を使う少年が何を望み、そのために誰を傷つけるのかを見定めるつもりでもあった。
片方だけを自分だと言うことはできない。
ダンブルドアは、三人についての紙を同じ綴りへ戻した。名は、それぞれ別の行に残しておく。
新しい報告を、その上へ重ねた。
少年が英国を離れた。
今朝まで、どこへ行くか分からないという文として読んでいた一行だった。
彼は綴りを閉じ、引き出しへ収めた。
会うと決めた以上、ただ遠くから眺めるだけには戻らない。
学校へ招き、教え、何を選ぶかを見届ける。こちらの望む道へ進ませるためにも、使える手は使う。
それでも、この子が守るべき者を踏みにじり、止めねばならぬ相手となった時には、自分が杖を取る。教えた相手だからという理由で、決断を遅らせはしない。
ダンブルドアは引き出しへ鍵を掛けた。
予言の声にも、少年の答えにも、最後の判断を預けるつもりはなかった。