第4話 シュライク
車が止まったのは、看板のない作業場の前だった。
買い手は正面の鎧戸を通り過ぎ、脇の路地へ入った。鉄の扉を決まった間隔で叩くと、内側で鍵が動く。
「仕事を持ってきた」
細く開いた隙間から、金属と油の臭いが流れてきた。
鬼太郎は買い手の横から中を見た。灯りの下に作業台があり、壁には工具が並んでいる。奥に立っていた男が、扉の近くへ出てきた。
「ペタル・ヴァルチェフだ」
買い手が告げた。
「六歳の手で撃てる銃を欲しがっている」
ペタルは、まず買い手を見た。
「本気か」
「聞き間違いじゃない」
ようやく鬼太郎へ目が向いた。頬の傷と、煤のついた服を見ている。
「子供用の玩具なら、ほかを当たれ」
「玩具を買う余裕は、あまりありません」
鬼太郎が答えると、ペタルは扉を広げた。
「何を撃つ」
「必要であれば、人を」
咎める言葉は返ってこなかった。ペタルは買い手へ視線を戻した。
「こいつは今夜、銃を持った三人から私の帳簿を取り戻した。一人は炎を直接受け、二人は生きている」
「炎?」
「私は見た。お前も見たければ、本人へ頼め」
買い手はそれ以上説明しなかった。
「紹介はした。引き受けるかはペタルが決める。作るなら、金を払うのはお前だ」
「承知しています」
鬼太郎が答えると、買い手は帰っていった。
扉に鍵をかけたペタルは、作業台の脇へ鞄を下ろさせた。
「銃を撃ったことは」
「ありません。先ほど初めて触りました」
「それで作れと言ったのか」
「持たせていただいたものは、大きすぎましたので」
ペタルは鬼太郎の顔を見た。頬の傷で、視線が止まる。
「撃たれたのか」
「弾は外れました。窓枠の破片が当たったようです」
「相手は」
「燃えました」
「なら、火を使えばいい」
鬼太郎は首を振った。
「男に火が当たる前に、弾は飛んできました。窓枠が少し違う場所にあれば、今ごろお願いもできていません」
火を出せば相手が倒れる。それだけでは、間に合わなかった。
「次も外していただくわけにはいきませんから」
「撃たれる場所へ行くな」
「行かずに英国まで運んでいただけるほど、お金を持っていません」
ペタルは少し黙ってから、壁の戸棚を開けた。
◆
差し出された拳銃は、買い手の事務所で触ったものより小さかった。
弾が入っていないと告げられ、鬼太郎は受け取った。それでも、指はうまく回らない。引き金へ届かせようとすると握りが浅くなり、銃口が下がった。
左手を添えて持ち上げる。
ペタルは鬼太郎の顔ではなく、腕と手首を見ていた。
「下ろせ」
作業台へ戻すと、腕に残った重さがよく分かった。
「これでも小さい方だ。お前に合わせて軽くすれば、今度は反動を受け止めにくくなる」
「小さくするだけでは、済まないのですね」
「動かなくなる銃なら簡単に作れる」
「それでは、持っていることを知られたときだけ役に立ちそうですね」
「撃たれたら終わりだ」
「ええ。動く方をお願いします」
ペタルは拳銃を戸棚へ戻した。
「今のお前に合わせても、すぐに身体が大きくなる」
「そのときは、また作ってください」
「金がかかるぞ」
「稼ぎます」
「死ねば払えん」
「死なないために必要なのですよ」
ペタルの手が、戸棚の鍵から離れた。
「手を出せ」
紙の上へ右手を置く。鉛筆が指の周りをなぞり、掌の幅や指の長さが書き込まれた。
次に、形も重さも違う模型を持たされた。
一つは握りやすかったが、持ち上げると先端が揺れる。別のものは軽いが、指の付け根が押された。鬼太郎が伝えると、ペタルは紙へ印をつけた。
最後の模型を持っているうちに、肩が重くなった。
「朝から休んでいないな」
「少しは休みましたよ」
「眠ったか」
「昨夜は」
ペタルが模型を取り上げた。
「今日は終わりだ」
「作っていただけますか?」
「まだ決めていない」
そう答えながら、手の形を描いた紙は捨てなかった。
鬼太郎は鞄を持ち上げた。買い手の倉庫へ戻れば、寝る場所を用意させられるだろう。
だが、扉へ向かう前に、ペタルが壁際の椅子を指した。
「そこで寝ろ」
「こちらで?」
「その足で帰られて、途中で倒れられても困る」
鬼太郎は自分の脚を見た。立ち止まると、膝の重さが増していた。
「では、お借りします」
鞄を足元へ置き、椅子へ座った。鍵のかかった作業場にいることは気にならなかった。殺すつもりなら、眠るまで待つ必要もない。
目を閉じる前、ペタルが紙を灯りの下へ引き寄せるのが見えた。
◆
目を覚ますと、作業台に紙が増えていた。
鬼太郎の手の輪郭の隣に、細い線と数字が並ぶ。ペタルは起きていて、鉛筆を動かしていた。
「作る」
挨拶を返したあと、そう言った。
「ありがとうございます」
「礼は金を払ってからだ」
金額の書かれた紙を見せられた。家から持ち出した現金だけでは足りなかった。
「先に、ここまで。残りは渡す日までに払え」
「完成まで、どのくらいです?」
「急がせるなら作らん」
「稼ぐ時間を知りたいのです。急かして払う額が減るのでしたら、もう少し急かしますが」
「増えるぞ」
「では、静かに待ちます」
ペタルは数字を書き直さず、紙を鬼太郎へ寄せた。
「数週間だ。途中で何度か来い。持たせて確かめる」
食料と移動に使う分を残し、前金を渡した。ペタルは数え、受け取った額を書き込んだ。
「残りは買い手のところで稼ぐのか」
「ええ。英国へ向かう道も必要ですから」
「あれを信用するな」
「していません。ですが、約束したものは渡してくれました」
「その先まで信じるなと言っている」
「覚えておきます」
ペタルは金を引き出しへ入れた。
「完成まで死ぬな。死体の手に合わせて作り直す気はない」
「でしたら、手をなくさないようにも気をつけます」
ペタルは笑わず、鬼太郎の手をもう一度見た。
◆
それから数週間、鬼太郎は街に留まった。
買い手は次の仕事を渡した。荷物を運び、指定された場所を見張り、狭い隙間から品物を取り出す。
すべての仕事で火を使うわけではなかった。相手が受け取りに来た時刻を覚え、誰へ渡ったか報告するだけの日もあった。
それでも、報酬から食費と寝床代を引かれると、残る額は少ない。
「眠る場所にまで、お金がかかるのですね」
鬼太郎が言うと、買い手は帳面を閉じた。
「外で寝るなら取らん」
「その場合、翌日の仕事も同じようにできると思いますか?」
「だから部屋を用意している」
鬼太郎は受け取った金を分けた。銃の残金へ回す分と、翌日までに使う分。渡航費として記録された額も、紙の上で確かめた。
英国へ行く金は、まだ遠かった。
だが、途中で死ねば、どれだけ貯めても使えない。
作業場へ呼ばれた日には、買い手へ先に伝えた。勝手に姿を消せば、逃げたと思われる。鬼太郎も、どこへ行くのか説明する方が、あとで捜されるよりは楽だった。
ペタルは削りかけの握把を持たせた。
「どこが当たる」
「親指の付け根です。こちらは、少し余っています」
印がつけられ、次に来たときには形が変わっていた。
引き金へ指が届くようになると、今度は握る角度を直された。鬼太郎は、どう削ればよいかを指図しなかった。分かるのは、自分の手に当たるところと、動かしづらいところだけだ。
そこを伝えれば、ペタルが考えた。
慣れないうちは、握りづらくても角度を変えて持とうとした。するとペタルは、その前の持ち方へ戻させた。
「無理に合わせるな」
「持てていますよ」
「ここではな。外で急いで抜くたびに、同じように握り直す気か」
鬼太郎は指を緩めた。掌に残った金属の跡を、ペタルが確かめる。
ペタルは模型を受け取り、鬼太郎の掌に跡がついた場所へ鉛筆を当てた。
次からは、少しでも引っかかれば口にした。
手を測った紙を、ペタルはいつも作業台のそばに置いていた。鬼太郎が来ない間にも、何度も開いているらしく、端が黒く汚れていた。
ある日、鬼太郎は前より薄くなった部品を持った。
「軽くなりましたね」
「軽くしすぎた。これは使わん」
「持てますよ」
「持たせるだけのものは作っていない」
部品は作業台の端へ置かれた。時間をかけて作ったものだろうが、ペタルは惜しむ様子もなく、別の図を広げる。
鬼太郎は椅子へ座り、その手元を見ていた。
銃を作れと言ったのは自分だった。それでも、どの部品を残すかを決めるのは、この男だった。
頼んだ以上、出来上がるまでは待つ価値がありそうだった。
待つ夜には、家から持ち出した本を開いた。寝床の灯りで続きを読み、読み終わると最初へ戻った。
父に話すはずだったところも、もう通り過ぎていた。
誰かに聞かせなくても、本は読める。次の仕事までに眠る時間も必要だった。鬼太郎は途中へ紙を挟み、鞄へ戻した。
翌朝になれば、そこからまた読めた。
自分の手元に残ったものは、そうして使った。
◆
残りの代金を置いた日、ペタルは作業台の下から箱を出した。
留め具が外れる。
黒い拳銃が収められていた。
小さかった。買い手の部下が持っていたものより短く、握る部分も細い。飾りはなく、子供の持ち物に見せるための色もついていなかった。
「弾は入っていない」
鬼太郎は右手を伸ばした。
中指、薬指、小指が、握把へ回る。親指の付け根は押されず、人差し指も無理なく伸ばせた。
重さはある。だが、傾いて落ちていく感じがしなかった。
何度も、まだ銃になっていないものを握らされた。そのたびに直された場所が、今は一つにつながっている。
「構えてみろ」
ペタルに言われ、腕を上げた。
遠くで銃声がした。
作業場の音ではなかった。
ひび割れた道路へ、薬莢が落ちる。崩れた壁を弾丸が削り、鬼太郎はその陰へ身を沈めた。
手の中に銃がある。
撃つ前に、相手の場所を見る。狙った位置へ照準を戻し、残る弾を覚えている。撃ち返される前に動き、別の場所から銃を向ける。
初めて覚えたときの記憶ではない。
失敗すれば死ぬ場所で、何度も繰り返してきた動きだった。
銃声の間へ炎が混じる。右手で撃ち、左手で別の力を放つ。
相手は人間だけではなかった。
瓦礫の向こうで、大きな影が倒れる。別の影がその背後から迫り、鬼太郎は空いた銃へ弾を入れ直していた。手元を見続けることはなかった。次の敵から目を離さずに済むよう、覚え込んだ動きだった。
そのときの腕には、今のような震えがなかった。
何を倒したのか。誰と一緒だったのか。顔を見ようとすると、目の前の壁が遠ざかった。
紙と油の臭いが戻ってきた。
鬼太郎は作業場に立っていた。足は前後に開かれ、人差し指は引き金の外へ伸びている。腕の角度も、先ほどとは違っていた。
ペタルがじっと見ていた。
「誰に習った」
「思い出しました」
「何をだ」
「以前、銃で戦っていたことを」
「撃ったことはないと言ったな」
「今の身体では、ありません」
ペタルの目が、鬼太郎の顔へ移った。
「前の身体があったような言い方だ」
「そのようですね」
鬼太郎は銃を下げた。
答えはまだ少なかった。銃の使い方が戻っても、どこで生き、誰と戦い、なぜ死んだのかは分からない。
それでも、自分の手にあるものをどう扱えばよいかは、分かった。
ペタルは、銃を取り上げなかった。
「来い」
「どちらへ?」
「握るために作ったんじゃない」
◆
作業場の奥に、細長い試射場があった。
突き当たりに紙の標的が吊られている。ペタルは用意を整えてから、鬼太郎へ銃を渡した。
「一発だけだ」
「分かりました」
「記憶が何であれ、お前の腕は六歳だ。そこは忘れるな」
鬼太郎は両手で握った。
知っている姿勢を取る。だが、銃を支える腕は、記憶の中より短かった。肩へ重みがかかり、足元も頼りない。
標的へ照準を合わせ、引き金を絞る。
銃口が跳ねた。
予想より大きかった。手首へ衝撃が残り、標的には中心より上へ穴が開いた。
鬼太郎は照準を戻したが、もう撃たなかった。
「どうだ」
「今の僕は、随分と軽いのですね」
以前の身体なら、気にも留めなかった重さだった。知っている動きを、そのまま使うことはできない。
ペタルは標的と、鬼太郎の腕を見比べた。
「次は二発。急ぐな」
弾を整え直した銃を受け取り、鬼太郎は立つ位置を変えた。足を少し広げ、上体を前へ置く。
今の身体で支えられる形を探した。
一発目。銃口の跳ね方が小さくなる。
狙いを戻し、二発目。
二つの穴は近い場所へ開いた。
鬼太郎は銃を下ろした。手首に痛みがあり、腕も重い。それでも、最初に触れた拳銃を持てなかったときとは違った。
「楽しいか」
ペタルが尋ねた。
「ええ」
鬼太郎は標的を見たまま答えた。
「ようやく、自分の手が少し戻ってきました」
◆
作業台へ戻ると、ペタルは銃を分解した。
鬼太郎は、その手元を見ていた。どの部品が動き、どこへ汚れがついているかを、先ほどまでとは違う目で追えた。
だが、この銃そのものを知っているわけではない。
「そこは、ほかと違う」
ペタルが小さな部品を示した。
鬼太郎は手を伸ばしかけ、止めた。
「教えていただけますか?」
「そのために開けている」
思い出したことと、初めて見るものを、分けて覚える。
ペタルが組み直した銃を、鬼太郎は両手で受け取った。
「名前がいる」
「銃にですか?」
「俺が作ったものを、いつまでも銃とだけ呼ばせる気はない」
ペタルの指が黒い側面へ触れた。
「小さいが、自分より大きな獲物も殺す。獲ったものを枝や棘へ突き刺す鳥がいる」
「随分と物騒な鳥ですね」
「お前に合っている」
鬼太郎は顔を上げた。
「シュライクだ」
その名を、口の中で繰り返した。
シュライク。
昨日までの自分は、まだ持っていなかったものだった。記憶の中から戻ってきた武器でもない。
金を払い、手を預け、この男が作り上げた。
「よい名前ですね」
「身体が大きくなれば、合わなくなる。無理に使い続けるな」
「そのときは、次をお願いします」
ペタルは答えなかった。だが、手の形を描いた紙を、ほかの図と一緒に重ねて棚へ収めた。
鬼太郎は〈シュライク〉へ目を戻した。
力が戻っただけでは、身体は追いつかなかった。これから撃ち方を確かめ、今の腕で使えるようにしなければならない。
それでも、次に銃を向けられたとき、炎を作るまで待ってもらう必要はなくなる。
鬼太郎は右手で〈シュライク〉を支え、左手を開いた。
小さな赤い炎が、黒い金属を照らした。