神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

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受領印は、血を数えない

 

第五十話 受領印は、血を数えない

 

 

 朝靄の向こうで、河岸の倉庫が輪郭を現した。

 

 窓は細く、煉瓦の壁には荷揚げ用の扉が三つ並んでいる。

 

 指定されたのは中央だった。

 

 サーシェスは荷馬車を止める前に、一度そのまま前を通り過ぎた。

 

 対岸の窓。屋根の縁。積み上げられた木箱の隙間。倉庫へ続く二本の道。

 

 見える範囲に、劇場で使われていた青い番号札や、孔雀の羽を模した印はない。

 

 だから安全だとは考えなかった。

 

 角を二つ曲がり、後ろからついてくる者がいないことを確かめてから戻る。

 

 荷馬車を中央の扉へ横づけした。

 

「ここだ」

 

 荷台のトーマスが、壁の小さな黒い印を見て言った。

 

「間違いない」

 

「お前の記憶が飛ばされてなきゃな」

 

「場所まで偽物なら、俺にはどうしようもない」

 

「そのときは、箱ごと持ち帰るだけだ」

 

 サーシェスは御者台を降りた。

 

 長銃は外套の下、背に沿わせている。右腰にはリボルバー。ナイフは左側だった。

 

 扉を三度叩く。

 

 しばらくして、内側の覗き穴が開いた。

 

「遅い」

 

「期限は過ぎてねえ」

 

「受けたのは子供だと聞いている」

 

「寝てる。契約に、そいつ本人が持って来いとは書いてなかったはずだ」

 

 覗き穴の向こうの目が細くなった。

 

「何があった」

 

「箱一つ運ぶには、随分と人が死んだ」

 

「説明しろ」

 

「それは別料金だ」

 

 沈黙の後、扉の錠が外れた。

 

 中から三人が出てくる。

 

 二人は杖を持った護衛だった。残る一人は灰色の外套を着て、紙挟みと細い金属棒を手にしている。

 

 誰もサーシェスへ名を尋ねなかった。

 

 サーシェスも尋ねない。

 

「箱を見せろ」

 

「先に受領の手順を確認する」

 

「依頼書に書いてある」

 

「俺が受けた書類じゃねえ。箱と運び屋を確認した後、受領証へ印を押す。それでいいな」

 

 灰色の外套の男が、サーシェスを見た。

 

「子供から聞いていないのか」

 

「聞いた。だから、お前の口からも聞いてる」

 

 男は不機嫌そうに顎を引いた。

 

「そのとおりだ」

 

「なら開けろ」

 

 サーシェスは荷台の後ろへ回った。

 

 扉を下ろしても、自分の身体を射線の中央には置かない。

 

 鉄箱は台車ごと固定されている。

 

 トーマスはその横で、縛られずに座っていた。

 

 護衛二人の杖先がわずかに上がる。

 

「トーマス・ヘイルか」

 

 灰色の男が尋ねた。

 

「そうだ」

 

「自分の名を言え」

 

「今言っただろう」

 

「自分の口でだ」

 

「トーマス・ヘイル」

 

 男は紙挟みの一枚目を見る。

 

 顔、身体の特徴、依頼前に決められていた確認事項を一つずつ照合した。

 

 トーマスは疲れた声で答える。

 

 途中で、劇場へ運び込まれた経緯を話そうとした。

 

「箱を取りに行ったら、黒服が――」

 

「それは確認事項にない」

 

 灰色の男が遮った。

 

「俺は殺されかけたんだぞ」

 

「今は生きている。依頼の条件は満たしている」

 

 トーマスの顔が強張った。

 

 サーシェスは口を挟まない。

 

 受取人が欲しいのは、男が何を見たかではない。

 

 生きて、本人だと答えられる状態にあるかだけだった。

 

 灰色の男は、次に鉄箱へ向かった。

 

 金属棒を封の脇へ当てる。

 

 淡い光が、箱の縁を一周した。

 

「外側に傷がある」

 

「石の床を転がった」

 

「落としたのか」

 

「人間の死体にも何度かぶつかったが、封も留め具も無傷だ」

 

 男は返事をせず、四隅を調べた。

 

 封蝋は切れていない。

 

 留め具も外されていない。

 

 箱を開けようとした痕もなかった。

 

「受領する」

 

「印が先だ」

 

「倉庫へ入れてからだ」

 

「箱を渡した後で話を変えられたくねえ。確認は終わったんだろ」

 

 護衛の一人が杖を向け直す。

 

 サーシェスは、その杖を見なかった。

 

 灰色の男だけを見ている。

 

「受領証を出せ」

 

「信用できないのか」

 

「信用する条件がどこにある?」

 

 男はしばらく黙り、紙挟みの下から別の紙を抜いた。

 

 封印鉄箱一個。

 

 封および留め具に破損なし。

 

 運び手トーマス・ヘイル一名、生存。

 

 記載を読み上げ、末尾へ倉庫の印を押す。

 

 押された蝋が冷えるまで、サーシェスは紙を受け取らなかった。

 

 指で縁をなぞり、印が紙へ定着していることを確かめる。

 

「これでいいか」

 

「ああ」

 

 受領証を外套の内側へ入れた。

 

 それから台車の固定を外す。

 

 護衛二人と倉庫から出てきた荷役が、鉄箱を中へ運んでいった。

 

 トーマスも降りる。

 

 荷台から地面へ足をつけたところで、サーシェスを振り返った。

 

「あの子供は、生きているのか」

 

「今のところはな」

 

「伝えてくれ」

 

「何をだ」

 

 トーマスは言葉を探した。

 

 礼ではないらしい。

 

「……いや、何でもない」

 

「なら、自分で言え」

 

 サーシェスは荷台の扉を上げた。

 

 灰色の男が尋ねる。

 

「次も、その子供へ依頼を出せるのか」

 

「自分で確かめろ」

 

「どこにいる」

 

「知ってても教えねえよ」

 

 手綱を取り、倉庫を離れる。

 

 背後で扉が閉まった。

 

 追ってくる足音はない。

 

 角を曲がった後も、サーシェスは速度を変えなかった。

 

 水面へ映る屋根と、店の硝子、荷車の金具で後方を見る。

 

 二本目の橋を越えるまで、同じ人影は現れない。

 

 見世物小屋の罠を、倉庫の者たちが知っていたのかは分からなかった。

 

 箱とトーマスが本物であることは、これで確かめられた。

 

 それ以上を調べる仕事は、受けていない。

 

     ◆

 

 治療所では、薬草を煮る匂いが濃くなっていた。

 

 鬼太郎は眠っている。

 

 呼吸は、夜より少し深い。

 

 治療師が寝台の間へ小さな卓を置いた。

 

 薄いスープ。柔らかいパン。水。

 

「食べな」

 

 キーノは器へ手を伸ばさなかった。

 

「誰が払う」

 

「食事を見て最初に聞くことかい」

 

「答えろ」

 

「あの子供か、さっきの男だろう。ここは施しをする場所じゃない」

 

「後で私に払わせるのか」

 

「私は知らないよ。起きたら自分で聞きな」

 

 治療師は空いた瓶を取り、奥へ戻った。

 

 キーノはスープを見る。

 

 表面に油が浮いている。

 

 器の縁。卓の裏。パンの割れ目。

 

 治療師が口をつけた様子はない。

 

 匂いにも、見世物小屋で嗅いだ眠り薬の甘さはなかった。

 

 水を一口飲む。

 

 舌もしびれない。

 

 それからスープを口へ運んだ。

 

 腹が、もっと早く入れろと訴える。

 

 二口目を急いだところで、奥から声が飛んだ。

 

「ゆっくり食べな。吐いた分まで作り直す気はないよ」

 

「見てないで仕事しろ」

 

「床を汚されたくないだけだ」

 

 キーノは匙を置きかけ、やめた。

 

 言われたとおりにするのは癪だった。

 

 吐いて食べられなくなるのは、もっと癪だった。

 

 少し待ってから次を飲む。

 

 パンを半分に割った。

 

 片方をスープへ浸し、残りを毛布の下へ滑らせる。

 

 指が勝手に動いていた。

 

 食べ物は、あるときに残す。

 

 次が来るとは限らない。

 

 舞台の奥では、それが普通だった。

 

「それは隠さなくても、後で食べて構いませんよ」

 

 隣から声がした。

 

 キーノは毛布の上へ手を置いた。

 

 鬼太郎が目を開いている。

 

 顔色はまだ悪い。

 

「見てたのか」

 

「今、目が覚めました」

 

「嘘だ」

 

「どうしてです?」

 

「目が覚めたばかりなら、私が何を隠したか分からない」

 

 鬼太郎は一度瞬いた。

 

「そのとおりですね。少し前から起きていました」

 

「最初からそう言え」

 

「失礼しました」

 

 謝りながらも、悪びれた様子はない。

 

 キーノは毛布から手をどけなかった。

 

「取り上げるのか」

 

「いいえ。キーノさんへ出された食事です。今食べるか、後で食べるかは、あなたが決めて構いません」

 

「後でも、また食べ物は出るのか」

 

「必要なら用意します」

 

「その金は、後で私から取るのか」

 

「いいえ」

 

「治療費も?」

 

「僕がサーシェスさんへ返します」

 

「どうして、お前が払う」

 

「寝床と食事を用意すると、僕から条件に出しましたから」

 

「後から血で払えと言わないだろうな」

 

「言いません。血や身体を勝手に使わないことも、条件に含まれています」

 

 キーノは鬼太郎の顔を見る。

 

 呼吸は静かだった。

 

 嘘をつく者は、答える前に理由を探す。

 

 鬼太郎は、先に決めてあったことを確認するように答えた。

 

「なら、私は何を払う」

 

「今は何も」

 

「何も?」

 

「仕事をするなら、内容と報酬はその都度決めます。衣食住を後から借金へ変えるつもりはありません」

 

「何もできなかったら?」

 

「できることを探します」

 

「それでも、なかったら」

 

「その時点で改めて話しましょう。まだ試してもいないものを、今ここで役に立たないと決める必要はありません」

 

「私は魔法を使えない」

 

「使えないのですか?」

 

「知らない。使ったことがない」

 

「それなら、できないとは限りませんね」

 

「同じだろ」

 

「違います。試して失敗したのと、試す方法を知らないのは別です」

 

 キーノは返事をしなかった。

 

 鬼太郎は、毛布の下のパンをもう一度見た。

 

「隠したままでも構いません。ただし、悪くなる前に食べてください」

 

「指図するな」

 

「では、忠告にしておきます」

 

「同じだ」

 

「受け入れるかどうかを選べる点は違いますよ」

 

 キーノは残っていたパンをスープへ浸した。

 

 毛布の下の半分は、そのままにした。

 

     ◆

 

 サーシェスは河岸から三つ離れた区画で、荷馬車を手放した。

 

 車体の印を削り、部品へ分けて流す者へ渡す。

 

 劇場から持ち出した荷馬車だと話す必要はない。

 

 相手も由来を聞かず、馬と車体の値段から処分料を差し引いた額だけを示した。

 

 サーシェスはその額を受け取らず、処分料と相殺させた。

 

 売却益を持ち帰れば、それが誰の取り分かという話になる。

 

 今は受領証だけで十分だった。

 

 そこから二度道を変え、徒歩で治療所へ戻る。

 

 裏口の門を叩く。

 

 治療師が開ける前に、門の内側からキーノの声がした。

 

「あんたか」

 

「ほかに誰を待ってた」

 

「誰も待ってない」

 

「じゃあ聞くな」

 

 門が開く。

 

 キーノは寝台ではなく、裏口脇の壁へ手をついて立っていた。

 

「寝てろ。倒れても運ばねえぞ」

 

「歩けるか試しただけだ」

 

「結果は?」

 

「あんたには関係ない」

 

「その壁を離してから言え」

 

 キーノが睨む。

 

 サーシェスは笑い、処置室へ入った。

 

 鬼太郎は目を開けている。

 

 上体は起こしていない。

 

「箱一つ。封も留め具も無傷。運び屋一人、生存」

 

 サーシェスは外套から紙を出した。

 

「受領印もある」

 

「ありがとうございます、サーシェスさん」

 

「礼より追加分だ」

 

「忘れていません」

 

 鬼太郎は受領証を受け取る。

 

 腕を上げるだけで、指先がわずかに震えていた。

 

 記載を上から読む。

 

 箱一個。

 

 封と留め具に破損なし。

 

 トーマス・ヘイル、生存。

 

 受領印にも欠けはない。

 

「問題ありません。これで依頼は完了です」

 

「向こうは、劇場のことを聞きたがってたぞ」

 

「何と答えました?」

 

「別料金だ」

 

 鬼太郎の口元が少し緩む。

 

「適切だと思います」

 

「罠を知ってたかは分からねえ。驚いた芝居くらい、誰でもできる」

 

「ええ。今は判断できません」

 

「調べるか?」

 

「依頼には含まれていません。それに、今の状態で始めれば、見えるものまで見落とします」

 

「少しは治療屋の話を聞く気になったか」

 

「合理的な内容でしたので」

 

「自分で言うと腹が立つな」

 

 サーシェスは寝台の下から革鞄を出した。

 

 治療師へ広い卓を借り、室内の戸を閉めさせる。

 

 キーノは自分の寝台へ戻ったが、横にはならなかった。

 

 サーシェスが革鞄を開く。

 

 最初に、帳簿三冊と番号札の対応表を取り出した。

 

 現金とは別の卓へ置く。

 

「こいつは?」

 

「売りません。今は僕が保管します」

 

「読めるのか」

 

「すべては無理です。名前も印も、代理人を挟んでいるものが多い」

 

「孔雀と笛もか」

 

「ええ」

 

 小卓には、封書が未開封のまま置かれている。

 

 鬼太郎は手を伸ばさなかった。

 

「今は清算を先にしましょう」

 

 革鞄の金を、契約の残り報酬と、それ以外の金庫資金へ分ける。

 

 異なる貨幣は、鬼太郎がこれまで記録してきた交換率で価値を揃えた。

 

 五つに分ける。

 

 三つを鬼太郎側へ。

 

 二つをサーシェス側へ。

 

 端数は銀貨と銅貨で調整する。

 

 サーシェスは自分の二つを数えた。

 

 鬼太郎も横になったまま、枚数と価値を確認する。

 

「まず、金貨十六枚」

 

 鬼太郎の取り分から、治療費と薬代をサーシェスへ戻す。

 

「次に、引き渡しの代行分です。距離と時間は?」

 

 サーシェスが経路と、倉庫での確認にかかった時間を答える。

 

 短距離の運搬だけより高く、戦闘を伴う依頼より低い額を示した。

 

「それに荷馬車の処分だ」

 

「売却したのですか?」

 

「印を削って部品へ分けさせた。売値と処分料は相殺だ」

 

「では、持ち帰った利益はありませんね」

 

「そういうことだ」

 

「分かりました」

 

 代行報酬と、必要だった移動経費を鬼太郎の取り分から追加する。

 

 治療所の食事代も、治療師へ確認して別に置いた。

 

 サーシェスの取り分には触れない。

 

「お前が連れてきた小娘だ」

 

「ええ。キーノさんにかかる費用は、僕の側で負担します」

 

「それなら文句はねえ」

 

 キーノが、卓の金を見ていた。

 

 金貨。銀貨。銅貨。

 

 見世物小屋の客が払っていたものと、似た形をしている。

 

 客は金を払い、刃がキーノの身体へ入るところを見た。

 

 自分で持ったことはない。

 

「私の分はないのか」

 

 サーシェスの手が止まる。

 

「お前は依頼を受けてねえだろ」

 

「鍵を取った。あの男も外した」

 

「捕まってたついでだ」

 

「それでもやった」

 

「ええ」

 

 鬼太郎が言った。

 

「キーノさんの言うとおりです」

 

 サーシェスが鬼太郎を見る。

 

「五分を分け直す気か?」

 

「いいえ。僕とサーシェスさんの取り分は、依頼を受ける前に決めたものです。後から変えるべきではありません」

 

「なら、ないんだろ」

 

 キーノが言う。

 

「僕の取り分から出します」

 

「なぜだ」

 

「あなたを連れていくと決めたのは僕です。それに、働きには価値がありました」

 

 鬼太郎は、キーノがしたことを順に挙げる。

 

 解体役から鍵を奪った。

 

 自分の拘束を外した。

 

 トーマスを解放した。

 

 ほかの捕虜二人も解放した。

 

 鬼太郎とサーシェスが上階でモーンを追っている間に、依頼対象を動かせる状態へしていた。

 

「キーノさんが先にトーマスさんを解放してくれたため、僕たちは鉄箱と運び手を同時に回収できました」

 

「私が逃げるためにやっただけだ」

 

「理由は報酬の有無を決めません。実際に役立ったかで決めます」

 

 鬼太郎は自分の取り分から硬貨を分ける。

 

 サーシェスへ、量が働きに対して不自然でないか確認する。

 

「初仕事で、事前契約なし。こんなもんだろ」

 

「では、これを」

 

 硬貨を小さな布袋へ入れる。

 

 鬼太郎は起き上がれない。

 

 サーシェスが袋を受け取り、キーノの寝台へ放った。

 

 キーノは両手で受け止めた。

 

 見た目より重い。

 

「事前に契約していませんでしたので、先に決めた五分の三と五分の二を、後から変えることはできません」

 

 鬼太郎は言う。

 

「ですが、鍵を奪い、トーマスさんを解放したことは、きちんと仕事の役に立っています」

 

 キーノは袋を握った。

 

「お見事でした、キーノさん」

 

 見世物小屋でも、キーノの身体を評価する声はあった。

 

 傷が早く閉じる。

 

 次も切れる。

 

 高く売れる。

 

 どれも、キーノがしたことへの言葉ではなかった。

 

 今の言葉は違う。

 

 鍵を奪った。

 

 拘束を外した。

 

 人を解放した。

 

 自分で考えて動いたことへ、値段をつけられた。

 

「当然だ」

 

 キーノはそれだけ言った。

 

 袋を開ける。

 

 中の硬貨を寝台へ並べた。

 

 色と大きさが違う。

 

 金貨を一枚ずつ並べる。その隣へ銀貨を、最後に銅貨を置く。

 

 数は分かる。

 

 どれが何を買えるのかは、分からない。

 

「それで何が買える」

 

「今お渡しした分なら、当面の衣服と食事には十分です」

 

「当面って、どれくらいだ」

 

「何を、どこで買うかによります」

 

「分かりにくい」

 

「ええ。ですから、使う前に覚えましょう」

 

「お前が預かるのか」

 

「いいえ。キーノさんの報酬です。ご自分で持っていてください」

 

「盗まれたら?」

 

「取り返すか、次から盗まれない方法を考えることになります」

 

「守らないのか」

 

「助けを求められれば考えます。ですが、まず自分で管理するものです」

 

 キーノは硬貨を袋へ戻した。

 

 口紐を二度結ぶ。

 

 毛布の下へ入れようとして、止めた。

 

 服には、袋を安全に入れられる場所がない。

 

 今は枕の下へ置く。

 

 鬼太郎は場所を見ていたが、何も言わなかった。

 

     ◆

 

 清算が終わると、サーシェスは自分の取り分を革袋へ移した。

 

 帳簿と対応表は重ねて紐で縛り、鬼太郎の取り分と一緒に寝台下へ置いた。

 

 空になった革鞄は、サーシェスが引き寄せる。

 

「動けるようになるまで、何日だ」

 

「治療師さんは、数日で日常動作までと」

 

「戦えるまでとは言ってなかったな」

 

「ええ」

 

「珍しく素直じゃねえか」

 

「同じ指摘を、キーノさんからも受けました」

 

「二人に言われるなら、少しは考えろ」

 

「検討します」

 

「やらねえ奴の言い方だ、それ」

 

 キーノが横から言った。

 

 鬼太郎はそちらへ顔を向ける。

 

「覚えていたのですね」

 

「馬鹿にしてるのか」

 

「いいえ。正当に評価しています」

 

「それも聞いた」

 

 サーシェスが声を上げて笑った。

 

 キーノは二人を睨む。

 

 その視線を受けたまま、鬼太郎がサーシェスへ言った。

 

「身体がもう少し動くようになったら、次の契約についてお話があります」

 

「次の仕事じゃなく、契約か?」

 

「ええ。今後も、必要なときにサーシェスさんを使えるようにしたいので」

 

「寝たまま、人を買う相談かよ」

 

「あなた自身を買うつもりはありません。時間と仕事の優先権についてです」

 

 サーシェスの笑いが少し薄くなる。

 

 断るでも、受けるでもない。

 

「条件は?」

 

「今ここで話すと、普段なら見える問題を見落とす可能性があります」

 

「さっきも聞いたな、それ」

 

「実際、まだ頭が十分には働いていません」

 

「自分で分かる程度には戻ったか」

 

「そのようです」

 

 サーシェスは長銃を肩へ掛けた。

 

「立ってから言え、坊主。寝言と区別がつかねえ」

 

「分かりました」

 

「それまでは、俺も別の仕事を受ける」

 

「まだ契約前ですから、ご自由に」

 

 サーシェスは裏口へ向かう。

 

 途中でキーノを見る。

 

「金を握ったまま寝ると、起きたときに痕がつくぞ、小娘」

 

「枕の下に置いた」

 

「場所を言うな。盗めってことか?」

 

「盗んだら噛みつく」

 

「治療屋に余計な金を払わせるなよ」

 

「あんたが盗まなければいい」

 

 サーシェスは笑いながら出ていった。

 

 裏口の扉は閉まったが、鍵は掛けられない。

 

 治療所が静かになる。

 

 キーノは枕の下へ手を入れた。

 

 硬貨の入った袋がある。

 

 毛布の下には、半分残したパンがある。

 

 どちらも、まだ誰にも取られていない。

 

 パンは、キーノが食べるために出された。

 

 金は、傷が塞がる身体についた値札ではない。

 

 自分で鍵を奪い、自分で拘束を外し、自分で人を解放した。

 

 その行動に対して渡されたものだった。

 

 ならば、持っていてもいい。

 

 キーノは袋を握らず、枕の下へ戻した。

 

 そして今度は、隠していたパンを取り出した。

 

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