神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

51 / 197
二晩先の地図

第50話 二晩先の地図

 宿の窓から、森の端は見えなかった。

 

 家々の屋根の向こうで、黒い緑が山の斜面を覆っている。低くなった所にも木があり、そこを越えた先にも、また木が続いていた。

 

 鬼太郎は地図を窓辺へ置いた。

 

 紙の上では指一本で隠せた場所が、窓に収まらない。

 

「全部、あれか」

 

 キーノが隣へ来た。机へ置いた自分の帳面と、外の森を見比べている。

 

「地図にあるのは、そうですね」

 

「向こうの山まで?」

 

「その先も含まれるようです。ただ、どこまで同じように歩けるかは分かりません」

 

 町へ来る途中にも森は見えていた。近づけば奥の形が分かるかと思ったが、見える木が大きくなっただけだった。

 

 キーノは窓から離れ、寝台へ下ろした荷を開いた。

 

「中で二晩。町まで戻る分は、別だったな」

 

「ええ。食べ物も、余分に持ちます」

 

「雨が続いたら?」

 

「進める場所で待つか、戻ります。建物があると決めて進むことはしません」

 

 彼女は頷き、すぐ使う食料を自分の袋へ移した。

 

 鬼太郎も鞄を開いた。本と紙の包みに湿りはない。三冊の帳簿は奥へ固定したままにし、野営で必要な物へ手が届くかを確かめる。

 

 扉が叩かれた。

 

「坊主。俺は、しばらく外を回る」

 

 サーシェスは廊下から言った。

 

「こちらの連絡先ですか?」

 

「ああ。町の連中が、どこへ話を持っていくかも聞く。日が落ちる前には戻る」

 

「では、その頃にこちらへ」

 

 男の足音が階段へ遠ざかった。

 

 鬼太郎が本を一冊取り出すと、キーノは袋の口を結び、机へ地図を広げ直した。

 

「私たちは?」

 

「森の物を扱う店を探します。町の道も、先に覚えましょう」

 

「なら、それは戻ってからだな」

 

 キーノは、彼が開こうとした本を見た。

 

 鬼太郎は表紙を戻し、外出に必要な物だけを持った。

 

     ◆

 

 薬草を買う店を尋ねると、二軒目で、町外れの薬種店を教えられた。

 

 何でも買うわけではない。よく分からない根や、普通の猟師が持ち帰らない物なら、そちらへ行けという話だった。

 

 表の棚には、乾いた葉と根が並んでいた。鬼太郎は瓶へ貼られた札を読み、帳場で草を束ねる老女へ声をかけた。

 

「森の中で採れる物について、伺えますか」

 

「売りに来たのかい」

 

「これから入るので、先に」

 

「何を採る」

 

「今は、何も。住める場所を探しています」

 

 老女の指が止まった。

 

 顔を上げ、鬼太郎を見る。次に、隣のキーノへ目を移した。

 

「宿で聞きな。空いてる家なら、あそこが知ってる」

 

「普通の猟師が、途中で引き返してしまう場所へ入りたいのです」

 

 鬼太郎は窓から店先の通りを確かめた。キーノが外套の内側から仮杖の柄を見せると、老女は草の束を台へ置いた。

 

「しまいな」

 

 札を裏返し、戸口へ鍵を掛ける。二人は棚の奥へ通された。

 

 そこには、蓋を内側から叩く箱と、根がゆっくり動く鉢があった。キーノは近寄らず、机へ置かれた紙を見る。

 

 老女が地図を広げた。

 

「知ってて入るなら、忠告だけで帰りゃしないね」

 

「入ってみて、無理なら戻ります」

 

「戻るつもりの奴でも、戻れん時はある」

 

 鬼太郎は地図を覗いた。描かれているのは外周と、森へ近づく道だった。内側へ伸びる線は短く、途中で途切れていた。

 

「南から、こちらへ入りたいのですが」

 

 自分の地図へ示していた候補を指す。

 

 老女はその位置を見て、目を細めた。

 

「奥だね」

 

「入口の近くで、人と行き合い続ける場所は避けたいので」

 

「人を避けりゃ、別のものへ会うよ」

 

「それも、現地で確かめます。案内を頼める方はいませんか」

 

 老女はすぐには答えなかった。

 

「この辺りの薬草を採る者ならいる。だが、そこまで送って、帰り道まで保証する奴は、あたしからは出せないよ」

 

 鬼太郎は頷き、候補の印を動かさなかった。

 

 代わりに、道が分かっている範囲を尋ねた。老女は森へ続く道と、雨の後に水が溜まりやすい低地を教える。それより奥については、歩いたことがないと言った。

 

「荷を持って、道を探しながらなら、二晩は見な。進むためだけに日が暮れるまで歩けば、寝る所を選べなくなる」

 

「途中に、建物は?」

 

「古い砦や見張り台が残ってる話はある。場所を売る奴もいるが、金を払った後で、崩れた壁だけ見せられても文句は言えないね」

 

 キーノは、自分の帳面へ言葉を書いた。

 

「住んでる奴がいるかもしれないんだな」

 

「空いてりゃ、他の誰かも目をつける。雨を避けられる所は、森じゃ高いよ」

 

 表の戸が叩かれた。

 

 サーシェスだった。中へ通されると、老女の机と地図を見た。

 

「こっちも、ここへ来たか」

 

「どなたから聞きました?」

 

「森の薬を扱う店を辿ったら、この婆さんだとよ」

 

「耳はまだ売ってないよ」

 

 老女が言った。

 

「聞こえる所で言ったんだ」

 

「なら、値段も聞こえるように言おうか」

 

 鬼太郎が先に硬貨を置いた。サーシェスは笑い、机の端から地図を覗く。

 

 森には、古くからマグルを遠ざける魔法がかかっている。

 

 近づくと用事を思い出し、別の道を選びたくなる。魔法を知る者なら越えられるが、その先を守ってくれるものではない。

 

「罠もある。何かが引っかかってても、先に手を出すんじゃないよ」

 

「持ち主が見ている?」

 

「それもある。助ける奴を捕る仕掛けもね」

 

 キーノのペンが止まった。

 

 老女は彼女の方を見たまま、続けた。

 

「獣を追うのに上手い者と、人を相手にするのに上手い者は、同じじゃない。だが、どっちもあそこへ入る」

 

「覚えておきます」

 

 鬼太郎は代金と、写した範囲を確かめた。

 

 町へ戻った時にここが開いている日も聞いたが、老女は指を一本振った。

 

「店を閉める日もある。急ぎの頼みを持ってきて、必ずいると思うな」

 

「では、その時は別の方を探します」

 

「それならいい」

 

 裏の鉢の根が、鉢の縁を越えようとしていた。老女は杖を向けてそれを押し戻し、地図を畳んだ。

 

     ◆

 

 サーシェスは、町で仕事の話を受け取る先を見つけていた。

 

 鬼太郎もその場所へ行き、本人がいない時に用件を残す方法を確かめた。返事を取りに来る予定はサーシェス自身が決める。森へ入った三人を、町からすぐ呼べるわけではなかった。

 

「戻ったら、先に顔を出す」

 

 男は言った。

 

「その時に次の予定を決めましょう」

 

「ああ。今のうちから、毎週歩いて往復する気はねえぞ」

 

「まず、実際にどれほど掛かるかですね」

 

 宿の部屋についても話をした。森から出てきた時に使いたいが、空室がなければ別を探す。今から、戻る日も決まらない部屋へ金を払い続けることにはしなかった。

 

 最後に買ったのは、食料と水を入れる分の補充だった。

 

 キーノは店の札を読み、分からない一語だけを鬼太郎へ尋ねた。必要な物を選び終えると、帳面へ店と通りの位置を残す。

 

 出発の朝には、それぞれ自分の鍵を返した。

 

 町にある扉のどれかが、必ず自分たちのために開くわけではない。それでも、話を残せる場所と、帰った時に尋ねる相手はできた。

 

 北へ続く道は、家が途切れると細くなった。

 

 古い標識が立つ場所で、鬼太郎は一度立ち止まる。

 

 宿へ何かを忘れた気がした。

 

 鞄の口を確かめようとしたところで、隣のキーノが眉を寄せた。

 

「戻る用事、あったか?」

 

「今、同じことを考えました」

 

 足元の道は、森を避けるように曲がっている。

 

 鬼太郎は進む方角を地図と合わせ、もう一歩、木々の方へ入った。忘れ物をしたという気持ちは薄れ、何を取りに戻ろうとしたのかも曖昧になった。

 

 サーシェスが首の後ろを掻く。

 

「分かってても、気味はよくねえな」

 

「方角は変わっていません」

 

 鬼太郎は答え、後ろの目印を振り返った。

 

 キーノも帳面を開き、三人が来た道を記した。それから、今度は自分の足で標識を越えた。

 

     ◆

 

 午前のうちに、歩ける道は細い獣道へ変わった。

 

 木の根が地面から張り出し、落葉の下には水が溜まっている。地図へ定規で引いた線を、そのまま歩くことはできなかった。

 

 鬼太郎は斜面を回り、振り返って形を確かめた。帰る時には、今見えている面が後ろになる。

 

「そこ、裏から見ると割れてる」

 

 キーノが木の幹を指した。

 

 鬼太郎は歩いて戻り、彼女の位置から見た。前からは太い一本の木だが、背面には大きな裂け目がある。

 

「こちらを描いておく方が、分かりやすいですね」

 

「入口を背にした絵だけじゃ、戻る時に迷うだろ」

 

 彼女は自分の紙にも、その形を描いた。

 

 サーシェスは少し先まで行き、立ち止まって二人を待っていた。道を知っているから先へ出ているのではない。周囲と、進めそうな地面を確かめている。

 

 昼を過ぎても、中央寄りの候補には近づいた実感がなかった。

 

 木々の間で空は小さくなり、町で見た山の形も分からなくなる。

 

 鬼太郎は時々地図を開いた。歩いた時間と、回り込んだ場所を分けて書く。身体が疲れたことだけを、進んだ距離へ数えるわけにはいかなかった。

 

 午後の光が傾き始めた時、サーシェスが低い尾根の脇を示した。

 

「今日は、あそこを見ておけ」

 

「まだ進めそうですが」

 

「見て、駄目なら別だ。暗くなってから比べるか?」

 

 鬼太郎は地図をしまい、示された場所へ向かった。

 

 地面は周囲より高く、水の流れた跡はない。頭上の枝に折れかけたものがないかも確かめ、三人で荷を下ろした。

 

 雨避けの布を張る時には、英国で決めた出入り口を先に空けた。

 

 キーノは寝具を置き、横になってから起き上がる。袋の位置を少し動かすと、外へ出る時に足を取られずに済んだ。

 

「ここなら、通れる」

 

「では、重い物は奥へ寄せます」

 

 鬼太郎は鞄を寝具の脇へ固定した。上着の内側の包みには湿りがない。ケストレルを抜く手も、布や紐へ当たらなかった。

 

 夕食を終えると、三人は明るさの残るうちに周囲を見直した。

 

 誰が休み、誰が起きているかを決める。鬼太郎が一番先に横になると、キーノは少し意外そうに見た。

 

「眠れるのか」

 

「次に起きる時間まで、休んでおきます」

 

「本は?」

 

「濡らしたくありませんし、今は読む方が疲れそうです」

 

 キーノは鼻から短く息を出した。

 

「それは、そうだな」

 

 夜になると、獣の声が聞こえた。

 

 遠いものと、近いものがある。布の外で枝が鳴るたび、鬼太郎は目を開きかけた。

 

 そのたびに起き上がることはしなかった。眠った時間が短いまま歩けば、明日は足元も見落とす。

 

 次に肩へ触れられた時には、身体に残っていた重さが少し抜けていた。

 

     ◆

 

 二日目、鋼線を見つけたのはキーノだった。

 

 木の根元から、不自然な線が落葉の下へ伸びていた。彼女は手を触れず、後ろの鬼太郎を呼んだ。

 

 サーシェスが周囲を見る間に、鬼太郎は離れた位置から仕掛けを確かめる。

 

 少し先には、同じ形の罠が作動した跡があった。血は乾き、鋼線へ銀色の毛が絡んでいる。地面には何かを引いた跡と、車輪の跡が残っていた。

 

「持っていったんだな」

 

 キーノが言う。

 

「ここから先へ運んだようです。生きていたかは、まだ分かりません」

 

 鬼太郎は向きと目印を紙へ記した。

 

 動かしてよい部分をサーシェスと確かめ、帰りに踏む危険を残さない形へ罠を崩す。見つけたからと、跡を追って進路を全て変えることはしなかった。

 

 荷を背負い直してから、三人は地面を見る回数を増やした。

 

 その先で、人の声がした。

 

「止まれ」

 

 男が木の陰から出てきた。右手に杖を持ち、こちらの荷へ目を向けている。

 

 鬼太郎は足を止めた。

 

 左の茂みで金属が光った。後ろにも、落葉を踏む音が一つ。

 

 キーノは太い幹の右へ寄り、声を出さずに指を二本立てた。正面以外に、二人。

 

「鞄を下ろせ。腰の銃もだ」

 

 男は鬼太郎を見て言った。

 

「道を空けていただけませんか。今日は、先へ行きたいので」

 

「聞こえなかったか?」

 

「ええ。僕のお願いも、聞こえていたようですね」

 

 男の杖が上がった。

 

 鬼太郎の右手は、もう握りへ届いていた。ケストレルが布へ引っかからず抜ける。

 

 銃声が木々へ返った。

 

 男は胸を押さえ、杖先を下げながら倒れた。ほぼ同時に、左の茂みでもサーシェスの銃が鳴る。

 

 背後で、誰かが息を呑んだ。

 

 鬼太郎は幹へ身体を寄せながら振り返った。猟銃を上げようとしている男がいる。銃口が自分へ向く前に、二発目を撃った。

 

 男の身体が後ろへ倒れる。

 

 鬼太郎は銃を向けたまま、動く手と、ほかの音がないかを確かめた。

 

 キーノは幹の陰にいる。

 

 サーシェスが位置を変え、左の男から離れた。

 

「こっちは終わりだ」

 

「こちらも」

 

 正面の男が落とした杖を遠ざけ、隠れていた者がほかにいないことを見てから、鬼太郎は銃口を下げた。

 

 男たちの荷には、罠と縄、小瓶、血のついた刃物があった。

 

 森の中を知る地図は出てこなかった。小瓶は開けずに厚布で包み、持ち主が分かる印をつけて別の区画へ収めた。使える物と書類、硬貨もまとめ、サーシェスと回収分を確かめる。

 

「獣を捕る方が、上手かったようですね」

 

 鬼太郎が言うと、サーシェスは倒れた男の杖を見た。

 

「人間も、同じように待つと思ってたんだろうよ」

 

 キーノは男たちがいた茂みを見た。

 

「罠のそばを通る奴も、見てたのかもしれないな」

 

「ええ。戻る時には、この場所を避けましょう」

 

 鬼太郎は紙へ印を加えた。

 

 ケストレルを戻すと、今度は握りを見なかった。抜く時も、続けて撃つ時も、指の位置を直す必要はなかった。

 

 手首へ痛みはない。

 

 ペタルへ話せることが、一つできた。

 

     ◆

 

 二度目の夜は、銃声のした場所から進路をずらした先で迎えた。

 

 同じ所を歩けば、見つけた罠を避けやすい。だが、ほかの人間が通る道でもある。

 

 三人は明るいうちに場所を選び、次の朝に元の方角へ戻れる目印を確かめた。

 

 食事の後、キーノが帳面を開いた。

 

 最初の日より、線が増えていた。水を避けた場所、罠と人間に会った場所、泊まった場所。同じ一本の道として描けば、分からなくなる。

 

「これ、明日戻るなら、こっちを通るんだな」

 

「ええ。あの斜面を越えたら、一日目の道へ合流できます」

 

「先へ行く方は?」

 

 鬼太郎は地図へ指を置いた。

 

「明日は、この辺りを見ます。水を得られて、休む場所も作れそうなら、そこから広げます」

 

「もう、中央に近いのか?」

 

「入口から十分奥へ来ています。ですが、地図に置いた印へ着いたと言い切るには、目印が足りませんね」

 

 キーノは自分の図と比べた。

 

 鬼太郎は、候補を示した丸を消さなかった。その手前へ、二晩目の印をつける。

 

「森の方に伺えれば、別の道も分かるでしょう。会えれば、ですが」

 

 暗がりで、サーシェスが笑った。

 

「先に、こっちを売り物にしねえ奴ならな」

 

「その条件は、お願いしておきたいですね」

 

 キーノは帳面を閉じた。

 

 最初の晩より、布の外を見続ける時間は短かった。夜の音に慣れたからといって、安全になったわけではない。

 

 鬼太郎も靴をすぐ履ける位置へ置き、休む順が来ると横になった。

 

 森には、まだ屋根の形が見えなかった。

 

 それでも、戻るために見直せる紙は増えていた。

 

 翌朝、布を畳んだ地面には、三人の寝た跡が残った。

 

 鬼太郎は杭を抜き、数を確かめて袋へ入れる。サーシェスが先に周囲を見て戻り、キーノは荷の紐を肩へ合わせた。

 

 三日目の光は、葉の上にあった。

 

 木々の下は、まだ薄暗い。

 

 荷を背負って歩き始めたところで、鬼太郎は足を止めた。

 

 前方から、何かが近づいている。

 

 枝を避けず、何度もぶつかる音だった。

 

 サーシェスも気づき、銃へ手をかける。キーノが道の脇へ退き、進んでくるものを見る。

 

 茂みが揺れた。

 

「助けて」

 

 女の声がした。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。