神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

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檻を開ける側

第51話 檻を開ける側

 女は、木の根につまずいて倒れた。

 

 長い髪に葉が絡み、脇腹へ押し当てた手が赤く濡れている。整った顔がこちらを向いたが、目は鬼太郎の腰とサーシェスの銃の間を忙しく動いた。

 

「お願い。あの子たちが、まだ」

 

 立ち上がろうとして、また膝が折れる。

 

 鬼太郎は銃から手を離した。

 

「後ろを見ていただけますか」

 

「任せろ」

 

 サーシェスが、女の来た茂みから少し外れた。キーノも横の幹へ寄り、女だけを見続けない位置へ移る。

 

 鬼太郎は屈んだ。

 

「傷を見ます。手を離せますか」

 

「戻らないと。私が道を、でも、一人では」

 

 女の指が脇腹から離れた。布の裂けた下で、傷口から新しく血が滲んでいる。

 

 鬼太郎は掌を傷へ添え、内側の力へ意識を集めた。

 

「ディア」

 

 力を流すと、裂けた皮膚の縁が寄った。血の流れが弱まり、やがて止まる。そこで掌を離すと、女は傷と鬼太郎の顔を見比べた。

 

 鬼太郎の手には、力を通した後の重さが残っていた。

 

 小さな火を放つ時とは、消耗の仕方が違う。見世物小屋で腹を塞いだ時のように、流し込めるだけ流すわけにはいかなかった。

 

 腕と脚の細い傷まで、順に消そうとはしない。水で汚れを落とし、布を当てた。

 

「すぐ走らないでください。血が止まっても、失った分は戻りません」

 

 女は木へ背を預けた。それでも、膝の上の手は震えていた。

 

 鬼太郎は水を差し出し、飲めるまで待つ。

 

「捕まっているのは、あなたの仲間ですか」

 

 女が頷いた。

 

「どこに?」

 

「砦。奥の、古い石の砦へ、集めてる」

 

「ここから、道は分かりますか」

 

「分かる。私が案内する」

 

 今度は、一つの問いに一つの答えが返った。

 

 鬼太郎は仲間の人数より先に、女が逃げてきた道を聞いた。運ばれる途中で荷車が傾き、網が緩んだという。追ってきた者はいたが、途中から足音が聞こえなくなった。

 

 サーシェスが戻ってきた。

 

「今は、来てねえ。だが、追手がいないって話じゃねえぞ」

 

「ええ」

 

 鬼太郎は紙を広げた。

 

 女の指は、三人が描いてきた線へは重ならなかった。倒木の下を水が通る場所と、苔に埋もれた石を示す。知らなければ回り込んだ斜面にも、狭い道があるらしい。

 

「砦まで、どれくらいです?」

 

「普段なら、朝にここを出れば、昼までには」

 

 女は言い、脚へ力を入れかけて止めた。

 

 今の身体で同じように歩けるとは、自分でも言えなかった。

 

「仲間は、まだいるはずなのですか」

 

「運ぶ支度は、してなかった。昨日は。ただ、私は……逃げた後は、見ていない」

 

 鬼太郎はその言葉を聞き、砦の印を見た。

 

 森の奥に、すでに人が使っている建物がある。案内する者と、助けを必要とする者もいる。

 

 目指していた候補の近くであれば、調べる価値は十分だった。

 

「助けに行きましょう。ですが、まず見てから決めます。あなたの仲間がいれば、そこから出す方法を考えます」

 

「何を、渡せばいい?」

 

「砦までの案内と、見たことを教えてください。その先のお願いは、皆さんが出てきてから伺います」

 

 女はすぐに頷こうとした。

 

「それで、何でも頼めると思うなよ」

 

 キーノが鬼太郎へ言った。

 

「ええ。今は、こちらが何をお願いできるかも分かりませんからね」

 

 キーノは返事の代わりに女へ手を差し出した。

 

「立つなら、ゆっくりだ。急いで倒れたら、余計に遅くなる」

 

 女はその手を取り、一度立った。ふらつきが収まるのを待ってから、森の奥を指した。

 

     ◆

 

 歩く速さは、前日までより落ちた。

 

 女は時々幹へ触れ、枝の向こうを確かめて進んだ。顔色は戻らず、斜面を上がる前には休む必要があった。

 

 鬼太郎は、その間に聞けることを聞いた。

 

 密猟者は十人くらい。杖を持つ者も、銃を持つ者もいる。門と塔に見張りが立ち、捕らわれた仲間は、主棟の脇の小屋へ移された。

 

「あなた方は、ヴィーラですか」

 

「そう。人間を呼び込んだのではない。あいつらが、網と煙を」

 

「責めているわけではありませんよ。ほかにも、捕らわれている生き物はいますか」

 

「檻に、二頭。布を掛けていた。何かまでは、見えなかった」

 

 女は答え、もう行けると言って立った。

 

 キーノは新しい目印を、自分の紙にも加えていた。案内役へついていくだけでは、戻る時に困る。

 

 鬼太郎も、三人が歩いてきた場所との繋がりを見た。

 

 町から二晩を越えて、ようやく、この辺りまで来た。今から戻れば、少なくとも同じだけの道がある。水を得られる場所が見つかっても、それだけで暮らせるとは言えなかった。

 

 昼を過ぎた頃、女が足を止めた。

 

 丘の向こうを示し、口元へ指を当てる。

 

 鬼太郎は荷を低くし、茂みの間から下を見た。

 

 窪地に、石壁があった。

 

 門扉は片方だけが残り、北側の壁は崩れている。中には二階建ての主棟、低い倉庫、南東の角に小さな塔。

 

 中庭には、檻が五つ並んでいた。

 

 うち二つへ、汚れた布が掛けられている。

 

 キーノが息を吐く音がした。

 

「主棟の横。あの小屋だ」

 

 女が囁いた。

 

 格子を嵌めた窓の奥に、人影が見えた。

 

 鬼太郎は、そこへ続く道を目で辿った。

 

     ◆

 

 キーノは見える男を数えた。

 

「門に一人。塔に一人。中庭に三人」

 

「二階にもいます」

 

 鬼太郎は窓辺の動きを示した。

 

 見えているだけで六人。主棟の中にも、まだいるだろう。

 

 サーシェスは砦の周囲と、北壁の崩れを見ていた。

 

「裏から入れるが、小屋まで走る間に気づかれるな」

 

「ええ。全員でそちらへ回ると、門も塔も見えなくなります」

 

 鬼太郎は丘の低い枝を示した。小屋の扉と、中庭からの通路が同時に見える。

 

「キーノさん。ここから、小屋へ向かう方を見ていただけますか」

 

「合図は?」

 

「赤い布を、一人なら一度、複数なら二度。僕が見られる向きへ出してください。危なくなったら、知らせるより先に伏せてくださいね」

 

 キーノは枝と小屋を見比べ、少し横へ移った。

 

「ここなら、奥の扉も見える。こっちから出す」

 

「お願いします。報酬は、今のお仕事として別に」

 

 二人は短く条件を確かめた。

 

 サーシェスにも、砦へ向かう仕事の範囲と分配を示す。旅の同行分や、優先して話を聞く月の金とは違った。

 

 男は条件を聞くと、塔へ目を戻した。

 

「俺は、あの二つからだ。顔が見えた方を撃つ」

 

「僕が門の前で抜いたら、始めてください。小屋へ近づく方は、こちらで引き受けます」

 

「また一人で、顔を見せるのか」

 

 キーノが言った。

 

「こちらへ集まってくだされば、小屋から離れます。途中で捕虜を動かされたら、その時は変えます」

 

 彼女は小屋を見た。

 

 鬼太郎がどこへ行こうとしているかより、そこから誰かが出てくるかを見張る仕事だった。

 

「分かった。見落とさない」

 

 女も立とうとしたが、鬼太郎は首を振った。

 

「あなたは、こちらで。仲間の方に、僕たちが誰かを話していただく必要があります」

 

 女は膝へ置いた手を握り直し、座った。

 

 鬼太郎は鞄を茂みの奥へ下ろした。使う物を身につけ、ケストレルの位置を確かめる。サーシェスが丘の側面へ回るのを見送り、門へ続く道へ出た。

 

     ◆

 

「止まれ」

 

 門の男が銃を肩から下ろした。

 

 鬼太郎は足を止める。中庭の三人もこちらを見たが、すぐには武器を向けなかった。

 

「一人か」

 

「ここへ来たのは、僕です」

 

「何の用だ」

 

「住む場所を探しています。屋根は、使えますか」

 

 男が後ろを振り返った。

 

 中庭から笑い声が上がる。

 

「寝床なら空いてるぞ。檻でよけりゃな」

 

「雨が入りますね。別の部屋はありませんか」

 

 杖を持った男が、門へ近づいてきた。鬼太郎の鞄がないことより、腰の銃へ目を留める。

 

「そいつを抜いて、置け」

 

「持ったまま、お話しする方がよさそうですが」

 

 男の顔から笑いが消えた。

 

 杖が持ち上がる。

 

 鬼太郎は右手を下ろした。握りへ指が掛かり、ケストレルが抜ける。

 

 一発目で、杖の男が倒れた。

 

 塔からも、何かが落ちる音がした。サーシェスの銃声が、石壁へ返る。

 

 門の男が引き金へ指を戻すより先に、鬼太郎は二発目を撃った。身体が門柱へ崩れる。

 

 鬼太郎は同じ場所へ立ち続けず、石壁の角へ寄った。

 

 中庭から撃たれた弾が、その手前を削った。

 

「敵だ!」

 

 声のした方から、足音が近づく。

 

 鬼太郎は銃口を上げたまま待った。角へ銃身が出て、腕と肩が続く。男がこちらを探す前に、半身だけ出して撃った。

 

 三発目。

 

 男が倒れると、その向こうから小さな包みが飛んできた。

 

 地面へ落ちた布の周囲に、灰色の煙が広がる。

 

 鬼太郎は吸い込む前に下がった。門を抜けるのをやめ、壁の外を北へ回る。

 

 甘い匂いが、背後を追った。

 

 煙の奥へ撃ってこない。倒れるのを待っているのか、それとも出てきたところを狙うのか。

 

 鬼太郎は確かめるために戻らなかった。

 

 崩れた北壁から、中庭を覗く。

 

 門を向いている男がいた。

 

 四発目を撃ち、倒れた男の向こうへ入る。

 

 二階の窓で杖が動いた。

 

 鬼太郎が壁へ身を寄せるのと重なって、斜面から銃声が届く。窓の男が奥へ倒れ、杖だけが縁へ引っかかった。

 

 鬼太郎は立ち止まらず、小屋の見える方へ向かった。

 

 丘の枝に、赤い布が出る。

 

 一度。

 

 小屋へ、一人。

 

 主棟の裏へ回ると、鉄の扉へ鍵を差し込む男がいた。もう片方の手には、短い刃物がある。

 

 男が振り返る。

 

「来るな。中の奴を――」

 

 鬼太郎は胸へ撃った。

 

 扉へ身体をぶつけた男が、その場へ沈む。

 

 格子の奥で、女たちが身を寄せた。鬼太郎は扉に残った鍵を抜き、倒れた男の手から刃物を離す。

 

「外で、お仲間の方が待っています。もう少し、そのままで」

 

 近づく足音がした。

 

 鬼太郎は小屋の壁へ寄り、銃を向けた。

 

 主棟の角から出てきた男は、ほかより上等な外套を着ていた。杖を持つ腕が、すでに胸の前へ上がっている。

 

 鬼太郎は撃った。

 

「プロテゴ!」

 

 弾が、防壁へ当たって逸れた。

 

 男は盾の向こうから鬼太郎を見た。杖を動かそうとする。

 

 二発目を、杖へ近い位置へ撃つ。

 

 弾は止まった。だが、男の腕も防御へ戻る。

 

「お前、誰だ」

 

「住む場所を探していると、お伝えしましたよ」

 

 鬼太郎は小屋の扉へ背を向けず、銃口を少しずらした。

 

 男が、盾の端を合わせる。

 

 三発目。

 

 今度も抜けない。

 

 その間に、主棟の向こうで銃声が二度した。

 

 男の目がそちらへ動きかける。鬼太郎が銃を上げ直すと、視線が戻った。

 

 次の銃声は、男の横から届いた。

 

 頭が傾き、防壁が消える。倒れた先の通路へ、サーシェスが現れた。

 

「中に二人いた。もう動かねえ」

 

「小屋は、まだ開けていません」

 

「周りを見る。先に出すな」

 

 鬼太郎は頷き、男の杖を遠ざけた。

 

 丘の赤い布は、下がっていた。

 

     ◆

 

 扉を開けても、女たちは出てこなかった。

 

 鬼太郎の手に銃がある。地面には、彼が撃った男も倒れている。

 

 鬼太郎は銃口を下げ、小屋の入口を空けた。

 

 丘の方から、葉を踏む音が近づいた。

 

「大丈夫。私が、頼んだ」

 

 案内してきたヴィーラだった。キーノが半歩後ろにつき、よろめく身体へ手を添えている。

 

 女たちの顔が上がった。

 

 一人が入口へ進み、逃げた仲間の腕へ触れる。互いの顔を確かめた後、ようやく肩を抱いた。

 

 鬼太郎は、男の鍵束へ目を落とした。

 

 手首と足首の枷を外す。近づかれたくない者には鍵を見せ、触れる前に待った。最後の鉄が床へ落ちるまで、時間がかかった。

 

 キーノは外した枷を拾わなかった。

 

「水、飲める奴はこっちだ。急に立つなよ」

 

 女たちへ器を渡し、空いた場所へ座るよう声をかけた。

 

 鬼太郎は深い傷を負った一人へ、残る力を確かめてからディアを使った。血が止まったところで終え、浅い傷は洗って布を巻く。

 

 力を使った後、左手の指が少し重かった。

 

 まだ何人もいる。だが、同じように全ての傷を閉じようとすれば、こちらが動けなくなる。

 

 森で眠り、食べてきた分の体力も、治療の力も、同じものではなかった。

 

「これは、森へ戻してよいのか」

 

 中庭から、サーシェスの声がした。

 

 布を外した檻には、薬で動けなくなったらしい生き物が二頭いた。鬼太郎は近づきすぎず、呼吸と、罠に触れた傷を見た。

 

 案内したヴィーラが首を振る。

 

「薬が残ってる。このまま出したら、ほかのものに襲われる」

 

「では、出られるまで、こちらで休ませますか」

 

「私たちが、見ている。水も要る」

 

 鬼太郎は頷いた。

 

 サーシェスと中を確かめた後、檻の戸を開けた。すぐ動ける様子はない。出ようとした時に、戸へ挟まれないよう固定する。

 

 ヴィーラは、戸の開いた檻をしばらく見ていた。

 

 それから鬼太郎へ向き直る。

 

「ヴェリナだ」

 

 名を告げる声は、森で聞いたものより落ち着いていた。

 

「私の名前。あなたは、まだ聞いていなかった」

 

「墓場鬼太郎です。キーノさんと、サーシェスさん」

 

 鬼太郎が示すと、二人も顔を向けた。

 

「ありがとう。仲間が、戻ってきた」

 

 ヴェリナは言い、すぐに目を伏せた。

 

「まだ、何を返せるかは分からない」

 

「休んでからで構いません。こちらも、ここを見たいと思っています」

 

 ヴェリナの顔が上がる。

 

「ここに、住むのか?」

 

「住めるかどうかを、確かめます」

 

 キーノが小屋の扉から、中庭を見回した。

 

「檻を片づけてからだぞ」

 

「ええ。鍵の要る相手を増やすために来たわけではありませんから」

 

 ヴェリナは二人を見比べた。すぐ笑うことはできなかったが、腕へ回していた手の力が少し緩んだ。

 

     ◆

 

 確認には、戦闘より時間がかかった。

 

 密猟者は十人いた。主棟と倉庫にほかの人間がいないことを確かめ、武器と鍵、用途の分からない薬を分ける。

 

 一階には屋根の残る部屋があった。寝台の藁は湿り、床には泥がある。二階へ上がると、抜けた屋根から空が見えた。

 

 鬼太郎は壁へ手を置いた。

 

 石は冷たい。雨の染みはあるが、全てが崩れかけているわけではなかった。

 

 外には細い川が流れている。低い塔からは、木々の上に出て周囲を見られた。

 

「町まで、遠いな」

 

 サーシェスが、塔の下で言った。

 

「ええ。ですが、入口からすぐの場所でもありません」

 

「そこは、注文どおりか」

 

「こちらまで運べる道は、調べ直す必要がありますね」

 

 鬼太郎は北壁の崩れと、閉まらない門を見た。

 

 奪い返しに来る者がいないとも限らない。明日から何もせず、本を読める場所ではなかった。

 

 それでも、一から石を積むより、始められることは多い。

 

「ここを、候補にします」

 

 下で、キーノが主棟の扉を開け放った。

 

「候補なら、まず今夜の場所を作れ」

 

「一階を掃除して、寝具を入れましょう」

 

「血と泥のある方は、使わない。あの人たちの寝る所も、先に分ける」

 

「分かりました」

 

 鬼太郎は塔を下りた。上から見た森の形を、地図へ書き足すのは後でよかった。

 

 主棟の前で、ヴェリナが仲間へ水を渡していた。

 

 小屋の扉は開いている。

 

 鬼太郎はその横を通り、持ってきた寝具を取りに丘へ戻った。

 

 今夜は、布を張る前に確かめられる屋根がある。

 

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