第53話 翼に預けるもの
死体を包む糸は、木材を束ねたものより太かった。
ミラは手足が外へ垂れないよう巻き終えると、森トロールへ場所を譲った。灰色の腕が二人分を持ち上げる。
鬼太郎とサーシェスが汗をかいて運んだ重さが、あっさり地面から離れた。
「残りは、戻ってから」
ミラが言った。
鬼太郎は布の上の所持品を確かめ、もう調べ終えた方を指した。
「こちらからお願いします」
森トロールが歩き出し、彼女も続く。
どこへ運ぶかは聞いた。そこで何に使うかも、昨日のうちにサーシェスと話した。
自分で殺しておいて、死んだ後の姿だけ見たくないと言うのも、おかしな話だった。
鬼太郎は空いた場所を洗うため、水桶を取りに行った。
使える物まで、一緒に渡したわけではない。
武器と硬貨のほかに、挟まれた紙のある帳面が見つかった。読める言葉を拾うと、日付と数、それに場所らしい記載が続いている。罠の場所か、取引の記録かは、まだ決められない。
小瓶に付いた札も同じだった。薬らしいからといって、眠らせるものと目覚めさせるものを取り違えたくはない。
「分かる奴に見せるまでは、別にしとけ」
サーシェスも、そう言った。
鬼太郎は包みを分け、湿気の来ない棚へ置いた。
翌日には、川へ下りる足場に平たい石が入った。
鬼太郎が選んだ最初の石は、踏むと傾いた。キーノに桶を持っていてもらい、泥を掻き、下へ小石を詰め直す。
両足で乗っても動かなくなった頃には、袖の肘まで汚れていた。
「次は私が持つ」
キーノが、満たした方の桶を持ち上げた。
主棟まで運ぶ間、二人ともあまり喋らなかった。
町へ戻って買い物をするだけでも、また何晩か森で寝る。今ある食料と、ここで分けてもらえるものを数え直す必要があった。
修繕が始まって三日目、門に新しい金具が付いた。
閉じる時にはまだ下を擦ったが、ボグダンが敷居を削らせ、ドワーフが軸の位置を直した。二人が言い争った後で押すと、今度は途中で止まらなかった。
キーノは開け閉めを二度試した。
「部屋の鍵は?」
「金具を合わせてからだ。先に錠だけ作ってどうする」
ボグダンに言われ、彼女は自分の部屋になる場所へ戻った。
既に寝具の置き場所を決め、扉が開く所には何も積ませていない。
鬼太郎が庭で板を押さえていると、上から影が横切った。
翼の音だった。
塔より高い所で一度回り、青緑色の身体が門の外へ下りる。
四本の脚と、背から伸びる翼。胴は馬ほどもあり、長い尾が地面の枯葉を払った。
竜に似ているが、鬼太郎の知る絵の竜とは、顔も身体のつながり方も違っていた。
ドワーフが、持っていた槌を下ろした。
「どうした」
「人間がいる」
低い声が返った。
その顔が鬼太郎を向く。
「ここに住む人間は、狩る人間を追い払うと聞いた」
鬼太郎は板から手を離した。
「何をしていましたか」
「小さいのが出てくる岩の下へ、肉を置いた。網もある。私が下りると、杖を向けた」
翼の端に、焼け縮れたような箇所があった。
鬼太郎がそこを見ると、相手は翼を身体へ寄せた。
「飛べる。あれでは、私を落とせない」
「何人、見ました?」
「三人。ほかは見ていない」
サーシェスが塔から下りてきた。
竜に似た客を上から見ていたらしい。鬼太郎の横へ並ぶと、翼の傷と、背後の森へ順に目をやった。
「巣までは?」
「歩くなら、川を上がって、岩の割れ目を越える。上からなら近い」
「初対面の背中に、銃を抱えて乗れってか」
相手の尾が、一度だけ地面を叩いた。
「乗せるとは言っていない」
鬼太郎は門の脇に置いた地図を取りに行った。
まだ白い部分の方が広い紙へ、来た道と川を示す。客は爪先を紙へ触れさせず、空中で位置を指した。
北へ続く支流。その先の、浅い岩場。
鬼太郎たちが知る道の近くから、分かれる場所だった。
「案内を頼めますか。人のいる所へ近づく前に、止まってください」
「戦うのか」
「まず見ます。話の通りなら、そのまま狩りを続けさせるつもりはありません」
客は少し頭を下げ、地図を覗き込んだ。
それから、紙にない岩の形を二つ、言葉で足した。
◆
サーシェスへの報酬は、出る前に決めた。
三人を確認して対処する仕事。見えていない敵がいれば、その場で進むか戻るかを変える。案内の先へ無条件で追う約束はしなかった。
キーノは砦に残った。
戻る目安と、遅れた場合に待つ時間を聞くと、彼女は自分から客へ尋ねた。
「お前は、ズメイか」
「そう呼ぶ者が多い」
「戻る時も、先に門の外へ下りてくれ。上から急に来ると、作業中の者が危ない」
ズメイは庭に積まれた板を見て、短く承知した。
鬼太郎は、そのやり取りを聞いてから門を出た。
翼のある案内人に、ずっと歩調を合わせてもらうことはできなかった。
先の木へ移っては待ち、分かれ道でまた姿を見せる。鬼太郎たちは足元を確かめながら、その下を進んだ。
岩場の近くへ着くまでに、一時間以上かかった。
斜面へ入る前に、サーシェスが立ち止まった。
折れた細枝の間に、糸が一本通っている。
鬼太郎が見下ろすと、落葉の下に網の端があった。
「避けろ。帰りにも踏むなよ」
サーシェスは枝へ小さな目印を残した。
網の向こうで、金属を打つ音がした。
鬼太郎は身体を低くし、岩陰から覗いた。
一人が、木に括った縄を引いている。
二人目は、地面に広げた袋の横で肉へ何かを塗っていた。三人目は少し高い場所に立ち、谷の奥を見張っている。
そばには小さな檻が二つあった。
まだ空だった。
背後で、ズメイが喉を鳴らした。
鬼太郎は振り向き、声を落とした。
「小さい方は、今どこに?」
「奥の窪み。出るなと言った」
「そこを見ていてください。こちらへ飛んでこられると、撃てなくなります」
不満そうに開いた口が、閉じた。
ズメイは岩の向こうへ引き返した。
鬼太郎はサーシェスと目を合わせる。男は高い場所の見張りを指し、自分の胸を指した。
残る二人は、鬼太郎から見える。
腰から〈ケストレル〉を抜いた。
先に、肉を扱う男を狙う。片手には小瓶、もう片方には短い刃物。袋の口から杖が覗いていた。
引金へ掛けた指に、力を込める。
男の肩が跳ね、瓶が地面へ落ちた。
音に振り向いた縄の男が、上着へ手を突っ込む。
鬼太郎が次の狙いへ銃を動かすのと、高い所から別の銃声がするのが、ほぼ同時だった。
見張りが岩の裏へ消えた。
縄の男は、抜いた杖を正面へ突き出した。
鬼太郎は岩へ身を寄せる。光が端を削り、石の欠片が頬の横を飛んだ。
撃たれた方とは反対の側から、男を見る。
相手は既に走り始めていた。木の幹が間へ入り、撃てない。
「右へ行った」
サーシェスの声がした。
鬼太郎は岩から出て、斜面を下る。
男の行く先に、小さな檻がある。その横の袋へ手を伸ばした。
何を取るのかを、待つ気はなかった。
立ち止まり、両手で狙いを支えた。
二発目が背へ入り、男は檻の縁へ倒れた。
最初に撃った男が、まだ動いていた。
小瓶を落とした手で土を掻き、袋の杖へ這っている。
鬼太郎は銃を向けたまま近づいた。
「手を、そこから離してください」
男は顔を上げた。
鬼太郎の姿を見て、目を見開く。次に口が歪み、何か言った。
知らない言葉だった。
だが、手が止まらないことは分かった。
三発目を撃った。
奥から、翼が石を擦る音がした。
鬼太郎は銃口をそちらへ向けず、周囲を見る。サーシェスが岩の上から下り、倒れた見張りを示した。
「こっちも終わりだ」
鬼太郎は息を吐いた。
頬へ触れると、石の粉が付いた。血は出ていない。
ズメイはすぐには出てこなかった。
鬼太郎たちが武器を回収し、ほかに人がいないか確かめてから、ようやく岩の向こうで青緑の顔が動いた。
その後ろに、小さな頭が一つあった。
こちらを見た途端、引っ込んだ。
「肉を、食べてはいませんか」
「食べていない。匂いがおかしかった」
鬼太郎は地面の肉へ目を落とした。
自分には、そこまで分からなかった。
仕掛けを外すのは、撃つより時間がかかった。
サーシェスが縄の張り方を見て、動く側を押さえる。鬼太郎が網を畳み、小さいズメイの通る所から退けた。
薬の付いた肉と割れた瓶は、素手で触らず、男たちの道具で集める。ここへ残すわけにはいかなかった。
「ほかにもあるかもしれません。見つけたら、先に小さい方を遠ざけてください」
「探す」
ズメイは頷き、岩の奥へ戻った。
サーシェスが、男の上着から折られた紙を出す。求める品と、受け渡しの場所らしい絵があった。
鬼太郎は湿らないよう包んだ。
近くに買い手がいるのか、町まで運ぶつもりだったのか。今は、それを確かめる相手がいなかった。
◆
帰った時、キーノは門の前へ出てきた。
「三人だったか」
「確認したのは、三人です。罠は見つけた分を外しました」
彼女は鬼太郎の顔と服を見て、それから持ち帰った包みを見た。
「夕飯の近くへ、それを置くなよ」
鬼太郎は返事をして、物置の方へ向かった。
ミラへ場所を伝えると、彼女は自分の使う道から行けると言った。ただし、今日のうちに全部を運ぶとは約束しなかった。
鬼太郎も、彼女が出るまで待ってはいられない。
銃の手入れと、使った弾の補充を済ませてから、水を運んだ。
ズメイが来たのは、翌日の昼過ぎだった。
今度は門の外を歩き、呼ぶ声がするまで中へ入らなかった。
前脚で押し出した包みには、抜けた鱗が入っていた。
「剥いだものじゃない」
「ありがとうございます。受け取って、何に使えるか調べます」
鬼太郎が手を伸ばすと、ズメイは包みから爪を離した。
それで帰るのかと思ったが、翼を開く様子はなかった。
「ああいう者が、また来る」
「来るでしょうね」
「来るたびに、ここへ知らせればいいのか」
鬼太郎は、昨日広げた地図を出した。
ズメイの岩場へ曲がる所に、新しい線が増えている。
「場所と、何をしているかを。僕がいない時もありますし、その時には待ってもらうだけでは危ないです」
「私だけでも戦う」
「ええ。ですから、逃げる場所も決めておいてほしいです。小さい方を守りながら、別の人間まで追えますか」
返事はなかった。
ズメイは地図から顔を離し、長い尾を身体の横へ引いた。
「昨日は、追っていない」
「それで助かったと思います。こちらも、上から見てもらえるなら、ずっと動きやすいです」
その首が、少し伸びた。
「木の下は見えない」
「見えた所だけで構いません」
ズメイは、地図から鬼太郎へ目を移した。
「ヴェトル」
「お名前ですか」
「そうだ。次に呼ぶなら、その名で呼べ」
鬼太郎は、地図を押さえていた手を離した。
「分かりました、ヴェトルさん。飛んでいる時に、また網や罠を仕掛ける者を見つけたら、場所を知らせていただけますか」
「見えたら、伝える。木の下を全部見ろとは言うな」
「はい。追いかけて、そちらが危なくなる必要もありません」
ヴェトルは首を戻し、庭の向こうの空を見た。
サーシェスが、地図の南側を指した。
「こっちへも飛ぶのか」
「時々」
「俺たちが入った辺りだ。あそこまで、どれくらいだ?」
ヴェトルの説明には、時間より先に、風と荷物の話が出た。
重ければ下りる。雨の強い日は飛ばない。森の端へ行くことと、人間の町へ下りることは違う。
サーシェスは黙って聞き、最後に自分を指した。
「一人、乗せられるか」
ヴェトルは男を上から下まで見た。
「その長い武器が、翼に当たる」
「当てねえようにする。そこからだな」
鬼太郎は、地図の上の長い帰路を見た。
サーシェスが町で仕事を受けるたびに、何日も森を歩く必要がなくなるかもしれない。
食料も金具も、人の背だけで運ばずに済む。
「近くで試して、無理がなければ、運ぶ仕事を頼めませんか。僕たちは、知らせてもらった狩りや罠に対処する。そちらには、必要な荷や人を運んでもらう形で」
「毎日か」
「いいえ。頼む日と、運べる物を、その都度決めたいです」
ヴェトルは翼を開きかけ、閉じた。
「小さいのを、一人で残せない日もある」
「それも先に聞きます」
ヴェトルは、南へ伸びる線を爪先で示した。
「飛んでいる間に、また岩場へ来たら」
鬼太郎は、そこへ自分の名を書こうとしていた筆を止めた。
運んでもらう間だけ、相手の守りたい場所が空く。それで困るなら、早く着くだけでは話が済まない。
「小さい方が安全な所へ移れる日にしましょう。難しければ、運ぶ日を変えます。狩りに来た者を見つけた日は、そちらを先に」
「昨日の道へは、勝手に人を入れるな」
「僕たちの道具を届ける人にも、岩場の場所は教えません」
ヴェトルは筆の動きを見ていた。
鬼太郎は、相手の住処の印を自分の覚えにだけ残し、外へ持ち出す紙には写さないことにした。
サーシェスにもそれを伝える。男は、自分が使う南の着地点さえ決まればいいと言った。
「それと、背中の鱗へ何でも縛っていいわけじゃありませんよね」
「翼の傷へは、触るな」
鬼太郎は焼けた端へ目をやった。
運べると言っていても、傷がなくなったわけではなかった。まず荷を置く場所を確かめ、それから近くを歩くことにした。
サーシェスが、地図から指を離した。
「俺の飯を、一便ごとにこいつへ払えって話じゃねえんだな」
「森での協力の分として相談したいです。あなたの個人の荷をどこまで載せるかは、別に聞いてください」
「上等だ。乗れるならな」
その日は、誰も空へ上がらなかった。
背のどこに重みを掛けられるかを聞き、袋一つを載せて歩いてもらった。結び目が翼の付け根に寄るたびに、ヴェトルが止まる。
使える革帯と厚い布を探し直す必要があった。
二日後、サーシェスが砦の外で初めて跨った。
銃は先に下ろし、背の金具も外していた。鬼太郎は地上で見ていたが、浮いた途端に男の身体が後ろへずれ、革帯を掴む手へ力が入るのが分かった。
ヴェトルはすぐに下りた。
「挟むな。翼が動かない」
「分かった。もう一度だ」
乗る場所と足の置き方を変え、今度は低く一周した。
帰ってきたサーシェスは、少し乱れた髪を指で掻いた。
「町で飲んだ帰りには、使えねえな」
「そこから落ちるのは、僕も困ります」
南の入口付近まで試したのは、さらに翌日だった。
町へは下りず、鬼太郎たちが最初の目印を残した近くで、サーシェスが地上を確かめた。
戻った男が見せた時計では、向こうまで飛んでいた時間は三十分ほどだったという。
実際には、乗り降りと、木立を避けて下りる場所へ歩く時間が加わる。
往復を終えたヴェトルは、水を飲んで横になった。
「今日は、もう運ばない」
鬼太郎は、頼みかけていた板の束を見た。
それを置き、代わりに水の皿を近くへ寄せる。
「分かりました。次は、荷物の重さも相談しましょう」
キーノが、広げた地図へ南の着地点を書き加えた。
歩いて来た線は消さなかった。風が悪ければ、自分たちの足で帰ることもある。
サーシェスはその横で、次に町へ出る日を鬼太郎と相談し始めていた。
鬼太郎は少し離れ、板の端を持った。
今日は人の手で運ぶ。
門の内側へ戻ると、壁際には、キーノの部屋へ取り付ける扉が立て掛けてあった。
新しい錠に、まだ鍵が差さっていた。