第54話 秤を持つ男
キーノは鍵を受け取ると、鬼太郎を廊下に残して扉を閉めた。
錠の動く音がする。
中で何かを押した後、彼女はもう一度鍵を回し、顔を出した。
「外から押してみろ」
言われた通り、閉まった扉を押す。
新しい木の匂いがした。枠は少し軋んだが、戸は開かなかった。
「どうだ」
「閉まっています」
「分かった」
返ってきた声は、木を一枚挟んだだけで、いつもより遠かった。
鬼太郎は手を離した。
しばらくして扉が開いた時、キーノはもう鍵をしまっていた。鬼太郎へ渡す分はなかった。
錠を付けたボグダンは、代金を受け取る前に、残った金具を机へ並べた。
「これは使ってない。品代には入れるな。扉を削った手間は、あっちの分だ」
ドワーフを指してから、自分の仕事の紙を寄せる。
鬼太郎が合計だけ書こうとすると、細い指でその欄を押さえられた。
「誰の材料で、誰が作ったかは残せ。次に壊れた時、そこから話が変わる」
金具を作る手先と、硬貨を数える指先は、どちらも迷わず動いた。
鬼太郎は紙を分け、余った品の数を書き直した。
庭では、町へ出るサーシェスが荷を確かめていた。
ヴェトルに頼める日を選び、今回は数日向こうで仕事を探す。戻る予定日は決めたが、天候で延びた場合に、無理に飛んでもらう約束はしていない。
鬼太郎は頼む品の紙と、その代金を渡した。
「塩、油、釘。次はもっと洒落た買い物にしろよ」
「これがないと、洒落た物を置く場所が腐りますから」
サーシェスは紙を畳み、金を自分の財布とは別へ入れた。
門の外で荷を載せる前に、ヴェトルが重みを確かめる。男が上がると、翼が地面の砂を払った。
鬼太郎は少し離れて見送った。
空を行けば短い道も、町で探して買い、持ち帰るまでが一瞬になるわけではない。
サーシェスが戻った頃には、一階の天井から水が落ちなくなっていた。
二階の穴を全部塞いだわけではない。雨を逃がす覆いを先に掛け、傷んだ梁を直すまで使わない部屋を決めたのだ。
北壁の崩れも、まだ残っている。
それでもキーノは、部屋の中で自分の本を広げられるようになった。
砦に来る者は、修繕をする者ばかりではなかった。
帰れるようになったヴィーラが、借りていた布を持ってきた。ヴェリナは受け取り、まだ横になっている仲間へ、新しい道の様子を伝えている。
小屋にいた獣の一頭は、ある朝、いなくなった。
扉の外に足跡が続いていた。追いかける者はいなかった。
ミラは、糸を渡す日にだけ来た。
使う長さを聞いてから束を分け、残りは持ち帰る。鬼太郎が頼み忘れた分まで、置いていくことはなかった。
代わりに彼女は、通る道に見慣れない足跡があった時には、作業の前にそれを話した。
森のどこで何が起きても分かるわけではない。
だが、砦から歩いて戻れる範囲に、知らない人間が長く居座ることは、少し難しくなった。
◆
五人のうち、最後の一人は撃たなかった。
鬼太郎が見つけた時、その男は地面へ伏せ、両手を頭の後ろに置いていた。杖は、自分で届かない所まで投げ出している。
腰には刃物ではなく、小さな秤を下げていた。
「動かないでください」
「動いていない!」
声だけは、元気だった。
鬼太郎は銃口を下げず、男の左右を見た。
網を運んでいた男と、撃ってきた男は、少し離れた木の下に倒れている。サーシェスが反対側の二人を確かめ、こちらへ戻ってきた。
発端は、ミラが見つけた新しい足跡だった。
彼女自身の通路へ、枝を切って網を広げた者がいた。人を通すために下げていた糸まで、刃物で落としていたという。
鬼太郎たちはその場所へ行き、檻と巻いた網を見つけた。
荷を見せろと言ったところで、木陰から杖が向けられた。
鬼太郎は二発撃った。
サーシェスの方でも二人が倒れ、残った男だけが、自分から地面へ伏せたのだった。
「俺は、買いに来ただけだ」
男が言った。
先ほどより少し低い声になっている。
「捕まえる所を見に来たのでは?」
「品を見ないと、値が付けられない」
サーシェスが、男の鞄を開いた。
保存用の箱。秤の分銅。注文を書いた紙。
男が身体を起こしかけ、銃口を見て、また伏せた。
「卵、生きたヴィーラ、毒。こいつらも、買う相手がいてよかったな」
「客の注文だ。俺が欲しいわけじゃない」
「代金は受け取るんでしょう?」
鬼太郎が尋ねると、返事が途切れた。
男の靴は森を歩くには向いていなかった。裾の泥を除けば、上着も、倒れた四人より上等だ。
捕まえる者を前に出し、最後に品を見る。
そういう仕事だったらしい。
「お名前を」
「ボリス・マルコフ」
「売る場所は?」
男は顔を横へ向け、片目で鬼太郎を見た。
「言えば、生かすか」
「話を聞きたいと思っています。まだ、それ以上は決めていません」
サーシェスが注文の紙を一枚、男のそばへ落とした。
ボリスはそれを見て、歯を食いしばった。
「ソフィア。プロヴディフ。品によっちゃ、国境の向こうだ。英国へ流れる物もある」
「本や薬、道具を仕入れることも?」
「金があればな。何が欲しい」
鬼太郎は、男の顔を見た。
命乞いの言葉の間に、商売の問いが混じった。
持ち帰った素材を、どこへ売ればよいか。本を一冊探すために、毎回自分が町へ出るのか。
考えかけていたことへ、この男は答えを持っているかもしれない。
「起きて、そこへ座ってください。ゆっくりです」
ボリスは肘から身体を起こした。
手を見える所へ置いたまま、倒れた四人を順に見る。
「俺を雇う気か」
「同じ品を、狩らずに仕入れられるなら、どうします?」
サーシェスが男へ銃を向けているのを確かめ、鬼太郎は自分の銃をしまった。
上着の小包から、ヴェトルの鱗を一枚出す。
ボリスは鱗へ顔を寄せた。
「割れが少ない。どこから剥いだ」
「抜けたものを、本人から受け取りました」
男の目が鬼太郎へ戻った。
冗談かどうか、確かめているようだった。
「糸や薬草もあります。僕たちに渡された分を、少しずつ持ってきます。それを売って、あなたの利益にして構いません」
「……いくらで買う」
「その分の代金は求めません。代わりに、定期的に来ていただきたいです」
ボリスは眉を寄せた。
鬼太郎は、鱗をまだ手渡さなかった。
「誰が何を欲しがっているか。森へ入るつもりの者がいるか。それを知らせてください。頼んだ本や物資の購入費は、別に渡します」
「運ぶ手間まで、ただでやれと?」
「こちらから渡す素材で、その分も儲かるかを考えてください」
男は黙った。
秤を手に取りかけ、途中で止める。
鬼太郎が許すと、ようやく腰から外した。
鱗を載せ、重さと厚みを確かめる手は、まだ少し震えていた。
それでも、先ほどまでの男とは違った。どの値段で、誰に見せるか。鬼太郎には聞き取れない言葉で、短く呟いている。
「量は、毎回これだけか」
「毎回同じとは言えません。無理に抜いたり採ったりはしませんから」
「なら、最初に大量にあるような話は流すな」
鬼太郎は口元を緩めた。
生かす理由が、また一つ増えた。
ただし、自分で狩らないこと。
ほかの者を雇って捕まえさせることも、同じだった。
取引する場所と日を決め、住処や砦へは勝手に近づかせない。頼んだ品がなければ、代わりを黙って買うのではなく、値段や入る日を聞いて戻る。
ボリスは条件を聞き終えると、鱗を秤から下ろした。
「これだけ受け取って、俺が戻らなかったら」
「二度目からの商売がなくなりますね」
「それだけか?」
鬼太郎は答える前に、地面の注文書を拾った。
「狩る者を連れて戻れば、その時はこの方々と同じです」
男は紙ではなく、鬼太郎を見ていた。
しばらくして、深く息を吐く。
「分かった。やる」
「では、最初の品です」
鬼太郎は鱗を渡し、待ち合わせる場所を決めた。
ボリスはそこなら分かると言った。住処を一つも示さず、森の南側で会える場所だった。
立ち上がった男へ、鬼太郎はもう一つ頼んだ。
「森でよい素材が手に入る、という話も流してください」
ボリスの足が止まった。
サーシェスは、横で小さく笑った。
「人間を呼びたいのか、あんたは」
「あなたの商品が本物だと分かる程度に。住処や道まで教える必要はありません」
「真似して狩ろうとする奴も出るぞ」
「そうでしょうね」
鬼太郎は、落とされた杖を拾った。
森へ入ればよい物がある。それを聞いて、何を持って来るかは相手次第だ。
ボリスは何か言いかけたが、結局、鞄を閉じる方を選んだ。
◆
「ここを、敵の来ない場所にする気はないのか」
砦へ戻り、キーノへ話すと、最初にそう聞かれた。
鬼太郎は回収品を台へ置いた。
「何も知らない方まで、全部締め出したいわけではありません」
「狩りに来る奴の話をしてる」
鬼太郎は、包みを開く手を止めた。
言葉の逃げ先を、先に塞がれた。
「相手が何を持っていて、どんな力を使うか。確かめたいとは思います」
「私たちの部屋へ、来てからじゃ遅い」
キーノは自分の扉を見た。
鍵ができたばかりの部屋だった。
「住処の場所は、教えさせません。こちらで見つけた相手でも、砦へ引き込むつもりはありません」
「お前が楽しみでも、ここの者が同じとは限らない」
「ええ。それは、話します」
翌日、鬼太郎はミラと、修繕に来た者へ、外へ流す話の範囲を伝えた。
ミラは、すぐには返事をしなかった。
「私の道を使って、呼ぶのはやめて」
「使いません」
「人が増えたら、私はそちらを通らなくなる」
鬼太郎は、それを覚えておくことにした。
糸が張られ、足跡を教えてもらえる道は、彼女が通るから存在する。自分の都合だけで、いつまでもそこにあるものではなかった。
ボリスは、七日後に戻ってきた。
待ち合わせ場所にいたのは一人で、連れてきた荷獣には、箱と袋が載っていた。
鬼太郎とサーシェスを見ると、男は最初に買い物の紙を出した。
「なかった物が二つ。そっちは金を使ってない。値段は、ここだ」
頼んだ物と届いた物を合わせ、明細と残金を確かめる。
保存用の瓶、釘、紙。英国と東欧の新聞。素材の扱いを調べる古本もあった。
ボリスは包みの紐を解き、汚れないよう布を敷いてから本を置いた。
「こっちは古いが、鱗や糸を駄目にする保存の仕方は分かる。知らずに瓶へ詰めりゃ、買い手が逃げる」
鬼太郎は頁を開いた。
読んだことのない図があった。すぐに腰を下ろしたくなったが、まだ引き渡す品がある。
誰から受け取ったものかを分け、包みごとに出した。
持ち主のいる品を勝手に混ぜてはいない。今回、森の外へ渡す分は、それぞれに話して確かめていた。
ボリスはミラの糸を指の腹で確かめ、濡れた包みと乾いた包みを同じ箱へ入れないよう求めた。
「次も同じ量が欲しけりゃ、先に言えよ。今ここで、これ以上出せと言っても無理だ」
サーシェスが言うと、ボリスは鼻を鳴らした。
「分かってる。安定して入るかどうかも、値段のうちだ」
帰り支度の途中で、男は別の紙を出した。
「東側で、網と眠り薬を揃えた連中がいる。六人。杖を使うのは二人だと聞いた」
鬼太郎は本を包み直した。
「いつです?」
「三日以内。俺の話を聞く前から、支度は始めていたらしい」
「場所は、見たんですか」
「買い物をした店は見た。入る場所は、本人たちの話だ」
紙の上で、その二つを分ける。
ボリスは、近くまでついていくかとは聞かなかった。
箱の留め金を閉じ、道へ戻っていった。
次の侵入者を見つけたのは、聞いた日の二日後だった。
東の奥ではなく、砦から行ける範囲の斜面へ出てきた。ヴェトルが木々の切れた所で人の姿を見つけ、ミラが通る道から、近くまで案内した。
網と薬の包みだけで、すぐ撃ったわけではない。
既に罠へ掛かった生き物を、二人が袋へ押し込もうとしていた。
鬼太郎の一発目は、袋を押さえる男へ向けた。
杖持ちの一人が作った盾には、続く弾が止まった。正面へ撃ち続けず、鬼太郎は木の裏へ移る。
盾の向きが変わった所へ、離れたサーシェスが撃った。
もう一人の杖持ちは、仲間を避けるために腕を上げた。その隙に鬼太郎が距離を詰め、撃つ。
残った者を追う際は、ミラの知らない枝道へまで踏み込まなかった。
サーシェスが先に逃げ道を押さえていたため、その必要もなかった。
六人が倒れた後、袋の口を開けた。
中の生き物は丸まったまま動かなかったが、人間が離れると、しばらくして草の中へ這っていった。
鬼太郎はそこで初めて、銃をしまった。
◆
森で暮らすうちに、鬼太郎は十歳になった。
朝の食卓には、キーノが町で買った小さな焼き菓子があった。
彼女も既に、近くで乗り方を確かめた後、天候のよい日にヴェトルへ町の手前まで運んでもらうようになっていた。
鬼太郎の買い物の日とは、必ずしも同じではない。
「ありがとうございます」
「朝の分だ。残して、机の上で腐らせるなよ」
鬼太郎は本を置き、包みを開いた。
サーシェスは夜になってから酒を出したが、鬼太郎の杯に入ったのは水だった。
秋の雨では、まだ屋根から漏れた。
冬になる前に、使う部屋の上から順に塞いだ。川の上流で高さを確かめ、引いてきた水を受ける槽もできたが、詰まった葉は取り除かなければならなかった。
凍る朝には、結局、桶を持った。
キーノが消さずにいた風呂の項目にも、少しずつ手が入った。
ボリスは、品が少ない月にも来た。
来る日に雪が重なれば、先に決めた次の日へずらす。受け渡し場所を変える時も、互いが知らないまま探し回ることは避けた。
買った本が増え、読めない箇所も増えた。
鬼太郎は借り物の杖で知っている光を出し、うまくいかなければ休んで、同じ所からやり直した。
昔の力を思い描くだけで、今の掌へ戻せるわけではなかった。
サーシェスとの三か月が終わる前には、次も続けるかを聞いた。
男は町で受けている仕事の日程を出し、鬼太郎はその間に頼めないことを確かめた。受けた仕事の金を払い終えてから、同じ優先交渉の条件で、次の三か月へ署名する。
その後も、期限ごとに二人で決め直した。
月の前払いを渡したからといって、森のどこへでも呼べるわけではない。男が断った日は、鬼太郎も一人で行ける範囲へ予定を変えた。
雪が緩み、春の泥が乾く頃にも、サーシェスは町の仕事を続けていた。
戻った男が話すのは、相場や、断った依頼や、次に出る日だった。鬼太郎はその日を確かめ、不在の日に二人いるつもりで予定を立てないようにした。
森の者も、ただ物を持ってくるだけではなくなった。
必要な針の形を紙へ描く者がいた。品を選ぶため、自分も受け渡しに行きたいと言う者もいた。
鬼太郎は、それぞれの紙を本に挟まず、別の箱へ入れた。
ある日、町から戻ると、作業用の板が置き直されていた。
雨で泥が溜まる所を避け、使う者たちで話して移したのだと、ヴェリナが教えた。
「決まった分は、もうやった。皆がよいと言ったから」
「そうですか。助かります」
「ただ、新しい覆いは私たちだけでは作れない。誰に頼むか、まだ話が付いていない」
彼女は、移した板の数と、足りない物を書いた紙を渡した。
誰が何をしたかを聞き返すと、そばにいた者が自分のした分を答えた。
ヴェリナが全員に代わって決めたわけではなかった。
鬼太郎は、済んだ仕事をやり直させず、覆いの相談だけを残した。
夏の近い朝、ボリスが空の箱を開き、前に渡した糸の値を話した。
秤へ載せる手は、最初のようには震えなかった。
「次も、この扱いで頼む。傷めずに運べりゃ、客が付く」
鬼太郎は、その箱へ新しい包みを置いた。
森へ入る者の手には、檻も、網も、こういう箱もある。
ボリスが留め金を掛けるのを見届けてから、鬼太郎は、今度こそ持ってきた本を開いた。