第55話 白い髭の来客
ヴェトルが連れてきたのは、人ではなく、その人を待たせているという知らせだった。
「川を渡る手前にいる。名を言えば、お前が分かると言った」
鬼太郎は、開いていた本から顔を上げた。
砦の南にある浅瀬なら、歩いても遠くない。誰の住処かを知らずに踏み込む前に、そこで止められたらしい。
「何というお名前ですか」
「アルバス・ダンブルドア」
キーノが、卓の脇の新聞を引いた。
古い英国の記事の下で、白い髭の老人が眼鏡を直している。
「この顔か」
「そうだ。杖と、袋を持っている。一人だった」
ホグワーツの校長。
鬼太郎は新聞を何度か読み返していた。図書館の規模を調べた時にも、この名を見ている。
サーシェスは写真を覗き込み、壁際に置いた銃を取った。
「学校の爺さんが、こんな所へな」
「話は、聞きたいですね」
「俺は少し離れて聞く。お前らの後ろへ、知らねえ奴が回ってないかも見とく」
鬼太郎は本を閉じた。
ヴェリナに来客と戻る見込みを伝え、キーノと門を出る。
ヴェトルが先に飛び、サーシェスは途中から木立へ入った。
老人は、浅瀬の向こうの木陰にいた。
長い衣の裾には泥が付いている。道のない森に不釣合いな格好だが、疲れて座り込んでいるわけではない。
鬼太郎たちが現れると、穏やかな笑みを浮かべた。
「おはよう。飛んで来られた方に、ここで待つよう言われての」
「ご用件によっては、そのままお帰りいただくつもりでした」
「ならば、来てもらえただけで一歩前進じゃな」
老人の目が、鬼太郎の肩越しへ動いた。
サーシェスが選んだのは、そちらの木立だった。
「あちらの方にも、聞こえるよう話した方がよいかね」
鬼太郎は振り返らなかった。
「必要なら、後で伝えます」
「そうか。では、まず自己紹介を」
名乗りを聞き終える前から、新聞の写真と同じ顔だと分かっていた。
老人は紙袋を少し開き、レモンの飴を勧めた。
キーノが袋を見てから、相手の顔を見る。
「先に、用件を聞く」
「もっともじゃ」
ダンブルドアは一つだけ自分で取り、袋を閉じた。
「墓場鬼太郎くん。君のご両親のことと、学校のことで話がある」
鬼太郎の右手が、腰の近くで止まった。
向こうはそれを見たが、袋を持つ手を上げもしなかった。
「僕の名前を、どこで?」
「君の父上の家系を調べた。英国で君の名を聞いた者にも、話を聞いておる」
「ずっと、探していたんですか」
「行方が分からぬ時期もあったよ」
答えた範囲の外に、まだ何かを置いている。
鬼太郎は老人の顔を見た。こちらがどこまで知っているかも、同時に確かめているようだった。
「立ち話で済む内容では、なさそうですね」
「招いてもらえるなら、ありがたい」
鬼太郎は浅瀬を指し、通れる石の位置を教えた。
ダンブルドアは言われた所だけを踏み、こちらへ渡った。
◆
砦へ戻る途中、鬼太郎は一度だけ歩調を速めた。
老人は遅れなかった。
枝を手で払うことも、足元ばかりを見ることもない。それでいて、ときおり道の外へ目を向ける。
鬼太郎が気にしていた斜面にも、同じ目が向いた。
サーシェスがどこを通っているか、分かっているのかもしれない。
門へ着くと、ヴェリナが中にいた。
鬼太郎は来客の名を伝え、話す部屋を空けてもらう。彼女は、水場の槽を昼に掃除する予定だけを先に知らせた。
「使う水は、もう汲んである」
「分かりました。そのまま進めてください」
ダンブルドアは、水桶を運ぶ者が庭を横切るまで待った。
「よく手の入った場所じゃ」
「最初は、門も閉まりませんでした」
「君が直したのかね」
「僕だけでできれば、もっと安く済みましたね」
金具を調べていたボグダンが顔を上げた。
「安く作っても、持たなきゃ高く付くぞ」
「今のところ、払った甲斐はありますよ」
老人は門の錠と金具を眺めたが、触れようとはしなかった。
主棟の前でサーシェスが合流する。
「足の達者な爺さんだな」
「まだ、自分の足を使わせてもらっておる」
銃へ向いた目が、すぐに男の顔へ戻る。
それだけで、鬼太郎は老人の横へ一歩近づく気をなくした。
近づけば届く、という感じがしない。
手の届く範囲を歩いていても、ダンブルドアが何をさせないつもりなのかが、まだ見えなかった。
食卓には、三人で向かい合って座った。
ダンブルドアは茶へ砂糖を入れ、懐から畳んだ紙を取り出す。
家系を辿った記録と、その枝に当たる家の記載だった。
「君の父上は、わしの家から随分前に分かれた血筋に当たる。魔法を持たぬまま生まれ、魔法界の外で暮らした」
鬼太郎は紙を受け取った。
父の書類にあった名を、目で追う。
自分の持っている原本は、見せなかった。
「遠い親戚、ということですか」
「そうなるの」
「両親を襲った者のことは?」
ダンブルドアは、茶へ伸ばした手を止めた。
「今ここで、犯人だと言って示せる名はない」
「心当たりなら、あるんですか」
「疑うことと、名を挙げられることは別じゃ。今の記録だけでは、誰の仕業かは決められん」
鬼太郎は紙を卓へ置いた。
何も知らない、とは言わない。
しかし、この老人からそれ以上の名を出させる方法も、今はなかった。
「親戚に会いに来ただけでは、ありませんね」
「それだけなら、もう少し喜んでもらえる訪ね方を考えたじゃろうな」
ダンブルドアは、森へ来た理由を尋ねた。
砦にいた密猟者、修繕する者、受け取る素材。鬼太郎は話す物を選んで答えた。
外へ品を運ぶ商人がいることも、ここに住む者が自分たちで相談して作業を進めることも、隠す理由はない。
だが、昔の世界と、そこで負けた自分については話さなかった。
「森へ来た人間が、戻らなくなったとも聞く」
ダンブルドアが言った。
「全員ではありません」
「君が殺した者も、おるのじゃな」
「います」
否定する必要はなかった。
サーシェスは椅子へ深く座り、黙って老人を見ている。
「捕らえて、引き渡す方法は考えたかね」
「誰が引き取ってくれますか。どこへ運ぶにしても、途中で世話と見張りが要ります」
「その手間があるから、命を奪ってよいという話にはならん」
「手間だけなら、考えます。ですが、生かして戻して、その人が仲間を連れて来た場合は?」
ダンブルドアは、そこで黙らなかった。
「必要なら、二度目にも対処せねばならん。じゃが、その可能性だけで、全員の死を先に決めることもできんよ」
「ご自分なら、そうなさるんですか」
「生かして引き渡せる相手なら、そうする。守る者を死なせてまで、相手を無傷で帰すつもりもない」
鬼太郎は、老人の顔を見直した。
殺すことを一切知らない者の言葉ではなかった。
「でしたら、僕も判断することになりますね」
「そうじゃ。だからこそ、君が何を見て決めておるかを聞いておる」
鬼太郎は、ボリスを残した理由を話した。
死なせるより、その商売を使う方がよかった。
相手にも利益があれば、また来る。今ではその通りになっている。
「役に立つなら、生かすと」
「害を与えない方にまで、僕の役に立つことを求めてはいませんよ」
「じゃが、戦ってみたいという理由が、必要かどうかを押し流すことはないかね」
鬼太郎の指が、茶碗の縁で止まった。
キーノは何も言わなかった。
「それも、調べたんですね」
「君の話し方と、今ここで聞いたことからも考えておるよ」
老人は茶を飲んだ。
口を離してから、静かに続ける。
「わしは、この森の裁判官として来たのではない。じゃが、君に会って、あとは好きにしなさいと帰る気もない」
◆
「ホグワーツへ来て、魔法を学ぶことを考えてもらいたい」
ダンブルドアが、次に卓へ出したのは、学校の話だった。
鬼太郎は新聞で見た校舎を思い出した。
「図書館は、使えるんですか」
「生徒ならば。もっとも、読むのに教師の許可が要る本もある」
「教える方は?」
「そのための学校じゃ。君が独学で躓いている所にも、答えられる者はおるじゃろう」
誰もが持っている杖を、自分はまだうまく使えない。
明かりを出すだけでも、キーノの方が安定する。
本で読むだけでは分からなかった所を、尋ねられる者がいる。
鬼太郎は、膝の上で手を開いた。
「僕のためだけに、そこまでしてくださるんですか」
「君が力の使い方を学ぶことは、君以外の者のためにもなる」
「目の届く所へ、置きたいと」
「その考えもある」
隠さず返され、鬼太郎は少し笑った。
「正直ですね」
「全部話したとは、言っておらんよ」
サーシェスが、低く笑った。
ダンブルドアは男を一度見た後、鬼太郎へ戻った。
「知らぬ力を持つ者を、知らぬまま敵へ渡すより、わし自身が会って話す方を選んだ。君にも、誰の所へ行くかを決めるための材料が要るじゃろう」
自分が学ぶことにも、相手の得がある。
それなら、何を差し出すつもりなのかを、先に聞ける。
「キーノさんの入学も、相談したいです」
老人は、すぐに隣へ向き直った。
「あなた自身は、どうしたいかね」
キーノは鬼太郎の顔を見ず、自分の杖を卓へ置いた。
「学びたい。ただ、先に言うことがある」
彼女は、自分が人間と吸血鬼の混血だと話した。
老人の表情は、大きく変わらなかった。
「気づいていたのか」
「違う所があるとは思っておった。今の説明で、分かったこともある」
「それなら、入れるのか」
「簡単な前例には頼れん。必要な確認と、受け入れるための手続きを調べる」
キーノは杖を持ち直した。
使えるものを見せてほしいと言われ、明かりを灯す。
「ルーモス」
先端の光が、卓の木目を白く照らした。
消してから、もう一度灯す。二度目も続いた。
ダンブルドアは手元を見てから、彼女の顔へ目を上げた。
「教わる力はある。あなたのために合う杖を選べば、違いもあるじゃろう」
「途中で、血のせいだと言って追い出すなよ」
「それだけを理由に、退学にするつもりはない。規則を破れば叱られる。それは皆と同じじゃ」
「書いておけるか」
「書こう」
ダンブルドアが羊皮紙を出す。
キーノは、書かれていく所を見ながら条件を足した。
「鬼太郎が行かなくなっても、私が行ける話は消すな」
鬼太郎は彼女を見た。
「僕の条件が通らなくても、ということですか」
「お前が何を条件にするか、まだ知らない。私の話は、私が決める」
ダンブルドアのペンが、紙へ別の欄を作った。
「その通りじゃ。鬼太郎くんの付添いとして、受け入れる話ではない」
身体に必要な配慮と、医療の担当者にどこまで伝えるか。
方法と知る者の範囲を先に説明してから、確認を受ける。
キーノはそこでようやく、杖を卓へ戻した。
サーシェスが、次に口を開いた。
「俺まで、生徒にする気はねえだろうな」
「そのための机は、用意せずに済みそうじゃな」
「門番も、ガキの世話も断るぜ」
鬼太郎は森の地図を出した。
住処の位置を書いた紙ではなく、砦と南への道を示した方だった。
「僕は、ここへ戻れることを入学の条件にしたいです。休暇だけではなく、週末にも。サーシェスさんが使える移動手段を作れませんか」
「英国とここを、行き来する物かね」
「ポートキーなら、それができると読みました。学校の中へ直接入れなくても、外に決めた場所があれば」
サーシェスは地図を見たまま、口元を歪めた。
「俺を学校のそばへ置きっ放しにする気なら、先に言えよ」
「それは頼んでいません。不在でも、僕たちが戻れるようにする相談です」
「使用者と、使う条件は決めねばならん。国を越える許可もいる」
ダンブルドアのペンは、今度はすぐに動かなかった。
「学校の防護を、自由に抜ける道は渡せんよ」
「校外の指定地点で、授業も受ける。それでも、無理ですか」
「調べる。君たちも、出発と帰還を教師へ知らせる。貸し渡したり、他の者を連れ込んだりする道にはしない」
鬼太郎は地図の線を見た。
毎日、好きな時に出られるとは思っていなかった。
ただ、冬を越えてできた暮らしを、入学と同時に切り捨てる気もない。
「その範囲で、案を見せてください」
鬼太郎は、紙の二つの欄を見た。
「ただ、キーノさんが学べることと、僕たちがここへ戻る手段は、僕にとって必要な条件です。調べた結果、できないのであれば、僕の入学は見送ります」
「図書館を諦めるほどにかね」
「惜しいとは思いますよ。それでも、今の暮らしを全部置いていくつもりはありません」
老人はしばらく鬼太郎を見てから、二つの欄へ印を付けた。
キーノ自身の入学については、その横に別の線を引いた。
サーシェス自身と学校が仕事をするなら、それは別の契約にする。
ダンブルドアは、校外の警護や受け渡しで頼める仕事を例に挙げた。
男は、必要な時だけ内容と報酬を聞いて決めるなら、話は聞くと言った。
「学校の者を仕事の標的にせず、そこで知った情報を売らない。許可なく城へ入らない。この条件は必要じゃ」
「その外での仕事まで、あんたが決めるなよ」
「専属にはしない。じゃが、無関係な者を害する仕事を、学校が認めたと看板に使わせる気もない」
「俺だって、看板だけで金を稼ぐつもりはねえさ」
ダンブルドアは、今度は自分からペンを置いた。
「鬼太郎くん。君にも、学校で守る条件がある」
銃も、杖を使わない力も、ほかの生徒へ勝手に向けない。
森の狩りへ連れ出すために、生徒へ借りを作らせたり、学校の名や物を使ったりしない。
身を守る必要があっても、教師が引き受けた後まで、自分で始末を続けることは認めない。
「こちらが力を預ける時には、わしらが責任を負う。そこを、君一人で決める場所にはせん」
柔らかかった声が、最後だけ短くなった。
鬼太郎は、その言葉を考えた。
自分が下がった後、誰も引き受けない場所なら、受け入れられない。
だが、老人は引き受けると言っている。
「僕が危険だと判断した場合も、止めるんですね」
「止める。必要なら、わしが相手をする」
答えに、間はなかった。
鬼太郎は、地図から手を離した。
「その条件は、覚えておきます」
羊皮紙には、まだ決められない欄が残った。
今日の話は、正式な入学許可でも、完成したポートキーの契約でもない。
ただ、老人は途中で紙を片づけなかった。
鬼太郎も、学ぶ場所の話を捨てなかった。
ダンブルドアが記したことを読み返す間、鬼太郎は、卓へ置かれた相手の手を見た。
ゆったりしている。
先ほど、こちらを止めると言った時から、何も変わっていなかった。
「ダンブルドアさん」
「まだ、条件があるかね」
「お願いです」
鬼太郎は椅子に座ったまま、老人へ向き直った。
「僕に、戦い方を教えていただけませんか」
羊皮紙を押さえる指が止まる。
その上で、眼鏡の奥の青い目が、初めて会った時よりも長く鬼太郎を見た。