第56話 二十歩
「戦い方を、かね」
ダンブルドアは、羊皮紙から手を離した。
鬼太郎は返事を待った。断るかどうかを決める前に、相手は何かを確かめたいらしい。
「君がわしに求めておるのは、敵を倒す方法か。それとも、倒されずに済む方法かね」
「どちらも、教えていただけるなら」
「先ほど、君を止めると言った相手へ頼むのじゃな」
「止められる方だから、頼んでいます」
サーシェスが椅子の背から身体を起こした。
鬼太郎は、老人の手元を見た。
杖を握っていなくても、そちらへ視線が行く。何ができるかを一つも見せていないのに、この部屋で自分が先に動けるとは思えなかった。
「それで強くなって、何をする?」
「今は届かない相手と、戦えるようになります」
「それを聞いて、喜んで教える者ばかりではないよ」
「でしょうね。ですから、お願いしています」
ダンブルドアは、少しの間、鬼太郎を見ていた。
「戦わずに終えることも教える。相手へ助けを求めることも、逃げることもじゃ。それでも、学ぶつもりはあるかね」
「役に立つなら、使います」
「使うかどうかの前に、知っておく必要もある。君が敵だと思っている者に、別の用向きがあるかもしれん」
鬼太郎は窓の外へ目を向けた。
庭を、ミラが横切っていく。束ねた糸を置いた後で、ボグダンと何か話していた。
初めに見た姿だけで追い払っていたら、今の屋根も、ここへ来る道の話もなかっただろう。
「それは、分かります」
「じゃが、殺されないだけの力を先に寄越せと、思っておる」
鬼太郎は老人へ視線を戻した。
「力が足りなければ、何をするか考える間もなく終わることがあります。僕は、その後で選びたいんです」
「その後に、何を選ぶかも見せてもらう必要があるの」
「助けを呼ぶより先に、その相手がいなくなることもあります。誰かが来るまで待てと言われても、待った先があるとは限りません」
鬼太郎は、膝の上の手を緩めた。
昔の景色を、この部屋へ持ち込んで説明する気はなかった。ただ、力以外のものも強さだと言われるたび、それを選べる所まで生きていることが抜けている気がした。
「そういう場所を、知っておるのじゃな」
「ええ」
「ならば、君一人が生き残る方法だけでは、足りんことも知っておこう。君に助けを求める者が、同じように待っている時もある」
その言葉には、鬼太郎もすぐには返さなかった。
庭へ運ばれてきた、傷ついた者の顔を思い出す。
キーノが、卓に置いた杖を自分の側へ引いた。
「鬼太郎。さっきの条件へ、これを混ぜるなよ」
「入学の条件にはしません。教えていただけなくても、先ほどの話は別です」
「なら、いい」
鬼太郎は頷いた。
キーノが学校へ行けるかどうかを、自分が今日、力を見せてもらえるかへ結びつけるつもりはなかった。
「昔、知っていた動きを、今の僕ができないこともあります」
鬼太郎は、卓の下で右手を握った。
「ただ、どこが違うかを一人で考えていても、分からない所が多い。僕よりできる方に見ていただきたいんです」
「昔、とは?」
「全部は、思い出せません。動いてから、こうだったと思うこともあります」
ダンブルドアの目が、手ではなく顔へ向いた。
鬼太郎は、それ以上を足さなかった。
キーノもサーシェスも、隣で黙っていた。
◆
ダンブルドアは、少年が握った手を卓の下へ戻すのを見た。
十歳の身体と、本人の言う昔の経験。
同じ年月の上に置けば、どうしても余るものがある。
だが、少年が口を閉じた所へ、二人が説明を足す様子はない。
家族を襲われ、力を欲しがる子供なら、知らぬわけではなかった。
目の前の子供には、それだけでは届かない所がある。
自分のために戦うことを望みながら、居場所を整えるためには金を払い、他人の条件も聞く。
森の者は、命じられるまで黙って立ってはいなかった。
それらを、噂よりも確かな形で見られたことには価値がある。
ただし、優れたものを幾つか持つことと、危険でないことは別だった。
教える力が、いずれ誰へ向くのか。
使える間だけ利用し、危険になったら始末すれば済む、と考えるには、未知の部分が多い。森から追い出しても、その行き先を選べるわけではない。
欲しいものは、はっきりしている。
ならば、そこへ手を掛ける。
力を与える者が自分ならば、何を与え、何をまだ渡さないかも選べる。少年が自分の側に立つ理由を、恐れだけでなく、学ぶ利益から作ることもできる。
そのために、目で見るべきことがあった。
「一度、見せてもらおう」
ダンブルドアは言った。
決めてしまえば、先延ばしにする理由はない。
◆
鬼太郎は、椅子から身を起こした。
「何を、お見せすれば?」
「君の戦い方を。今日は、それを見る。教えることの返事は、その後じゃ」
サーシェスが、口元を歪めた。
「ここでやるなよ。まだ工賃を払い終えてねえ所まで壊されちゃ、面倒だ」
「外に、石を切り出した跡があります。使ってよいか、確かめてきます」
キーノが先に立ち、庭へ出た。
鬼太郎も続こうとしたところで、ダンブルドアが呼び止める。
「その前に、止める時の約束を決めよう」
自分か鬼太郎が終わりと言えば、そこで止まる。
銃も杖を使わない力も、持っているものは使ってよい。だが、見ている者や森の住処へ向けることはしない。
「手加減した方がよいんですか」
「当てるつもりで構わん。わしの身は、わしが守る」
鬼太郎は、言葉の意味を確かめるように、もう一度相手を見た。
笑っている。冗談で言ったのではなかった。
「分かりました。あなたが止めると言ったら、すぐに」
「自分から止めてもよいのじゃよ」
「覚えておきます」
鬼太郎は部屋へ戻り、腰の〈ケストレル〉を確かめた。
手入れを終えたままの状態だった。弾を確認し、ホルスターへ戻す。借りている杖は、今日は持って出なかった。
使える明かりを、この人へ向けても意味はない。
ほかに使える気がする、というだけの呪文を、今使えるものの中へ混ぜることもできなかった。
キーノは庭で待っていた。
古い切出し場は、今日は誰も使っていない。そこへ行く道と、触らない方がよい石の積み方を、ドワーフに教わったという。
「壊した所は、後で見に来ると言ってたぞ」
「払わないつもりはありませんよ」
「自分の身体もだ。直せば済むと思って、無理をするな」
鬼太郎は、袖を留め直した。
「まだ何をされるかも、分かりませんからね」
「分からないなら、少しは怖がれ」
怖いかどうか、確かめてみた。
胸は速く動いている。指先は、妙にはっきりしていた。
先ほど卓で見ていた手が、どれほどのことをするのか。それを、もうすぐ自分へ向けてもらえる。
「楽しみの方が、大きいですね」
キーノは、その返事には何も言わなかった。
ただ、森へ入る時、鬼太郎の腰から自分の手を離した。
いつの間にか、ホルスターの留め紐がねじれていないかを見ていたらしい。
切出し場には、古い岩と、丈の低い草が残っていた。
住処へ通じる道は避けた。積んである石を使わずに済む方を選び、ダンブルドアへ範囲を示す。
老人は地面を一回り見てから、キーノたちを岩の脇へ移した。
杖が上がる。
二人の前で、落ちかけていた葉が向きを変えた。
透明な何かが、その辺りの空気を区切っている。
「二人は、ここから出ないように」
サーシェスが、手の甲を近づけかけた。
ダンブルドアが視線を向けると、その手を引く。
「触るのも駄目か」
「出たくなったら言いなさい。銃弾を防ぐために置いた物を、自分で確かめる必要はない」
「見えねえから、どこまであるか分かりにくいんでな」
老人の杖がもう一度動く。
草の上に、細い白い線が引かれた。
サーシェスは、それを見てようやく座った。
鬼太郎は、反対側へ歩いた。
老人まで、二十歩ほど。
間に木はない。足元は少し傾いているが、先ほど歩いて確かめてある。
サーシェスたちがいるのは、射線から外れた横だった。
ダンブルドアは、杖を持つ腕を下げていた。
見た目だけなら、構える前の相手だ。
だが、今まで自分が相手にしてきた者も、同じことを鬼太郎へ思ったことがあるだろう。
子供が腰の銃へ触れる。
そこから撃たれるまでの時間を、見誤った者が倒れた。
今、自分が同じ見誤りをしているとしたら。
「始めても?」
「いつでも」
鬼太郎は、銃を抜いた。
銃口が相手の頭へ向く動きの中で、引金を絞る。
土が跳ねた。
ダンブルドアの顔ではなかった。
老人の右後ろ、草の切れた地面へ弾が入っている。
杖は、ほんの少し上がっていた。
鬼太郎は、二発目を手首へ向けた。
今度は左へ逸れる。
三発目を膝へ落とすと、その弾も、老人へ届く前に地面を打った。
硬い盾へ潰された音がしない。
弾の行く先だけが変えられている。
そのどれもが、キーノたちと木立を避けていた。
「速いのう」
老人が言った。
鬼太郎は次を撃たず、銃口を少し下げた。
速いと言いながら、防ぐだけでなく、弾をどこへ落とすかまで選んでいる。
それなら、撃つ動作を読まれているのか。
鬼太郎は肩の向きを変え、銃口を持ち上げかけた。引金には力を掛けない。
老人の杖も動かなかった。
目は銃へ張り付いていない。腰と空いた左手を含めて、こちらを見ている。
撃たせて防ぐだけなら、弾を使わせて待てばよい。今の老人には、それを待つ余裕さえある。
鬼太郎は、靴の下の砂を踏み締めた。
狙う先を増やせば間に合わなくなる、と思った三発だった。だが、一人で順番に撃つ限り、相手に来るのは一発ずつだ。
森でサーシェスと別の角度から撃った時とは違う。
その違いを、弾を受ける側から突きつけられている。
「もう一度、同じ所へ撃ってみるかね」
「同じ結果になりそうです」
「では、どうする?」
鬼太郎は左手を前へ出した。
内側から力を集め、掌の先へ火を作る。
ダンブルドアの杖先が、その手へ向いた。
「アギ」
火球が飛んだ。
老人の手前で、その形が二つへ裂ける。左右へ流れた炎は、草へ落ちる前に細くなり、消えた。
鬼太郎には、何をしたのかが分からなかった。
見えたのは杖の動きと、自分の火が消えた結果だけだ。
「そちらは、聞いておった」
「噂にする方が、いたんですね」
ダンブルドアは、答えずに杖を下げた。
草が動いた。
鬼太郎は、その先が足首へ伸びるのを見て、右へ跳んだ。着地した場所で、土が柔らかく沈む。
すぐに足を抜く。
靴底に重みが付いた。片足だけを高く上げていたら、そのまま転ばされていただろう。
老人は追ってこない。
その場に立ち、鬼太郎の足を見ていた。
撃とうとして止まる。今は狙うより、次に足を置ける所を探す方が先だった。
下がろうとした先でも、草の下が波打つ。
鬼太郎は銃を右手に持ったまま、左の掌を沈んだ土へ向けた。
「ブフ」
白い冷気が、足元を這った。
水気を含んだ土の表面が凍り、引こうとした靴の周りにも、薄い氷が付く。
鬼太郎は踵を捻って外し、固くなった所を踏んで横へ抜けた。
「ほう」
ダンブルドアの目が、地面から左手へ動いた。
「冷気まで使うとは、聞いておらなんだ」
その声を聞いて、鬼太郎の口元が緩んだ。
同じ力を持っていても、こちらの使う順番まで知っているわけではない。
残る冷気を、老人の足元へ走らせた。
白くなる草の先へ、杖が向く。
低い草が、厚い苔へ変わった。霜が残っていても、老人の靴はその上に沈み、滑らない。
冷気の縁が止まる頃には、足場はできていた。
「初めてなら、もう少し困っていただけるかと思いました」
「初めて見る物の前で、毎回困り続けては、長生きできんよ」
鬼太郎は左へ動いた。
冷えた土を踏まないよう、半円を描いて距離を変える。
老人は身体の向きだけを変えた。
足は、まだ動いていなかった。
次は、杖を持つ腕。
鬼太郎は左手を斜めへ振り、狙う場所を定めた。
「ザン」
風が草を伏せながら走る。
ダンブルドアは、横からすくうように杖を振った。老人へ近づいた風が上へ曲がり、衣の肩をかすめる前に高く抜けた。
木々の上で、葉がまとまって裏返る。
鬼太郎は、風の通った所へ銃口を向けた。
四発目が、その隙を追う。
今度は、空中で潰れた弾が落ちた。
同じ動作で防いだのではなかった。
風を流す手と、その後の銃を止める手が、続けて間に合っている。
自分が一つ当てるために作る隙を、相手は隙として扱っていない。
鬼太郎は息を吸い、左手へ力を集めた。
風を防いだ直後、腕が戻る先へ狙いを合わせる。
「ジオ」
青白い雷が走った。
ダンブルドアの肩の手前で、光が広がる。薄い面へ触れたように枝分かれし、細い光が草地へ落ちた。
最後の一本が消えても、老人の衣は動かなかった。
「雷も、か」
先ほどより低い声だった。
ダンブルドアは鬼太郎の掌を見て、それから顔を見た。
驚きはある。
だが、止める手は遅れなかった。
鬼太郎は銃を握り直した。
左の指先に、使った分の重さが残っている。もう少し強く押し込めば届く、とは思えなかった。
火も冷気も風も雷も、足りないのはそれぞれの勢いだけではない。
次を出す前に、相手が何をするか見られている。
こちらは、見てからどう防ぐかを選ぶ時間さえ与えられない。
「ほかにも、あるのかね」
ダンブルドアが尋ねた。
鬼太郎は返事の代わりに、相手の足元を見た。
最初に立った場所。
そこから、一歩も出ていない。
自分を倒すためではなく、自分に何ができるかを見るために、そこを動かずにいる。
このまま同じように攻めても、老人に自分の残りを数えさせるだけだった。
鬼太郎は銃口を下げないまま、ゆっくりと息を吐いた。
勝つために何をするか。
その問いを、いったん脇へ置いた。
「まだ、終わりではありませんよね」
「君が続けたいなら」
鬼太郎は、草に沈んだ老人の靴を見た。
次に狙うものを決め、左手を開いた。