第5話 小鳥の初猟
「火を消せ」
ペタルの声で、鬼太郎は左手へ目を戻した。
掌に灯した炎を消すと、〈シュライク〉を照らしていた赤い光も消えた。
「ここを燃やす気か」
「そのつもりはありませんよ」
「それでも燃えたら、同じことだ」
鬼太郎は反論せず、左手を下ろした。ようやく出来上がった銃を、作った場所ごと失うつもりはなかった。
ペタルは作業台の下から革の帯を取り出した。鬼太郎の腰へ回し、右腰の少し前に、銃の入る部分を合わせる。
「歩け」
鬼太郎は作業台を回った。銃は脚へ当たらず、上着を下ろせば隠れた。
抜こうとすると、裾へ引っかかった。
足を止めて抜き直す。今度は出たが、握りが浅い。
ペタルは手伝わなかった。
「撃つ相手は待たんぞ」
「練習相手くらいは、待っていただけると助かります」
鬼太郎は銃を戻し、もう一度やり直した。
覚えている動きのとおりにすると、腕の長さが足りなかった。銃を置く位置も、裾を払う手の高さも違う。急いで昔の速さへ戻そうとするほど、指がずれた。
少しずつ、引っかかるところを直す。
やがて抜いた直後に握り直す必要がなくなったころ、ペタルが弾薬の箱を持ってきた。
「これは銃の代金に入っていない」
「おいくらです?」
金額を聞き、鬼太郎は財布を開いた。残りは多くなかった。それでも、銃だけ持っていても役には立たない。
買った弾を鞄へ入れると、ペタルが言った。
「全部、練習で使うな」
「仕事の分を残せ、ということですね」
「それと、撃つ必要のないときに撃つな。金も減るし、人も来る」
「来てほしい方を選べるとよいのですが」
「選べるなら、誰も困らん」
鬼太郎は箱の蓋を閉めた。
◆
試射場では、初めの数発はよく当たった。
だが、続けて撃つと穴の位置が右上へ離れた。狙った場所は変えていない。右腕が重くなり、銃口を戻すたび、少しずつ違うところで止まっていた。
「終わりだ」
ペタルに言われ、銃を下ろす。
「まだ撃てますよ」
「何発目からずれた」
鬼太郎は標的を見直した。撃った順番を思い出し、最初に外れた穴を指す。
「なら、その前に腕を休ませろ」
「実戦の途中でも?」
「隠れろ。当たらない弾を撃って、自分の場所を教えたいなら続けろ」
鬼太郎は右手首へ触れた。
記憶の中では、こんなに早く痛まなかった。だが、痛みを無視しても、標的の穴が中央へ戻るわけではなかった。
別の日には、走ったあとに撃った。
照準は呼吸に合わせて揺れ、息を止めても落ち着かない。銃を持ち続ければ、狙う前から腕が疲れた。
鬼太郎は走り終えると壁の陰へ入り、銃を下ろした。相手の位置を確かめ、撃つときだけ構える。
一発撃って、また隠れる。
その合間に、左手を使うことも試した。
「アギ」
奥の木片へ火球が当たる。同時に右手の銃を構えると、左肩の動きに引かれ、狙いが大きく逸れた。
逆の順番でも同じだった。二つを同時に扱っていた記憶はあるのに、今の身体では片方へ引かれる。
鬼太郎は銃を下げ、燃える木片を見た。
火を避けて動く相手なら、行く先は限られる。
炎を放ち、そのあとで構えればよい。
今度は、火を放ってから左手を下ろした。右手の照準は、炎の脇に置いた標的へ向ける。
銃声が一つ響いた。
紙の端へ穴が開く。もう一度やれば、もう少し近づけられそうだった。
◆
買い手に呼ばれたのは、その数日後だった。
机の上に、男二人の写真が置かれている。鬼太郎は顔を見て、すぐに分かった。
帳簿を取り戻した工場から、生きて逃れた二人だった。
「あれから、私の倉庫と部下について嗅ぎ回っている」
買い手が言った。
「帳簿を探しているのですか?」
「それだけじゃない。仲間を焼かれ、隠れ場所も潰された」
「随分と嫌われたようですね」
「お前もだ」
鬼太郎は写真を机へ戻した。
買い手は、使われなくなった貨物集積所の場所を示した。二人はそこで、武器と協力者を集めている。
「前の仕事は帳簿の回収だった。今回は、あの二人を消せ」
「お二人だけでよいのですね?」
「二人の死を確認できれば終わりだ。ほかは邪魔なら好きにしろ。逃げた者を追う必要もない」
鬼太郎は報酬を確かめた。弾薬を買い直し、食事と寝床代を払っても、手元に残る。
しかも、相手は自分の居場所を探している。
「お受けします」
「銃を手に入れたからか?」
「報酬が必要ですから。それに、捜される場所で待つより、こちらから伺う方がよいでしょう」
写真を鞄へ入れ、鬼太郎は席を立った。
「終わったら、あなたの部下が確かめるのですか?」
「お前に死体を運ばせる気はない。場所を知らせろ」
「報告だけでは、お支払いいただけないのですね」
「お前なら、確かめずに払うか?」
「いいえ」
鬼太郎は写真を入れた場所を押さえた。二人の顔と、頼まれた範囲は覚えた。帳簿のときと違い、今回は相手を倒すこと自体が仕事になる。
◆
夜の貨物集積所には、古い貨車が並んでいた。
使われなくなった線路の間から草が伸びている。奥の倉庫にだけ灯りがあり、正面の扉脇で煙草の火が動いた。
鬼太郎は貨車の陰を通り、倉庫の横へ回った。
窓から中を覗くと、写真の二人と、知らない男三人がいた。机には銃と弾薬が並んでいる。
外の見張りを含めて六人。
鬼太郎は貨車の陰へ戻り、腰の〈シュライク〉へ手を添えた。出発前に弾は確かめてある。上着の裾も、抜くときに引っかからない。
だが、ここには狙った場所で待ってくれる紙の標的はいない。
相手の一人を見ている間にも、残る五人は動ける。撃てる銃を持ったからといって、その全員が同じ方向から来るわけではなかった。
鬼太郎は、倉庫だけを見続けず、貨車の間に残る通り道へ目を向けた。
裏口の前には人がいなかった。だが、そこから入れば、銃声を聞いた見張りに背後を取られるかもしれない。
「あのガキは、見つけたら殺す」
中から声がした。
「火を出す前に撃てばいい」
鬼太郎は窓から離れた。
相手も、先の戦いで覚えたらしい。その考えは正しかった。
違うのは、今の鬼太郎も、火を出す前に撃てることだった。
正面へ回ろうとしたとき、靴の下で小石が鳴った。
「誰だ」
煙草の火が地面へ落ちた。
鬼太郎は貨車の角へ寄った。遠ざかるには音を立てる。見張りはもう、こちらへ向かっていた。
男が角を曲がり、視線を下げた。
「子供?」
足が止まる。
鬼太郎は動かなかった。男の右手と、その上着の膨らみを見ていた。
「お前……火を出すっていう、あのガキか」
「おそらく、僕のことでしょうね」
男の顔から、笑いかけた気配が消えた。
「動くな」
右手が上着の内側へ入る。
鬼太郎は裾を払い、〈シュライク〉を抜いた。
男の手が銃をつかんだときには、銃口が向いていた。
引き金を絞る。
男の身体が後ろへ揺れ、線路脇へ倒れた。
鬼太郎は照準を外さず、その手が動かないことを確かめた。紙の標的へ撃ったときと、手に返る反動は変わらない。
その先で起きることも、覚えているとおりだった。
「外だ!」
倉庫の中から声が上がった。
鬼太郎は貨車の陰へ下がった。
直後、側面へ弾が当たった。金属の音が響き、反対側からも足音が近づいてくる。
正面へ出た男と、裏から回った男がいる。
鬼太郎は低い姿勢で貨車の間を抜け、隣の線路へ移った。背後の砂利が弾ける。
隣の貨車の陰へ入り、顔を出した相手へ一発撃った。
男は身を引いた。当たっていない。
鬼太郎も隠れた。先ほどまで頭のあった場所を弾丸が通り、車輪の向こうで靴音がする。
もう一人が近い。
銃を下げ、右腕を休ませながら待った。
貨車の端から、男の銃口が出た。続いて顔が見える。
鬼太郎は〈シュライク〉を上げた。
一発目が肩へ当たり、相手の銃声が頭上へ逸れた。鬼太郎は二発目を撃った。
男が倒れる。
右手首に痛みが走った。短い間に構え直し、反動を受けている。照準を戻すのに、試射場より時間がかかった。
もう一度構えてみたが、先端が細かく揺れた。暗い貨車の向こうへ撃っても、当たると思えなかった。
鬼太郎は腕を下ろした。練習で外した穴が、右上へ並んでいたことを覚えている。今、同じことを確かめる相手は、外れたと分かれば撃ち返してくる。
「撃たなくなったぞ!」
「回り込め!」
声に続いて、二人分の靴音がした。
鬼太郎は右手を下げたまま、左手を開いた。
倉庫の脇に、壊れた木製の荷台が積まれている。男たちがこちらへ来るには、その前を通る必要があった。
「アギ」
火球が板を砕き、炎が広がった。
一人が驚いて足を止めた。もう一人は火から離れ、貨車の間へ飛び込んできた。
鬼太郎は左手を下ろした。
休ませていた右腕を上げる。先ほどまで誰もいなかった隙間へ、男の上半身が現れた。
狙いを追いかける必要はなかった。
銃声とともに男がよろめき、貨車へぶつかって倒れた。
鬼太郎は再び隠れた。右手を握り直す。
火と銃を同時に放つことは、できなかった。
だが、火を避けてくる相手を、銃で待つことはできた。
炎の向こうで、誰かが走った。
倉庫へ戻るのではない。反対の線路へ飛び出し、そのまま暗闇へ遠ざかっていく。
写真の二人ではなかった。
鬼太郎は追わず、倉庫を見た。
依頼の相手は、まだ中にいた。
◆
裏口は開いていた。
鬼太郎は扉の脇へ立ち、中の音を聞いた。荒い呼吸が二つ。机か何かを動かす音もした。
「聞こえますか?」
物音が止まった。
「その声……工場にいたガキか!」
「ええ。先日はお世話になりました」
銃声が返ってきた。
扉へ穴が開く。鬼太郎は壁へ身体を寄せたまま動かなかった。
「今度は銃まで持ってやがるのか!」
「買い手か。いくらで雇われた!」
「気になりますか?」
「倍払う。金ならある!」
鬼太郎は、扉の下へ伸びる影を見た。一人が壁沿いに近づいている。
「先にお受けした依頼がありますので」
「あのときは、俺たちを殺さなかっただろう!」
「あのときは、帳簿を取り戻す仕事でした」
影が近づく。鬼太郎は銃を上げた。
「今回は、お二人を殺す仕事です」
男が扉から飛び出した。
鬼太郎は引き金を絞った。胸へ当たっても、男の手は銃を向けようと動いた。
二発目で、男は後ろへ倒れた。
鬼太郎の右腕が震えた。銃を下げ、息を吐く。
「来るな!」
最後の一人が倉庫の奥で叫んだ。
鬼太郎は入口から中を見た。写真と同じ男が、裏の窓へ向かっている。足元に散らばったものを蹴り、振り返った。
男の手に銃があった。
鬼太郎の右腕は、すぐには上がらなかった。
左手を向ける。
「アギ」
男の胸で火が弾けた。
銃が床へ落ち、男は燃える服を叩きながら転がった。鬼太郎は近づかず、外へ戻る扉を背に待った。
声が弱まり、動きが止まる。
火が弱まってから、顔と呼吸を確かめた。写真の男で間違いない。
入口へ倒れた男も動かなかった。
依頼は終わった。
机の上には、残った銃や弾薬があった。男たちの上着には金もあるだろう。
鬼太郎は触れなかった。誰から奪い、どんな仕事に使ったものか分からない。拾ったものを調べるために、ここへ留まるつもりもなかった。
外へ出ると、荷台の炎がまだ貨車の側面を照らしていた。
鬼太郎は〈シュライク〉を収め、留め具をかけた。
右手首を回すと痛んだ。指は動くが、同じ戦いをもう一度できるとは思えなかった。
買い手の部下が確認に来ることになっている。
鬼太郎は倉庫を離れた。
◆
夜明け前、逃げた男は酒場へ駆け込んだ。
煤のついた服を見た者たちが顔を上げる。男は水ではなく酒を求め、注がれたものを一息で飲んだ。
「ガキだ」
「何の話だ」
「あいつらを殺したのは、ガキだった」
笑った者もいた。
だが、小さな銃を抜いた、手から火を出したと話す男の指は、杯を持ったまま震えていた。
「追ってきたのか?」
「来なかった。最初から、あの二人を殺しに来たんだ」
その場で話を聞いた者が、翌日、別の場所で同じ話をした。
火を出す子供と、その手に収まる小さな銃。
まだ名前は知られていなかったが、何をしたかを語る者は増えた。
◆
買い手の事務所へ通されたのは、確認に向かった部下が戻ってからだった。
「二人とも死んでいた」
机へ報酬が置かれる。
「ほかにも三人。逃げたのが一人いるな」
「依頼のお二人ではありませんでしたから」
「噂は残るぞ」
「僕を捜して仕事を持ってきてくださるなら、助かりますね」
「お前を殺しに来るかもしれん」
「その方とは、条件が合わなさそうです」
買い手は鬼太郎の顔を見たあと、右手へ視線を落とした。
「銃はどうだった」
「よく当たります」
「なら、不満はないな」
「銃にはありませんよ」
鬼太郎は左手で紙幣を押さえ、右手で数えた。指を曲げるたび、手首の奥が痛んだ。
約束された額は揃っていた。
その日のうちに作業場へ行くと、ペタルは鬼太郎を一目見て、椅子を引いた。
「撃ったな」
「分かりますか?」
「銃とお前から、火薬の臭いがする」
鬼太郎は〈シュライク〉を取り出し、弾が残っていない状態にしてから渡した。ペタルは自分でも確認し、作業台へ置く。
「何発撃った」
鬼太郎は数を答えた。外れた一発も、続けて撃ったところも覚えていた。
ペタルに右手を取られ、手首を曲げられた。
痛むところで、指が止まる。
「しばらく撃つな」
「次の仕事が来るかもしれません」
「その手を壊せば、その次はない」
鬼太郎は口を閉じた。
ペタルが銃を開く音がした。手元を見ると、初めて持った日にはなかった汚れが、部品についていた。
「銃も休ませた方がよいのですか?」
「汚れを落とせば動く。お前の手は、拭いても治らん」
「不便ですね」
「作った銃より、使う人間の方が面倒なことはよくある」
鬼太郎は少し笑った。
「では、そちらのお世話もお願いできますか。身体を大きくするには、何を食べればよいのでしょう?」
ペタルが顔を上げた。
「俺は銃職人だ」
「僕より大きいでしょう?」
「大人はみんな、お前より大きい」
「でしたら、どなたに聞いても今よりはよい答えが得られそうですね」
ペタルは鬼太郎を見ていたが、やがて布と部品を一つ渡した。
「まず、これを磨け」
鬼太郎は左手で部品を押さえた。右手は動かす角度を選び、ゆっくりと布を滑らせる。
新しく手に入れたものを使って、仕事を終えた。
次に使うまでに、銃は整えればよい。
自分の身体をどう整えるかは、まだ聞いておかなければならなかった。