神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

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契約の外にも、値段はつく

 

第五十八話 契約の外にも、値段はつく

 

 

 荷車は、大通りへ出なかった。

 

 サーシェスは使われなくなった作業道を選び、轍の浅い方へ馬を進めた。

 

 旧貨物集積所の灯りは、もう見えない。

 

 それでも鬼太郎は、荷台の後ろを見ていた。

 

 逃げた棍棒持ち。

 

 呼ばれるかもしれない増援。

 

 姿くらましを使える別の魔法使い。

 

 追跡者が来るなら、足音より先に現れる場合もある。

 

 荷台の奥では、銅で縁取られた黒い工具箱が二本の縄で固定されている。

 

 車輪が窪みを越えるたび、箱は小さく揺れた。

 

 傾いてはいない。

 

 エドガー・ヴェイルは、負傷した左手を胸の前へ抱えたまま、箱から目を離さなかった。

 

 その隣では、弟子が腫れた片目を押さえている。

 

「一度止めるぞ」

 

 サーシェスが言った。

 

 道の脇に、崩れた石壁がある。

 

 荷車をその陰へ寄せた。

 

 鬼太郎は先に降り、来た道を見る。

 

 人影はない。

 

 灯りも追ってこない。

 

「箱を確認してください」

 

 ヴェイルが荷台の奥へ移る。

 

 右手だけで縄を引く。

 

 銅の縁。

 

 錠。

 

 側面。

 

「動いていない。防護も眠ったままだ」

 

「追跡する術式は?」

 

「私が掛けたものにはない。連中が外から付けたかまでは、開けて道具を使わんと分からん」

 

 鬼太郎は箱の周囲を見る。

 

 新しい札や紐はない。

 

 外側から分かる異常もなかった。

 

「あなた方の傷は?」

 

「左手以外は動く」

 

 ヴェイルが答える。

 

 弟子も頷いた。

 

「腕は痺れてる。額は止まった。歩ける」

 

「名前を聞いていませんでしたね」

 

「マイルズ・ケント」

 

「マイルズさん。吐き気や目眩は?」

 

「少し頭が重い。吐き気はない」

 

「引き渡し先で、治療を受けてください」

 

「お前は?」

 

 マイルズが鬼太郎の右脇腹を見る。

 

 さきほどから、無意識に手を当てていたらしい。

 

「古い傷が少し張るだけです」

 

「撃たれたのか」

 

「以前に、刃で」

 

「さっきじゃないのか?」

 

「ええ」

 

 マイルズは、ますます分からないという顔をした。

 

「子供が、なんでこんな仕事をしてる」

 

「報酬が出るからですよ」

 

「もっとほかにあるだろ」

 

「今は、こちらの方が都合がよいので」

 

 サーシェスが御者台から笑った。

 

「質問しても、まともな身の上話は出てこねえぞ」

 

「あんたは知ってるのか」

 

「知らん」

 

「一緒に人を撃ってただろ」

 

「仕事に必要なことは知ってる。それ以外は値段がついてねえ」

 

 マイルズは師匠を見る。

 

 ヴェイルは、負傷した左手を見下ろしたまま言った。

 

「今は乗っていろ。あの倉庫よりはましだ」

 

 確認を終える。

 

 鬼太郎が荷車へ戻る。

 

 右脇腹の張りは変わらない。

 

 強くなってもいない。

 

 ディアを使う理由はなかった。

 

 荷車は再び動き出した。

 

     ◆

 

 指定された倉庫へ着いた頃、東の空がわずかに薄くなっていた。

 

 大きな看板はない。

 

 裏手にはマグルの荷車が入れる門があり、横の細い扉には魔法で隠された呼び鈴がある。

 

 鬼太郎は依頼書に記された回数だけ扉を叩いた。

 

 三度。

 

 間を置いて二度。

 

 内側から覗き窓が開く。

 

「番号は」

 

 鬼太郎が依頼人番号を答える。

 

 覗き窓が閉じ、門の錠が外れた。

 

 中には四人いた。

 

 契約書に記された代理人。

 

 荷を運ぶ男が二人。

 

 杖を持った護衛が一人。

 

 代理人は、予定より早く入ってきた荷車と、その荷台を見た。

 

「ヴェイル」

 

「見れば分かるだろう」

 

 ヴェイルが不機嫌に返す。

 

 代理人の視線が、マイルズへ移った。

 

「そいつは依頼にいない」

 

「僕も同じことを言いました」

 

 鬼太郎が荷車を降りる。

 

「受領確認を先にしましょう」

 

「箱は?」

 

「荷台にあります。ヴェイルさんの確認なしに触れないでください」

 

「ここは私の倉庫だ」

 

「箱の防護は、倉庫の所有者を区別しないそうですよ」

 

 代理人の手が止まった。

 

 ヴェイルが鼻を鳴らす。

 

「蓋を開けようとすれば、中の道具が焼ける。信用できないなら、試してみろ」

 

「誰が試すか」

 

 代理人は荷運びの二人を下がらせた。

 

「順番は?」

 

 鬼太郎は指を折った。

 

「ヴェイルさんの本人確認。工具箱の外観。本人による開封と中身の確認。敵の人数。残額と追加報酬。紹介状」

 

「客が仕切るのか」

 

「確認せずに終えれば、後から不足を言われますから」

 

 代理人は鬼太郎とサーシェスを見比べた。

 

 サーシェスは御者台に座ったまま、笑っている。

 

「好きにしろ。まず本人だ」

 

     ◆

 

 右耳の上部が欠けている。

 

 灰色の髪。

 

 五十代。

 

 外見は依頼書と一致する。

 

 それだけでは、代理人は受領しなかった。

 

「三か月前に直した箱は」

 

「樫材。蓋の内側へ二重の空間固定。お前が安く済ませようとして、金具を再利用したせいで二週間余計にかかった」

 

「最後に回した客は」

 

「南から来た薬草商。湿度を保つ鞄を欲しがった。私は新調を勧めたが、お前は修理で済ませた」

 

「工具箱の上段、右端は」

 

「銀糸の巻き枠が二つ。左が細糸、右が太糸。手前に製作者印を読む鏡がある」

 

「箱の印は」

 

 ヴェイルは、銅の縁の一角を示した。

 

「外からはただの傷に見える。内側から魔力を流せば、三本の線になる」

 

 代理人は頷いた。

 

「本人だ」

 

「受領書へ、現在の状態も書いてください」

 

 鬼太郎が言う。

 

「必要か?」

 

「左手を負傷しています。歩行可能で、本人確認もできる状態です。契約条件内だと明記してください」

 

「後で治療費まで求める気か」

 

「ヴェイルさんの治療費は、僕との契約に含まれていません。ただし、負傷を理由に減額されるのは困ります」

 

「減らさん」

 

「では、書いても同じですね」

 

 代理人は一度口を閉じ、受領書へ追記した。

 

 エドガー・ヴェイル。

 

 生存。

 

 歩行可能。

 

 左手負傷。

 

 本人確認済み。

 

     ◆

 

 工具箱は、ヴェイルの指示で降ろした。

 

 サーシェスと荷運びの男が、左右の取っ手を一つずつ持つ。

 

「傾けるな」

 

 ヴェイルが言う。

 

「分かってる」

 

「お前が分かっていても、そっちが分かっているとは限らん」

 

 荷運びの男が顔をしかめる。

 

 それでも箱は水平のまま、倉庫中央の低い台へ置かれた。

 

 縄を外す。

 

 銅の縁に歪みはない。

 

 錠も閉じている。

 

 銃弾や魔法の痕もなかった。

 

 代理人が錠へ手を伸ばす。

 

「触るな」

 

 ヴェイルの声が飛んだ。

 

「外側を見るだけだ」

 

「錠へ指を掛ければ防護が目を覚ます。焼けるのはお前の手ではなく、私の道具だ」

 

 代理人は手を引いた。

 

 ヴェイルが右手を錠へ置く。

 

 短い言葉を唱える。

 

 銅の縁に、細い三本の光が走った。

 

 傷に見えた線が、内側から浮かび上がる。

 

 錠が開いた。

 

 ヴェイルが蓋を持ち上げる。

 

 内側には、いくつもの仕切りがある。

 

 細い針。

 

 銀糸の巻き枠。

 

 小さな鏡。

 

 折り畳まれた測定具。

 

 魔法を施した金具。

 

 普通の裁縫道具に見えるものもあれば、触れずとも薄く震えているものもある。

 

 ヴェイルは右手だけで、一つずつ数えた。

 

「細糸、太糸。印読みの鏡。空間針が四本。縫い目を見る針が六本。固定具。測定枠」

 

 上段を外す。

 

 下には、長い金具と巻かれた革帯があった。

 

「欠けていない。焼けてもいない」

 

「内部の損傷は?」

 

 鬼太郎が尋ねる。

 

「測定具の針も動く。横倒しにもされていない」

 

「では、受領書へ」

 

 代理人が箱の中を覗く。

 

「箱は未開封で到着したのか?」

 

「僕たちは開けていません。ヴェイルさんが今、初めて開けました」

 

 サーシェスも頷く。

 

「荷車に積まれてたときから錠は閉じてた」

 

 代理人は受領書へ書く。

 

 未開封状態で到着。

 

 所有者本人が開封。

 

 内容物に欠損、焼損なし。

 

 外側に新規破損なし。

 

 ヴェイルは道具を元の位置へ戻し、箱を閉じた。

 

 三本の光が消える。

 

     ◆

 

「残りは人数か」

 

 代理人が言った。

 

「事前には六人だ。九人以上なら追加と書いたが、十人いた証拠は?」

 

「配置で分けましょう」

 

 鬼太郎は紙へ簡単な図を描いた。

 

 正面に二人。

 

 二階に一人。

 

 別棟に一人。

 

 荷車付近に二人。

 

 大倉庫から三人。

 

 地下に一人。

 

「合計十人です」

 

「死体を運んできたわけじゃない」

 

「敵の死体を納品する契約ではありませんでした」

 

「その図だけなら、いくらでも増やせる」

 

 サーシェスが御者台から降りた。

 

「二階の杖持ちと正面の銃持ちは、俺が長銃で撃った。荷車の御者と杖持ちはリボルバー。倉庫から出た杖持ち。地下の見張り」

 

 指を折る。

 

「俺が撃っただけで六人だ」

 

「俺たちを見張っていた二人が正面にいた」

 

 ヴェイルが続けた。

 

「別棟の護衛が一人。荷車には二人。倉庫から出てきたのは三人だ」

 

「地下は?」

 

 代理人がマイルズを見る。

 

「一人いた」

 

 マイルズは腫れた目を細めた。

 

「俺を見張ってた。杖を持ってた。階段へ出たところを、あの男に撃たれた」

 

 サーシェスを指す。

 

「逃げた者は?」

 

「棍棒持ちが一人です」

 

 鬼太郎は隠さない。

 

「依頼対象から離れたため、追いませんでした」

 

「殺していない人間も数えるのか」

 

「契約は敵が九人以上存在した場合、です。全員を殺した場合ではありません」

 

 代理人が依頼書を開く。

 

 文面を確かめる。

 

 サーシェスが横から覗いた。

 

「お前らが書いた条件だ。今さら死体の数へ変えるなよ」

 

 代理人はヴェイルとマイルズを見た。

 

 証言は、鬼太郎の図と食い違っていない。

 

「分かった。十人で認める」

 

 受領書に、追加条件成立と書き加えられた。

 

 本報酬の残額。

 

 敵九人以上による追加報酬。

 

 二つの袋が机へ置かれる。

 

 鬼太郎はその場で数えた。

 

 契約書の額と一致する。

 

     ◆

 

 代理人は、机の引き出しから封筒を出した。

 

 厚い紙。

 

 赤褐色の封蝋。

 

 依頼人側の印が押されている。

 

 宛名は、ベアトリス・ホロウェイ。

 

「拡張鞄の製作者だ」

 

「紹介状の有効期限は?」

 

「発行から三か月」

 

「使用回数は?」

 

「最初の面会と購入交渉に一度。品を買わずに帰った場合も、紹介は使った扱いになる」

 

「値引きは?」

 

「ない。品を見せてもらえるだけだ」

 

「修理の保証は?」

 

「それは本人と話せ」

 

「封が壊れていた場合は?」

 

「受け取らんだろうな」

 

 鬼太郎は封蝋を確かめる。

 

 欠けていない。

 

 宛名も依頼書に記載された紹介先と一致する。

 

「書かれている内容を確認できますか?」

 

「封を開ければ無効だ」

 

「控えは?」

 

 代理人が別の紙を出した。

 

 紹介状には、依頼を完遂した者が正規の代金を支払う意思を持ち、品質、保証、修理先を事前に確認したい客であること、子供であることを理由に粗悪品を出さないよう求める旨が記されている。

 

 無償提供も値引きも約束されていない。

 

 鬼太郎は控えと封筒の印を見比べた。

 

「問題ありません」

 

 紹介状を受け取る。

 

 普通の鞄の内側へ入れ、折れないよう本の間に挟んだ。

 

「これで依頼は完了だ」

 

「受領書を」

 

 代理人が差し出す。

 

 鬼太郎はすべての項目を読み直した。

 

 ヴェイル生存。

 

 本人確認済み。

 

 左手負傷、歩行可能。

 

 工具箱未開封で到着。

 

 本人による開封後、内容物の欠損なし。

 

 敵十人を確認。

 

 追加報酬支払済み。

 

 紹介状受領済み。

 

「ええ。完了です」

 

     ◆

 

「次は弟子の話だ」

 

 代理人がマイルズを見た。

 

「こちらは頼んでいない。追加の救出料は出さん」

 

「求めていませんよ」

 

 鬼太郎は答えた。

 

「マイルズさんについては、ヴェイルさんとの別契約です」

 

「あんな場所に残せるか」

 

 ヴェイルが言う。

 

「残さなかった対価を、これから書いていただきます」

 

「覚えている」

 

 代理人の机を借りる。

 

 ヴェイルは左手で筆記具を持てない。

 

「マイルズ。書け」

 

「何を?」

 

「さっきの条件だ」

 

 マイルズが椅子へ座った。

 

 鬼太郎は口頭で一つずつ確認する。

 

 鬼太郎が最初に購入する拡張鞄一つを、エドガー・ヴェイルが検査する。

 

 最初の検査料は取らない。

 

 内部容量。

 

 空間の安定性。

 

 縫い目と拡張術式の接続。

 

 耐荷重。

 

 製作者印。

 

 破損時に修理可能な品か。

 

 危険または粗悪な品なら、理由を説明する。

 

 紹介状の有効期間内に利用する。

 

 鞄そのものの代金、修理代、移動費は含まない。

 

「購入前の品を検査するのですか?」

 

 マイルズが書く手を止めた。

 

「そうだ」

 

 ヴェイルが答える。

 

「店が認めなければ?」

 

「認めさせる。紹介状の相手がホロウェイなら、話は通じる」

 

「検査の結果、買わなかった場合は?」

 

 鬼太郎が尋ねた。

 

「最初の一品として扱う。次の品からは検査料を取る」

 

「分かりました。書いてください」

 

 マイルズが追記する。

 

 二通作る。

 

 内容が同じであることを読み比べる。

 

 ヴェイルが右手で署名した。

 

 マイルズも、立会人として自分の名前を書く。

 

 マイルズ・ケント。

 

 鬼太郎も依頼人番号で署名する。

 

 一通をヴェイルへ。

 

 一通を鬼太郎へ。

 

「これで、弟子を助けた分も完了です」

 

 マイルズが鬼太郎を見る。

 

「本当に、これが俺の値段か」

 

「あなた自身の値段ではありませんよ。危険を増やして回収した行動への対価です」

 

「同じに聞こえる」

 

「違います。次に会ったとき、同じ条件で何かを頼めるとは限りません」

 

 マイルズは返す言葉を探した。

 

 ヴェイルが、その肩を右手で叩く。

 

「今は治療を受けろ。こいつの考え方を理解するのは後でいい」

 

「ヴェイルさんにも分かっていないのでは?」

 

「分かりたくない部分が増えた」

 

「それは残念です」

 

「残念そうに言うな」

 

     ◆

 

 倉庫を離れた後、鬼太郎とサーシェスは中立の貸し部屋へ入った。

 

 荷車は依頼人側へ残した。

 

 馬も、もともと密輸業者のものだ。依頼人側が足のつかない方法で処分する。

 

 机へ、今回の報酬と経費の記録を置く。

 

 以前のような五分の三と五分の二ではない。

 

 サーシェスとは、依頼ごとの固定報酬を決めている。

 

「まず、本体の仕事です」

 

 鬼太郎は約束した額を渡す。

 

 サーシェスが数える。

 

「次に経費。長銃弾二発、リボルバー弾四発、煙幕一つ。移動費」

 

「爆薬はなし」

 

「使っていませんから」

 

「治療費もなし」

 

「負傷していないなら」

 

 サーシェスが追加報酬の袋を見る。

 

「十人いた分は?」

 

「僕と依頼人の契約では増えました。サーシェスさんとの契約は、人数で変動する条件ではありません」

 

「分かってる」

 

 サーシェスは不満を言うのではなく、確かめただけだった。

 

「次は、敵が増えた場合の俺の取り分も先に決める」

 

「その方がよいでしょう」

 

「今回は決めた額どおり、と」

 

「ええ。途中で条件を変えなかったのは、お互い同じです」

 

 サーシェスは金を自分の袋へ入れた。

 

「坊主。あの爺の弟子は、最初から助けるつもりだったか?」

 

「いいえ」

 

「検査がなければ置いてきた?」

 

「ヴェイルさんが移動を拒めば、依頼を完了できません。別の方法で動かすか、弟子を連れ出す対価を考えたでしょうね」

 

「殺して運ぶ選択は?」

 

「生存回収です。ヴェイルさんを殺せば失敗します」

 

「そうじゃねえ。弟子だ」

 

 鬼太郎は少し考えた。

 

「抵抗して依頼を妨げるなら、排除した可能性はあります」

 

「爺の目の前で?」

 

「その後、ヴェイルさんが協力しなくなるので、よい方法ではありません」

 

 サーシェスが低く笑う。

 

「お前、本当に容赦がねえな」

 

「今回は、全員生きて必要な場所へ着きましたよ」

 

「結果だけ見ればな」

 

 サーシェスは立ち上がった。

 

 長銃と革鞄は自分で持っている。

 

「次の話は、いつだ」

 

「二日は休みます」

 

「医者に言われたか?」

 

「まだですが、おそらく」

 

「先に分かるようになったじゃねえか」

 

「学習しました」

 

「つまらなくなるなよ、坊主」

 

「無理をして死ぬ方が、次の仕事へ呼べなくなりますよ」

 

「そりゃ困る」

 

 サーシェスは笑ったまま、貸し部屋を出た。

 

 優先交渉契約は続いている。

 

 今回の仕事だけが、清算された。

 

     ◆

 

 鬼太郎が部屋へ戻ったとき、決めた時刻まではまだ余裕があった。

 

 扉を叩く前に、キーノの部屋から細い光が漏れている。

 

 鬼太郎が自分の部屋を開ける音で、隣の扉が開いた。

 

 キーノは仮杖を持っていた。

 

「遅い」

 

「指定時刻の前ですよ」

 

「戻ると言った時刻じゃない」

 

「依頼内容が変わりました」

 

「伝言は出してない」

 

「それで合っています」

 

 キーノの机には、短い紙が置かれていた。

 

 仲介人の印。

 

 指定時刻。

 

 戻らない。

 

 依頼。

 

 危険。

 

 キーノが読める言葉を中心に書いた伝言だ。

 

「読めましたか?」

 

「全部じゃない。でも、時刻と店の印は分かる。何度も見た」

 

「なら、必要になれば届けられましたね」

 

「何もしてない」

 

「待っていたでしょう」

 

「部屋にいただけだ」

 

「指定時刻まで、必要なら伝言を持って出られる状態で待つ。それが今回の仕事です」

 

 鬼太郎は、事前に決めた固定報酬を渡した。

 

 キーノはすぐに取らない。

 

「本当に払うのか」

 

「仕事を頼みましたから」

 

「伝言は使ってない」

 

「使わずに済むのが一番よい伝言でした」

 

 キーノは硬貨を受け取った。

 

 その場で数える。

 

 契約した数字と一致している。

 

「二人だけじゃなかったのか」

 

「一人増えました」

 

「助けた?」

 

「追加契約で回収しました」

 

「何をもらった」

 

「最初に購入する拡張鞄の検査です」

 

 キーノの視線が、鬼太郎の普通の鞄へ移る。

 

「何でも入る方か」

 

「候補を買えるところまで、近づきました」

 

「買ったのか」

 

「まだです」

 

「遅いな」

 

「失う方が面倒ですよ」

 

「前にも聞いた」

 

 キーノが鬼太郎の姿を見直す。

 

 服に血はついている。

 

 だが、ほとんどは返り血と地下の汚れだ。

 

「そこ」

 

 キーノが右脇腹を指した。

 

「さっきから触ってる」

 

「少し張るだけです」

 

「傷は」

 

「開いていません」

 

「治療師へ行け」

 

「そのつもりです」

 

「今すぐだ」

 

「着替えてからでも?」

 

「逃げないなら」

 

「逃げませんよ」

 

 キーノは、鬼太郎が自室へ入るまで扉の前に立っていた。

 

     ◆

 

 治療師は、鬼太郎の顔を見るなり額を押さえた。

 

「何日もった?」

 

「戦闘依頼を受けてからなら、一日です」

 

「そういう意味じゃない」

 

「傷は開いていません」

 

「それを決めるのは私だ。服を上げな」

 

 右脇腹を押される。

 

 傷痕の上。

 

 その周囲。

 

 少し深い位置。

 

「ここは」

 

「張りますが、痛くはありません」

 

「息を吸え」

 

 深く吸う。

 

「吐け」

 

 ゆっくり吐く。

 

 鋭い痛みは出ない。

 

 治療師は瞳と脈も確かめた。

 

「出血はない。傷も開いてない。身体を捻って、治ったばかりの筋肉を使いすぎたんだろう」

 

「ザンを一度使いました」

 

「それは何だい」

 

「風のような衝撃です」

 

「撃った数は」

 

「四発です」

 

「ほかの魔法は」

 

「炎と氷を一回ずつ」

 

「治す魔法は」

 

「使っていません」

 

 治療師が、初めて少しだけ頷いた。

 

「それは正しい。治す傷もないのに使えば、疲れを隠してまた動く」

 

「同じ判断です」

 

「二日は休め」

 

「戦闘を?」

 

「仕事をだ」

 

「机に座って終わるものも?」

 

「聞く必要があるのかい」

 

「確認です」

 

 治療師の目が細くなる。

 

 キーノが先に言った。

 

「二日は受けさせない」

 

「私は、この子が初めてまともに見えたよ」

 

「私は前からまともだ」

 

「比べる相手が悪いんだろうね」

 

 鬼太郎は上着を戻した。

 

「では、本と道具の整理に使いましょう」

 

「寝る時間も入れろ」

 

「ええ」

 

「食事もだ」

 

「分かりました」

 

「銃の掃除を最初にする顔だね」

 

「血と泥がついたまま寝かせる方が、傷みますから」

 

「座って短く済ませな。それから寝ろ」

 

「ありがとうございます」

 

「礼より、次は三日空けてくれ」

 

「二日では?」

 

「増やすよ」

 

「二日休みます」

 

「本当に口だけは達者だね」

 

     ◆

 

 部屋へ戻ると、机の上へ得たものを並べた。

 

 正式な受領書。

 

 本報酬。

 

 敵十人を確認した追加報酬。

 

 ベアトリス・ホロウェイへの紹介状。

 

 エドガー・ヴェイルとの検査契約書。

 

 サーシェスへの報酬と経費は、すでに支払い済み。

 

 キーノの待機報酬も渡した。

 

 残った金を数え、記録する。

 

 紹介状と契約書は、濡れないよう別の包みへ入れた。

 

 その後で、〈シュライク〉を机へ置く。

 

 今夜使ったのは四発。

 

 表面の泥と血を落とす。

 

 完全分解は翌日に回す。

 

 四発分を補充し、短い点検だけで終える。

 

 治療師に言われたとおり、長くは続けない。

 

 キーノが紹介状を見た。

 

「これで、何でも入る鞄が買えるのか」

 

「買う場所へ入れるだけです」

 

「まだ何かあるのか」

 

「品を選び、値段を払い、ヴェイルさんに検査してもらいます。保証と修理先も聞く必要があります」

 

「紹介状があっても?」

 

「紹介状は、信用できない客として入口で追い返されないためのものです。鞄そのものではありません」

 

「面倒だな」

 

「ええ」

 

「でも、前の安い鞄よりはいい?」

 

「その可能性は高くなりました」

 

 前回は、値札と製作者印を書き写しただけだった。

 

 安い拡張鞄は、いつ中身を失うか分からなかった。

 

 高い鞄には手が届いても、値段だけで品質を確かめる方法がなかった。

 

 今は違う。

 

 工房へ入る紹介状がある。

 

 品を検査する職人との契約がある。

 

 その両方を使えるだけの報酬も得た。

 

 金だけでは買えなかったものを、一件の依頼と、契約の外にいた一人の値段で手に入れた。

 

 鬼太郎は〈シュライク〉をホルスターへ戻した。

 

「今日は寝ます」

 

 キーノが驚いたように見る。

 

「本当に?」

 

「治療師とキーノさんの両方に見張られていますから」

 

「明日は?」

 

「本と道具を整理します」

 

「鞄は」

 

「二日後です」

 

「忘れるな」

 

「三か月は有効です。二日で忘れませんよ」

 

 キーノは仮杖を上げた。

 

「ノックス」

 

 机の灯りが一度で消える。

 

 暗くなった部屋に、紹介状の封蝋だけが月明かりを返していた。

 

 まだ鞄はない。

 

 だが、次に開く扉の名前は、もう手の中にあった。

 

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スリザリンの継承者と虚飾に満ちた英雄(作者:魔法史編纂委員会)(原作:ハリー・ポッター)

スリザリンの継承者とは私のこと。▼そんな少女が闇の魔術と共に魔法界を突き進む。▼ダンブルドアの正義とやらに違和感を感じる方、▼倫理観が茶匙一杯の悪役主人公が暴れる話が読みたい方、▼あるいは性格の悪いあなた、どうぞこちらへ。▼※原作キャラクターは誰おま状態かもしれません。▼アンチ・ヘイトタグは念の為ではありません、本気と書いてガチです。▼地雷だらけです。合わな…


総合評価:332/評価:7.08/連載:64話/更新日時:2026年07月24日(金) 01:30 小説情報

ハリー・ポッターと深紅の覇者(作者:筋肉神)(原作:ハリー・ポッター)

「問題児だなんてとんでもない。優秀ですよ私は」▼純血名家に生まれたオリ主。だがこの家系は普通の名家とは全く性質が異なっていて……▼家柄良し、才能良し、見た目良しなオリ主(転生者ではない)が苛烈に過激に人生を謳歌するお話です。▼※魔法や設定の独自解釈を含みます。▼※原作設定と映画設定が混在しています。


総合評価:855/評価:7.47/連載:50話/更新日時:2026年07月05日(日) 23:38 小説情報

ようこそ根源があふれた魔法の学校へ(作者:shinkyu10)(原作:ハリー・ポッター)

――これは、型月世界の魔術師の歪んだ思考OSを持った凡人が、ハリポタ世界のブラックボックスを解体し、あがき続ける物語。▼1981年11月1日未明、ロンドンで起きた爆発テロ。▼奇跡的に生き残った赤ん坊、エリアス・レンには、前世の記憶があった。▼彼は魔術協会『時計塔』の末端魔術師であり、生まれ持った血統と魔術回路の限界に絶望した末、幼児期から全てをやり直すために…


総合評価:4113/評価:8.55/連載:27話/更新日時:2026年06月08日(月) 17:45 小説情報

四番隊の一般隊士、実は卍解持ちの激強死神でした(作者:獅子論)(原作:BLEACH)

ほんの思い付きでとりあえず書いてみたものです。▼皆さんの目に少しでも面白いと思ってくれたら幸いです。


総合評価:847/評価:4.96/短編:53話/更新日時:2026年08月29日(土) 20:11 小説情報

闇の魔術大好き少女が認められるまで(作者:闇の魔術連盟名誉会員)(原作:ハリー・ポッター)

例のあの人(ヴォルデモート)の影響なのか、不当に貶められている闇の魔術。▼名前を聞くだけで忌み嫌われるその魔術も、本来は魔法族がもっと便利に、もっと幸せに暮らすために使われるべきもの。▼今はまだ、魔法省の目を避け、地下でこっそり研究を続ける日々。▼けれど、いつか闇の魔術が正当に評価され、誰もがその便利さを認める日を夢見て……▼少女は今日も、無遠慮に魂を弄繰り…


総合評価:2547/評価:8.21/連載:31話/更新日時:2026年09月26日(土) 18:28 小説情報


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