第六十話 鞄の中に、季節をしまう
拡張鞄を買っても、中身まではついてこなかった。
濃茶色の鞄を机の横へ置き、鬼太郎は紙を三枚に分けた。
すぐに必要な物。
英国を離れるまでに必要な物。
余裕があれば手に入れる物。
最初の紙には、地図と移動手段の本を書く。
英国の鉄道。
海峡を渡る船。
魔法使いが使う煙突飛行、ポートキー、姿くらまし。
その下に、野営用品と防寒着。
次の紙には、英国外の法律、魔法生物、魔法薬、各国の貨幣と宿泊事情。
最後の紙には、上位魔法、希少な魔法薬、専門的な魔法生物の本と書いた。
値段の分からない物には印をつける。
キーノが、机の向かいから紙を見た。
「こっちは、後か」
最後の紙を指している。
「ええ。今すぐ使えない物へ、先に金を使う必要はありません」
「魔法生物は二つある」
「入門書と専門書です」
「違うのか」
「毒があると知るための本と、毒を採るための本では、必要な知識が違うでしょう」
キーノは二枚の紙を見比べた。
「先に、近づくなって分かる方か」
「そうです」
「上の魔法は?」
「今の魔法を安定して使えてからで十分です」
鬼太郎は、保管していた杖を取った。
杖先へ現世の魔力だけを通す。
別の流れが、腕の内側で触れた。
「ルーモス」
針先ほどの光が生まれる。
一秒。
二秒目へ入る前に消えた。
前日と大きく変わらない。
「上を買っても、下がそれだからな」
「ええ」
「悔しくないのか」
「できない理由が分からない方が、少し面倒ですね」
失敗した回数と持続時間を記録する。
未熟だからか。
他人を選んだ杖だからか。
現世の魔力へMAGが混ざるからか。
まだ分けられない。
キーノは仮杖を持った。
指から力を抜く。
「ルーモス」
白い光が灯った。
部屋を照らすには弱い。
それでも、文字を読むには足りる。
「ノックス」
一度で消える。
「お前の最後の紙は、当分いらないな」
「そのようですね」
鬼太郎は三枚目を裏返した。
「では、最初の紙から埋めましょう」
「金は?」
「また稼ぎます」
拡張鞄へ使った金は戻らない。
旧貨物集積所の報酬も、清算を終えれば大半が消えた。
以前からの蓄えは残っている。
だが、一覧のすべてを一度に買えるほどではない。
鬼太郎は翌日、仲介人へ向かった。
◆
最初の一件は、盗まれた魔法薬材料と取引記録の回収だった。
材料は、密封された木箱に入っている。
中身を開けない。
箱を傾けない。
取引記録は黒い革表紙の一冊。
敵の生死は問わない。
火を使えば、材料ごと報酬を失う可能性がある。
保管場所は、運河沿いの古い染料倉庫。
仲介人が把握している敵は四人だった。
「四人を超えた場合は」
鬼太郎が聞く。
「追加はない」
「では、人数が増えても同じ報酬ですか」
「依頼人が確認できる情報は四人だ」
「確認できない人数の危険まで、こちらが同じ値段で引き受ける理由にはなりません」
仲介人は依頼書を見た。
「何人からだ」
「六人以上なら追加。九人以上なら、もう一段階です」
「死体を数えるのか」
「存在を確認できればよいと書いてください。逃走者も含みます」
「前にもめたのか」
「もめる前に決めておこうと思いまして」
敵が六人以上なら追加報酬。
九人以上なら、さらに追加。
存在人数を条件とし、全滅や死体の納品は求めない。
依頼人側が確認できない場合、現場で得た名簿、見取り図、複数の証言を根拠に協議する。
文面へ加えた。
鬼太郎は、その場でサーシェスへの条件も決めた。
固定報酬。
使用した弾薬、爆薬、煙幕、移動費。
負傷した場合の治療費。
敵六人以上の追加報酬が成立した場合、サーシェスにも定めた額を加える。
九人以上は、現場へ入る前に改めて相談する。
サーシェスは依頼書を読み、笑った。
「前の十人分を、今度は書いたか」
「同じ抜けを二度使われるのは、僕の責任になりますから」
「俺が黙ってても増やすのか」
「こちらが受け取る追加報酬は、増えた危険に対するものです。現場へ入るサーシェスさんにも関係するでしょう」
「別に、前は契約どおりだったぜ」
「ええ。ですから、今回は契約を変えます」
サーシェスは紙を机へ戻した。
「いいぜ。四人なら、書いた額。六人から上なら追加だ」
「受諾ですね」
「面白くなかったら、次は断るがな」
「その自由も契約にあります」
キーノには、帰還期限と伝言の管理を別に提示した。
戦闘現場には入れない。
指定した時刻までに戻らなければ、仲介人へ封書を届ける。
戻った場合でも、待機した時間へ固定報酬を払う。
キーノは短い条件を一つずつ読み、受けた。
◆
染料倉庫の外にいたのは、二人だった。
一人は運河側。
一人は正面の軒下。
四人という情報が正しければ、中には残り二人。
だが、窓へ映る影は三つあった。
そのうち一つは、同じ場所を往復している。
天井近くの細窓にも、杖先の光が一度だけ見えた。
「最低で六だな」
運河を挟んだ暗がりで、サーシェスが言った。
「追加条件は成立です」
「中身を燃やすなよ、坊主」
「今日は火を使いません」
「得意技を縛られて、泣くか?」
「ほかの手がありますから」
サーシェスは運河側へ残る。
鬼太郎は、積まれた染料樽の陰から裏手へ回った。
古い搬入口には、内側から横木が入っている。
扉の隙間へ指を近づける。
冷気を細く通した。
ブフ。
横木の端と金具が白く曇る。
強く蹴らない。
留め具へ布を当て、音を抑えて押す。
脆くなった金具が外れた。
扉が、人一人通れるだけ開く。
中には染料と薬品の匂いがこもっていた。
火を使わない判断は正しい。
右手を〈シュライク〉へ置く。
左手には、濃茶色の鞄。
材料箱を見つけるまで、床へ置かない。
棚の向こうで声がした。
「裏だ」
気づかれた。
杖を持った男が、棚の間から出る。
呪文より先に、一発撃った。
右手首。
杖が床へ落ちる。
その後ろから、二人目が出た。
鬼太郎は棚の陰へ入る。
赤い光が、空いた場所を通った。
床の染料粉を蹴り上げる。
左手を振る。
ザン。
風が粉を巻き上げ、二人目の顔へ叩きつけた。
男が目を閉じる。
二発目。
右腿へ当てた。
さらに奥で、三人目が側廊へ下がり、内側から扉を閉めた。
追わない。
倒れた男を越え、奥へ進む。
外で、短い銃声が一度。
間を置いて、もう一度。
サーシェスが外の二人を処理した。
鬼太郎は倉庫の中央で、傾けられた机を見つけた。
その下に、黒い革表紙の帳簿が落ちている。
拾う前に周囲を見る。
正面。
上。
机の裏。
細窓で見えた杖先がない。
帳簿を布で包み、拡張鞄の通常品区画へ入れる。
材料箱は、さらに奥の小部屋にあった。
木箱が二つ。
蓋には封がある。
傾きを示す小さな針は、どちらも中央。
一つずつ持ち上げる。
外側に漏れや焦げはない。
専用の固定枠へ収め、危険物区画へ入れる。
鞄の重みが少し増した。
警告が出るほどではない。
小部屋を出たところで、上から床板が鳴った。
天井近くの細窓にいた者だ。
階段は、正面側にある。
鬼太郎は追わない。
帳簿と材料は確保した。
退路へ戻る。
搬入口を出る直前、外から足音が一つ近づいた。
「伏せろ」
サーシェスの声。
鬼太郎が身体を落とす。
頭上を弾丸が通り、搬入口へ杖を向けていた男の肩へ当たった。
男が扉の外で倒れる。
「七人目ですか」
「正面から回ってきた奴だ。軒下にいたのとは別だな」
サーシェスは長銃を持っていない。
近距離用のリボルバーとナイフだけだった。
今の一発も、リボルバー。
「情報より三人多いですね」
「もう一人、上から逃げた」
「追いますか」
「追ってほしい顔か?」
「いいえ」
「なら帰るぞ。鞄ごと奪われりゃ、全部ただ働きだ」
二人は運河とは反対側の路地へ入った。
敵は七人。
九人には届かない。
六人以上の追加条件だけが成立する。
鬼太郎は〈シュライク〉二発、ブフ一回、ザン一回。
サーシェスは、リボルバーを三発使っていた。
負傷はない。
アギは使わなかった。
材料箱の封も、針も動いていなかった。
◆
依頼人は、黒い帳簿の頁と材料箱の封を確かめた。
敵の人数は、倉庫の簡単な見取り図へ記す。
外に二人。
中で鬼太郎が見た三人。
上階に一人。
正面側から戻ってきた一人。
計七人。
逃げた一人も、存在人数に含まれる。
六人以上の追加報酬が認められた。
鬼太郎は、契約どおりサーシェスへ追加分を渡す。
リボルバー弾三発。
移動費。
固定報酬。
負傷と爆薬はない。
「今度は、俺の分も増えたな」
「書いてありましたから」
「前より気前がよくなったわけじゃねえか」
「ええ。条件が増えただけです」
「そっちの方が、お前らしいぜ」
サーシェスは袋をしまった。
鬼太郎は部屋へ戻り、キーノにも待機報酬を支払った。
その日のうちに〈シュライク〉を清掃し、使った二発分を補充する。
「使わなかった」
キーノが封書を返す。
「使える状態で待つ仕事でした」
「敵は?」
「七人です」
「四人じゃなかったのか」
「増えました」
「追加は?」
「受け取りましたよ」
キーノは、少しだけ口元を上げた。
「今度は書いたからな」
「ええ」
「前の失敗も、使えるんだな」
「失敗したままにしなければ」
鬼太郎は、得た報酬の一部を別へ分けた。
数日後、最初の一覧から二つの項目が消えた。
英国と欧州を結ぶ鉄道と船の本。
野営の基礎書。
二冊が、拡張鞄の空いた棚へ加わった。
◆
三か月後、最初の優先交渉契約が終わった。
鬼太郎は、前回と同じ中立の貸し部屋を取った。
サーシェスが先に来ていた。
椅子へ浅く座り、机の上の紙を見る。
キーノも同席する。
以前は、条件の多くを鬼太郎に読ませた。
今は、短い文なら自分で追える。
指先が、追加報酬の行で止まった。
「敵が増えた時は、毎回決める」
「ええ」
「書いてなかったら?」
「追加なしです。受ける前に、サーシェスさんが確認できます」
「こっちの契約に、いつも同じ額は入れないのか」
「敵が一人増える仕事と、十人増える仕事を同じにしないためです」
キーノは次の行を読む。
「前の仕事……先に、終わらせる」
「既存依頼の優先ですね」
「それは前と同じか」
「同じです」
「難しいところは?」
「損害の計算と、契約違反の扱いです」
「読んで」
鬼太郎が一文ずつ読み、意味を説明する。
キーノは、分かった行と分からない行を分けた。
サーシェスは黙って待っていた。
説明が終わると、紙を自分の方へ引く。
「三か月で、何件出すつもりだ」
「決めていません」
「また一件だけかもしれねえ」
「継続報酬は、仕事がない月にも支払います」
「俺が断り続けるかもしれねえぞ」
「そうなれば、次の月を更新しません」
前と同じ答えだった。
専属にはしない。
他仕事も止めない。
受諾前の拒否も罰しない。
服従へ金を払う契約ではない。
鬼太郎が必要な時、サーシェスへ先に条件を聞かせるための契約だった。
「いいぜ」
サーシェスが署名する。
「次の三か月だ」
「契約成立です」
鬼太郎は継続報酬を前払いした。
サーシェスは金を数える。
「坊主」
「何でしょう」
「次は、鞄へ入らねえ獲物を持ってこい」
「大きい獲物ですか」
「強い奴だ」
「見つかれば、先にお話ししますよ」
サーシェスは笑い、別の仕事へ向かった。
更新した直後でも、同行者にはならなかった。
◆
一覧の項目は、一度に消えなかった。
一件仕事を終える。
報酬を分ける。
弾薬を補充する。
家賃と食費を払う。
残った金で、一つ買う。
濃茶色の鞄へ、物が増えていった。
マグルの鉄道路線図。
魔法使いが使う移動手段の一般書。
海峡を渡る港の一覧。
防水布。
火打ち道具。
保存食を入れる密封容器。
二人分の防寒着。
魔法生物の入門書。
英国外で薬品や魔法生物の素材を扱う際の簡易法律書。
修理用の針と革紐。
予備弾薬。
魔法薬は、まだ少ない。
必要な時に劣化していては意味がない。
上位魔法の本も買わなかった。
鬼太郎の杖先に生まれる光は、数か月が過ぎても針先ほどだった。
十回中九回失敗する日は減った。
だが、成功が強くなったわけではない。
現世の魔力へMAGが混ざる。
分けようとすれば、両方が細くなる。
無理に流せば、借り物の杖が掌を押し返す。
記録の頁だけが増えた。
MAGを使う魔法も変わらない。
アギ。
ブフ。
ジオ。
ザン。
ディア。
基本段階のまま。
新しい名も、上位の形も戻らない。
それでも、使い方は増えた。
火を使えない場所では、冷気で金具を脆くする。
狭い階段では、衝撃ではなく埃を巻き上げる。
電撃を人へ向けず、灯りと足場を壊す。
魔法そのものが強くならなくても、撃つ場所と使う順番は選べる。
銃も同じだった。
月に一度か二度、煉瓦作業場へ行く。
数を決めて撃つ。
静止。
歩いて遮蔽物へ入る。
片膝をつく。
前世の技量に、今の身体を合わせ直す。
療養直後に出た右脇腹の引きつりは、もう起きなくなった。
代わりに、別の違和感が出た。
〈シュライク〉の握りが、少しずつ狭くなる。
指が伸びた。
掌が広がった。
六歳の身体へ作られ、一度調整された握りを、今の手が追い越し始めている。
すぐ使えなくなるほどではない。
革の当て方と握る位置を変えれば、まだ撃てる。
鬼太郎は、その変化も記録した。
◆
キーノの紙にも、文字が増えた。
出口。
危険。
毒。
値段。
時間。
報酬。
追加。
禁止。
短い受領書なら、最初から最後まで読めるようになった。
長い契約書は、まだ途中で止まる。
止まれば、鬼太郎へ聞く。
分かったふりはしない。
自分で買い物へ行く回数も増えた。
食料。
蝋燭。
紙。
インク。
店を出る前に釣りを数える。
受領証があれば、品と額を照らし合わせる。
報酬は自分の内ポケットへ入れ、自室で分けて保管した。
鬼太郎へ預けない。
鬼太郎も求めない。
ルーモスとノックスは、ほとんど一度で成功するようになった。
疲れている日は、光が揺れる。
杖を強く握れば、今でも消えにくい。
だから、成功した日だけでなく、失敗した日も書いた。
攻撃魔法には進まなかった。
二つを使えることと、杖そのものがキーノを選んだことは同じではない。
借り物の杖が、いつ拒絶を強めるか分からない。
基礎を繰り返す。
それをキーノ自身が選んだ。
鬼太郎は教えた。
対価は求めなかった。
キーノは、仕事を求めた。
鬼太郎は、できる仕事にだけ条件をつけた。
購入品の確認。
経路の記憶。
指定時刻までの待機。
短い伝言。
尾行の確認。
報酬は、その都度別に支払った。
キーノの部屋の錠は変わらない。
鍵も、本人が持っている。
予備の一本は鬼太郎が預かっているが、一度も無断で使わなかった。
行く場所を決めるまで。
その条件も変わらない。
一か月が過ぎた。
三か月が過ぎた。
半年が過ぎた。
キーノは出ていかなかった。
鬼太郎は理由を聞かなかった。
まだここにいる。
必要なのは、その事実だけだった。
◆
サーシェスとの契約は、三か月ごとに机へ戻った。
自動では続かない。
一度目は、敵が増えた時の条件を加えた。
二度目は、緊急印を使った回数を確認した。
三度目は、鬼太郎が依頼を出さなかった月の報酬も返さないことを、もう一度確かめた。
サーシェスは、その間もほかの仕事を受けた。
連絡へ一日以内に返答できない時は、完了予定だけを残した。
鬼太郎の話を聞いてから断ることもあった。
鬼太郎は罰金を求めなかった。
受けた仕事では、サーシェスは完遂した。
報酬を清算すれば、別の場所へ戻った。
寝床は、今も知らない。
本名も知らない。
サーシェスも、鬼太郎とキーノの部屋を知らない。
変わったのは、戦う時だった。
倉庫。
河岸。
廃屋。
敵が灯りを消せば、どちらが出口へ回るか決めなくても動ける。
魔法使いが一人だけなら、サーシェスは杖を抜く前を狙う。
二人以上なら、鬼太郎が片方の視線を取る。
回収品があるなら、追撃より先に品と退路を守る。
合図は減った。
契約の文は増えた。
それでも、仲間という言葉は一度も使わなかった。
◆
茶色い外套の男は、現れなくなった。
左袖の擦れ。
右肩の下がる歩き方。
窓の反射を見る癖。
キーノは、人混みの中で何度も探した。
同じ男は見つからない。
「もう来ないのか」
ある日の帰路で、キーノが聞いた。
「そうかもしれません」
「違う奴になったかもしれない?」
「ええ」
「なら、あいつだけ探しても駄目だな」
「そのとおりです」
それからキーノは、外套の色だけを見なくなった。
同じ角に何度も立つ者。
買い物をせず、店の窓だけを見る者。
二人が曲がった後で歩調を変える者。
特徴が一致しなくても、行動を見る。
明確な監視者は見つからなかった。
だからといって、監視が終わった証にはならない。
逆尾行を知られたなら、同じ方法を続ける必要がない。
鬼太郎は住居への経路を変えた。
仕事と買い物を同じ日に重ねない。
購入記録には、必要に応じてキリル・ヴァシレフの名を使う。
仲介人には依頼人番号だけを残す。
本名も、寝床も、MAGも明かさない。
見えない相手へ、こちらから手を伸ばすこともしなかった。
今は、相手が何を知りたがっているかを見る方が先だった。
◆
書類の数字を見つけたのは、キーノだった。
英国へ入る時に使った身分書類。
次に必要となる手続きと、記載内容を照らし合わせていた。
名前。
キリル・ヴァシレフ。
出生地。
生年月日。
今日の日付。
キーノの指が、二つの数字を往復した。
「今日で、八つか」
「書類では、そうですね」
「本当も?」
「大きくは違いません」
「誕生日だろ」
「ええ」
「何かするのか」
鬼太郎は、机の上の〈シュライク〉を見た。
清掃を終えたところだった。
銃身にも、ばねにも異常はない。
変わったのは、それを握る手だった。
「生きていれば、勝手に増える数字でしょう」
「だから、何もしない?」
「必要がありますか」
キーノは少し考えた。
「知らない」
「僕も同じです」
「じゃあ、いい」
祝うとは言わない。
何かを買うとも言わない。
キーノは身分書類を元の包みへ戻した。
その後で、机の上の〈シュライク〉を指す。
「それ、前より持ちにくそうだ」
鬼太郎は握り直した。
小指の位置。
引き金へかかる指の角度。
掌の中央。
以前より窮屈になっている。
「よく見ていますね」
「撃つ前に、何度も動かしてる」
「握りが、今の手に合わなくなり始めています」
「直せないのか」
「少しなら。大きく変えるなら、作った方に頼む方がよいでしょう」
「ブルガリアの?」
鬼太郎が、わずかに目を細める。
「話しましたか」
「前に、銃を作った奴がいるって言った」
「そうでしたね」
ペタル・ヴァルチェフ。
六歳の鬼太郎へ、〈シュライク〉を作った銃職人。
今の手へ合わせて直すだけか。
成長した身体へ、新しい銃を作らせるか。
決めるのは、まだ先でよい。
〈シュライク〉は、まだ使える。
だが、次も同じ形である必要はなかった。
鬼太郎は、拡張鞄から購入品の一覧を出した。
欧州の移動手段。
野営。
魔法生物。
法律。
防寒具。
地図。
一年前には空いていた項目のいくつかに、線が引かれている。
鞄の中には、本と道具が増えた。
それでも棚は残っている。
鬼太郎は、一覧の下へ新しい一行を加えた。
次の銃。
「買うのか」
「すぐには」
「いつ?」
「作った方へ、もう一度会える時に」
キーノは、その名が書かれた行を見る。
意味は読める。
その先にある場所までは、まだ知らない。
鬼太郎は紙を畳み、鞄へ戻した。
一年前、そこには空いた棚しかなかった。
今は、英国とその外を知るための本がある。
二人分の衣服がある。
野営の道具がある。
弾薬がある。
契約を重ねた記録がある。
季節は、目に見えない。
けれど、鞄へ収めた物と、合わなくなった銃の握りが、一年の長さを残していた。