神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

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灯りは、帰る先を選ぶ

 

第六十一話 灯りは、帰る先を選ぶ

 

 

「次は、待つだけじゃない仕事を出して」

 

 キーノが言ったのは、受領証を読み終えた後だった。

 

 机の上には、食料と紙、インクの代金が並んでいる。

 

 店で払った額。

 

 戻された釣り。

 

 品の数。

 

 どれも合っていた。

 

 鬼太郎は受領証を畳んだ。

 

「買い物以外という意味ですか」

 

「外で見て、戻って、伝える。それだけなら、もうできる」

 

「現場へ入りたいと?」

 

「戦うとは言ってない」

 

 キーノは仮杖を机へ置いた。

 

 ルーモスとノックス。

 

 一年かけて、ほとんど一度で使えるようになった。

 

 それ以外の魔法は覚えていない。

 

 銃も撃てない。

 

 だが、尾行者の変装を見抜いた。

 

 道を覚えた。

 

 時刻を守り、封書を使える状態で待った。

 

 買った品と支払った額も確認できる。

 

 できないことと、できることは分かれていた。

 

「失敗した場合、自分だけで逃げられる仕事なら提示します」

 

「お前を待つなってことか」

 

「僕を待って捕まる必要はありません」

 

「仕事を捨てても?」

 

「命まで含めた報酬は提示しませんよ」

 

 キーノは鬼太郎を見る。

 

「それなら聞く」

 

「条件に合うものが来れば、お話しします」

 

 即座に許可はしない。

 

 外へ出ることも止めない。

 

 鬼太郎が決めるのは、キーノへどの仕事を提示するかまでだった。

 

 受けるかどうかは、本人が決める。

 

     ◆

 

 条件に合う仕事は、十一日後に来た。

 

 生存する会計係の回収。

 

 名前は、オスカー・リード。

 

 人身売買、密輸、盗品の換金を扱う組織で、帳簿を書いていた男だった。

 

 取引の一部を写し、複製した頁を持って逃げた。

 

 依頼人は、本人と頁の両方を求めている。

 

「殺した場合は失敗ですか」

 

「失敗だ」

 

 仲介人が答える。

 

「歩けない負傷は」

 

「期限までに連れてこられるなら構わん。話せる状態は保て」

 

「頁がなかった場合は?」

 

「本人だけなら報酬は半額。頁だけなら四分の一だ」

 

「敵の人数は」

 

「確認できているのは四人」

 

「六人以上と九人以上で追加。存在人数を条件に」

 

「前と同じか」

 

「ええ」

 

 依頼書へ加える。

 

 オスカーは、マグルの宿兼酒場へ隠れている。

 

 魔法使いだけが使う建物ではない。

 

 客も使用人もいる。

 

 炎、大きな爆発、目立つ魔法を使えば、回収後の処理が増える。

 

 オスカーに似せた囮がいる可能性もあった。

 

「本人確認は」

 

 仲介人が別の紙を出す。

 

 三十代後半。

 

 痩せている。

 

 灰色の目。

 

 右手で文字を書く。

 

 長年の筆記で、右手中指に硬い筆だこがある。

 

 右袖口には、洗っても消えない古い青黒いインク染み。

 

 帳簿の数字を確認する時、右の親指を二度動かす癖がある。

 

「合言葉は」

 

「『二十三の勘定は済んだか』」

 

「返答は?」

 

「『十七だけ残っている』」

 

「漏れている可能性は」

 

「ある。だから身体の特徴も渡した」

 

「宿の見取り図は?」

 

「一階の食堂、厨房、裏口。二階は客室と物置。詳細はない」

 

「姿くらましを防ぐものは」

 

「不明だ」

 

 鬼太郎は依頼書を閉じた。

 

 情報のない部分は、ないままだ。

 

 危険がないとは扱わない。

 

「協力者は二人使います」

 

「追加の報酬は出ん」

 

「こちらで払います。受けます」

 

     ◆

 

 サーシェスは、オスカーの特徴を一度読んだ。

 

「宿に入って顔を見るだけなら、坊主が行けばいいだろ」

 

「僕の特徴は、裏社会で知られすぎています」

 

「そっちのガキは知られてねえと?」

 

「見世物小屋から逃げた子供として、知る者はいます。ですが、炎と拳銃を使う外国人の子供よりは少ない」

 

 キーノがサーシェスを見る。

 

「私が受けるか決める」

 

「まだ受けてねえのか」

 

「条件を聞いてる」

 

 鬼太郎は紙を三人の間へ置いた。

 

「キーノさんの仕事は、オスカーさんの識別です」

 

 宿へは、届け物を持った使いとして入る。

 

 食堂にいる候補を観察する。

 

 合言葉だけを信用しない。

 

 右手中指の筆だこ。

 

 右袖口の古い染み。

 

 数字を見る時の親指。

 

 三つを可能な範囲で確かめる。

 

 本物を見つけたら、二階の裏窓からルーモスとノックスを三度繰り返す。

 

 対象が別の出口へ動いた場合は、二度。

 

 発見されたら、対象を追わずに自分の退路から離脱する。

 

 攻撃は仕事に含めない。

 

 杖を向けられた場合も、戦うより逃げる。

 

「本物が動かなかったら?」

 

「三度の合図の後、僕が回収します」

 

「逃げたら二度」

 

「ええ」

 

「偽物しかいなかったら?」

 

「合図を出さず、決めた時間までに離れてください」

 

 固定報酬。

 

 囮を見破った場合の追加。

 

 予定外の敵や危険が出た場合の危険手当。

 

 本人に接触する必要が生じた場合は、別の追加。

 

「受ける」

 

 キーノが言った。

 

「サーシェスさんは、正面と厩側の出口を確認してください。キーノさんの撤退路が塞がれた場合、出口を一つ確保する」

 

「子守り代は別か」

 

「キーノさんを追って中へ入る仕事ではありません。出口の確保です」

 

「私が勝手に戦った時まで、助ける条件にしなくていい」

 

 キーノが言う。

 

「だそうですよ」

 

「聞こえてる。俺が出口を開ける前に死んでも、契約違反にするなよ」

 

「しません。ただし、開けられる状態で意図的に放置した場合は別です」

 

「細けえな」

 

「必要でしょう」

 

 サーシェスは紙へ署名した。

 

「受ける。中で騒ぎを起こすなよ」

 

「誰に言ってる」

 

「二人ともだ」

 

     ◆

 

 宿は、大きな通りから一本外れていた。

 

 二階建て。

 

 正面に食堂。

 

 横に厩。

 

 厨房の裏から、細い路地へ出られる。

 

 鬼太郎とサーシェスは、前日に外側だけを見た。

 

 窓。

 

 屋根。

 

 客の出入り。

 

 裏口から出る使用人。

 

 同じ男が、厩と食堂を二度往復していた。

 

 杖は見えない。

 

 上着の内側に、長い物が入っている。

 

 確認できる敵は一人。

 

 残りは中だった。

 

 当日、キーノは紙包みを持って宿へ入った。

 

 中身は、何も書いていない紙だった。

 

 届け先は、宿の主人。

 

 差出人の名は、仲介人が用意した実在しない店。

 

「返事を待てと言われた」

 

 キーノが言う。

 

 主人は包みを開き、首を傾げた。

 

 何も書かれていない。

 

「誰からだ」

 

「紙に書いてある」

 

「何もないぞ」

 

「じゃあ、間違えたのかも」

 

「待ってろ。持ってきた奴を呼ぶ」

 

 主人は厨房へ入った。

 

 キーノは食堂の壁際に立った。

 

 客は九人。

 

 給仕が二人。

 

 暖炉の近くに、痩せた男がいる。

 

 三十代後半。

 

 灰色の目。

 

 右袖口に、青黒い汚れ。

 

 男がキーノを見た。

 

「何を待ってる」

 

「二十三の勘定は済んだか、聞けって」

 

 男の表情は変わらなかった。

 

「十七だけ残っている」

 

 正しい返答。

 

 キーノは、男へ近づかない。

 

 右手には、インクがついている。

 

 指先だけ。

 

 袖の染みは濃すぎた。

 

 布の奥まで染みた古い色ではない。

 

 表面へ擦りつけたように、縁が残っている。

 

 男が杯を持つ。

 

 左手中指に、硬い膨らみがあった。

 

 右手にはない。

 

「こっちへ来い」

 

「返事は聞いた」

 

「頁を渡す」

 

「誰に?」

 

 男が止まる。

 

 依頼人の名も、受取人の名も知らない。

 

 合言葉だけを渡された囮だった。

 

 キーノは食堂の窓を見た。

 

 外には、合図を送らない。

 

 宿の主人は戻ってこない。

 

 厨房の奥で、低い声が二つする。

 

 暖炉脇の男以外にも、キーノを見ている者がいた。

 

 食事をしていない。

 

 同じ杯を、何度も口へ運ぶふりをしている。

 

 キーノは壁際から離れた。

 

「便所は」

 

 給仕が二階への階段脇を指す。

 

「上だよ」

 

 階段を上る。

 

 背後から、囮は追ってこない。

 

 代わりに、厨房から男が一人出た。

 

 階段の下へ立つ。

 

 戻る道が一つ減った。

 

     ◆

 

 二階の廊下には、六つの扉があった。

 

 四つは客室。

 

 一つは便所。

 

 奥の一つには、番号がない。

 

 キーノは便所へ入り、窓を確かめた。

 

 狭い。

 

 身体を横にすれば抜けられる。

 

 下には物置の屋根がある。

 

 第一の退路。

 

 廊下へ戻る。

 

 給仕が、食事を載せた盆を持って上がってきた。

 

 客室の番号を見ない。

 

 一番奥の、番号がない扉へ向かう。

 

 料理は一人分。

 

 食堂にいる客の注文ではない。

 

 給仕が扉を三度叩く。

 

 内側から鍵が開いた。

 

 隙間から、痩せた男の右手が出る。

 

 中指の横に、硬い筆だこ。

 

 袖口には、何度も洗われて薄くなった青黒い染み。

 

 盆の下に、小さな紙が挟まっていた。

 

 男は数字を見た。

 

 右の親指が、一度。

 

 二度。

 

 扉が閉じる。

 

 本物だった。

 

 キーノは廊下の裏窓へ移った。

 

 外から見える位置へ仮杖を出す。

 

「ルーモス」

 

 白い光。

 

「ノックス」

 

 消える。

 

 一度。

 

 二度。

 

 三度。

 

 キーノは杖を下ろした。

 

 今の光を見た者がいる可能性がある。

 

 同じ場所には立ち続けない。

 

 便所の窓へ向かう。

 

 その前に、階下で椅子が倒れた。

 

 足音が階段を上がってくる。

 

 囮に、何かが伝わった。

 

 番号のない扉が開く。

 

 本物の男が飛び出した。

 

 キーノを見る。

 

「迎えか」

 

「厨房へ行くな」

 

「誰だ」

 

「そこは塞がれてる」

 

 男は答えを待たない。

 

 裏窓とは反対へ走る。

 

 二階奥の配膳階段。

 

 厨房へ下りる道だった。

 

 予定と違う。

 

 キーノは裏窓へ戻る。

 

「ルーモス。ノックス」

 

 一度。

 

「ルーモス。ノックス」

 

 二度。

 

 対象が動いた合図。

 

 階段を上がってきた男の顔が見えた。

 

 食堂で、飲むふりをしていた者。

 

 右手が上着へ入る。

 

 キーノは便所へ走った。

 

 扉を閉める。

 

 掛け金を下ろす。

 

 窓を押し開けた。

 

 後ろで、扉が叩かれる。

 

 一度。

 

 二度。

 

 木が軋む。

 

 キーノは窓枠へ足を掛けた。

 

 物置の屋根まで、身体一つ分ほど低い。

 

 先に紙包みを落とす。

 

 両手で縁を持ち、身体を下げる。

 

 屋根へ降りた。

 

 仮杖は握ったまま。

 

 飛び降りない。

 

 傾いた屋根を四つ這いで進む。

 

 便所の扉が壊れる音がした。

 

 キーノは屋根の端から樽へ移り、裏路地へ降りた。

 

 鬼太郎を探さない。

 

 決めた合流地点へ向かう。

 

 それが仕事だった。

 

     ◆

 

 二度の灯りが見えた時、鬼太郎は厨房裏にいた。

 

 三度なら、対象は二階奥。

 

 二度が続いた。

 

 対象が移動した。

 

 厨房の扉が開く。

 

 痩せた男が転がるように出てきた。

 

 オスカー・リード。

 

 その後ろに、杖を持つ男がいる。

 

 鬼太郎は先に撃った。

 

 一発。

 

 杖を持つ右手の甲。

 

 杖が石床へ落ちる。

 

「オスカー・リードさんですね」

 

「誰だ、お前」

 

「迎えです。頁を持っているなら、一緒に来てください」

 

「あの子は」

 

「自分の退路へ向かいました」

 

「置いていくのか」

 

「そういう契約です」

 

 食堂側の扉が開く。

 

 囮と、もう一人。

 

 鬼太郎は左手を振った。

 

 ザン。

 

 扉が二人の方へ跳ね返る。

 

 積まれていた空樽が転がり、通路を塞いだ。

 

 オスカーの腕を引く。

 

 裏路地へ出る。

 

 厩側で煙が上がった。

 

 サーシェスの煙幕。

 

 銃声が一つ。

 

 続けて二つ。

 

 厩の見張りと、路地を回り込もうとした男が止まる。

 

 サーシェスは、鬼太郎へ声をかけない。

 

 オスカーを見た時点で、正面ではなく横路地へ位置を変えた。

 

 鬼太郎は、空いた側へ進む。

 

 命令はない。

 

 確認もない。

 

 三度の光が場所を示した。

 

 二度の光が変化を伝えた。

 

 サーシェスが出口を作った。

 

 鬼太郎が対象を通す。

 

 一瞬だけ、別の景色が重なった。

 

 青い装束。

 

 荒れた地面。

 

 言葉を交わさず、互いの死角を埋める男。

 

 鬼太郎の魔法が前を焼き、男の刃が横から来る敵を断つ。

 

 背中を預けた。

 

 何度も、同じ敵を殺した。

 

 景色が変わる。

 

 同じ青が、今度は正面にいる。

 

 刃は鬼太郎へ向いていた。

 

 道が違った。

 

 だから、最後には殺し合った。

 

 名前がない。

 

 顔も見えない。

 

 声も戻らない。

 

 ただ、同じ一人だと分かった。

 

「坊主!」

 

 サーシェスの声で、宿の裏路地へ戻る。

 

 別の男が、煙の向こうから杖を向けていた。

 

 二発目。

 

 男の肩を撃つ。

 

「止まってんじゃねえよ」

 

「失礼しました」

 

「思い出に浸るなら、帰ってからにしろ」

 

「ええ。そのとおりです」

 

 鬼太郎はオスカーを前へ押した。

 

 追撃しない。

 

 宿には、まだ一般客がいる。

 

 敵は六人確認した。

 

 囮。

 

 食堂の監視役。

 

 厨房の杖持ち。

 

 厩の見張り。

 

 路地へ回った男。

 

 煙の奥から杖を向けた男。

 

 追加条件は成立する。

 

 鬼太郎は〈シュライク〉二発、ザン一回。

 

 サーシェスはリボルバー三発、煙幕一個。

 

 アギは使わない。

 

 プリンパも使わない。

 

 混乱した者が、食堂の客へ何をするか制御できないためだった。

 

     ◆

 

 合流地点に、キーノは先にいた。

 

 仮杖を持っている。

 

 紙包みも拾ってきた。

 

 服の膝と肘に、屋根の汚れがついている。

 

 血はない。

 

「怪我は」

 

「ない」

 

「追跡は?」

 

「見てない。でも、いないとは言わない」

 

「正しい答えです」

 

 オスカーがキーノを見た。

 

「お前が合図を?」

 

「三回見たなら、そうだ」

 

「子供を使ったのか」

 

「受けたのは私だ」

 

 キーノが答える。

 

 鬼太郎は口を挟まない。

 

「頁は持っていますか」

 

 オスカーは上着の内側へ手を入れた。

 

 サーシェスのリボルバーが上がる。

 

「ゆっくりやれ」

 

「分かってる」

 

 オスカーは上着を脱いだ。

 

 裏地の縫い目を裂く。

 

 薄い紙が何枚も出てきた。

 

 数字。

 

 名前。

 

 日付。

 

 取引先を示す印。

 

 依頼書に記された頁数と一致する。

 

 鬼太郎は紙を防水布で包み、拡張鞄の通常品区画へ入れた。

 

「歩けますね」

 

「歩くしかないだろ」

 

「では、引き渡し先へ向かいます」

 

     ◆

 

 オスカー・リード本人。

 

 生存。

 

 歩行可能。

 

 複製頁は欠損なし。

 

 依頼人側は、本人の右手と袖口、合言葉、帳簿の内容を確認した。

 

 六人の存在も、オスカーと三人の証言、宿の見取り図から認められた。

 

 本報酬。

 

 本人と頁の両方を回収した満額。

 

 六人以上の追加報酬。

 

 鬼太郎は受領書を得た。

 

 その場を離れてから、個別に清算する。

 

 サーシェスへ固定報酬。

 

 リボルバー弾三発。

 

 煙幕一個。

 

 移動費。

 

 敵六人以上の追加分。

 

 負傷と爆薬はない。

 

「一瞬止まった分は引くか?」

 

 サーシェスが聞いた。

 

「仕事は完了しています」

 

「甘えじゃねえよ。お前自身の失敗だろ」

 

「ええ。次に同じことがあれば、僕が死ぬだけです」

 

「なら覚えとけ」

 

「覚えていますよ」

 

 青い装束の輪郭も。

 

 今の失敗も。

 

 どちらも、忘れる理由はなかった。

 

 キーノへは、固定報酬。

 

 囮を見破った追加。

 

 対象の移動を知らせた追加。

 

 予定外に扉を破られ、屋根から自力離脱した危険手当。

 

 一つずつ理由を説明して渡す。

 

「戦わなかったことも含めて、お見事でした。キーノさん」

 

「撃てないから、逃げただけだ」

 

「撃てないのに残って捕まるより、役に立ちます」

 

 サーシェスが横から言った。

 

「合図も、囮を見てすぐ出さなかった。次も使えるかどうかは、次の仕事次第だがな」

 

「次も、条件を聞いてから決める」

 

「それでいい」

 

 サーシェスは自分の報酬袋をしまう。

 

 キーノも同じように、自分の袋を内ポケットへ入れた。

 

 同じ契約ではない。

 

 同じ役割でもない。

 

 ただ、今回は三人とも、自分が受けた仕事を終えた。

 

 部屋へ戻った後、鬼太郎は〈シュライク〉を清掃し、使った二発分を補充した。

 

     ◆

 

 それ以後、キーノがすべての依頼へ同行することはなかった。

 

 正面から戦う仕事。

 

 長時間走る必要がある仕事。

 

 魔法使いだけが入れる場所。

 

 そうした依頼は、提示されない。

 

 人の顔を見る仕事。

 

 道を覚える仕事。

 

 品と人数を数える仕事。

 

 窓から合図を送る仕事。

 

 自分で逃げられる経路がある仕事。

 

 条件が合う時だけ、鬼太郎は話を出した。

 

 キーノは聞いた。

 

 受ける時もあった。

 

 断る時もあった。

 

 断っても、食事と部屋はなくならない。

 

 報酬を返せとも言われない。

 

 少しずつ、内ポケットの袋が重くなった。

 

 文字も増えた。

 

 短い受領書だけではない。

 

 簡単な依頼書なら、期限、対象、報酬、禁止事項を自分で読める。

 

 損害、免責、違反。

 

 そのあたりで止まり、鬼太郎へ聞く。

 

 分からないまま署名しない。

 

 ルーモスとノックスは、現場で使った後も繰り返した。

 

 別の魔法へは進まない。

 

 今の仮杖がキーノを完全に選んだわけではない。

 

 攻撃魔法も、銃も覚えなかった。

 

 できることが増えたからといって、すべてを同時に増やす必要はなかった。

 

     ◆

 

 拡張鞄の棚にも、また物が増えた。

 

 欧州各地の魔法生物が生息する地域を記した本。

 

 噛まれた時、毒を受けた時、火傷を負った時の応急処置。

 

 一般的な魔法薬の保存期間と、変色した薬を見分ける本。

 

 英国からブルガリアまでの鉄道と船の経路。

 

 魔法界の移動手段を併用する場合の注意。

 

 保存食。

 

 防水布。

 

 野営用の縄。

 

 予備弾薬。

 

 高価な魔法薬は、必要な物だけを少量買う。

 

 上位魔法書は買わない。

 

 鬼太郎の魔法も増えなかった。

 

 アギ。

 

 ブフ。

 

 ジオ。

 

 ザン。

 

 ディア。

 

 プリンパ。

 

 パトラ。

 

 既にあるものを、場所と目的で使い分ける。

 

 杖先のルーモスは、以前より失敗が減った。

 

 光の大きさは変わらない。

 

 MAGと現世の魔力も、まだ完全には分かれなかった。

 

 青い装束の男についても、それ以上は戻らない。

 

 共に戦った。

 

 最後には敵になった。

 

 道が違った。

 

 それだけだった。

 

 無理に思い出そうとしても、頭の奥に霧がかかる。

 

 鬼太郎は追わなかった。

 

 名前がなくても、あれほど強い相手がいたという事実は残っている。

 

 今の自分が遠く及ばないことも、分かっていた。

 

     ◆

 

 サーシェスとの優先交渉契約は、三か月ごとに机へ戻った。

 

 継続報酬。

 

 緊急印。

 

 敵の増加。

 

 キーノが現場へ入る場合の役割。

 

 一件ごとに必要な条件を足す。

 

 キーノの仕事は、サーシェスとの契約へ入れない。

 

 同じ現場でも、三人の契約は別だった。

 

「面倒が一人増えたな」

 

 ある更新の日、サーシェスが言った。

 

「仕事を受ける人が増えただけです」

 

「撃てねえ、戦えねえ、だが目は使える」

 

「あんたより見つけるのが早い時もある」

 

 キーノが返す。

 

「俺が見てるもんと、お前が見てるもんは違うんだよ」

 

「なら、両方あった方がいい」

 

 サーシェスは一度笑った。

 

「そいつは違いねえ」

 

 それだけだった。

 

 守るとも、仲間だとも言わない。

 

 次の依頼で役に立たなければ、役に立たないと言う。

 

 キーノも、好かれようとはしなかった。

 

 互いに使える部分を認めただけだった。

 

     ◆

 

 茶色い外套の男は戻らない。

 

 別の監視者も、見つからない。

 

 鬼太郎とキーノは、見つからないことを不在の証明にはしなかった。

 

 仕事の帰路を変える。

 

 同じ店を続けて使わない。

 

 購入記録へ必要以上の情報を残さない。

 

 仲介人へ本名を渡さない。

 

 そうした習慣だけが残った。

 

 見えない監視を探すために、日々の仕事を止めることもしない。

 

     ◆

 

 キーノの報酬を数えたのは、九歳になる少し前だった。

 

 本人が、どれだけあれば一人で暮らせるか聞いた。

 

 安い部屋。

 

 食事。

 

 衣服。

 

 紙とインク。

 

 数か月、仕事がなくても困らない額。

 

 鬼太郎は相場を紙へ書いた。

 

 キーノが、自分の袋を並べる。

 

 見世物小屋から逃げた直後にもらった報酬。

 

 買い物。

 

 尾行の識別。

 

 待機。

 

 伝言。

 

 現場での観察と合図。

 

 使った分を引いても、必要な額を超えていた。

 

「足りますね」

 

 鬼太郎が言う。

 

「今なら、一人で部屋を借りて、しばらく食べていけますよ」

 

「止めない?」

 

「最初から、止める条件ではありません」

 

「教えた分も?」

 

「借金ではありません」

 

「食べた分と、部屋は」

 

「それも違います」

 

「仕事を断った分は?」

 

「請求しません」

 

「今までの報酬も返さない」

 

「キーノさんが終えた仕事への対価です」

 

 キーノは、自分の鍵を机へ置いた。

 

 鬼太郎が預かっている予備ではない。

 

 毎日、自分で扉を開け閉めしている一本。

 

「出ていける」

 

「ええ」

 

「でも、まだ行かない」

 

 鬼太郎は答えを急がない。

 

「お前が前に言った、次の場所を聞いてから決める」

 

「そこへ行くとは、まだ言ってない」

 

「分かりました」

 

「理由を聞かないのか」

 

「聞けば、答えますか」

 

「分からない」

 

「でしたら、今は必要ありません」

 

 鬼太郎は鍵をキーノの方へ戻した。

 

「その時に、場所と条件をお話しします」

 

「いつ?」

 

「もう少し先です」

 

「また、それか」

 

「ええ」

 

 キーノは鍵を取った。

 

 報酬袋も、自分で片づける。

 

 九歳になった日も、特別なことはしなかった。

 

 食事を取り、文字を読み、杖を振る。

 

 鬼太郎は依頼の条件を整理する。

 

 サーシェスは別の場所で、別の仕事をしている。

 

 夜、キーノは廊下を歩いた。

 

 自分の部屋の前で止まる。

 

 鍵を錠へ差し込んだ。

 

 この鍵を得た時は、誰にも閉じ込められず、いつでも逃げるためのものだった。

 

 今も、その意味は消えていない。

 

 扉を閉じれば、鬼太郎でも無断では入らない。

 

 開ければ、いつでも外へ出られる。

 

 それでもキーノは、外から戻ってきた自分の手で、鍵を回した。

 

 逃げられないからいるのではない。

 

 行き先を知らないからでもない。

 

 次の場所を聞き、そのうえで選ぶためにいる。

 

 錠が外れる。

 

 キーノは、自分で選んだ部屋の扉を開けた。

 

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